◇実話:とある友人の前世◇


まずは、何はなくとも、この動画をご覧ください。私が作った動画ではありませんが・・・

【死後の世界】覚えてるんだけど質問ある?
https://www.youtube.com/watch?v=edeXm1UPExE

この動画のやり取りは元々は2ちゃんのオカルト板で、私の友人が立てたスレッドでのやり取りなのですが、当時私は友人とは出会っていなかったので当然このスレッドのことは聞かされていませんでした。
つまりオカルト板での友人の話は私の言っていることの受け売りではない、ということをここに証明します。私が証人です。

その後このスレッドを誰かが無断で動画にしてくれたようですね。動画を作ってくださった方、友人の代わりにお礼を言わせていただきます。霊界での事実と秩序を世間に知らしめるためには非常に貴重な動画だと思います。
どなたかは存じ上げませんが動画消さないでくださいね。マジで残しておいてくださいねー。

それでですね、

動画(元のスレッド)で友人が言っている内容が、私が10年間研究してきた霊界の内容や秩序とほぼ100%一致するんですよ! これには驚きました。偶然にしては出来すぎていますよ。

私は前世も霊界に居た頃のことも覚えていませんが、友人は元々、前世を幾つか覚えていて、前世療法CDにて深く深く瞑想していたところ、いくつかの前世のうちの一つ、明治時代の前世を詳しく思い出したそうです。あまりにも貴重なお話なので掲載の許可をいただいて掲載しました。個人情報を保護するために、内容の一部を修正してあります。

 

明治時代の前世について

 

一部箇条書き、一部随筆形式になると思う。
上手くまとめられないけど、そこはごめんね。

まず、頭に浮かんだのが「1847年」という西暦。
私は歴史学で学士号取ってるけど、その頃の西暦と元号合わせるのが滅茶苦茶苦手でね。
まさかどんぴしゃりになるとは思わなかったよ。
その頃はまだ江戸時代で、ギリギリ幕末〜明治〜大正初期ぐらいまで生きてたみたい。
でも、記憶が強いのは、10歳以降らしくて、まあそれは後述する理由があるんだけどね。

 

幼少期〜11歳ぐらいまで住んでいた家は関東以北の農村部で、
隣の家までが遠くて田んぼばーっかりの所だったよ。
だから、怒涛の幕末だけど、田舎にはそんなこと関係なかったな。
ただただ大人は田畑を耕してる。
子供は、その手伝いとか、家の手伝い。
頭のいい子やお金のそこそこある家の子は10歳過ぎても進学コースだけど、
そうじゃない子は、適当に見繕ってもらえる奉公先に行くの。
私は、中途半端などっちつかずだったけど、
6歳年上の体の弱くて本の好きなお兄ちゃんが居て、私は女だから11歳で奉公先に出されたよ。
まあそもそも、学校自体も、母が身重だったのと兄が体弱くて家で寝てたのがあって、
家の手伝いが忙しくて時々見に行くぐらいだったから、進学選んでたら落ちこぼれだったよ。

お家は貧しい方で、しょうゆや塩をご飯にかけて食べるの好きだった(これは現世でも好き)。
何か父がルート握ってたのか、秋だけは初物のさんまが食べられてね。
それがお正月よりも大御馳走だった気がする。
あくまで子供視点だからなのかもしれないけど。

10歳ごろの記憶は、奉公先に行くか行かないか、自分の進路がどっちみち嫌だなーと思ってたところ。
家に帰ると、母が土間で火を起こしてて、いじこ(明治時代の、赤ちゃんを入れるカゴのようなもの)に入ってる妹がいた。
そしてその妹は、現世における従姉の第一子に当たる子だった。
(私がお腹に触れた時だけ活発に胎動したり、私に反応してくれるのはもしかして、魂の縁があるからかも?)

祖母は私が3つの時に他界した。でも、優しかった気がする。
私が奉公が決まった時、みんな物静かになってた。
母はもともと無口だったけど、みんな、
「話したら、お互い恋しくなって別れがつらくなるから」
というのを感じてたよ。
兄は、
「俺は体が体だから、内(なか)の世界しか知ることはできない。
 でもお前は奉公先で外の世界を知れよ」
と言ってくれたのと、手先の器用さで作ってくれた草鞋(わらじ)がすごく嬉しかった。

 

そして奉公先。
初日は、その地元のお祭りの日と被ってて、大人は誰も構ってくれなくて、
すごく心細かった。
お祭りだってもちろん参加できないけど、大人はお祭りで出払ってるし、
広い庄屋ががらんとして、自分の心のようにからっぽだった。
でも、それ以上に家のことを覚えるのが必死だった。
その日の夜、基本的に外の小間使いをする2つぐらい年上の清作さんが、お勝手口で私に、
「お祭りの余りだけど」
と、おまんじゅうをくれた。お祝いのつもりだって。
すごく嬉しかった。自分のことを認めてもらえた気がして。

私は家の中の家事一般を任せられていて、特に廊下の雑巾がけが好きだった。
(今も雑巾がけは好きで、小学校の頃の掃除とか、率先してぞうきん掛けしてたなぁ)
大人に言われる前に、何か少しでも仕事を見つけて、こなしてしまうと、
それだけで嬉しかったな。お給金は変わらないし、ほとんど家にお金が行くのに。

