読んでいて不快な気分にならないために一応書いておきますが、これは随筆なので「ですます口調」はあえて殆ど使っていません。あらかじめご了承ください。
下に行くほど新しいログです。
2019/05/11
最近アンブシュアがちょっと不調で、音が出ないわけではないのだが2オクターブ目が出にくくなってしまっている。これはひとえに上唇の内側の粘膜が力んでいるせいなのだが、その力みを取るための練習を続けている毎日だ。
そう、プライベートはもちろんのことサボレン(仕事中にサボって笛の練習をすること)にも余念が無い。サボレンができる仕事というのは本当にありがたい。だからこの仕事はヤメられないのだ。一日中練習をしていられる。
もっとも練習といっても、今回の場合は笛を吹くのではなくてアンブシュアだけを作って上唇の粘膜をびろーんと出すいわゆる「エア練習」なので、何も社用車を路肩に停める必要はなく運転中でもできる。だから仕事中でも常時サボレンをしている状態だ。
おかげでだいぶアンブシュアが回復してきている。
別に笛で実練習してもいいのだが、まずはエア練習でアンブシュアの土台をしっかり固めて、上唇の内側の粘膜の力みが取れてからでないと、笛を吹いても練習にならないどころか悪化さえしかねない。だから今はエア練習のほうに重点を置いている。
それにしてもサボレンというのは本当に素晴らしい。サボレンができるからこそ、今までずーっとこの仕事を続けてこれたし、効率よく練習ができるのだ。これ以上素晴らしいものはない。
サボレンこそ人間が命をかけて明日を投げ出す値打ちがあるものだ(いやそこまでは言わないが)
会社の重役にあるまじき発言だが、サボレンができない仕事だったとしたら私はきっと仕事が勤まらないだろう。それほどまでに笛が好きだ。一日中笛のことを考えてエア練習でも実練習でもいいのでやっていたい。こんな私は社畜にはまずなれないことは間違いない。
2019/06/01
アンブシュアのことでいよいよ行き詰まって、思いつめた挙句に「もうフルートとピッコロのレッスンを受けなきゃダメだ」と思って地元のフルート教室のレッスンを申し込んだ。レッスンを申し込んだのは生まれて初めてだ。
しかし、なんとその直後、ピッコロ絶好調期だった頃つまり2オクターブ目の最高音まで出せていた頃のアンブシュアを突然思い出した。
ただ単にレッスンを申し込んだだけなのに、半年前までの絶好調期のアンブシュアを突然思い出し、いきなりスランプ脱出の突破口が開けたのだ。
その突破口が開けた日、2019/05/27は忘れられない日になりそうだ。
それにしても、いったいこのタイミングは何を意味するのだろう? レッスンに通い始めてから思い出したのならわかる。だが申し込んだだけでレッスンの日程を先生と打ち合わせしている最中に思い出したのだから実に不思議である。
先生にはそのことは言っていないが、せっかく申し込んだのだから初回の体験レッスンだけでも行こうと思う。
今回思い出したアンブシュアは本当に独特で、上唇の真ん中のコブを逃がすため、そして上唇の粘膜を裏返すために、かなり特殊な筋肉の使い方をする。おそらく一般的に見れば「そんなアンブシュアでよく音を出せるな」と思われるかもしれない。
だがこれは本当に長い長い研究と実験と基礎練習の果てにやっと編み出したアンブシュアなのである。こんな吹き方をする横笛吹きはあまりいないのではないかと思う。
アンブシュアにはこれといった正解はなく、1000人いれば1000通りのアンブシュアがあると言われているが、全くもってその通りだと身をもって思い知った。
我ながらなぜここまで頑張れるのか? ピッコロが大好きだから。生きがいだから。それしか理由はない。「好きこそ物の上手なれ」とはよく言ったものである。いや上手ではなくむしろまだまだヘタクソなのだが(笑)
とにかく思い出してから練習を始めたのが先にも書いたとおり2019/05/27、この日はアンブシュア復活の記念日だ。自分でお祝いをしたい気分なので大好きなチョコレートケーキでも買ってこようっと。
半年前までの腕前に戻れるように、練習がんばるぞ!!
