◇ティンホイッスルに出会うまでの話◇


このページは、私が楽器を始めてからティンホイッスルに出会うまでの話を書いている、ただの自己満足な「おまけのページ」ですけど、気が向いたら暇つぶしがてらにでも読んでくださいませ。

 

最初に始めた楽器:エレクトリック・ギター

私が最初に始めた楽器は、エレクトリック・ギターでした。CDを聴いてるだけじゃなくて、何か自分で曲を弾いてみたいと思って始めたのでした。たぶん同じような動機で楽器を始めた人も多いでしょうね。

ギター初心者がイキナリ買ったのが、フェンダージャパンの白いストラトキャスターでした。6万円くらいだったかなー。


フェンダーのストラトを弾いていた頃の写真

今思い返してみれば、もっと安いのでもよかったのにと思うんですけどね。だって数年後にはやむなくギターをやめざるを得なかったんですもん。その理由は追々書くとして・・・

とにかく最初に買った楽器ということで嬉しくて、毎日弾いてました。いや、弾くというよりは「弦をはじく」程度のレベルだったですね。それでも何ヶ月かすると、まーなんとか指が動くようになって、指先の皮膚もだいぶ固くなってきて弦を押さえるのに苦労しなくてすむようになりました。

その内に、何かコピーしてみようかと思うようになり、主にフュージョン系の曲をコピーし始めました。最初にやったのはリード部分で、メロディを演奏することを特に好んでいましたね。当時はギターに夢中でした。

んで、リード部分だけではイケナイと思い、コードのストロークやアルペジオも練習しました。最初は誰でもうまく弦を押さえられないものなのでしょうけど、私の場合はそれが極端に苦手というか、コードを押さえるのが苦痛で、すぐに手首が痛くなっちゃう。最初は当然かもしれないですけど、何ヶ月かけて練習しても手首がすぐに痛くなって弦を押さえられなくなるという状態だったんですよねー。

なんでかなーとフシギに思っていたのですけど、ただ単に私の押え方が悪いんだろうと思って、当時はあまり気にしませんでした。いろんな教則本を読んだりして押え方も勉強して練習しましたけど、痛くなる現象は一向に変わらず。

そんなこんなで年月が経ち、まだ症状が出るので、いくらなんでも変だと思うようになって、ふと医者に行って手首の状態を検査してもらったのでした。したら、「シンジラレナーイ。カンベンしてよー」と思わせるような診断結果が出たのでありました。

ギターを諦めた理由

医者の診断によると、私の手首はスジが極端に痛んでいるとのこと。ギターみたいに手首に負担がかかる楽器はしないほうが無難だと言われたのでした。すぐさま私は切り替えして「これって今までギターの弦を変な押え方でやってきたせいでしょうかね?」ときいてみました。しかし医者の返事は「多分違うでしょう。この痛み方は普通じゃないですから」とのこと。

そんなに痛んでるのか。ってーことはつまり、「あのー、じゃーひょっとして、今までギターの弦を押さえるのが痛くてたまらなかったのは、押え方が悪いとかの問題じゃない・・・と」

「痛かったのは楽器とは関係ないでしょう。他に、強く手首を痛めたような覚えはありませんか?」という返事だったのでした。

そー言われても、うーにゅ、そーゆう覚えは・・・。あっ、そーだ。そーいえばオートバイで転んで左手首をかなり痛めたことがあった。確か痛みがひくまで2ヶ月か3ヶ月くらいかかったっけ。それを医者に話すと・・・

「間違いなく、それが原因でしょうね。その事故の時には医者にかかられましたか?」

「いえ、確か行きませんでした。痛かったけどちゃんと動かせたので、ついムリして、痛みがひくまでガマンしてました」

「その時に治療を受けていれば今回のような症状は出なかったかもしれませんが、今それを言っても始まらないので、とりあえずギターのような手首に負担がかかる楽器は、やめたほうがいいですよ。もっと痛めるかもしれませんから。この痛み方ですと手術で完全に治るかどうかも解りませんので、手術もお奨めはできないです」

・・・私はショックでした。医者もそれを察したのか、「でもその時に治療を受けていたとしても完治していたとは限らないですよ。オートバイ事故のようにかなり激しく痛めた場合は尚更です。治療を受けていたにせよ受けなかったにせよ、ギターを諦めるという今の結果は同じだったかもしれません」という言葉を返してくれたのが唯一の救いでした」

確かにそのとーりかもしれない。オートバイ事故は自業自得としても、手首をかなり痛めたのには違いないんだから。私はそー思って医者を後にしたのでした。


弦楽器以外の楽器を始めようと思った時:ピッコロ

ギターを諦めて、それから数週間が過ぎ、私は途方に暮れていました。マイッタなー、ってことは弦楽器全般がムリということになるんだろーなー。それよりも、自分がやりたい弦楽器ってギターしかなかったからなー。かといって楽器そのものを諦めるなんてことは到底ムリだ。そんな考えが巡っていました。既にそこまで音楽にどっぷりと浸かっていたので。

ふむ、んじゃーここはスパッとアタマを切り替えて、弦楽器以外の楽器を始めてみよう。それっきゃない。

そー思ったのですけど、さーて、いざ探してみると何の楽器を始めるのか自分でも見当がつかない状態でした。なんとなーく楽器屋を巡る時期が続いて、ただ漠然と考える日々が過ぎていき、だんだん焦りも感じていた頃、ひょんなキッカケで見たテレビ番組で、その中で演奏されていたクラシック楽器のピッコロの音色が耳に残ったのでした。フルートもありましたけど、なぜか私はピッコロの音色を気に入ってしまったのでした。

