◇幼女化願望の詳細◇


マイヤースは、人間界を始めとして霊界を界層別に分けて説明しています。もっとも、実際に霊界が段階的な界層に分かれているわけではなくて、意識のレベルに応じた各人の能力値のようなものらしいですけど、マイヤースは解りやすいように界層別にして説明しています。人間界、中間境、夢幻界、色彩界、光焔界(こうえんかい)、光明界、超越界となっているそうです。

この中で私が着眼したのは、色彩界です。マイヤースは色彩界のことを別名「エイドスの世界」とも呼んでいます。色彩界=エイドスの世界ということですね。ではなぜ着眼したのか、その理由をご説明します。エイドスの世界の一つ下の世界である夢幻界から順を追って説明します。

人間が死んで幽体になれば、精神力が相当なパワーを発揮することができて、夢幻界でさえ、意念のチカラで自分の姿をかなりのところまで変えることができるそうです。更に夢幻界の上層部では、意念の集中の方法のコツを掴みさえすれば、自分の姿に自由に色彩を付けることもできるそうです。

このように、夢幻界ではまだ自分の形態を変化させることには、ある程度の限界があることが解ります。夢幻界では、若かった頃の自分・幼かった頃の自分の姿になったり、顔かたちや体つきを整形することくらいならばできるようです。

ところが、もっと驚きなのは夢幻界の一つ上の界層の、エイドスの世界です。エイドスの世界では、かなり発達した想像力によって自分の姿を自由自在に変えて、ウットリ悦に入る霊も居るらしいです。エイドスの世界では、思いのままの形態に自分を変えられる、美の極致といえる形態をまとえるんです。

私は、霊界に行って、自分の姿を自由自在に変えてみたいと心底思っているので、エイドスの世界に惹かれるんです。私がマイヤースの通信に興味を持ったのは、まずこのことがきっかけだったのですから。

なお、参考までに。エイドスよりも上の世界となると、人間的な想像力による形態(姿かたち)からは完全に縁を切って、形態を持たない状態へと体が変化します。こうなると、もはや人間の姿での生活はできません。もちろん霊界で向上することは、殆どの霊が望んでいることでしょう。誰もが少しでも上の世界に上がりたいと思うことでしょう。

でも私は、あくまでも「形態に宿った生活がしたい」のです。それはすなわち、私はまだまだ人間的な価値観や概念から離れられずにいるということになります。そういう私のような人間には、霊界での目標をあまりに高くし過ぎると挫折してしまうことにもなりかねないので、とりあえず人間界に居る間は、最終目標はエイドスまでにしたほうが、私には分相応なのでしょう。

ですので今の私の最終目標は、エイドスの世界で暮らすことなんです。

マイヤースが本文中でエイドスのことを「最初の天国」と呼んでいるのも頷けます。天国や地獄という場所は実際には存在しなくて、その人の意識レベルの状態に過ぎないんですけど、天国や地獄という言葉を単に比喩的に用いるのであれば面白いでしょう。

エイドスの世界で、自分の姿を本当の意味で自由自在に変えられる、美の極致の姿になる。そしてウットリと悦に入ることができるなんて、とっても素敵だと思いませんか? こんなことを考えるのは私だけかしら? う〜ん…。

私はエイドスの世界に憧れてはいますけど、いきなり行けるわけはありません。まずは夢幻界での生活をじっくりしなければいけません。エイドスの世界に行く前に、夢幻界で可愛い幼女の姿になることを目指すほうが先です。自分の幼女化願望をかなえるための大切な研究材料になったマイヤースの書籍には本当に感謝しています。

夢幻界の上層部ならば変身能力もかなりアップするので、幼女化願望をかなえるためだけだったら、私の目標はエイドスの世界ではなく夢幻界の上層部だけでもいいでしょう。まずは夢幻界の上層部を目指して、人間界で修行を積むのみです。エイドスの世界はあくまでも「最終」目標ですから、少なくとも人間界に居る間は脇に置いといてもいいのかもしれません。

 

先述のことを踏まえた上で、私が霊界で望んでいることは、「霊界で可愛い6歳幼女の姿になりたい」ということです。その他にもいろんな姿になりたいとも思っていますけど、一番の願望は「可愛い6歳幼女の姿になりたい」のです。

「なぜ成長した女性の姿ではなく、6歳幼女の姿かたちにこだわるのか?」ときかれたら、「その年頃の幼女の姿が一番美しいから」と答えるしかありません。こればっかりはそう思うのですから仕方がありません。それは私の、女性としての観点から考えても同じです。ちなみに、6歳0ヶ月つまり6歳になったばかりという設定が理想です。6歳になったばかりというと幼稚園の年少さんですが、その年頃の幼女は、娘を持つ親にとっても一番可愛い盛りなのではないでしょうか。

もちろん、幼女の姿になって悪いことに利用する、などということはカケラも考えていません。ただ単に、可愛い幼女である自分の姿を見て、ウットリと悦に入ることをしたいだけです。それさえできれば私は他には何も要りません。ただ、霊界の構造や秩序を学ぶかたわら、精神統一の修行を続けるのみです。

私は男ですが、いわゆるロリコンではありません。なぜならば、もし私がロリコンだったとしたら、私の願望は「霊界で幼女とお友達になりたい」とか「霊界で幼女と永遠に付き合いたい」という、下劣な願望になってしまうからです。そんな下劣な願望には私は全く興味はありません。ただ単に「幼女としての自分の姿に酔いしれたい」ということで、あくまでも「可愛い・美しい姿になりたい」だけなのです。自分自身が幼女に変身したいだけであり、ロリコンとは全く違う感覚なのです。その証拠(?)を書きます。2011/10/23の夢日記から抜粋。

2011/10/23

夢では男のままでしたけど、私はその場に座っていて、向かいには水着を着た6歳くらいの幼女が立っていました。そしたら彼女はなぜか私の顔に下腹部をすり付けてきたんですけど、私は何も感じず、すぐに彼女を押しのけました。

    なぜ彼女があんなことをしてきたのか解りませんけど、幼女に性的な誘惑をされても本当に何も感じなかったどころか、むしろイヤでしたね。「そんなはしたないマネをしちゃダメよ」と思いましたもん。これを考えても、私がロリコンではなく、純粋に自分自身が幼女に変身したいと願っていることの証明であり、心が女性になり切っていることの証明ですね。それらを再認識できて、よかったです。そういう健全な意味ではいい夢でした。

    でもなぜあの子はあんなマネを? 低級霊が幼女に化けて私をからかう目的で誘惑してきたのかと一瞬思いましたけど、低級霊はその霊格の低さゆえに変身能力が極めて低いので、低級霊ではなかったんでしょう。本物の幼女の霊が意味も解らずに遊び半分でやったことだったのかもしれませんね。

これで、私がロリコンではないことがお解りでしょう。

幼女というのは健康的な可愛さがありますからね。そして「霊界において幼女の姿で何か役立つことを見つけて、霊界の人々に尽くしたい」ということも考えています。

こんな願望を持ったのも、私が昔から少女漫画を愛読していたからかもしれません。少女漫画を読んで「ああ、こんな純粋無垢な心の幼女になりたい。心まで幼女の心になるのは無理としても、せめて姿だけでもなりたい。そして、可愛いドレスを着て健康的な可愛さを振りまきたい」と、いつも思っていたせいでしょう。

 

私が常日頃願っていること、つまり霊界での願望について、私は、願望の内容をプリントアウトして、いつも枕もとに置きながら、祈りながら眠っています。

 

−−− プリントアウトの内容ここから −−−

以下の文章は冗談で書いているのではなく、極めて真面目な気持ちで書いています。

私は、死んで肉体が滅んで、魂が霊界に行った時、神様に願望をかなえてもらいたいと思っています。その願望を書きます。

「霊界に行って、永遠に可愛い6歳幼女の姿になって、修行をしたい! そしてその姿でティンホイッスルを吹いて、霊界の人たちの心を和ませてあげたい!」

「永遠に可愛い」というのは、もちろん、「永遠に歳を取らずに、永遠に可愛い姿のままでいられる」という意味です。また、「可愛い6歳幼女の姿」とは、例えば、6歳だった頃の山内菜々さんや、6歳だった頃の藤井杏奈さんのような姿です。山内菜々さんや藤井杏奈さんそのものの姿になってはまずいですから、それくらいの可愛さになりたい、という意味です。

可愛い6歳幼女の姿になって、その姿でティンホイッスルを吹く、これは考えただけで胸が高鳴りますし、霊界の人たちも私の姿を見ていて、演奏を聴いていて、かなり楽しいんじゃないでしょうか。霊界の人たちを楽しませてあげる・喜ばせてあげる、という意味でも霊界の秩序にのっとっていますし。幼女化願望とティンホイッスル演奏願望、この願望は、何が何でもかなえてほしい願望です。

こういう願望を、私は、極めて真面目な気持ちで、ずーーーっと抱いているのです。この願望がかなうならば、私は人間界には生まれ変わらずに永遠に霊界で暮らしたいと思っています(もっとも、類魂のリーダーがそれを認めてくれず、最終的な判断は私の自由意志に任されているとはいえ、再生への道を仕方なく選ばなければならない場合もありますけど…)。

ただ一つだけ気がかりなことがあります。ティンホイッスル演奏願望はともかく、神様が私の幼女化願望という極めて特殊な願望を認めてくれるかどうか、不安なのです。

神様、お願いですから、私のこの、霊界での願望をかなえてください! 心からお願いします! 日々の反省の気持ちも、自問自答の気持ちも、神様に対する祈りの気持ちも忘れません。霊界の存在も、神様の存在も頑なに信じています。ですからどうか、私の霊界での願望をかなえてください!

本当に、心からお願いします!