まだまだ演奏がヘタクソなのはおいておくとして、ミニ横笛に出会って、今回の人生で本当に捜し求めていた趣味のアイテムを見つけた感がとても強い。
私は幼少時代から何かしらの趣味のアイテムをいつも探求し続けていた。幼稚園時代はその時々に応じた様々な紙工作で、アポロ宇宙船だったり折り紙だったりした。
小学生時代はプラモデルや、好きな漫画に出てきた道具をお小遣いで買っていた。中学生時代もほぼ同様。プラモデルに至っては毎日ワックスをかけて磨くほどだった。
高校時代になると弱かった体を鍛えるためにバドミントン部に入ることは入ったが、練習や試合に情熱を注ぐよりもラケットというアイテムに愛情を注いでいた。
社会人になってからも、オートバイや車やレーシングカートなどの乗り物に愛情を注ぐようになった。やはり毎日のようにワックスをかけては満足感に浸っていた。ワックスがけは最高に幸せな時間だった。
要するに、物心ついた時から対象は違えど何かしらの趣味のアイテムに並々ならぬ愛情を注いでいた、それが本来の私の性格だ。
しかし、どんな年代においてもその時々に聴いた音楽のメロディがいつも頭の中を流れていた。自覚がなかっただけで元々は音楽が本当に好きだったのだろう。だから最終的に楽器プレイヤーに転向してエレキギターから始まり、先にも書いたようにいろんな紆余曲折を経て、ミニ横笛という、これ以上ないほどに愛情を注げる最高のアイテムをやっと見つけたのだった。
幼少時代から耳に入ってくる音楽のメロディをいつも頭の中で歌い続けていたし、本当に楽器や音楽が大好きだという気持ちに気付くまで年月がかかったために楽器を始めるのが遅かっただけの話で、楽器特にミニ横笛に愛情を注ぐようになることは生まれた時から運命付けられていた気がする。なんとなく直感でそう思う。
今回の人生で本当に捜し求めていたアイテムがミニ横笛ということ、そしてそれが人生においての最終アイテムということに最近気付いた。最終アイテムという意味で、(ゲームのことは殆どわからないが)ドラクエのグリンガムのムチあたりだろうか。
人生というゲームでの最終アイテムを見つけて、「遂にやったぜ! 何十年も生きてきてやっと見つけた!」という気分だ。だからもうこれ以上はアイテムを探す必要もない。
幼少時代から人付き合いには殆ど興味を持たず、ただひたすらお気に入りのアイテムを探求し続けてきた、それが私の生き方だったし、それは今後も同じだろう。そういう意味では今でも子供の心を持っているのかもしれない。
だから未だに人を愛する喜びを殆ど知らないのかもしれない。幼少時代から「人付き合い? 興味ないわー。それよりもアイテム探しだ」と思っていたし。
プラモデルや乗り物にワックスがけをしては満悦していたように、今はヒーリーにオイリングをして光沢を出すことに満悦している。幼少時代と全く同じ精神構造である。ある意味幼少時代から全く進歩していないとも言えるが、幼な子の心をいつまでも持ち続けているのは良いことだと思うし、趣味のアイテムに愛情を注ぐことは私の変わらない生き方なので、まーいいっしょ。
親友のFちゃんが趣味のアイテムを集め続けている気持ちが、本当によくわかる。
人付き合いには興味が無いが、Fちゃんだけは別格なのだ。うふふ。
2019/08/31
アンブシュアのことで嬉しい気付きがあったので、ツイッターの自分の今日のツイートをコピペしておく。