これだ。たて笛か横笛かの種類はともかく、私が求めているのは高い音域が出る笛だ。

そー直感して、数日後私は楽器屋に行き、ヤマハのカタログを貰ってきたのでした。管楽器ならばギターほどには手首に負担がかからないハズだと思って楽器屋で相談して、先に書いた医者にもう一度行って相談と確認をして、ピッコロ程度のチカラのかかり具合ならば手首はダイジョーブだという結論に達したのでした。

笛人生の始まり

楽器屋さんでヤマハのカタログを貰ってきた私は、早速どの機種にしようかと考えてました。高い機種はべらぼうに高い(数十万する機種も多い)し、それはとてもじゃないけど手が出ないので、グラナディラ製の中でもかなり安い機種であるYPC-62という機種にしたのでした。それでも13万くらいしたんですけどね。

注文して2週間くらい経ってから、入荷したとの連絡を受け、その翌日楽器屋さんに寄ってピッコロを受け取りました。だいぶ遠い楽器屋さんだったので家に帰るまでに時間がかかったんですけど、嬉しくて気になりませんでした。たぶん今後は「笛」と名の付くものにのめり込んでいくんだろうなという予感がしていました。


当時のピッコロの手入れ用品

その翌日から早速練習開始。まず何と言ってもアンブシュアをマスターせねばならない。フルートの教則本を事前に買っていたので、それを参考にしてアンブシュアを練習。始めは誰でもすぐには音が出ないもので、私の場合は割と早い時期に音が出たと思います。何せ毎日数時間かけてアンブシュアの練習をしてたので。

日増しにだんだん綺麗な音が出るようになって、2オクターブ目や3オクターブ目まで出せるようになってからは、何か曲を演奏してみたいと思いました。これはたぶん自然な成り行きでしょうね。

ここで前回のギターの話になりますけど、ギターを諦める辺りの時期に偶然知ったのが、宗次郎の音楽だったのでした。もう既に「大黄河」がヒットしてから数年経っていたので、世間のブームに乗って知ったのではないのでした。たまたまボーっと旅行関係の雑誌を読んでいたら、それにアルバムの紹介が載せられていて、「え? オカリナの奏者なんて居たの? へー、数年前にヒットを飛ばして地位を築いた奏者なのか。なんだか面白そう」ってなカンジで、じゃーアルバムを聴いてみようかという気になり、どのアルバムがいいのか解らなかったのでとりあえずベストアルバムを入手。んで聴いてみたら、ちょっとしたカルチャーショックを受けたのでした。一発で気に入ってしまいました。

ピッコロの話に戻りましょう。何かピッコロで演奏をと思った時、笛なので自然と宗次郎の音楽という図式ができてました。宗次郎はオカリナだけど、まーいいじゃん。オカリナで演奏しなきゃならないなんて決まりはないんだしさ。と、こういう風な考えは今でも変わっていないですね。始めから「この音楽にはこの楽器じゃないといけない」なんて決めるのはツマラナイと思うので。変な先入観や偏見を持たずに、できるだけ柔軟性をもって取り組みたいっていう考えですから。

宗次郎の曲をコピーする日々が続き、それなりに充実していました。ピッコロもだいぶ手になじんできた頃、自分の中で、何か漠然とした感覚がありました。「何かが違う」という感覚です。違うっていうのは本当の違いじゃなくて、自分が本当に求めている管楽器は本当にピッコロなのだろうか? もっと、ピッコロ以上に好きになれる管楽器があるんじゃないか? ・・・という感覚だったのでした。しかし、音色は綺麗に出せるし、好きな宗次郎を吹く日々がとりあえず続いていたので、まだ当時はそれほどの切迫感はなかったのでした。

思わぬ試練

この試練の時期は今でも忘れられません。

ある日、いつものように山に登り、ピッコロを吹こうとしたら、なんと音が全く出ない。これにはアセりました。いくら息を吹き込んでも音が出ないのです。今までは何の問題もなく演奏ができていたのにも関わらず、ある日を境に音が出なくなってしまったのでした。

すぐに原因を考えました。楽器のタンポ(トーンホールを塞ぐための部品)が寿命で破損したために音が出ないのか、あるいはキーメカニズムそのものの故障か、はたまた頭管部の息の反射版の破損か、最悪の場合は木の管体が割れたのか・・・などなど、いろいろ考えました。結局、自分では原因が解らないので楽器屋さんに持っていって、なぜいきなりピッコロの音が出なくなったのかを尋ねてみました。楽器のどこかが壊れているのかということも当然調べてもらいました。

しかし、調べてもらってもどこにも不具合は見つからず、あろうことか、楽器屋さんの店員さんが試しに息を吹き込んでみたら、なんということでしょう、ちゃんと音が出るじゃないですか。そのすぐ後に私が吹いても音は出なかったのでした。つまり、私のアンブシュアに原因があったのでした。

こんなことってあるんだろうか。今まで問題なくできていたアンブシュアがいきなり崩れるなんて。でも現実に音が出ないのだから、事実は事実だ、素直に認めよう。要するにヘタになってしまったということだ。それで、アンブシュアを矯正するにはどう練習し直したらいいのかということを考えて、いろいろ本も買い、また教則ビデオも買って勉強したのでした。あと、鏡を見ながら自分の唇の形を確認してアンブシュアのどこが悪いのかを調べました。

アマチュア判断だけで練習するのも危ないから、ここはひとつ、プロのレッスンに通ってみようと思ったのでした。受講料は高いけど仕方が無いと思い、近所のフルート教室に通い始めました。ピッコロだけを教える教室はなくて、フルートの持ち替え楽器として使うというのが常識のようでした。