−−− プリントアウトの内容ここまで −−−

 

たぶん大多数の人がこれを読んでヒイたと思いますけど、私は本気で次のことを思っています。

私はもしかしたら、前回の人間界での生活、俗に言う前世では女性で、いい意味でも悪い意味でも、女性的な性格がとりわけ強かったのかもしれません。その性格が今生まで持ち越されて、女性的な性格を持った男性となったのでは? と思うんです。実際私は、女性ものの本や漫画や小説を読んでも、まったく違和感なく入っていけますから。逆に、男男したものは大変苦手で、ゴツイ少年漫画なんて表紙を見るのもダメです。男っぽい絵や物語は受け付けないんですよ。

それで今生では女性的な性格と男性としての体がぶつかり合ってコンプレックスになり、自然に自虐的で破壊的になり、物に暴力をふるうにまでなってしまったのかも、と。もちろん今ではその暴力的な性格は直っていますけどね。そしてGID的な要素をかなり持っていることまでをも自認して、自分のことがかなり解ってきたこともあり、今では心がとても落ち着いています。

ですから、今の私の「幼女になりたい」という願望は、案外、女性だった自分の前世を本能的に、魂の根源的な部分で感じているような気がするんです。魂の奥底で「あの時が懐かしい・あの時の自分に戻りたい」と願っているのかも、と。もちろん私の前世の姿が山内菜々さんや藤井杏奈さんのような超絶に可愛い女の子だったハズはありません! が、できればそうなりたいですし、女性の姿になるなら誰でも可愛くなりたいと思うものでしょう。

でも今生の男性としての人生は、男性じゃなければ経験できないような修行があって、その修行をするために男性として生まれてくる必要があったのでしょう。それはそれで仕方がありません。霊界に帰る時まで、与えられた今生を頑張って生きるだけです。

私の「幼女になりたい」という願望は、そういった前世についての思いの上に持っているので、私は自分のことを特に変人だとは思っていません。今生ではたまたま男性として生まれたとはいえ、たぶん私のこの願望は、一般の大人の女性が「若くて美しかった頃の自分に戻りたい!」と切願するのと同じ心境だと思うんです。

さて、最初に書いた願望のハナシに戻って、2005年の春頃に書いた夢日記から抜粋しますけど、

2005/春頃

「霊界で、山内菜々ちゃんのような可愛い6歳幼女の姿になりたいんです。神様、この願望をかなえてください。心からお願いします!」

という、プリントアウトした願書(?)を枕もとに置いて眠った時、本当に夢の中で私は山内菜々ちゃんの姿になっていたのでした。そういう気がしたというのではなくて、本当に自分の目線だったから間違いなく変身していたことになります。しかも、周りからしきりに「可愛い〜、可愛い〜」と言われながら夢の中の町を歩いていたのでした。

    すごく照れくさかったけど、あれぞビギナーズラックだったのかしら? それとも私があまりにも必死に祈ったから、祈りを聞き届けてくださった神様のパワーが指導霊さんや守護霊さんを通じて、私に与えてくれたごほうびだったのかしら?

    いずれにしても今までで最高に嬉しい夢だったんだけど、喜んでばかりもいられません。彼女の姿でとある建物の教室に入って誰かと会話している時に、初めは幼女のカン高い声だったのが、すぐに私本来の男の低い声になってしまったんです。だから変身したのはほんの一時だけで、あれはビギナーズラックな要素も割とあったように思えたからなんです。

    ビギナーズラックならばそれに溺れずに、自分の願望の強さをいつも保っていることが大事ですね。願望の強さを保つ=願望モチベーションとでも言いましょうか。同時に、ビギナーズラックであったにしても神様たちが祈りを聞き届けてくださったことには変わりないです。神様たちには心から感謝しています。

    それに、ああいう嬉しい体験をさせてもらえたことは、神様たちからの「心から真剣に祈れば霊界での願望はかなうんだよ。だから人間界での修行を頑張りなさい」という励ましの言葉をいただいたとも言えるし。だとすれば尚更頑張れるというものです。

という風に、本当に夢の中で幼女化願望がかなっちゃったことがあったんですよ。その後幼女になった夢を時々見るようになったのは、夢日記の過去ログを見てのとおりです。特に、今まで見た夢の中で最高だったのが、以下の二つの夢です。

2012/05/07

夢では私は、6歳0ヶ月の幼女の姿になっていて、体型も完全に6歳幼女の体型になっていて、それでいて脚が長くてプロポーションもよくて、髪型をやや長めのおかっぱ頭にして前髪をギリギリまで下げて、顔つきは6歳当時の山内菜々さんによく似ていて、声は男の地声と小林星蘭さんにソックリなカン高い声を使い分けていました。その状態で私は、人間界での旧友の成人男性と一緒に幼稚園の園舎の中に居て、旧友は普通の成人男性の身なりをしていたんですけど、私はその幼稚園の制服である水色のスモックにピンクのスカートという身なりをしていました。その幼稚園は水色のスモックというのは男女共通でしたけど、女の子がピンクのスカートで男の子が黄色の短パンという制服だったので、私は女の子の制服姿になっていたのでした。

旧友は私の正体が成人男性であることを知った上で常に行動を共にしていたんですけど、旧友は私に向かって「その姿なら完全に幼女だってみんな信じるし、あとはバレないように声色をうまく作って、女子園児を演じてみなよ」と耳打ちをしてきたので、私は先に書いたように小林星蘭さんソックリの声で、園舎の中に居た園児たちと会話をしていました。そしてわざと漢字が読めないフリをして、黒板に書かれている文字のひらがな部分だけを読んだりしていたんですけど、周りの園児たちは私が女子園児だということを完全に信じてくれたようでした。その会話の中である園児が私に向かって「名前なんていうの? それから何歳?」ときいてきたので、私は「鈴子っていうの。6歳0ヶ月だよ」と答えたんですけど、年齢のこともやはり信じてくれたようでした。

そして私は旧友と一緒に園舎を後にして街に出たんですけど、なぜか後から石原裕次郎さんが追ってきました。裕次郎さんは旧友と知り合いだったようで、「いや〜、○○(旧友の名前)君にこんなかわいい妹さんが居るとは知らなかったよ。お嬢ちゃん、なんて名前?」と言ってきたので、私は「私鈴子だよ。6歳だよ。よろしくね裕次郎さん」と答えました。

夢の中全般を通して、私は自分の姿や声が6歳幼女になっているだけでなく、心まで6歳幼女になったような感覚を抱いていました。その証拠に、体育座りをした時には内股座りになっていて、しゃがみ込んだ時には女の子座り(アヒル座り)をしていました。

    感激しました! もう言葉にできないくらい嬉しかったです! 目が覚めてから「これは今まで見た夢の中で最高の夢だわ!」と思いましたよ。まさしくそのとおりで、年齢といいプロポーションといい髪形といい、6歳当時の山内菜々さんのようなチョ〜かわいい顔つきで、小林星蘭さんのようなチョ〜かわいい声だったことといい、更に心まで6歳幼女の感覚を抱いていたことといい、幼女化願望をパーフェクトに実現できていたんですからね。霊界では正体を隠すことはできないので、周りの園児たちや裕次郎さんが私を6歳幼女だと信じてくれたのは、本当に騙されていたのではなく、あらかじめ私の正体が成人男性であることを解った上で、完全に6歳幼女になった私を見て「幼女であることを認めてくれた」んじゃないかと思うんですよ。それだけみんな心が広くて優しかったんだと思います。ということは、今回は割といい界層に居たのかもしれません。裕次郎さんから「かわいい」と言われたことも、すっごく嬉しかったです。

    鈴子という名前には心当たりがなくて、しいて挙げるなら子供時代に読んだ漫画の少女キャラの名前くらいなもんなんですけど、なぜそれが私の名前になっていたのかは解りません。

    名前のことはおいといて、毎日やっている神様への真剣な祈りが通じたんでしょうか? それだけでなく、私自身が「いつか絶対に幼女の心になって、かわいい6歳幼女の姿になるんだ! そして霊界で人のために尽くす仕事をするんだ!」という決意の元に日々努力していることも功を奏して、今回、夢の中=霊界で幼女化願望がパーフェクトに叶ったんじゃないかと思います。最近、できるだけ人に親切にしようと心がけてそれを実行していて、人助けをすることに自分でも喜びを感じていたので、それで魂のレベルと変身能力が上がって、今回の平和で理想的な夢になったんだと思います。今後も神様への祈りと、人のために尽くしたいという気持ちと、愛に生きる気持ちを忘れないで生きていこうと思います。神様に心から感謝した夢でした。


2012/05/23

夢では私は、チョ〜かわいい6歳幼女の姿になっていて、髪型も服装も動画の幼女にとてもよく似ていて、声も完全に幼女の声でした。肝心の心の状態はといえば、基本的には幼女の心なんだけど大人の心がほんのちょっとだけ混じっているかな、という感覚でした。そして私は冷蔵庫に入っていたショートケーキをいくつか取り出して、幼女特有のカン高い声で「ん〜と…、あ、このケーキ痛んじゃってる〜。あ、でもこっちのケーキはまだ食べられるな〜」とつぶやいていました。

    理想的な夢で感激しました! 実は昨日のお祈りで「神様、夢の中で、あの動画の幼女のような姿にさせてください。そして幼女の心になった感覚を味わわせてください。特に幼女の心になった感覚を何度も味わわせていただいて、私の心に幼女の心を植えつけてください!」とお願いしたばっかりだったんですよ。心から真剣に祈ったおかげで、また自分でも幼女の心になれるように日ごろから最大限の努力をしているおかげで、今回の夢で幼女化願望が完璧に叶ったんだと思います。しかも私が望んでいる、動画のチョ〜かわいい幼女の姿になれるなんて、もう嬉しくてたまりませんでした。

    大人の心がほんの少しだけ混じっていたのは、「(大人としての)大きな愛をたずさえた、純粋無垢な幼女の心になりたい」という日ごろの願いがそのまま夢での心の状態に表れたんだと思います。この「(大人としての)大きな愛をたずさえた」というところが、とても大事なんですよ。完全に幼女の心「だけ」になっちゃって精神年齢までも下がっちゃったら大幅な退歩ですからね。そういう意味でも今回の夢は理想的でした。これからも神様への真剣なお祈りと、日ごろの努力を忘れずに生きていこうと思います。

