◇「500に及ぶあの世からの現地報告」から◇


※今までの断定口調を修正しました。もちろん長年の研究の結果、神様や霊界の存在は100%信じていますし、公言して、はばかりません。ですからその意味では断定口調のままでもよかったのかもしれませんけど、こんな未熟な魂の自分がエラソーに見えちゃうの恥ずかしいから、やっぱしここは分相応に、「〜らしいです」「〜だそうです」とかの、「〜って偉い人が言ってた」表現に変えています。上から目線とか教条的とかにだけは、絶対になりたくないので。

要するに、私は霊的真理を教える側じゃなくて、どこまでも「教わる側」のヒヨッコ魂なので、自戒を込めて、自分に強く言い聞かせるつもりで書いています。


「500に及ぶあの世からの現地報告」から、霊的真理をピックアップしていきます。原文はこちら

死後の裁きについて。人間は、死後誰かに裁かれたりはしないそうです。人間の霊を裁く人物など存在しないのだそうで、人間の霊は自分で自分を裁くようになり、誰もが持っている良心によって、人間界でやってきた全てのことを振り返り、これはいい行いだった、これは悪い行いだったという風に判断する時が遅かれ早かれ必ずやってくるのだそうです。また、行動だけでなく心に抱いた思念までも裁くようになるらしいです。霊界全体は精神世界なために、精神・心の状態が圧倒的に優先されるからだそうです。ですので私達は普段から心の管理をすることがとても大切なんだそうで、極力、悪感情を持たないようにしたいですね。

死の観念について。死は単なる場所から場所へのごく自然な移動に過ぎず、死んだ人間はただ肉体が無くなるだけで、あとは全部残っているのだそうです。また、死が恐怖の瞬間だったと語る霊は一人も居ないのだそうです。死の瞬間は、ただただ深い眠りに落ちていくような心地よい感覚らしいです。ですので死を怖がる必要などないんですよね。死ぬまでに病気などで伴う痛みや苦しみは仕方のないことですけど、その痛みや苦しみも人間界での最後の修行になるので、ひたすらガマンするしかないのでしょう。

心の大切さについて。霊界に持っていけるのは、取り繕った見せかけの自分ではなく、心の内面・心の清さだけなのだそうです。霊界では心の中身が全部周りの人たちに明け透けにされるので、どんなに聖人ぶっても悟ったフリをしても、本性はバレバレなんだそうな。なので嘘つきや偽善者はいたたまれなくなって、自らもっと低い界層に行くことになるとのことです。

夢幻界での順応について。夢幻界では、自分がやりたいと思ったことは何でも許され、詩人になったり画家になったり音楽家になったり、また好きな趣味に没頭したり、それが夢幻界に順応するための唯一の方法で、それによって魂も成長するらしいです。

霊界の太陽について。霊界には人間界のような太陽はなく、霊界を照らしている光は神から放たれた光で、それによって霊界の人々の体は養われているのだそうです。それからこの光は影を作らないのだそうです。霊界には物の影というのはないかららしいです。

霊界での動物の思考能力について。動物は霊界(の中の夢幻界)に来ると、高度な思考能力を発達させ、人間の霊に話しかけて意思を伝えることができるのだそうです。動物は人間が思っている以上に繊細な感情や情緒を持っているんですよね。それは今地上に居る間も感じることがあるんじゃないでしょうか。

仕事の動機について。霊界では自分がしたいことを仕事にすることができるので、仕事=喜びとなるのだそうです。仕事の動機は愛の思いから行い、霊界の人々は仕事をすることが喜びであると同時に、他人を喜ばせてあげることも喜びになるんだそうです。

睡眠について。霊界では、もし人間界に居た時のような睡眠を取りたいと思えば、夜の闇が現れて睡眠を取ることができるらしいです。そしてしばらくリラックスするだけでスッキリした気分になれるんだそうで。もちろん肉体がないんですから睡眠の必要はないんですけど、意識的に睡眠を取ることができるんだそうで、これはこれで嬉しいですね。

罪の思想について。キリスト教ではありのままに生きること・自然な欲求に従って生きることは罪深いこととされていますけど、霊界ではそうしたことは全く罪深くないのだそうで。無意味な禁欲主義は霊界には存在しないらしいです。

霊界での努力について。人間界においても霊界においても、人間は真の自我を見い出すために常に努力しなければならないそうで、それによってのみ進歩・進化できるからだそうです。霊界では人間はずっといつまでも同じ状態にとどまることはなく、何十年経っても何百年経っても、いつかは必ず変わる時が来るらしいです。

個人の意識について。人間の個人の意識は人間界に誕生する以前から霊界に存在しているらしいです。再生(生まれ変わり)という事実がある以上、人間界での生活は、永遠の霊界での生活に比べたら、ほんの一時のものに過ぎないのでしょうね。

霊界での衣服について。霊界での衣服は、その人の魂の成長度によって色彩が決まるんだそうで。なんでも好きな色を選べるというわけではないらしいです。たとえばある人の魂の成長度があまり高くない場合、その人は薄いブルーの衣服を着ることができないんだそうです。そして着ている衣服の色によってその人の性格や気質が周りの人たちに知られる、ということになるらしいです。

霊界での娯楽について。霊界では人間界にあるほとんどの娯楽を楽しむことができるそうです。音楽、読書、演劇、コンサート、映画、水泳、競輪、競馬、その他のスポーツなど、ほとんど全てと言っていいくらいです。狩猟のように動物の生命を奪う娯楽も一応できることはできるらしいんですけど、その動物の死は当然見せかけの死に過ぎないのだそうで。

身分や地位の高かった人について。人間界で身分や地位が高かった人の多くは、霊的には未熟なことが多いらしいです。「自分は偉いんだぞ」みたいな感情が心を支配しているために、他人への思いやりや優しさなどの、魂の成長に必要なものが欠落しているんでしょうね。貧乏人が真理を知ることは、お金持ちが真理を知ることよりもずっと簡単で、お金持ちが天国へ入ることは、ラクダが針の穴を通ることよりもずっと難しい、といわれていますよね。あれと同じような意味なんでしょう。

霊界で住む界層について。ある人が霊界に入ってきた時、一応はその人の霊格にふさわしい界層に行くわけですけど、それがどんなに低い界層であれ、大部分が自分自身の過失なんだそうです。良くも悪くも自業自得の世界なんでしょうね。

所有欲について。人間界で大切だと思って所有してきたものは、霊界に来ても与えられますけど、その無意味さや虚しさに気づくまでは、いつまで経っても上の界層には上がれないそうで。大切なことは、自分の所有欲を捨てて誰かを愛することらしいです。これは私的には目からウロコでした。

イエスの教えについて。イエスの言葉「神に至る道は、人を愛し、必要ならば自分を犠牲にすることを通して為される」というのは、「私の生き方を手本として生きるようにしなさい。そうすれば霊界に行った時に幸せになれる」という意味だったのだと思います。物質的なことには目を向けずに、霊的なことを優先させ、結果的に肉欲に打ち勝つ努力をしないといけない、ということをイエスは言いたかったんでしょうね。イエスの教えは全て霊界のことだったんだと思います。

霊的真理を知らずに死んだ人たちについて。人間界に居る時に霊的真理を知らずに霊界に来た人は、みんな口をそろえて「人間界に居た時に霊的真理を知っていたら、どんなに意義ある素晴らしい人生だったろうか。どんなに他の人々への奉仕ができたことだろうか。それによってどれだけ神への貢献ができたことだろうか」と後悔の言葉を言うらしいです。人間界で霊的真理を知ることは、とっても大切なことなんでしょう。


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