どこの筋肉をどうやって・・・と論理的に煮詰めていくよりも、唇の真ん中の先っちょから息を出すことだけを意識して練習したほうが、無意識にアンブシュアを作れるようになる気がしてきた。 最初に元祖Yさん口で肉を盛って、あとは決して力みすぎないで 出来上がったアンブシュアはあくまでも結果的なものに過ぎず、その形に固執する必要はないどころか固執するとかえって弊害になる。 横笛は唇の外側の見えている部分じゃなくて内側の粘膜で吹くかんじにするとエアリードが柔らかい分綺麗な音が出やすい気がする。だからこそ最初の肉盛りが大事なんだな。 研究と練習を突き詰めていくとやっぱり行き着くところは真ん中尖り反らしなんだけど、それ以外は本当に柔軟に臨機応変に作ればいいや。 新Yさん口(歌口を手前に回してエッジをアパチュアにギリギリまで近づけて、肉盛り+脱力尖りチューで吹くとコンスタントに音が出やすい) チュー盛り肉、チュー吹き、口が上、粘膜を柔らかく滑り出させる、そのアンブシュアを維持したままアゴ引きブレス −−−−−− チュー盛り、締め寄せ(力入れるのはここだけ)、尖らせ。 エッジギリギリまで近付ける。そのアンブシュアを維持したままアゴ引きブレス。 2019/9/15の20:30〜21:00、手応えあり。コツが掴めた。 |
アンブシュアの大スランプになってから早8ヶ月、研究と実験と試行錯誤と練習を繰り返してきて、時には挫折しそうにまでなりながらも絶対に諦めず頑張った結果、やっとこの答えを見つけた。あとは今後も頑張ってこの吹き方を煮詰めていけば良いだけの話だ。もう安心だ。
長かった・・・本当に長い長い試練の期間だった。だからこそ喜びもひとしおだ。今日は記念日になりそうだ。
ツイッターでこの答えに繋がるヒントをくださったわっさん、ありがとうございました。本当に感謝しています。
アンブシュアの大スランプに陥っていた原因は、クセの強い某ミニ横笛を無理に吹きこなそうとして力みが入ってしまったらしく、その力みを取るのにこんなに長い月日がかかってしまっている。
未熟者の私の場合に限ってだとは思うが、力みというのは1度癖になったらなかなか取れるものではなく、場合によっては、ツイッターのあるフォロワーさんからアドバイスを頂いたのだが、数ヶ月単位で離れる覚悟が必要なこともあるらしい。
ただ、そのフォロワーさんによれば、良い癖で上書きをするのも1つの手だそうなので、この数カ月間、良い癖で上書きをできるようにずいぶん研究と試行錯誤と練習をし直している。
そのフォロワーさんには本当に心の底から感謝しています。本当にありがとうございますm(_
_)m
今回得た大きな教訓は、
「クセの強い笛だと判明した時点で、意地にならずにすぐに吹くのをヤメること。さもないと悪い癖が体に染み付いて、取り返しのつかない事態になってしまう」
だ。
なので今後はよっぽどの理由が無い限り、そのクセの強い笛は吹かずにもっぱら観賞用として保存しておくことに決めた。
もし今後吹く機会があるとすれば、それは私がもっと上手くなっていろんな笛を吹きこなせる技術が身についてからの話だ。そうなるまでとっておこうと思う。
ちなみに、その「クセが強くて吹くのをヤメた笛」というのは最愛のヒーリーのことではない。それが何よりの救いである。
なぁに、ヒーリー以外ならば、クセが強いために吹くのをヤメる笛が1本や2本あってもいいではないか。悪い癖が染み付いてアンブシュアが崩れてヒーリーまでも吹けなくなるよりは100万倍マシである。
それにしても、自分の責任とはいえたった1本の笛が原因で・・・恐ろしい話だ。
以上、ほんとにあった怖い話・ミニ横笛版。
大晦日の夜に「ゆく年くる年」を家族で見て年越しソバを食べて、さて部屋で一人になって家族が寝静まった頃から瞑想を始めた。
「なぜ、なんのために今回日本に生まれてきたのか」を深く考えたかったからである。
心を静かにして一晩中考えて出た答えは、やはり音楽関係のことだった。
もし日本に生まれていなかったら、姫神や宗次郎や松山千春などの、四季豊かな日本の自然や人生をテーマにした音楽を知ることは無かったかもしれない。
海外に生まれていたら、今はネットが普及しているとはいえこれらのマイナーなジャンルの音楽自体に出会う可能性は極めて低かったのではないだろうか? だから自然が大好きな私がそういう音楽に出会うために日本に生まれてきたのではないかと思った。