という風に、もうこれ以上ないというくらいの変身ぶりでした。幼女化願望が完璧に叶った夢でした。私は本当に、夢の中=霊界で、すっごくかわいい幼女の姿になっていて、心まで幼女の心になっていたんです。飛び上がらんばかりに喜んだのは言うまでもありません。そして神様に深く深く感謝して、感謝の祈りをささげたのでした。

 

ところで、私の幼女化願望は霊界において許されることなのかどうか、エステル・ステッドの「ブルーアイランド」を参考にして考えてみました。まず、ブルーアイランド=幽界=夢幻界においての説明から。

夢幻界で生活している人たちは、自分のことを第一に考えた生活をしているそうです。そういう風に一時的に自分中心主義になって、精神的な回復を行うんだそうです。夢幻界では自分中心主義、利己的な考えや行動をしないといけない、というのは意外でした。どんな時でも利己的なことはいけないと思っていたからです。でもそうしないと自我の確立が遅れて、夢幻界での環境に馴染んでいけないんでしょうね。

夢幻界では、自分が持っている能力の範囲であれば何をしても許されるらしいです。でも、いくら何をやっても許されるとはいえ、私だったら悪いことはしたくないですね。誰にも迷惑をかけずに、幼女化願望を追求することだけに専念したいです。でも、あくまでも夢幻界に来てから「しばらくの間」だけです。霊的に目覚めてくると、何をしてもいいというワケにはいきません。当然といえば当然ですね。

次は夢幻界やエイドスの世界の上の世界である、(狭義の)霊界での話です。霊界での思想や行動については、夢幻界などに比べるとちょっと厳しいです。例えば、生前ひどい貧乏暮らしをしてきて豪邸に住むことに憧れていた霊が実際に霊界で豪邸を手に入れて、それで同時進行で霊的成長も進めばいいんですけど、贅沢な生活に甘んじてしまって霊的成長が見られないと判断された場合は、その豪邸は没収されて、改めて別の方法がとられるそうです。

これを幼女化願望に置き換えて考えてみると、幼女の姿に酔いしれることに甘んじてしまって魂の成長のための努力をヤメてしまえば、幼女の姿は没収されてしまうということですね。私だったら幼女の姿で人のために尽くす仕事を続けたいです。人のために尽くすことは即、魂の成長につながりますから。

さらに、(狭義の)霊界にはあらゆる種類の娯楽があって、人間界で夢中になっていた趣味とかクセになってしまった興味は、霊的成長にとってマイナスにならない限りは何でも許されるそうです。

幼女化願望自体には、霊性の進化すなわち魂の成長にとって、特にプラスになるわけでもなく、かといって害があるわけでもないと思います。だから問題ないと思うんですけどね。もっともこれは(エイドスの世界の上の)霊界での話ですから、夢幻界においては何の問題もありません。なにしろ夢幻界では何をしても許されるし、自分の願望をとことん追及することができますから。ですから、まずは夢幻界に行って幼女化願望を心ゆくまで追求したら、そして一つ上の世界であるエイドスの世界や霊界に上がることが許されたなら、それから幼女化願望と魂の成長との関連について考えても遅くはないと思います。

私個人的には、夢幻界においてもエイドスの世界においても霊界においても、幼女化願望は魂の成長にとってマイナスにはならないと思っています。もちろん、人間界・夢幻界・エイドスの世界・霊界、これらのどの世界においても、魂の成長のための修行は続けていきます。

 

さて、最初の話に戻って、6歳当時の山内菜々さんについて。

6歳当時の山内菜々さんの動画を検索していたら、こんなのを見つけました。初代「ホットマン」のワンシーンらしいです。6歳の彼女が出ています。ご存知の人も多いでしょうけど。

(浮浪者に扮した役者さんが出てくるシーンなので、そのテの映像が苦手な人はご注意ください)
「Hotman 1- Nanami with the vagrant」
http://www.youtube.com/watch?v=OPHIqTaevIs

ななみちゃん、なんて優しくていい子なんでしょう! 素敵です! エンゾーのセリフ「子供は天使だ」に、まったく同感です。特に山内菜々さんが演じているだけに、一層子供らしさと優しさが感じられます。かわいくて優しくて感動しました! 彼女が当時大ブレイクしたのは、チョ〜かわいくて演技も上手だということもあるでしょうけど、こういう子供らしい優しさに魅力を感じた人も多かったんじゃないでしょうか? 当時のネットの書き込みには「こんな子供がほしい」「6歳に悩殺されるとは思わなかった」というコメントもありましたし、それほどまでに彼女はいろんな意味で魅力的ってことですね。

私の幼女化願望に、「大きな愛をたずさえた無邪気な心の6歳幼女になりたい」というのがあるんですけど、霊界に行ったら、上の動画のななみちゃんを見習って、大きな愛をたずさえた無邪気な心の、チョ〜かわいい6歳幼女になりたいです。美しい心とかわいい姿という意味で、やっぱり6歳当時の山内菜々さんは、幼女化願望の永遠の憧れです。

 

友人から指摘されて改めて自覚したんですけど、私はどうも、いくら頑張っても世間一般でいうところの「大人の心」にはなり切れないようです。友人いわく、「めあさんは、この世を生きていく上で必要最小限の大人の心しか持っていない」だそうで、これ自分でも昔から自覚してました。いくら社会経験を積んでも、いくら「もっと上司や社会をうまく利用して、お金儲けが上手になるようにしよう」と頑張っても、できないんです。そういう「ずる賢さ」という意味での大人の心には、なれないんですよね。

もし完全にそういうずる賢い大人の心になっちゃったら、そりゃぁ世渡りやお金儲けは上手になるでしょうけど、大切な心、すなわち「優しくて純粋で無邪気で可愛らしい心」を失ってしまう気がして、とっても怖いのです。だからあえて、友人が言うとおり、必要最小限の大人の心のままでいいや、という思いがあります。食べていければそれだけでいい、みたいな。

私にとって大切な大人の心とは、大人としての愛と英知だけです。ずる賢い大人の心になんて、絶対になりたくないです。そんな心になってしまうほど堕落するなら、いっそ大人のずる賢い世界に溶け込めなくて仕事を失って飢え死にしたほうがマシだと思っています。

いや、もちろん今の仕事(深夜の運転の仕事)は体が動かなくなるまでずーっと続けますってば(笑)。ずる賢さがほとんど要らないで済む職場なので、精神的にも助かっていますから。


どんなに「倒錯的願望を持った変人」と言われようが思われようが、構いません。暴力的・破壊的な思考回路を持っていた昔の自分よりは、今の自分のほうが、他人に迷惑をかけなくなった分ずっとマシです。私は暴力的・破壊的だった過去の自分が大嫌いになり、激しい自己嫌悪に陥り、一時は本気で自殺願望まで持ちました。だけどスピリチュアリズムを知ったことがキッカケで立ち直り、今では自殺願望のカケラも持っていません。

だから、倒錯的な願望を持っていようが何だろうが、今の自分を大事にして生きていこうと思います。幼女になりたいという願望は「まだ未熟で弱い心の逃げ場だ」と思われるかもしれませんけど、私自身の中では本質的な願望かもしれないと思えるほど真剣なものなんですから。

というわけで、霊界で幼女の姿になる方法を、私なりに考えてみようと思います。

まずは、精神統一の重要性についてです。

もともと精神統一というものは、「何も考えずに心を無にして、自分の存在を消すくらいにまで無我の状態になる」ことなのですけど、マイヤースの方法は、一つのイメージに意念を集中して、精神的にそのイメージと一体化するという方法らしいです。これはただ心を無にするよりもさらに高いレベルの精神統一の方法なのでしょう。この方法は霊的意識の中でもかなりハイレベルの精神統一の方法らしいですし。短時間でいいから毎日続ければ、かなりの効果が出るらしいです。

強く願っていると、それが現実になるということは、実際にあるようです。つまり、「霊界でこういう風になりたい!」と念じながら精神統一を日々続けていれば、霊界でそれがかなうことも充分にあり得るのです。

ですから、具体的な幼女の映像をイメージングして「こういう幼女の姿になりたい!」と念じながらそのイメージに意念を集中させていると、そのイメージと精神的に一体化する、ということですね。精神的に一体化するのですから、もしかしたらこの方法が、イメージした幼女の姿になれる方法なのかもしれません。

次に、想像力と創造力の重要性についてです。

想像力と創造力を磨くことは、姿を変えることにおいても霊界で暮らすこと全体においても、とても重要なことです。なぜなら、想像力は即イメージングの発達に繋がりますし、それが創造力(自分の姿を作り上げること)の発達にも繋がるからです。

ですから、想像力と創造力を磨くためには、それらを使った何かの趣味などを持つことがいいのだと思います。例えば私は、ティンホイッスルという笛を吹くことの他にも、お人形さんを作ることを趣味としています。今は組み立て式のプラスチックの人形しか持っていませんけど、今後経済的に余裕ができたら、球体間接人形の製作を始めてみようと思っています。

球体間接人形は、一から型を取って、一から粘土で全てを作り上げるのですから、技術はともかくも、人形を形作るためのイメージ能力=想像力と、新しい物を作り上げる能力=創造力が養われます。私の今後の課題として、球体間接人形の製作を始めることは、すなわち霊界で幼女の姿になるためのいい方法なのかもしれません。具体的に「こういう幼女の姿になりたい!」という思いを込めながら球体間接人形を作るのですから。

とにかく、がんばってみようと思います。

それから、少しでも自分の霊格を上げる=変身能力をアップするための方法について。

スウェーデンボルグが言っていた「素ぐなる心」(無垢な心)になるために、私は自分流の方法を持っています。それは、山の中でティンホイッスルを吹くことなんです。山の中でティンホイッスルを吹いていると、心が山の自然に溶け込む感じがして、同時に大きな心・優しい心・素直な心・無垢な心になれるんです。山の中でティンホイッスルを吹くことは、無垢な心になるための、私なりの方法なんですよ。