レッスンに通いながら、帰り際に先生にピッコロの音が出ない原因・自分のアンブシュアのどこが悪いのかというのをいろいろきいてみました。でもハッキリした答えは出なくて、フルートのアンブシュアを練習して、それをピッコロに応用していくしかないとのこと。

その言葉を支えにレッスンに通う日々が続き、なんとかとりあえずの音をフルートで出せるまでになりました。しかし綺麗な音色は全く出せないのでした。おまけに私のアンブシュアではフルートのピッチがかなり狂っていました。

先生はフルートのアンブシュアを応用すると言ってましたけど、なにせフルートでさえ綺麗な音が出てない状態でした。それをピッコロに応用して綺麗な音を出せるわけがないと思ったのでした。つまり不本意ながらフルートの練習をずーっとしなければならなかったってことで、私の焦りは、ただただ募るばかりでした。

レッスンでフルートを触っていただけで、自分のフルートは持ってませんでした。レッスンに通うお金だけでも捻出するのが大変なのに、フルートを買う経済的余裕なんてない。そういう状態でした。それでも地道に努力すれば何とかなると思ってレッスンに通いましたけど、その内にだんだん経済的に苦しくなってきて、レッスン料を払えなくなるくらいひっ迫してしまい、もうレッスンは諦めてまた自分だけで練習するしかないと思い、また独学の日々になりました。

それ以後もいろんな観点から研究しては練習、研究しては練習の繰り返し。それと同時に、長い間完璧だったアンブシュアがある日を境に突然崩れるなんていうことが本当にあるんだから、よほどの原因があるに違いないと思って、音が全く出なくなった当時の状況をいろいろと思い出してみましたけど、皆目見当も付かない状態でした。原因が解らないから焦る、焦るからリキむ、リキむから尚更綺麗な音が出にくくなる、という悪循環でした。

今こうして思い返してみると、もっと慎重に行動していればよかったものを、焦ったりするから余計に悪い結果にしかならないんだよなーってつくづく思います。でも当時はまだまだ精神的に余裕が無かったので、ただ焦るだけでした。

冷静になって自分を見つめる日々

そんなこんなで、綺麗な音が出なくなってから1年が過ぎようとしていました。さすがにストレスが溜まり、こんな状態ではマズイと思い、ピッコロの練習は中断することにしたのでした。

そうやって、ある程度の期間頭を冷やして考えている内に、ひとつ「逃げ」の感覚が出てきました。いや、逃げというのは正確じゃないかもしれません。ずーっと以前に感じたこと「自分が本当に好きになれる管楽器は本当の本当に、絶対にピッコロなのだろうか?」という感覚です。それが再度、突然頭に浮かんできたのでした。

これはあんまりいいことじゃないですね。現実逃避と同じようなもんです。しかし、ピッコロを問題なく吹いていた時期に感じた「何かが違う」という感覚は、当たっていたのでした。楽器から離れて冷静に考えてみると、さほどピッコロに対しての愛着というものが無かったような気がしたのでした。テレビでたまたま音を聴いて、偶然同じような時期に宗次郎の音楽を知って、それで成り行きでピッコロで宗次郎を吹いていた。ただそれだけのことなのではないか・・・と思うようになってからは、次のような結論に達したのでした。

「好きになれる音楽は見つけられたけれど、本当に好きになれる楽器は、まだ見つけていない」

という結論でした。

いい方向に解釈すれば、楽器探しを更に続ける姿勢。悪い方向に解釈すれば、ピッコロへの負け惜しみ。

ただ、ピッコロに対して愛着がわいていなかったという感覚は本当に感じていたので、やはり楽器探しを続けるほうが合理的だと思うようになったのでした。そしてそれからは、自然とピッコロへの興味が薄れて、触ることもなくなり、「私みたいなヘタクソなヤツが持っていたんじゃピッコロもかわいそうだ。もっとウマい人に吹いてもらわなきゃ」と思うようになって、楽器屋さんにピッコロを売ったのでした。

この時点で私は、ある種の開放感に浸っていました。もう失うものは何も無い。あとはまた一から出直せばいいんだから気楽じゃん。・・・と、こーゆうところが、後に引きずらない頭の切り替えの早い私でした。

それこそ死にもの狂いで練習してきた。どんなに苦しくても練習して練習してきた。それでもダメだったんだから、スッパリとヤメて次のことをすぐに考える、こーゆう性格です。

それにしても、アンブシュアが突然崩れた原因が全く解らないままです。現在プロの奏者にきいてみても原因は解らなくて、とても不思議です。悔しいというよりは不思議です。こういう経験した人って他にいらっしゃるのかしら?

(現在吹いてるティンホイッスルは、演奏テクが原因でヤメるような心配はまず無いので、そーゆう意味でも安心ですわ)


楽器探しの始まり:ハーモニカとドラム

自分が本当に好きになれる楽器探しを始めてから、最初に手にしたのがハーモニカでした。トンボのブルースハープとクロマティックハーモニカでした。笛関係なんだからハーモニカはちょっと違うのではないかと思う人もいらっしゃるでしょう。でも自分としては、できるだけいろんな「息を使う楽器」を試してみたかったので。

値段はすごく安かったので、楽器屋さんで迷わず買うことができました。ブルースハープのキーはDとGmを1本ずつ、クロマティックは1本だけ買いました。

ハーモニカをまず最初に選んだのは、どこにでも気楽に持って行ける・すぐに取り出して吹けるという理由からでした。持ち運びやすさは笛にも共通しているし、それに小さな楽器はなんとなく可愛いと思ったからです。