勝手ながら、姫神や宗次郎や松山千春などの、自然や人生をテーマにした音楽のことを、以後「自然派音楽」と呼ぶことにする。
ピッコロやファイフなどのミニ横笛自体は、ある程度文明と経済が発展した国に生まれてさえいれば簡単に出会えたであろうが、「ミニ横笛を使って大好きな音楽を奏でたい」と思った時に、日本に生まれていないゆえに自然派音楽を知らなかったら、クラシックや民謡などの一般的によく知られている音楽しか吹く機会がなかっただろう。
私にとって自然派音楽ほど心に染み入る音楽はないので、それを吹けなかったら「何か物足りない」と思ったかもしれない。
日本に生まれたおかげで自然派音楽を知ることができて、更にある程度の先進国であるおかげで最高に好きになれるミニ横笛を知ることもできて、楽器と音楽についてこれ以上ないほどのお膳立てができた。あとはただ練習を頑張れば良い。
と、こういう環境に導いてくださったのは紛れも無く守護霊さんのおかげだろうし、自分自身も生まれる前の霊界では類魂の仲間とも相談し合って決めたのだと思う。よく言われるように、生まれる国や地域や家族を自分で決めて生まれてきたのだと思う。ちょっと霊界ネタが入っているがその手の話が苦手な人にはすいませーん(笑)
とにかく、楽器と音楽という理由で、日本に生まれてきて本当によかったと思った元旦の早朝であった。
−−−−−−
2019年は初頭からミニ横笛の音が出なくなった試練の年だった。それについての反省点。自分へ。
もっといつも冷静でいろ。
もっと今以上に頭を使え。
もっと効率的な練習方法を考えろ。
エア練習はやり方を間違えると悪いクセが付きやすいので慎重にやること。
2020/10/03
今日の農道での練習は、入れ歯を使った練習2度目だったのだが、これがすこぶる上達のスピードが速いことに自分で驚いている。入れ歯によるアンブシュアへの良い影響が出まくりで、もう入れ歯が神様のように思えてきてただただ感謝しかない。
2019年に入ってから今まで2年近くアンブシュアの大スランプに陥っていたが、入れ歯を使うことであっけなくグングン上達し始めた。スランプ脱出の兆しが確かに見えてきた。嬉しくてたまらない。
入れ歯のおかげで
「アゴ引き・真下吹き・真ん中尖り反らし」
という、私が最もやりたかった・私に最も適しているアンブシュアを難なく作ることができるのだ。
もう入れ歯なしには絶対に戻れない。今後ずっとピッコロと入れ歯はセットだ。今後もアンブシュアが正常な状態に回復していく確信と手ごたえを掴めた。思わず練習中の車の中でバンザイポーズをしてしまったくらいに感激した。
長かった・・・本当にこの2年間のスランプ期間は本当に泣きたいくらい死ぬほどつらい毎日だった。だからなんでもっと早く入れ歯を使うことを思い付かなかったのさ私のバカバカバカ!!
とはいうものの、入れ歯を使っても今だけ一時的に治っているに過ぎないので、アンブシュアの試練はまだまだ続くのである。
ところでツイッターで見かけたのだが、「アイリッシュピッコロ」という呼び方はhataoさんが積極的に広めたらしい。そうだったのか・・・全然知らなかった。
この「アイリッシュピッコロ」という呼び方についてアイリッシュ界隈で異論を唱えている人もいらっしゃるようだが、私はこの呼び方でいいと思う。それが一番わかりやすいし字面の響きも個人的に気に入っている。
EMP(アーリー・ミュージック・プロジェクト)さんはアイリッシュピッコロのことを「フォークピッコロ」と呼んでいらっしゃるようだが、フォークピッコロという呼び方でも全く問題ないと思う。
いずれにせよ私はアイリッシュは全く吹けない門外漢なのでトーシローは黙ってることにします(笑)
アンブシュアの試練の時(今見ているページ)