それに加えて霊界研究を続け、少女漫画も読み続け、できるだけ人に親切にする。これらが私の人間界での修行=無垢な心になるための修行になるんでしょうね。でもやっぱり一番効果があるのは山でティンホイッスルを吹くことみたいです。できるだけ時間を見つけて、山でティンホイッスルを吹きたいです。霊格を上げるために素直な心・無垢な心になりたいです。

山まで行く時間が無い場合は、近所の茶畑でティンホイッスルを吹くことにしています。その茶畑は、まるで地平線が見えるんじゃないかというほどに、とっても広くて、そこに居るだけで非常にのどかな気持ちになります。山の自然にはかなわないけど、「山の自然の中に居る時の気持ち」に近い気持ちになれるんです。そしてその茶畑でティンホイッスルを吹いても、けっこう素直な心・無垢な心に近づきます。山まで行く時間が無い場合は、そうしています。

そういう風に、山の中や茶畑などののどかな場所でティンホイッスルを吹くこと自体が大好きなので、私は我ながら貴重な趣味を持っていると思っています。私の演奏レベルは別として(笑)。

参考までに、以前丹波さんの霊界研究サークルに入っていた時に書いた研究レポート「霊界で変幻自在の変身能力を身に付けるための条件」を紹介しておきます。ちなみに今の私は、どこのサークルにも宗教にも入っていませんし、入る予定もありません。今後も単独で研究を続けていくつもりです。

−−− (レポート内容ここから) −−−

この研究結果は、あくまでも「現時点での」研究結果に過ぎません。したがって、今後も大きく変わっていく可能性・進展していく可能性も充分にあります。行き詰まることも相当に多いでしょう。要するにまだまだ未完成ということです。それを念頭においてください。またこの研究結果の内容には私の「たぶんそうなんじゃないかな?」という考えも部分的に混じっています。いかんせん難しい研究なだけに、すべてを断言できる自信が今のところありません。その点はご容赦ください。

まず、霊界で変幻自在の変身能力を身に付けるための条件を箇条書きします。

1.
それ相応の霊格・霊性が必要。
(「マイヤースの通信」でいうところの「夢幻界」の上層部に属することが「最低条件」であり、更に上の階層である「色彩界」にまで上ることが最も好ましい。なぜならば、色彩界にまで達すると、自分の姿をより大幅に自由に変えられるから。ただし色彩界でどの程度まで自由に変えられるかは今ひとつ不明。色彩界よりも上の階層に上がることは、相当の修行を要するので、とりあえずは色彩界まででよしとする)

2.
なりたい姿の映像をイメージする訓練が必要。
(霊体の脳裏に焼き付ける意味で必要。いわゆるイメージトレーニング)

3.
なりたい姿の、その人物の心になって意念を集中させる。言い換えれば、その人物の心になりきること
(そうしないと、本当の意味での変身は無理で、その人物の心になりきらないまま変身しても、どこかしら不自然な雰囲気が漂ってしまうから。つまり、変身前の元の雰囲気が残ってしまうから)

以上が基本的な条件かと思います。

死んだあと、夢幻界において、生前の肉体と全く同じ形体である「ダブル=ペリスピリット」を、前世のフラッシュバックを見せられている間に脱ぎ捨て、新調の幽体をまとった時、その幽体の構成要素は流動的なエーテルなので、基本的には「自分の思念によって姿を思うままに変えられる」と考えがちですが、上記の条件が揃わない限り、その変身能力には限界があり、少々の範囲内での能力しか持つことができない、と思うからです。

次に、生きている間・日常生活においてできる訓練について。

1.
精神統一の重要性。
(精神統一は、霊格・霊性を高める上での、最も基本的なこと。なぜならば、精神統一はすなわち“無我・無私”の状態になることであり、同時に、神様の心に近づく唯一の修行手段だから。「新樹の通信」に書かれているとおり、「霊界での修行手段は精神統一のほかには殆ど無いと言っていいほど重要なものだ。精神統一の修行をしなければ、いつまでたっても上へは進めないぞ!」という説からもうかがえる)

2.
上記の「なりたい姿の映像をイメージする訓練が必要。
(なりたい姿の、その人物の心になって意念を集中させる。言い換えれば、その人物の心になりきることを、生きている間にも訓練しておくこと。予行演習をしておけば、霊界での修行もラクになるでしょう)

最後に、これが霊的真理という意味において、最も重要なことですけど。

苦労の末に幸運にも変身能力を体得したら、「霊界でどんな仕事につくことができるだろうか?」ということを考えなければならない。なぜならば、自分の変身能力を利用して「霊界の人たちのために役立つ・人のために尽くす」ということが、霊的真理の本質において最も重要なことだから。

1.
たとえば、美人に変身して、その美貌を利用して女優を仕事にして、演劇に出て、観客たちを視覚的に楽しませてあげる

2.
また、生前の自分の姿とは全く違う姿に変身(たとえば生前に成人女性だった人が小さい男の子の姿に変身)して、演劇に出て、心はあくまでも成人女性であるにもかかわらず、迫真の演技で小さい男の子になりきって演じる。それによって観客からはただの感動ではなく、「あの人は心と外見がまったく違うにもかかわらず見事に男の子としての役割を演じていてスゴイ!」という意味の感動を与えることもできるかもしれないから。

どちらの場合でも、結局は「人々を楽しませてあげる・人のために尽くす」という霊的真理の基本姿勢を貫くことができ、またそれ(人のために尽くす)によって、自分も最高の喜びを得られることができるから。

ということで、ぶっちゃけた話、変身能力を体得したければ、最低でも「夢幻界」の上層部、あるいは「色彩界」にまで上り詰めなければならないことになります。

−−− (レポート内容ここまで) −−−

今にして思えばこのレポートは、かつて霊界研究を始めたばっかりの頃に夢中で書いた研究結果でした。今でも基本的なところは変わっていません。

なるほどねー忘れていたわ。女優になって演劇に出るという仕事があったか。かわいい6歳幼女の姿になって女優になって演劇に出て、霊界の人たちを楽しませてあげるというのも立派な「人のために尽くす」仕事ですね。これ霊界での仕事の候補の一つとして挙げておきます。

 

それから最近、「確実に幼女の姿になって、更にその姿を維持できる方法」を考えてみました。それは、女性の心と無邪気な心を発達させるということです。

私は霊的に女性だけど、そうは言ってもやはり体は男なので、どうしても男の哀しい本能が顔を覗かせることが時々あって、口調が乱暴になったりネガティブで荒っぽい感情を抱いてしまうことがあるんですよ。これではいけない! と本当に思います。ですから男の哀しい本能を女性の清い理性で抑えて、表面的な性格をも、より女性的になることが大事だと思っています。っていうか、損得勘定抜きにそうなりたいですホントに。それに、男の本能に対して女性の理性が勝つということは、昔から言われている「霊と肉の戦い」に霊が勝つことになり、霊主肉従の状態になれるので、霊的成長もできるんです。以上が、女性の心を発達させることの意味です。

もう一つの、無邪気な心を発達させることは、もうそれだけで大人の汚い邪念を消すことができるし、清純な意味で童心に帰ることができます。それに、イエスの言葉「汝ら心を入れ替えて幼な子のごとくならずんば、神の国へ入るを得ず」の真意を実践することになって霊的にプラスになって、これも霊的成長ができます。イエス本人も時には幼な子のように無邪気にはしゃいだこともあったそうです。そういう純粋で無邪気な心が霊的に見てとても大事なんですよね。以上が、無邪気な心を発達させることの意味です。

というワケで、女性の心と無邪気な心を発達させると、幼女の心になることができるんですよ。そして霊界では、心の状態がそのまま姿に反映されるので、幼女の心をずっと持ち続けてさえいれば、確実に永遠の幼女の姿になれるワケです。心が男のニセ幼女ではなくて、心まで本物の幼女になれるんです。幼女化願望が叶って更に霊的成長もできるなんて、なんていいことずくめなんでしょう! 今後はそういう精神状態になれるように、本物の幼女の心になることを目標にして努力していこうと思います。なにせ最近は、「自分の心から大人の汚い邪念と男の醜い本能を消したい。幼女のような無邪気な心になりたい」と心底思っているので。幼女の心になるように努力することは、心の管理の極地とも言える、果てしない「自分との戦い」ってヤツですね。

あ、もちろん大人としての大きな愛はたずさえたままで、ですよ。それはとても大切なことですからね。それに、完全に幼女の心「だけ」になって精神年齢まで下がっちゃったら大幅な退歩なので(笑)。なので、私の幼女化願望をまとめると、「大きな愛をたずさえた幼女の心になって、かわいい6歳幼女の姿になりたい」ということです。

 

幼女化願望の動機について。シルバーバーチによれば動機は何かということが一番大切らしいので、私の幼女化願望の動機は正しいだろうか? と考えてみました。

女性の心を発達させることは男の本能に女性の理性が勝つことになるので、霊主肉従になり霊的成長が得られる。無邪気な心を発達させることはイエスの教えを実践することになって、これも霊的成長が得られる。結果として幼女の心になれる。同時に、切望しているかわいい6歳幼女の姿にもなれるが、これは霊的成長とは関係ないかもしれない。でもその姿を生かして「人のために尽くす仕事」をやれば、やはり霊的成長が得られる。

要するに、私の幼女化願望の動機は、「大きな愛をたずさえた幼女の心になって、かわいい6歳幼女の姿になりたいから」ということですね。前者はそれ自体が霊的成長の証しなので正しいことだと自信を持って言えます。後者は利己愛によるものですけど、先に書いたとおり仕事の種類によっては利他愛の実践につながるので、仕事の種類さえ間違わなければ正しいことだと言えます。

ですから、幼女化願望や、その動機については、もっと胸を張って堂々としていてもいいでしょうね。「大きな愛をたずさえた幼女の心になって、かわいい6歳幼女の姿になって、その姿で人のために尽くす仕事をして、愛に生きたい! そのための幼女化願望なんだ!」と。ということで、今後も堂々と自信を持って幼女化願望の追及に人生をかけていきます。おかげで決意が更に強くなりました。