ハーモニカを吹き始めてからは、それはそれで面白かったんですけど、私にとっては、やはり「何かが違う」という印象でした。音色も綺麗だし小さいし、演奏もラクにできるのだけど、何か自分の好みとは違うような気がしていました。もっとも、買った時はそんな印象は受けず、実際にしばらくの期間吹いてみてから初めて感じることでしたね。

「うーーーん、やっぱり違うのかなー。他にもまだあるのかなー」という気持ちが湧いてきました。でもこの時点では、ちょっと経済的に苦しくて、他の楽器を買うほどの余裕が無かったのでした。それで仕方なく、しばらくの間ハーモニカを吹いていました。ビブラートやベンドなども覚えてみたんですけど、やはりイマイチ好みじゃないという印象でした。

そうこうしている内に、だんだん漠然とした不安を感じるようになってきたのでした。「やはりハーモニカはちょっと違ったか。それにしても、自分が本当に満足できる楽器、しかも管楽器となると本当に見つけられるのだろうか」という不安が、いつも胸をよぎっていたのでした。不安な日々が続き、やりきれない気持ちになって落ち込んでいました。

意外なオファー

不安がたくさん溜まってくるとストレスもたくさん溜まるもので、これはマズイなーと思いながらも、ジリジリと日々が過ぎていきました。

そんなある日、音楽関係の雑誌のバンド募集覧で知り合いになっていた人から電話がありました。ギターをやっていた頃に知り合った人なので、もうずいぶん連絡がなかったことになります。その人が突然、私にドラムを叩いてくれないかと言ってきました。なんでも、今までやってきたバンドのドラマーが突然抜けてしまって困っているとのこと。

当時私はドラムなんて叩いたこともなかったし、スティックだって触ったこともなかった。スティックの握り方さえ知らない状態でした。そんな人間にイキナリ叩けなんて言われてもロクに叩けるわけがない。そう返事をしたのですけど、がんばって練習してくれればいいから叩いてくれと言われ、結局私は生まれてこのかた触ったことも興味を示したこともなかったドラムという楽器を始めることになったのでした。

ここで、「ギターの件で手首を痛めたことが解ったから、ドラムのスティックみたいに手首に負担がかかる楽器は大丈夫なのか?」と思う人もいらっしゃるでしょう。私も始める時は同じことを心配しました。そこで思い付いたのが、「皮手袋をしてスティックを握る」という方法です。皮手袋を付けて叩くと、素手で叩く時よりも数段手首への負担が少ないんです。ほとんど手首にチカラを入れずにバンバン叩けるんです。手首への心配はこれで解消しました。正しい方法ではないのでしょうけど、これも自分の手首を守るためですから仕方がないですね。


ドラムを叩く時に使ってる皮手袋

待ち合わせをして、あるスタジオに到着。そこには以前見たことのある顔ぶれも居ましたけど、知らない顔触れも居ました。ドラムのことは何にも知らないので、スティックの握り方から教わりました。幸いなことにそのメンバーのベーシストがドラムの叩き方を知っていたのでそのベーシストに教わったのでした。基本的な構え方やら何やら一通り教わって、さーイキナリ演奏ときたもんだ。ちょっと待ってくれ、つい30分くらい前に生まれて初めてスティックを握った人間にもう演奏を要求するか。しかもビートルズの曲をやるだって? 待ってくれ、難しすぎるー!

なんて言葉をよそに演奏は始まってしまい、ちゃんと叩けるハズがなく、バスドラやハイハットなんてメチャクチャなタイミングで入れてしまったのでした。それでも曲が終わると、「飲み込みが早い・もっと練習すればウマくなるよ」とおだてられ、なしくずし的にそのバンドのドラマーになってしまったのです。こんなヘボでもイイんだろうかと思ったものでした。

楽器の不安は楽器で解消(ドラム)

今にして思えば、楽器探しをしていて見つからず、不安な日々を送っていた私にとっては、ドラムはいい出会いだったのかもしれません。気分転換させてくれるというか、不安な気持ちをスネアやタムやシンバルに叩き付けることによって、その暗い気持ちをふっ飛ばすような、そんな効果を与えてくれたような気がするのです。

個人的にやっていたのは相変わらずハーモニカでしたけど、その一方で、バンドのメンバーにまくしたてられドラムの猛練習に明け暮れる日々が続きました。リンゴ・スターのあのドラムをコピーせねばならないという強迫観念にも似た緊張感が、楽器が見つからないという不安な気持ちをどこかに消し去ってくれていたようです。結果的には私にとって、不安な気持ちは消えるし、思いも寄らないドラムという楽器を覚えるという、プラスになった出来事でした。

ビートルズの曲を数曲覚え、それから今度はあろうことか、ベンチャーズのコピーまでバンドでやるというし。あのメル・テーラーのドラムをコピーしてくれというのです。メル・テーラーをご存知の人はお解りでしょう。ズンズン地響きするようなバスドラ、マシンガンのようなスティックさばき、その他とにかくドラムプレイの何もかもが、ものすごく速い。あれを私に再現しろとゆーのです。ちょっと待ってくれーってカンジでした。

やはりそんな叫びは届かず、メル・テーラーのドラムも覚える羽目になってしまったのでした。しかし、練習してある程度覚えてみるとこれが面白い。叩いててとにかく爽快なのでした。単調なパターンが多いんだけど、オブリガードなどはとにかく速くてパワフルに叩かなきゃならないので、かなり気合いが入るのですよこれが。ミスった時は悔しいけど、うまくいった時はすごく爽快。練習の成果が顕著にダイレクトにプレイとして現れるので、その意味でも爽快でした。

こうして、プライベートでハーモニカを吹きながら楽器探しについて不安を感じていたものの、ドラムという意外な楽器のおかげで、その不安はだんだん心の奥底に隠れていったのでした。