清作さんは、外の仕事が基本だったから、お使いとか行った時に、
後日外の様子、例えばこういうものが町で売ってるとか、そういうことを私に話してくれて、
それがとても楽しみだった。
唯一の娯楽レベルだった。
でも、それ以外を知っているわけでもないから苦ではなかったし、
奉公先の人たちも、言い方はきつい方だったけど、優しい人たちだったから、
すごくありがたかった。

 

そして、冬に兄が死んだ。
どうしても奉公先からは距離的に間に合わず、
一応実家に里帰りしたけど、もうお葬式とか終わってた。
廊下の隅で、古くなった葬式まんじゅうをもそもそと食べた。
兄が死んで悲しいのと、間に合わなかった自分が悔しいのを罰するかのように、
わざと、冷たい廊下の隅で、もそもそと一つのまんじゅうを食べていた。

 

それから数年後、清作さんと結婚した。
二人ともお金は無いけど、奉公先からの信頼があったので、
質素だけど温かな新生活を始めることが出来た。
清作さんは孤児で家族を欲しがってたこともあり、頑張ったよ。色々と。
その結果子供は4人。
長女・長男・次男・次女と良い具合な男女の比率だった。
長男には、兄の名前を付けた気がする。
兄のように頭のよく、そして、兄よりも長生きできるように、と。
決して豊かではなかったけど、とても幸せだった。

清作さんは、奉公先のつてで、商業の流通関係の職に就いたので、
洋物は不釣り合いでない限り、「少しばかりの贅沢」として、ランプなどを家に置いていた。
電気タイプではなく、マッチで火を灯す方だけれども。
家は簡素な板張りの物。
奉公の子供はどうしても家主より寒い場所にいるため、
それがたとえ虐げではなくとも、辛いものがあった。
だから子供たちには、多少無理をしても、暖房は積極的に良くしていった。
ご近所の方に申し訳ない気がするときがあるぐらいの、
それでも大きな家や都会からすれば当たり前ぐらいの暖房用具は使っていた。

 

晩年

子供たちは長男を残して、方々へ嫁ぐなり自立するなりして行った。
隠居先は、私のわがままで、私の生家を小さくした間取りの物にした。
清作さんは、その数年後に無くなった。
とても悲しくて、自分も共に死んでしまいたかった。

近くで大きな土砂災害が発生。
「人も自然もいつどうなるか分からない」と痛感し、
被害現場を見ていると、なんだかもうすっかり力が抜けてしまって、
自分の老いを心底感じていた。

その年ではないと思うが、お正月に死んだ。
正月と言うことが、幸い(と言っていいのか)して、
子供やお嫁さん、孫と言った、全員が集まってくれていた。
正月と言う晴れの日には申し訳なかったが、
死に際にみんなが居て、自宅の畳の上で死ねるということ、
清作さんに出会えたからそういう結果になったことを、
感謝してもしきれず、すごく満たされた心で人生が終わった。

 

「ささやかな幸せこそ、人生の最大の幸福なり」

 

・・・以上が、友人が教えてくれた、友人が明治時代に生きていた前世の内容です。いかがでしたでしょうか?

前世で妹さんだった時の魂が、今世の従姉さんのお子さんの体に宿ってまた巡り合う、ここにものすごく驚きました。

そして恋愛&結婚相手の名前まで思い出し、幸せな人生を寿命まで生きて、大往生したこと。享年何歳だったのかはわかりませんが、明治時代の老人というと、50〜60歳くらいだったのかもしれません。

最後の一言、「ささやかな幸せこそ、人生の最大の幸福なり」は、本当に心に染みましたよ。どんなに地上での富や名声があっても「どこか満たされない」って思ってる人、きっと居ると思います。地上での富や名声なんかよりも、心が愛で満たされているかどうか、それこそが「幸せの基準」なのではないか、と思います。

例えばビル・ゲイツなどは、あれだけの富と名声を得ているにもかかわらず、その割にはあまりモテない(らしい)のは、彼の発しているオーラに愛があまり感じられないから、「人間的に魅力を感じない」と思う人が多いんじゃないかな、って、個人的に思います。かくいう私は「ビル・ゲイツあまり好きじゃないけど都合上仕方なくwindowsを使っている派」ですけど、人間的な魅力はスティーブ・ジョブスのほうが断然上だろうと思います。おっと、おじさまの話になるとチカラが入るなw フェチがバレバレw

話を戻して、

私は今まで、「今世にて本人の霊的努力が足りず、カルマの清算が遅れている場合は、嫌でも長生きさせられる。少しでも今世のうちにカルマの清算をたくさん消化するために長生きさせられる。その意味で、早死にはご褒美で長生きは罰である」と思ってきました。

でも、この友人のお話を聞くと、「長生きも決して罰ではないのだな。罰の場合もあるけど、それ以外の場合もたくさんあるのだな」と、考えを変えました。

いや・・・本当に考えさせられます。再生は奥が深すぎます。

もし丹波さんが生きていた頃に入っていた霊界研究サークル「来世研究会」に、この友人の前世のお話を紹介していたら、さぞ丹波さんは驚かれたことと思います。

この友人の前世のお話は、メニュー一覧で目立たせるために個別に専用ページとして作りました。


メニューに戻る