 

さて、幼女の心を目指すにあたっての注意点ですけど、こんな夢を見たことがありました。夢日記から抜粋。

2012/05/30

夢では私は、女子高生の姿になっていて、心も女の子の心になっていたと思います。そして白いドレスを着て馬にまたがり、お供の男性二人と一緒に田舎の細い道を通っていました。道は所々でY字路になっていて、そのたびに私はどっちの道に進もうか迷ったんですけど、お供の男性二人の支持のおかげで無事に何事もなく進んでいました。そしてある程度の距離まで来た時に、私は二人に向かって「ありがと。もういいわ。ここからは一人で行けるから」と言って一人で先に進んだんですけど、また出てきたY字路を間違った方向に進んでしまい、怖い生き物と遭遇してびっくりしました。そしたらさっきの男性二人がやってきて、「道を間違えたね。やっぱりまだ一人じゃムリだよ」と言ってきました。

    数々出てきたY字路の意味はいろんな解釈ができるんですけど、大雑把に言うならば人間界や霊界での私の人生の分岐点を象徴していたような気がします。心の持ち方一つでいい方向にも悪い方向にも向かってしまうので、心の管理とそれに伴う行動には充分に注意するように、との助言だったんじゃないかと。お供の男性二人は私の守護霊さんやガイド霊さんで、人生において良い道に進めるようにいつも導いてくれていて、今回の夢で助言してくれたのではないかと思いました。

    たとえば幼女化願望についてならば、「大きな愛をたずさえた幼女の心を目指すのはいいことだけど、一歩間違えば精神年齢まで下がってしまうから、大人としての愛と英知は常に忘れないように」という警告だったような気がします。それはもちろん充分解っているし気をつけています。でも夢の中で警告してくれたということは、それだけ心配してくれている証拠ですし、道を間違えないように導いてくれている証拠でもありますから、とてもありがたいことです。今回の助言と警告には感謝したいですね。女の子の心と姿になっていたのも嬉しかったです。

という風に、夢で助言と警告を受けたことがあります。確かに幼女の心を目指すことには注意が必要です。日々の暮らしの中でいつも「幼女の心になりたい。どうすればなれるのか」ということばっかり考えて、あまりにもそのことで頭の中がいっぱいになっていると、大人としての愛と英知をつい一瞬忘れてしまいそうになることがたまーにあります。そういう部分でも心の管理をしっかりしないといけませんね。

 

幼女の心の具体的な感覚について。最近になって、当時の夢の内容を思い出しながら、「幼女の心とは具体的にどういう感覚なのか」と考えていました。心の状態という感覚的なことを言葉で表現するのはかなり無理がありますし表現しきれないことも解っていますけど、あえて言葉にするならば、上にもさんざん書いたように「女性の心と無邪気な心を発達させたもの」という感覚でしょう。これは言葉どおりに受け止めると何の意味もなくて、心の底から童心に帰って初めて「感じられる」ものなんですよね。私もまだまだ修行中の身ですから偉そうなことは言えませんけど、とにかく幼女の心とは「女性の心と無邪気な心を発達させたもの」という感覚だ、ということだけは、なんとなく解り始めてきました。この感覚を大切にして、幼女の心を目指していきます。もうちょっと解りやすく言えば、幼女の心とは、「どこまでも優しくて純粋で無邪気」な心と言えます。

 

2012/07/06の時点での心の状態は以下の夢のとおりで、ほんとに少しずつではあるけれど幼女の心に近づいているようです。

2012/07/06

夢では私は、小学校二年生の女の子の姿と心になっていて、髪の毛を長めのおかっぱ頭にして、小学校のブレザーの女子用の制服を着ていました。そして学校の教室に居たんですけど、私の前の席に座っていたクラスメイトの男子が振り向いて私に向かって「もう二年生になったんだから、何でも一人でできないとね」と言ってきました。私は何のことか解らずポカーンとしていました。

    女の子の姿と心になっていたのは、とっても嬉しかったです。男子がああいうことを言ってきたということは、私が小学校二年生の女の子の心になっていた証拠ですし、心も姿も小二女子だということを認めてくれた証拠でもあるので、そういう意味でも嬉しかったです。「何でも一人でできないとね」の意味は、起きてからよーく思い出しながら考えてみると、寝る前に小林星蘭さん(小二女子)のファンサイトを見ていた影響かもしれません。でも私は小林星蘭さんのような完成された美しさよりも、一般市民の、無名なんだけどチョ〜かわいい6歳幼女の姿になることに憧れます。テレビのアイドルよりも、素人さんの素朴なかわいさに惹かれるんでしょうね。あぁ本当に、幼女の心になって、かわいい6歳幼女の姿になりたい…。

    夢の中での心の状態は成人女性は当然としても、あとは女子高生、女子中学生、女子小学生の低学年と、最近だんだん年齢が下がってきてますね。その日によって浮き沈みはありますけど、少しずつ幼女の心に近づいているようで嬉しいです。このまま女子幼稚園児の心=幼女の心になれれば理想的なんですけど、たぶんまた年齢が上がっちゃったりするんでしょうね。でもいいんです。浮き沈みはあっても一生をかけて幼女の心を目指す決意は絶対に変わりませんから。

というワケで、これからもがんばります。

 

私は、お酒は最初から体質的に一滴も飲めない(僅かでも飲むと命に関わるらしいのでドクターストップがかかっている)し、アルコールの匂い自体が非常に嫌いなので飲みたいとも思わないし、ギャンブルは大嫌いだし、男もやらないし、もちろん女もやらないし、暴力も振るわないし、スピード狂もとっくの昔にヤメた。ホントは車もバイクもヤメたいけどヤメたら仕事ができなくなるので(笑)。

そんな私の今の人生の楽しみといえば、

起きている時に幼女の心になって(←最近コツを掴みました)、自分の心に酔いしれること。更に、幼女の心を長時間持続できるようにがんばること」
「愛と英知を更に発達させられるように、偽善ではない利他愛の実践をより多くできるように、心の修行をがんばること」
ティンホイッスルで、宗次郎の音楽を始めとする自然派音楽を吹くこと。演奏の技術を上げるためにがんばること」

くらいしかないですね。でも私はそれで充分すぎるくらい幸せなんですよ。

現段階では、起きている時に幼女の心になることは、まだ短時間しかできません。毎日数分間、調子のいい時は30分間くらい幼女の心になれるんですけど、すぐにいつもの大人の心に戻ってしまいます。いつかは、毎日長時間幼女の心になれるように、がんばりたいです。

起きている時に幼女の心になるコツは、夢日記から抜粋すると、

2013/03/28

夢では私は、大人の心と姿になっていたり、何歳かは解らないけど小さな女の子の心と姿になっていたりして、それぞれの状態で地図を見ていました。

    たったこれだけなんですけど、私の中で、大人の心と幼女の心が同居しているのだろうと思われる、興味深い夢でした。まさに今そんなカンジなんですよ。仕事中もプライベートな時間も、動画の幼女のセリフをマネて感情移入しながら独り言で喋っているんですけど、それを続けていると、フッと幼女の心になれることが多いんです。最近幼女の心になるためのコツを掴んだというのは、このことです。これも一種の瞑想です。

    でもただ感情移入するだけではダメで、本当に「どこまでも優しくて純粋で無邪気な心になりたい!」と心の底から思っていないと、幼女の心にはなれないようです。私自身、ごくたまーに心が荒むことがあったりするんですけど、その状態では、いくらがんばっても幼女の心にはなれませんし、幼女の心になった夢も見ません。これは普通の瞑想にも言えることで、荒んだ心ではいくらがんばって瞑想しても安らかな心にはなれないのと同じです。心っていうのは正直ですね。だからこそ日ごろの心の管理が大事なんだと思いました。

    仕事中は一人で車を運転しているので、気兼ねなくカン高い声を出して幼女のセリフを喋っているんですけど、家の中でそれをやると「気が狂ったか」と言われるのは間違いないので(笑)、そういう場合は口パクでやってます。

というワケなんです。いかに日ごろ心の管理をしっかりやって、その上で純粋で無邪気な幼女の心になりきることができるか、それは私の集中力と瞑想力にかかっている、ということですね。最近はもっぱらこの修行に力を注いでいます。

最近の科学(というか医学かな?)では、「動物や人間は新しい感情を意図的に生み出すことができる」ということが解明されてきたそうですね。それならば、最近表立って目立ってきている私の「幼女の心」は新しく意図的に生み出されたものなのかな? と思ったんですけど、そんな気もしないでもないし、元々本来の心のような気もします。あるいは前世で女性だった時の幼女時代の感情かもしれませんね。

 

ところで、私以外にも「幼女になりたい」という願望を持っている人は意外と多いと思います。でも大多数が男性(霊的にも男性なことが多い?)で、幼女の愛らしい「姿・体」だけに憧れていて、「心は男のままでいい、いやむしろ男のままのほうがいい」と言って主にエッチなことに結びつける人が大半なんじゃないかと思います。私は、そんな危ないことには興味はありません。私は幼女の「心」になりたいんです。幼女にしかない「純粋で無邪気で愛らしい心」になりたいんです。幼女の心は本当の自分の心だからです。不本意にも男に生まれ落ちてしまったために今までいろんな葛藤を抱えてきたので、「本当の自分の心=幼女の心」に帰りたいんです。で、まぁ、姿も愛らしい6歳幼女になりたいとは思っていますけど、これは特に願わなくても、心の状態がそのまま自分の姿になる霊界ですから、愛らしい幼女の心になれば、自然に姿も愛らしい幼女の姿になるので、姿のことはあまり意識していません。