ますます混乱の日々:サクソフォン

ハーモニカを吹きながらドラムで気を紛らわす日々を送っていたものの、やはり心の奥底には不安がありました。自分が求めている管楽器は一体何なのか、それが皆目見当も付かない状態で、暗中模索の不安な状態でした。

幸いにも経済的に余裕が出てきたので、さて、次はどんな管楽器をやろうかと思っていたところ、某音楽雑誌の記事でサクソフォンを演奏している女の子がヒジョーにカッコイイと思って、サクソフォンを始めてみようと思ったのでした。今考えれば安直だよなー。でも当時は、ピッコロで挫折した時の精神的ダメージが尾を引いていて、横笛はムリだと解っていたので、それならたて向きに構える管楽器でアンブシュアで苦労しない管楽器に絞るしかないなーと思っていたからです。

最初は、たて笛ならリコーダーもいいかなと考えたんですけど、どうも外見的にリコーダーは好きになれないのでした。外見で楽器を決めるなんて邪道かもしれませんけど、外見の好みを楽器選びの基準にする人も中には居るでしょうし。

んで、買ったのはジュピターのブラス仕上げのサクソフォンでした。13万くらいしたかな。痛い出費だったなー。

それでもしばらくの間はサクソフォンの練習に明け暮れていたのでした。特に高音部で綺麗な音が出た時は嬉しかったですね。バンドのメンバーに見せて、バンドの練習でもサクソフォンで参加していました。

それなりに充実した日々でした。しかし、やはり自分の中で「何かが違う」という気持ちが消えなかったのでした。

一体、具体的に私が求めている管楽器は、どんな種類の管楽器なのだろうか・・・という気持ちが強くなっていきました。サクソフォンを始めてみて、それがますます解らなくなってきていたのでした。演奏テクは上達しても好きになれない楽器では本当の嬉しさは感じられないなと思うようになりました。

それに始める前から解っていたことですけど、サクソフォンはキーメカニズムがあまりにも多くて、おまけに部品点数もかなり多くて、メンテナンスが大変。加えてなんといっても楽器が大きいので持ち運びが大変。私が好きなのはピッコロ並みに小さな管楽器、それくらいの大きさの「たて笛」なんだなーと認識したのでした。

しかし、それに該当するたて笛は見つけることができず、またまた焦りの気持ちが溜まっていったのでした。

ここでちょっと視点を変えるというか、気分転換に、私の管楽器人生の原点である宗次郎に戻ってみようかと思うようになりました。そーです。宗次郎はオカリナ奏者です。だからオカリナを始めてみようかなという気持ちになってきたのでした。元々オカリナはほとんど興味がなかった楽器だけど、とりあえず原点の宗次郎に戻ってみようと思ったのでした。

こんな状態だったのですから、私の楽器探しはまだまだ終わらずに、ここで一休みすることになったのです。

しかし、人間どこでどうなるか解らないもので、そのオカリナを始めたおかげで、自分が求めている管楽器の「具体的な条件」というものに気づくことができたのでした。


原点に戻る:オカリナ

そうです、サクソフォンの次に目を向けた楽器がオカリナでした。サクソフォンをやっていて逆に私は自分の求めている管楽器が何なのかが解らなくなって混乱していた状態だったのでした。そこで視点を変えて、好きな音楽のことを考えてみようと思ったのでした。

そうです。思い返してみれば私の管楽器人生の原点となったのは宗次郎だったのです。私が宗次郎の音楽にすごーく魅了されているのは今でも変わっていないのですけどね。自分でロゴを作ってバッグに貼るほどで。


現在使ってるミニショルダーバッグ

しかしオカリナ自体にはほとんど興味がなく、始める前から「これは自分の楽器探しの内には入らないな」と解っていました。それでも原点である宗次郎にまず近づいてみようと思い、オカリナを始めることにしたのでした。

買ったのは、アケタのG管とナイトのC管でした。両方合わせて2万円を少し超えるくらいの出費だったかな。意外と高いんですよねオカリナって。やはりあの制作過程でかなり手間がかかっているからでしょう。

楽器として触れてみるのではなく、あくまで好きな音楽を奏でる手段として割り切ってしばらく吹いてみようと思ったのでした。楽器探しは一休みということですね。

さて、手にした楽器はオカリナ、そして演奏するのは宗次郎の音楽。大好きな音楽ですからもうそりゃー吹きまくりました。毎日何時間も延々と宗次郎の音楽をコピーし続ける日々でした。運指は基本的なことは楽器に付属していた運指表を見たのですけど、あとは完全に独学でいろいろ試したりしました。そういう風にして月日が流れていったのです。

ここで、のちに私にとって非常に大事なテクニックの糧となる演奏方法をオカリナで編み出したのです。それは半音運指のテクニックです。オカリナの基本通りのラクな(誰でも確実に半音を出せる)半音運指の方法はちゃんとあったのですけど、私はあえてその基本に背き、トーンホールを半分だけ塞ぐという綱渡り的で非常識なワザを練習していたのでした。トーンホールを押さえる方法も、基本は指のハラで押さえるものなのですけど、私はあえて指先で押さえて指先に神経を集中させて、その塞ぎ加減を微調整しながら吹くという方法をとっていました。

なぜこのようなことを練習していたのかとゆーと、正直なハナシ、オカリナの独特な運指を覚えるのがめんどくさかったのです。以前やっていたピッコロやサクソフォンの運指を流用したくて、そうすると必然的にトーンホールを半分だけ塞ぐ方法をとらなければなりませんでした。ここら辺のことは言葉では説明しにくいので省きますけど、とにかく今までの運指を流用するとどーしても「トーンホールを半分だけ塞ぐ半音運指のテクニック」が必要だったのです。