大人としての愛と英知を併せ持っているとはいえ、GIDの男性が幼女の心になりたいと願うケースはほとんど見ないかもしれません。でも案外、全世界のGID男性の中で一人くらいは、喋らないだけで内心では私みたいに「幼女の心になりたい」と願っている人がいらっしゃるかも。え? 居ないですかね?(笑) 居たら嬉しいんだけどなぁ。もし現代に居なくても、霊界と人間界と人類誕生(創造)の歴史上、必ず何人かは居るハズです。そして「幼女の心になりたい」と願望を抱いて人間界や霊界で願望を実現させた人も必ず居るハズです。

とある霊界通信で「過去に一人でも前例が居れば、その境地には一生懸命努力すれば必ず行けます」というメッセージがありますけど、霊界は自由自在な発想・想念・思想の世界ですから、どんなに風変わりな境地でも行けるハズなんです。いえ、必ず行けるでしょう。それに何も幼女の心に限らず、「本当の自分の心」に帰りたいと願う人はたくさんいらっしゃるハズですよね。私の場合はそれがたまたま幼女の心だったというだけのハナシですから。

こんなことはあり得ませんけど、もし万が一、一人も前例が居なかったとしたら、「前例が居ないからムリ」とは考えずに、「それなら私が前例を作ってやる! 私が身をもって前例になってみせる!」と意気込んで、がんばるだけです。

 

とにかく、「どこまでも優しくて純粋で無邪気で可愛らしい心になりたい!」と心の底から思いながら、修行をがんばります。

 

次は、幼女化願望のためのお祈りについて。

現在では毎日、神様にお祈りをしています。以下が、お祈りの内容です。ちなみに、日常生活や夢の中での体験そして教訓を取り入れて、お祈りの内容は随時最新のものに書き換えています。

 

 

という風にお祈りをしています。お祈りをする時は極めてマジメな気持ちです。ふざけた気持ちなんて全くありません。私はどこまでも真剣です。

お祈りにもちょっと書いていますけど、私の幼女化願望の内容も昔に比べたらずいぶん変わりました。昔はただ単に「かわいい6歳幼女の姿になりたい」という外見的な願いだけだったのが、現在では「幼女の美しい心になって、霊的成長をしたい」という内面的な願いも同じくらい大きくなっていますし、「6歳幼女の心と姿だけに固執しないで、6歳とか、もっと願望にゆとりを持とう」とも思えるようになってきました。私も少しは進歩したのかな? なにしろ今は、夢の中で幼女の心や姿になっていた時はもちろんのこと、動物に愛を与えている時や人に親切にしたり人助けをしている時も、心から嬉しい気持ちになるんですもん。やっとそういう心境にまで達することができました。

 

また、2012/07/15には、自分的に非常に衝撃的で嬉しい出来事がありました。夢日記から抜粋。

2012/07/15

夢の内容自体は平凡なものだったんですけど、今回は夢から覚めてからの出来事です。低血圧なので、目が覚めてからもすぐには布団から出られずに、しばらくボ〜〜〜ッとしながら目をつぶって頭の中をカラッポにしていたら、次の瞬間、なんと突然自分の心の中に幼女の心が芽生えてきて、やがて私の心は完全に幼女の心になっていることを自覚していました。布団から出ても、幼女の心になった感覚をしばらく噛み締めていました。ちなみに、私が感じた幼女の心とは、女の子の心なのは当然として、どこまでも純粋で無垢な心でした。

    こんなことは初めてです。もう、びっくりしました! 夢の中で幼女の心になった感覚を自覚していたことは今までにもありましたけど、起きてしまうとその感覚を半分以上忘れちゃってたんですよ。それが今回は、夢では何の自覚もなかったのに起きてから完全に幼女の心になるとは! しばらく幼女の心を実感して我に返った時、「こ、これが幼女の心か!」と驚くと同時に感激しましたよ。本当に衝撃的でした。

    起きている時に幼女の心になることができたということで、また一歩幼女化願望に近づいた気がします。今回の出来事を忘れないで、いや忘れようにも忘れられませんけど、今後の心の管理に大いに役立てていこうと思います。仕事や私生活でイヤなことやつらいことがあった時に、また、悪感情を抱いてしまいそうになった時に、自分に向かって「幼女の心を思い出せ。あの時の、どこまでも純粋無垢な女の子の心だ!」と言い聞かせて気持ちを静めることができそうです。なにせあれだけ鮮明に幼女の心を実感できたんですからね。毎日やっている「幼女化願望のためのお祈り」の願いの一部がやっと叶い始めたようで、とっても嬉しいです。神様に心から感謝!

という風に、今までは夢の中だけで幼女の心になっていたのが、今度は起きてから幼女の心になったんです。なにしろ起きているんですから幼女の心になった感覚も非常に鮮明で、その記憶も強いので、いつまでも覚えていることでしょう。これで、「幼女の心を思い出せ。あの時の、どこまでも純粋無垢な女の子の心だ!」と自分に言い聞かせて心の管理に大いに役立てることができますし、常日頃から幼女の心を強く意識することができます。神様には本当に心から感謝しています。今回の出来事は永遠に忘れません! おかげで幼女の心になることへの強い自信と、心の管理をしていくことへの強い自信が持てました。やったー!

その二日後、こんな夢も見ました。夢自体は関係ないのかもしれませんけど、問題はその後です。

2012/07/17

夢での姿は解りませんでしたけど、心は普段どおり女性の心でした。私の側には3歳くらいの女の子が居て、その女の子を50代の頃のピーター・フォークが「刑事コロンボ」のテーマ曲を口笛で吹いてあやしていたんですけど、女の子は最初怖がって泣いていました。私は女の子の肩をポンポンと叩きながら「大丈夫。コロンボは怖くないよ」と言ったら、間もなく女の子は怖がらなくなって笑い始めました。

    私の母性(?)本能が出たんでしょうか? どっちかというと、ピーター・フォークよりも私のほうが女の子のあやし方がウマかったような気がします。彼の演じるコロンボはちょっと不気味な雰囲気もありますから、女の子が最初怖がっていたのも無理はないでしょう。

    この夢を見てなぜか突然思ったんですけど、幼女の心になるためには、精神統一の修行もがんばらなきゃいけない、ってことを思いました。二日前の起床直後に実感した「幼女の心=どこまでも純粋で無垢な女の子の心」を一生忘れないためにも、精神統一をして「心を純粋で無垢な女の子の心に極力近づける」ことをしなければならないと思いました。考えてみたら最近は、日々の仕事と心の管理とお祈りとボランティア活動ばっかりに夢中になっちゃって、精神統一の重要性を忘れかけていたような気がします。幼女の心になるための修行の一つである精神統一を疎かにするなんて、これではいけない! 早速今日から精神統一も日課に入れます。よく考えたら精神統一の修行も立派な「心の管理」でもありますもんね。よし、がんばるぞ!

という風に、例の起きている時に実感した幼女の心の感覚を一生忘れないためにも、2012/07/17から「あの時の、どこまでも純粋な幼女の心を強く意識しよう」と思いながら精神統一の修行を再開したんですよ。ところが初日と二日目に見た夢は、知らない人間数人に対して私が怒り狂っている夢と、人間界の家族全員からイジメられて家を出て行く夢という、とんでもない悪夢でした。そのせいで「精神統一の修行をすると私の場合は悪夢を見やすいのかなぁ…」と落ち込んで、早くもメゲそうになっていたんですよね。

でもメゲないで精神統一の修行を続けていたら、三日目の仕事中(夢の中ではなくて起きている時です)に一人で車を運転している時に、なんと突然また幼女の心が芽生えてきて、幼女の心を実感することができたんです! ほんの数分間でしたけど、再度私は完全に幼女の心になっていたんですよ! 幼女の心になっていた時間は前回よりも長かったです。もう、チョ〜感激しました! これって間違いなく精神統一のおかげだと思います。やっぱり再開してよかった〜。ええ、もちろん今後も毎日続けますとも。できれば寝る前の布団に入っている時がいいですね。一日が終わってあとは寝るだけという、心が開放されている時のほうがやりやすいですし、寝落ちしちゃってもそれはそれでよく眠れるんじゃないかと思うので、いいんじゃないかと。

起きている時に幼女の心になった感覚を二度も体験させてもらって、私は幸せです。そこで、シルバーバーチの「援助を求める真摯な熱意が等閑(なおざり)にされることは決してありません」という言葉が思い浮かびました。まさに先日の二度の出来事はそのとおりで、清い動機から本当に真剣に援助を求めて祈れば、神様は必ず聞き届けてくださることを実感しました。あの二度の出来事は、神様から授かった「幼女の心」という、永遠に大切に抱いていたい宝物です!

私が最終目標としているのは「大人としての大きな愛と英知を併せ持った、幼い女の子の心」になることで、これを略して「幼女の心」と呼んでいるんですけど、幼女の心になるために日々がんばっていることに対して、神様がインスピレーションを与えて援助してくれたんだと思います。幼女の心になることができれば、他は何も要りません。私の宝物は自分の心だけです。

(起きている時に幼女の心になった体験談は、三回目以降は「幼女化願望についての独り言(2012年)」に書いています)

またまた夢日記から抜粋しますけど、

2012/08/11

夢では私は、6歳くらいの幼女の姿と心になっていて、髪の毛をおかっぱ頭にして、白いタンクトップのワンピースを着ていました。そしてとある駅前で待ち合わせしていた10代後半くらいの少年と会いました。彼は優しく微笑んで私を抱きしめてくれて、私は「お兄ちゃん、大好き」という気持ちになりました。彼はどうやら霊界での私の彼氏だったようです。

    今回の夢での重要点は、幼女の姿になっていただけでなく、幼女の心になっていた感覚がハッキリあったことで、どこまでも純粋で無邪気な幼女の心になっていました。抱きしめられた時も幼女らしい、いい意味での甘えた気持ちがわいてきたし、女の子としてとても嬉しい気持ちになりましたからね。幼女になった状態で久しぶりに彼氏に会えたのも嬉しかったです。

    改めて思ったんですけど、ほとんどの夢の場合、幼女の姿になっていれば心も自動的に幼女の心になっているし、幼女の心になっていたからこそ幼女の姿になっていたんですよね。「心の状態がそのまま自分の姿になる」という霊界での性質を再確認できました。今までの霊界研究の内容が正しかったことが解って、安心しました。今回のことを心の糧にして、夢だけじゃなくて起きている時でも、どこまでも純粋で無邪気な幼女の心をいつも意識できるように、がんばります。