そのテクニックの練習も兼ねて、G管とC管だけでいろんなキーの宗次郎の音楽を吹いていました。

この時期あたりからちょうど私は@nifty(当時のNIFTY-SERVE)のパソコン通信を始めていて、音楽関係のフォーラムやパティオなどに出入りしてました。その中で宗次郎に関する部屋がまったくないということに気づいて、「なんでないんだ。それなら自分で宗次郎の話題をメインにした部屋を作ってやる」と思って、宗次郎の話題がメインのパティオ(個人経営の会議室みたいなもんです)を開設したのでした。

宗次郎パティオには少数でしたけど会員さんが集まり、その中で自然とオカリナの話題も出てきて、ある人のご厚意で都内のオカリナ同好会に参加させていただくことになり、以後私はその同好会に数回通いました。オカリナの先生がいらしてレッスン形式で行う同好会でした。

もうこの時点で私は自分の演奏スタイルが定着しちゃってたし、今更基本の運指を覚えるのも辛かったので、自己流で通しました。同好会が終わった後の打ち上げも楽しく、知り合いも増えてそれなりに楽しい日々でした。

オカリナが気付かせてくれたこと

さて、この時点で私がオカリナで得たものはいろんな人との出会いと、そして自分の半音運指のテクニックだったのですけど、実はもうひとつ、オカリナは私にすごく大切なことを気付かせてくれたのでした。

それはある日の昼間に森の中で一人でオカリナを吹いていて、演奏の合間に一休みしていた時に気付いたことだったのですけど、自分が本当に好きになれる楽器の「具体的な条件」だったのです。

その具体的な条件とは、「できるだけシンプルな作りの笛」というものです。

オカリナはかなり作りがシンプルな笛だと思うんですけど、そのシンプルな作りの笛を吹いてる自分が居て、そしてその音に自分でも知らず知らずの内に引き込まれていったというカンジでした。私が管楽器に求めている条件はとにかくできるだけシンプルな作りの笛だと気付いたのでした。目からウロコが落ちたってカンジでしょうか。

誰も居ない静かでのどかな昼間の森の中で、オカリナは私に「それ」を教えてくれたような気がしたのでした。

なんだか今思うと、誰も居ない森の中でふと気付くなんて、恥ずかしくなるくらいハマってる情景でしたね。

それから私が「楽器探し」を再開したのは言うまでもありません。できるだけシンプルな作りの笛という条件を元に、さてこれからどういう方法でどんな楽器を探してみようか・・・と、やや不安があったとはいえ何だか楽器探しの旅の出口が僅かに見えたような気がしたのでした。


夜間の練習用管楽器:ウインドシンセ

自分が好きになれる管楽器の条件として、オカリナが気付かせてくれたことは、「できるだけシンプルな作りの笛」でしたけど、オカリナと同じくらいの時期に買ったのが、ウインドシンセでした。AKAI EWI3020という機種です。T-SQUAREの管楽器奏者やマイケル・ブレッカーでお馴染みの電子楽器ですね。電子式のサクソフォンといえば解りやすいかな。

ウインドシンセを買ったのは、夜間の練習用管楽器としてでした。昼間はオカリナを吹き、夜間は近所迷惑なのでウインドシンセにヘッドフォンを繋げて演奏してた、ってワケです。

「できるだけシンプルな作りの笛」を探している間、正直言ってすごく不安な気持ちでした。世界中の楽器から自分の好きなものを見つける、というのは雲を掴むような話ですから不安になるのは当然でした。そんな不安を紛らわすためにもウインドシンセはいい楽器でしたね。

スタジオでも大活躍

個人的に笛探しをする傍ら、スタジオでもウインドシンセは大いに活躍しました。当時組んでいたフュージョンバンドにウインドシンセで参加して、いろんな曲を演奏しました。もっぱら指を速く動かして、ギターでいう「速弾き」と同じことをしてましたね。何せキーに触るだけで音が出るので、速いパッセージを吹きやすいんですよ。16分音符、32分音符なんてのは序の口で、速い演奏にはウインドシンセはうってつけでした。それでうっぷんを晴らしてたという事実もありますけど・・・

突然開いた突破口

当時は、まだニフティのパソコン通信をやっていた時期でした。世界の楽器を扱う会議室を探していたら、FWBEATというフォーラムの16番会議室「世界の楽器から/プレイヤーズWトーク」という会議室を見つけて、そこに常駐するようになっていました。世界中のいろんな楽器(主に民族楽器)を扱う会議室だったので、とても興味深かったです。

その頃の私は、ウインドシンセのサンプル音源に入っているオーボエの音色が気に入って、その流れでダブルリード楽器の音色に興味を持ち、一時はダブルリード楽器というのも笛探しの条件に入っていました。そこで、FWBEATの16番会議室に質問の書き込みをしたのです。「世界中のダブルリード楽器は、どういうものがあるのでしょうか?」という具合に。そうしたら会議室の皆さんから温かいアドバイスのコメントをいただき、たくさんのダブルリード楽器があることを教えていただきました。

その時、ある人のコメントの、聞きなれない単語が目に入ってきました。

「ティンホイッスル」

ん? と思ってその人のコメントよく読んでみたら、ティンホイッスルのマウスピース部分を外して、管体にダブルリード楽器のリードを取りつけて、ティンホイッスルをダブルリード楽器として使えないか試行錯誤中、というような主旨のコメントでした。