という風に、幼女の姿と心になって、いかにも幼女らしい甘え方ができるほどに幼女の心が発達してきたこと、そして、「心の状態がそのまま自分の姿になる」という霊界での性質を再確認できたこと、これらが大収穫でした。夢の中とはいえ、こんなに幼女らしい純粋で無邪気な心になれたことは初めてかもしれません。起きている時にも幼女の心をいつも意識できるように、この夢での心を生かしていきます。どこまでも純粋で無邪気な幼女の心に着実に近づいてきているようで何よりです。

また最近では、起きている時でも幼女の心になる訓練をしているんですけど、だんだん成果が出てきて、心の状態を普段の大人の心から幼女の心へとスイッチさせるコツが掴めてきました。その結果、こういう夢を見ました。

2012/10/24

夢では最初のうちは男のままだったんですけど、「よし、幼女の心になってみよう」と思ったら、途端に私は5〜6歳のおかっぱ頭の幼女の姿になって、身なりも水色のスモックと黄色い帽子の女子園児姿になりました。私は幼女のカン高い声で「すごーい! 思った途端になったー!」とはしゃいで周りの人たちにそのことを伝えました。次に、「透明人間になってみよう」と思っただけで体が透けて服だけが見えていました。

    幼女の姿といい透明人間といい、本当に、心の状態がそのまま自分の姿になって現れるという霊界の性質を実感できて、すっごく嬉しかったです。特に幼女の心になるように意識した時、次の瞬間には幼女の姿になっていたんですから驚きました。やっぱり今までの研究は正しかったんだと解って安心しました。これからも絶対に幼女の心を忘れないで生きていきます。

 

日々の言動について、それぞれ霊界側からはいい評価も悪い評価も付いていることでしょう。それが夢の内容に出てきたり日々の出来事になって出てきたりするので、それを参考にして言動や考え方を正していけばいいんだと思うんです。常に「この夢の内容はどういうメッセージだろうか? この出来事の意味は?」とアンテナを張り巡らせていたいですね。

また、上の夢日記にも書いているように、最近では、睡眠中はもちろんのこと、起きている時でも幼女の心になる術を会得しつつあります。う〜ん、我ながら今後が楽しみ。ええ、絶対に幼女の心を忘れないで、いえそれどころか今後はもっと強く意識していきます。

 

ここで言いたいのは、私が「心の面で」憧れているのは山内菜々さんや「四ツ葉のクローバーの声が聞こえる少女!?」の女の子で、「心にも姿にも」憧れているのが「ウルトラゾーン・チャンネル/ケムール人走る」などに出演していた6歳当時の藤井杏奈さんなんですよ。これはハッキリ区別しておいたほうがいいと思ったので書いておきます。

あ、もちろん、彼女だけでなく、このサイトに書いている女の子たちには、私はお会いしたことはありませんし、お会いしたいとも思いませんし、親御さんにお会いしたこともありません。メールや手紙や電話などの連絡をしたことも一切ありません。もちろんメールアドレスや住所や電話番号なども一切知りません。要するに、ただテレビとか動画を見て、私が一人で勝手に彼女たちの人間性・霊性を分析しているだけのことですので、誤解のなきように。

 

ちょっと、重要な話を。

最近気づいたことなんですけど、昔の汚れた心が浄化されてきて、「幼女の心」という純粋なものへの憧れの気持ちがどんどん強くなっていくにつれて、本当の自分は、前世の女性としての人生の幼女時代の心なのではないか、と気づきました。

どういうことかというと、最近、起きている時でも幼女の心モードになるコツを掴んだことは前にもお話した通りですよね。で、私生活や仕事をしながら、目は開いていて体も動いているんだけど精神は瞑想に近い状態で「幼女の心モードになりながら」自分自身の心を見つめている時が多かったんです。そして、そういう幼い女の子の心になっている自分のことが本当に芯から幸せに感じたんですよ。言葉で理解しただけというレベルではなく、本当に心から「ああ、すっごく幸せ〜…」と、限りなく直感に近いカンジで、心で理解したんです。

その幸せを噛み締めながら、これも頭で理解したのではなく心で理解したんですけど、私の前世はたぶん女性だということ。前世が女性じゃなかったとしても、その一つ前の前世では女性だった可能性が極めて大きいということ。まぁ、いつの人生かはどうでもいいんですけど、肝心なのは、「女性だった人生の幼女時代の心」が本当の自分の心なのではないか、と気づいたんですよ。これも、限りなく直感に近いカンジで、心で理解したのでした。

だって、幼女の心モードになっている時は、本当に幸せだし、妙に落ち着くし、芯からホッとするし、すっごく穏やかな気持ちになるし、自分本来の感覚にしっくりくるんですもん。

元々私は女性霊ですから、女性霊が霊本来の心である「純粋さと無邪気さが溢れる、幼な子のような心」に戻れば、それはすなわち「幼女の心」に戻ることを意味します。それが私の霊としての本当の自分の心だということです。

ですので先述のように、「女性だった人生の幼女時代の心」が本当の自分の心なのだろうと確信したのでした。

その、本当の自分の心に気づいた時の喜びと感動と幸福感は、何物にも代えられない、永遠に抱いていたい大切な宝物だと思いました。気づきを与えてくださった神様には更に感謝するばかりです。そういう意味で今の私は幸せです。自分が幸せな気持ちになると、自然と「誰かを幸せにしてあげたい」という気持ちになるものです。これは人間の本来の心である「霊の心(良心と善意のカタマリ)」の発現でもあります。あとは心の管理を今後もがんばりながら生きていくだけです。

え? 幼女の心って具体的にどういう感覚か、ですって? そうですねー、あくまでも私の場合に限ってですけど、幼女の心「めあ」バージョンは、普通に表現すると、「どこまでも優しくて純粋で無邪気で可愛らしい、幼い女の子の心」なんですけど、もっとフランクに言うと、

「愛に溢れていて、天然ボケが入っていて、あまりにも天真爛漫すぎるが故に、一つ間違うとアホっぽく見えてしまいそうな、幼い女の子の心」

ってとこですね。天然ボケについては、よく人から「天然ボケが入ってる」と言われるので、そうなんでしょう。自覚は無いんですけどね。あ、だから天然ボケなのか(笑)。天真爛漫を通り越してアホっぽく見えてしまいそうなのは、ギリギリのところでセーフってカンジです。ギリギリ、我を忘れない程度の天真爛漫さということで。

現段階では、起きている時に幼女の心になることは、まだ短時間しかできません。毎日数分間、調子のいい時は30分間くらい幼女の心になれるんですけど、すぐにいつもの大人の心に戻ってしまいます。いつかは、毎日長時間幼女の心になれるように、がんばりたいです。

また、「幼女化願望についての独り言」から抜粋しますけど、

2013/04/20

もっと純粋で無邪気な幼女の心に近づけるように、日ごろから心の管理・心の修行をがんばります! その方法の一つとして、「純粋で無邪気な幼女の心になりたい!」という真剣な気持ちで動画を見て感情移入しながら、セリフを一緒に喋ること、そして家事の最中や仕事中でも彼女たちのセリフを喋って(もうほとんどセリフは暗記しているので)、自分自身が本当に幼女になったつもりで、ひたすら「幼女になりきる」ことです。そうすれば何かのはずみでフッと数分間だけ「本当に幼女のような心になる」ことが多いんです。その時の気分といったら、もう筆舌に尽くしがたいほどの心の喜びで、幸せいっぱいの気持ちになります。肉体的な快楽なんて足元にも及びません。

こんな気持ちで、「純粋で無邪気な心」に憧れながら動画を見ている人は、たぶん私くらいなもんでしょう。要するに、完全に女性の視点になって見ているってワケなんです。

幼女になりきる感覚は、役者さんが役になりきる感覚と似ているかもしれません(なりきるのが大事だということはネット友人に教えてもらいました。この場を借りてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました!)。ただ一つ違うのは、「大人が幼な子の心になりきるのは、かなり難しい」という点です。難しいけど、でも不可能ではない。実際に私は毎日数分間だけとはいえ幼女の心になることができています。

ここで、イエスの言葉。
はっきり言っておく。心を入れ替えて幼な子のような純粋な心にならなければ、決して天国に入ることはできない。どこまでも謙虚な気持ちになって、なおかつ幼な子のような純粋な心になる人こそ、天国で光り輝く存在になれるのだ
幼女の心を目指している身としては、骨身に染みます。天国に行けなくても、光り輝く存在になれなくてもいいから、いえ、そうなれるに越したことは無いけど、そんなに簡単に上の世界に行けるとは思えないから、差し当たっては、私は純粋で無邪気な幼女の心になりたいです。それだけが望みです。幼女の心になれるように一生懸命努力すれば、イヤでもだんだんと自然に霊性が上がってきて上の世界に近づいていくから、霊的に結果オーライなのです。

そうなんです。イエスが言っているように、大人が幼な子の心になることは、本気で一生懸命がんばれば、できるんですよ。最近それを実感しまくっています。「幼女の心になるなんて、最初のうちは絶対にムリだと思っていたのに、最近は少しずつだけど、だんだんできるようになってきてる。嬉しい!」という気持ちでいっぱいです。

あとはただ、神様と守護霊さんを信じて心の全てを委ねて、幼女の心を目指して、心の修行の道を突き進むだけです。もちろん、大人としての愛と英知は携えたままで。

というのが、現時点での心境です。修行まっしぐら〜! ってとこですね。

 

最近の私のモットーは、「清く、純粋に、無邪気に、お茶目に、かわいく」です。「清く」は欲望や煩悩や悪感情を抱かないという意味で、「純粋に、無邪気に」は幼な子のような心という意味で、「お茶目に、かわいく」は女の子の心という意味です。要するに、「汚れのない幼女の心」というワケです。そういう心になりたいと願いながら暮らしています。