ここで私が目を付けたのは、ダブルリード楽器にするということよりも、そもそも「ティンホイッスル」という楽器はどんな楽器なのだろうか、という点でした。早速その会議室の過去ログを「ティンホイッスル」で検索したら、だいぶシンプルなたて笛ということが解り、しかもアンブシュアが全く必要ない、つまりピッコロでアンブシュアが崩れて挫折した時のような心配は皆無だということも解り、私の興味はティンホイッスルという名前の笛に向けられたのでした。

そうです。まったくの成り行きな流れだったにも関わらず、こんな所で、楽器探しの意外な突破口が突然開いたのです。

当時、映画「タイタニック」が流行っていた時期でしたけど、私はその映画のことはまったく知らず、見たこともなかったので、映画「タイタニック」でこの笛を知ったのではないのです。

まだインターネットは始めていなかった頃だったので、どこかのサイトを見て画像などで確認するということはできず、それならば、実際に売っている店を探して現物を見ようと思ったのです。この時点で私の胸の鼓動は激しく高まっていました。「一体、ティンホイッスルという笛は、どんな笛なんだろうか。早く現物を見たい!」という気持ちでいっぱいでした。

私は思い立ったらすぐ実行するタイプなので、翌日、忘れもしない1998年11月11日(水曜日)、近所にある大き目の楽器屋さんに行きました。

いや、もちろん↓こんな女の子の姿で行ったんじゃないですよ(笑)。昔プライベートで描いていた、ティンホイッスルに出会った頃の漫画の一部を復活させてみました。セリフは一部消してあります。

その楽器屋さんはかつて私がウインドシンセを買ったお店です。それでそこの店員さんに「ティンホイッスル」という笛を探していることを話したのです。そのお店には現物は置いていなかったのですけど、とても親切な店員さんで、雑誌の広告に載っていた「ティンホイッスル」の写真を見せてくれました。

・・・私はその写真を見て、ものすごい衝撃を受けたのでした。


直感:最初のティンホイッスル

お店で見せてもらった「ティンホイッスル」と名前が添えられていた写真には、とても驚きました。あまり大きな写真ではなく細かい部分までは解りにくかったのですけど、全体的に見て「カッコイイ!! モロに好みの形じゃん!!」と直感したのです。とにかく何がなんでも実物を見たいと思いました。

その写真広告が載っていた店名を改めて見ると、東京都の御茶ノ水「イシバシ楽器」と書いてました。その「イシバシ楽器」の電話番号を控えて、教えてもらった店員さんに深々とお礼を言い、私はとりあえず帰宅しました。

そして自宅からその「イシバシ楽器」に電話で問い合わせてみました。どのような笛なのかをある程度教えてもらい、ますます興味が高まっていきました。扱っていたのはジェネレーションのニッケル管とブラス管で、色ではニッケル管が好みでした。

トーンホールを全部押さえてDの音が出る管はD管で、それがよく使われるキーの管だということはパソコン通信での予備知識で知っていたので、私は思わず、「明日買いに行きますから、D管のニッケル管を一本キープしておいてください!」と電話口で緊張気味に伝えたのでした。

その瞬間、翌日のバイトはサボることに決めました。てやんでー、一日くらい構わないって。この大事な時にバイトなんかしてられますかって。

始発電車で都内へ

そして翌日、私は都内の御茶ノ水に向かって出かけて行ったのでした。それも始発電車ですよ始発電車。地元の駅から御茶ノ水までは1時間30分もあれば行けるし、お店は朝10:00からしか開いてないのに、何を血迷ったのか、私は朝5:00過ぎの始発電車で出かけたのです。えーもう、前の夜も興奮してあまり眠れなかったし、いてもたってもいられなくなっていたんです。とにかく一刻も早く御茶ノ水に行きたかったんです。

思ったとーり、御茶ノ水に着いたのは朝6:30過ぎ。いやー、バカですねー。まだ開店まで3時間以上あるわ。

でもまー、これでとりあえず現地には着いて一安心。駅を出て歩き、お店の場所を確認したところ、あった、「イシバシ楽器 ロックサイド」。当然シャッターは閉まってるけど間違いなくここだ。ちなみに当時イシバシ楽器はウインドパルではなく、ロックサイドという店舗でこの笛を扱っていたのです。

さーてと、あとはお店が開くまでゆっくりと時間を潰せばいいや、と思って、早朝の御茶ノ水の街をぶらぶらと歩き回ったり、ミスタードーナツで2時間、喫茶店ルノアールで1時間ねばったりしました。我ながら何やってんだか、意味ないよなー、バカだよなー、でもこうして待っている間も何だか楽しいような気分だわ。なーんてことを思ったりしてましたね。

感激の一瞬

さー時間だ、店のシャッターが開いた。私が本日のお客第一号だ。

店内に入り、置いてある楽器を一通り眺めてみると、レジの斜め上のほうに「ティンホイッスル」かと思われる笛が何本も吊るしてあった。私は店員さんに話し掛けて、キープしておいてもらった実物を手に取った。

うわあ〜〜〜〜〜〜!!

ものすごいインパクトでした。目の前で見るジェネレーションのニッケルD管。その軽さ、美しいストレートの管体、何よりも極めてシンプルな作りに驚きました。ホントだ、トーンホールが6個しかないじゃん。管体の裏側は何もないじゃん。すっごいシンプル。信じらんない! ひゃー! もう一目ぼれ!


ジェネレーションのニッケルD管

んで今度は、どういうカンジの音が出るのか気になって、「試しに吹いてみてもいいでしょうか?」と店員さんに尋ねたところ、「いえ、口につけるものですから吹くのでしたら買っていただかないと・・・」と言われました。アタリマエですね。たぶんその時の私はよっぽど舞い上がってたんでしょう。

すぐに会計を済ませて、早速その場で自分のオリジナル曲や、その他いろいろな曲を吹いてみました。

管楽器の経験を積んできて息使いのコントロールに慣れていたおかげで、1オクターブ目と2オクターブ目の出し方はすぐにコツが掴めて、おまけに3オクターブ目まで出しちゃいました。思ったとおり、アンブシュアが全く要らない。オカリナやリコーダーと同じ安心感で吹ける=吹けば必ず音が出る、ということを体感したので、嬉しさと同時に多大なる安心感もやってきました。

 

余談の笑い話ですけど、ティンホイッスルのことを何も知らなかった最初は、「ティンホイッスルでもC管にしよう」と思っていたんですよ。でも、よーく考えたら、最初に始めた管楽器のピッコロで、右手薬指を押さえた時がD、中指でE、左手薬指でG、中指でA、人差し指でBと、最初にそう覚えていたし、オカリナの時も同じ運指をしたいという理由でC管しか使わなかったし、で、いざティンホイッスルを買おうという時に、「あれ? 変だぞ? まてよ? C管のティンホイッスルだと、今までの運指が流用できなくなる。そっか全音分間違えてた。ピッコロからの運指を流用できるティンホイッスルはD管だわ。私大ボケ」と気づいたのでした。で、最初はC管を買ったものの、追加で慌ててD管も買ったという次第だったのです。いやホントに最初は何も知らなかったので(笑)。

そうなんですよ。管楽器の何たるかもわからなかった時代に、ただ外見が可愛らしくて音色も好きだからという理由でピッコロを始めて、それでフルートのことも知って、ピッコロはフルートの持ち替え楽器で最低音のCがあるのと無いのとを除けば運指は同じということを知って、運指がそれらの運指(先述の指と絶対音との関係)にすっかり慣れちゃって、後から始めた管楽器にも「運指を流用したほうがラクだから」という怠け者の理由でキーを選んで、その運指の流れでティンホイッスルはD管を選んで、後になってから「ティンホイッスルにはいろいろキーがあるけど、D管が一般的」ということを知って、やっと「そうか、そういうことか」と納得してという、全くもって知識を得る順序がアベコベでした(笑)。我ながら何やってんだか。まぁ結果的には一般的なD管に落ち着いたからいいんですけどね。

 

嬉しい帰路

ティンホイッスルをDパックに大事にしまい、お店を出て、御茶ノ水から家まで帰る途中の私は、なんともいえない満足感と達成感と開放感でいっぱいでした。遂に自分が好きになれる「極めてシンプルな笛」を見つけた。手に入れた。演奏もすぐにできたし、少なくともピッコロの時のようにアンブシュアで苦しむという心配は、この笛では皆無だ。外見やシンプルさや音色や演奏性、何もかもが気に入って、何もかもが安心できる、こういう笛を探していたんだよ。こんな笛があったなんて・・・

生きてきてこれほど感動的な出会いをしたのは、滅多にないですね。理想の笛に出会うまであと何年かかるのか、それよりもあと何年生きられるのか・・・などと思った時もありましたけど、当時はそれだけ落ち込んでいたんでしょう。

ですからこの出会いは喜びもひとしおでした。あまりに嬉しかったせいか、御茶ノ水から家まで帰る時の風景は殆ど覚えていません(笑)。

挫折を乗り越えて今がある

こうして、楽器を始めてからというもの、何度も挫折を経験したけど、年月をかけてやっとの思いで「自分が一番好きになれる笛」を見つけたのでした。挫折しても一生懸命がんばったけど、それでもダメで絶望して放心状態の日々が続き、気持ち的には放浪生活を送っていたところで、突然突破口が開けてティンホイッスルに出会えたのでした。今と比べると当時はまだまだネット上では楽器の情報が非常に少なく、ティンホイッスルの存在を知るまでに年月がかかってしまったけど、だからこそ出会えた時の感激もひとしおだったんですよね。それでティンホイッスルに対する今の只ならぬ思い入れがあるんでしょう。

仮に今「楽器探し」を始めていたとしたら、割とすぐにティンホイッスルの存在を知ることができたでしょうけど、それだとありがたみがなくなっちゃうというか、苦労して見つけたからこそ嬉しさも何倍にもなるってもので。でも、「諦めないで苦労してがんばった私偉い・すごい」なんていう気持ちはカケラもなく、ただただ出会いに感謝しているだけです。

それで、「こんなに素晴らしい笛なんだから、ぜひネットの皆さんにも知っていただきたい。一人でも多くの人にティンホイッスルの存在を伝えたい」と思って、ティンホイッスルの情報サイトを始めたのが2001年3月13日。それで色々とまぁ紆余曲折はありましたけど、こうして今に至ります。

くどいですけど、ピッコロで音が出なくなったことへのショックが当時大変大きく、生きがいをなくして精神的にも肉体的にも廃人同様になり、絶望的な日々を送っていた身としては、「簡単に音が出ることのありがたさ」を本当に身に染みて感じます。しかもそれがティンホイッスルという、外見・吹きやすさ・音色・手軽さ・耐久性など、全ての面において気に入る笛だということは、これ以上の救いは無いくらい嬉しいことです。ティンホイッスルに初めて出会った時のあの衝撃的な感動を、いつまでも忘れないでいたいです。

感謝の気持ち

思い返してみれば、最初に行った近所の楽器屋さんの店員さん、親切に教えていただいて感謝しています。

そして何よりも、ニフティのFWBEATというフォーラムの16番会議室の存在には、言い尽くせない感謝の気持ちでいっぱいです。あの時16番会議室でお世話になった方々、この場を借りて、心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。あの会議室は私の笛人生のターニング・ポイントでした。


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