多くの人々は強い存在になることに憧れるんでしょうけど、私が霊界でなりたいのは、「幼女という、最も弱い存在」なんですよね。私は、あえてそういう存在になりたいです。姿は最も弱い存在でも、心は幼女の心に加えて愛と英知に溢れている、そんな幼女になりたいです。姿は弱い存在でも心が強ければ(要するに愛と英知が深ければ)、幼女だからといって守ってもらうのではなく、逆に誰かを守ってあげられるのですから。

 

そして2013/05/25(土曜日の朝)は、起きている時に幼女の心になった連続時間の自己ベストを更新しました。「幼女化願望についての独り言」から抜粋すると、

2013/05/25 (起きている時に幼女の心になった連続時間の自己ベスト更新4回目)

最近は、毎日数分間だけとはいえ、起きている時に幼女の心になれるようになりました。でも今日の体験は今までで一番長かったです。連続45分間くらい幼女の心になれました。連続記録は今までは長くても30分間くらいだったので、自己ベスト更新です。

今日は土曜日で仕事は休みなので、ショッピングセンターにまとめ買いに行った時、歩いていたら、心の奥底からジワジワと湧き出てくるものがあって、「これは…あ、いつもの心! きたきた! 今日もきた!」となって、たちまち私の心は幼女の心でいっぱいになりました。

「ああ…今日はなんだかすごい。私今、ものすっごく純粋で、ものすっごく無邪気な幼い女の子の心になれてる。ああ、思いっきりかわいいお洋服を着てオシャレしたい! 遊びたい! 踊りたい! はしゃぎ回りたい! カン高い声でキャ〜〜〜ッて叫びたい! もう、すっごく幸せ〜〜〜!!」

っていう風に感激しまくりでした。しかも買い物をしている間中、そして帰りの道中もその心の状態がずーーーっと続いていたので、連続約45分間、この世のパラダイスでした。あまりに嬉しすぎたのでガマンできなくなって、家に帰ってから自室に入ってすぐに、両腕と両脚を振り回していろんなポーズをとったり、意味も無いのに踊ったりしました。私がやっていたことは幼女が嬉しい時にやる仕草そのものでした。完全に幼女の心になりきっていたんです

そして、前半はただ「幼い女の子の心」だったのが、後半では「誰かを幸せにしてあげたい」という愛の気持ちが泉のように湧き出てきて、良心と善意のカタマリのような気持ちも加わって、

「こ、この気持ちは…! うわ、一年前くらいに体験したっきりの、幼女の心+霊の心! 今、とびっきり純粋で無邪気で、それでいて大人としての愛の心も溢れている、幼い女の子の心だわ。私が最終目標にしている理想的な幼女の心じゃん! 4回目ついに体験できた。マジすっごい…なんという幸せな感覚…。シルバーバーチの言う『天国はその人の心の中にある』って、こういうカンジなんだろうなぁ」

となりました。で、今やっと大人の心モードに帰ってきた(笑)ところです。

今回の体験で解ったのは、「理想的な幼女の心になりたければ、とにかく先ず何は無くとも、心の底から無邪気になればいい。そうすれば自動的に幼い女の子の心になれるし、愛の心も発動される」ということです。これ、あくまでも私の場合に限ってです。人によっては方法が全然違うこともあると思います。

そうです。心の底から無邪気になれば

「愛に溢れていて、天然ボケが入っていて、あまりにも天真爛漫すぎるが故に、一つ間違うとアホっぽく見えてしまいそうな、幼い女の子の心」

になれるんです。言い換えれば、それを意識しさえすれば、幼女の心になりたい時には幼女の心に、大人の心に戻りたい時はすぐに戻れることを知りました。今日の約45分間の感触では、今後がんばればそれらの心のモードをコントロールできそうな気が確かにしたんですよ。

というワケで今、「起きている時に更に完璧な幼女の心(幼女の心+霊の心)になれるコツ」を掴みかけています。「心の底から無邪気になるコツ」も掴みかけています。今まで毎日コツコツがんばってきたご褒美かも。神様、ありがとうございます! もう神様大感謝祭です。

幼女の心を目指そうと本気で思い立ってから、まだ一年ちょっとなのに、ここまでこれました。あとはこのモチベーションとクオリティを維持するために、心の管理をがんばるだけです。えいえいおー!

その後、調子のいい時には以下のようなカンジで、起きている時に幼女の心になれています。今度は夢日記から抜粋。

2013/06/13

夢では私は、何歳かは解らないけど幼女の心と姿になっていて、髪の毛をおかっぱ頭にして白いサマードレスを着ていました。私は何かの演劇に出ていて、相手役はとってもハンサムな男性でした。私と彼は山道をくぐり抜けて、白い建物のある広場に出ました。その時の私と男性の、お芝居上の会話です。

男性「あの白い建物、消しゴムで消したみたいに色あせて見えるよ。対してこの先の山道はシンナーでこすったように綺麗な色をしている。めあちゃんにこの違いが解るかな?」

私「ううん、全然わかんない」

男性「それが解るようになれば、君の天然ボケもだいぶよくなるんだけどなぁ」

私「ねーねー、これは台本には無かったセリフなんだけど、これ言ったらこの仕事クビになっちゃうかもしれないけど、素敵なあなただから言っちゃうね(←ここでかなり照れてました)。私がなんでこのお芝居にスカウトされたか解る?」

男性「いや、解らないなぁ」

私「とにかく天然ボケが入ってて、トロくさいからなんだってさ。あははは」

男性「監督も、ずいぶんこの芝居にピッタリな人材をスカウトしたもんだね」

    久しぶりの夢でしたけど、夢でも幼女の心になっていて、しかもハンサムで素敵な男性に照れながら話していたなんて、なんとまぁ幼女らしいことで。天然ボケが入っててトロくさいのは元々なんですけど、そんな自分を夢の中でも気に入ってるようでした。

    この夢を見る前日、仕事中にいつものように幼女の心モードになれて、しかもかなり無邪気な心にもなれて、しかもその状態が30分くらい続いて幸せいっぱいの気持ちになれたので、起きている時の幼女の心が夢にも現れたんでしょう。幼女の心になっていたから例によって姿も幼女の姿になれていたことだし、とにかく、いろんな意味で幸せな夢でした。

    今回のように、起きている時だけでなく夢の中でも幼女の心になっていても、心のバランスのことは気にしないようにしようと思います。大人としての愛と英知の心は特に意識しなくても持っているのかもしれませんから。

という風に、以前の45分間にはかなわないものの、最近では、起きている時に30分間くらい連続で幼女の心になることが日常化しつつあります。もう、すっごく無邪気な気持ちになって、本物の幼女のように「んふふふ、きゃはは」と笑ったり腕を振り回したり奇声を発したり、それらがもう自然にというか無意識にできていました。やっぱり今回も完全に幼女になりきっていたんですよ。これ以上はないというくらい楽しくて幸せな時間でした。

改めて今回の体験から解ったのは、「心の底から無邪気になれれば、自動的に幼女の心になれるし、一時的にとはいえ全ての悪感情を完全に消せるし、愛の心でいっぱいになる」ということです。これって私的にも霊的にも理想的です。あとはただ、「いつでも心の底から無邪気になれるように、がんばる」ことだけですね。一生というか永遠の目標です。幼女の心になることに関しては、修行が全く苦にならず、むしろ楽しくてたまらないので、生きている間はもちろんのこと、死後もずーっと永遠に修行を続けていきたいです。幼女の心になるために修行をすることは、私の生きがいです。生きがいが永遠にあるって幸せ!

今まで書いてきた、初代「ホットマン」に出演していた6歳当時の山内菜々さん、「四ツ葉のクローバーの声が聞こえる少女!?」の6歳幼女、「ウルトラゾーン・チャンネル」に出演していた6歳当時の藤井杏奈さん、子供服ネットショップ「子供時代」のこの広告この広告のモデルになっている6歳幼女など、どなたも6歳から6歳の幼女ですけど、彼女たちのように、「どこまでも優しくて純粋で、心の底から無邪気で、『これぞ6歳幼女!』と言えるような可愛らしい心」になりたいです。心の状態がそうなれば姿にも反映されて、姿も優しくて無邪気な雰囲気が溢れる可愛らしい幼女の姿になりますからね。それに、何も6歳だけにこだわる必要は無くて、6歳でも6歳でもいいから、とにかくちっちゃな女の子(要するに6歳以下の女の子)の心と姿になれれば、それで満足なんです。それが私の幼女化願望の全てです。何せ最近では「6歳だけじゃなくて、6歳幼女の心と姿にも憧れるなぁ」と思っていますし、「ガンコに固く考えないで、キッチリした年齢に固執しないでいこう」と思うようになりましたから。心に柔軟性が出てきたのかもしれません。

とにかく、「どこまでも優しく純粋に、心の底から無邪気に、『これぞ6歳幼女!』と言えるような可愛らしい心になりたい」。この言葉を永遠に忘れずに生きていきたいです。

特に怖いのは、

生きているうちにあまりにも醜い心を育ててしまうと、霊界に行ってからの姿が悲惨極まる、怪物のようなグロテスクな姿になってしまう

ということです。自分の心と、霊界に行ってからの姿を醜くしないためにも、何をされても決して恨んだり憎んだりしないで、ちょっと悲しんでから許してあげることが、とっても大事なのかもしれません。

そういう、攻撃を受けて精神的ダメージを食らって、つい怒りや憎しみなどの悪感情を抱いてしまいそうになった時、真っ先に自分に言い聞かせる言葉が

「こんな時にこそ幼女の心になるのだ。幼女の心を思い出せ。どこまでも優しくて純粋で、心の底から無邪気で、『これぞ6歳幼女!』といえるような可愛らしい心だ。そういう心になれ」

です。幼女の心になれば、どんな悪感情も吹っ飛んじゃって、明るく優しい愛の気持ちでいっぱいになれるもんだから、もう幼女の心は最強です。どんな逆境に立たされても、この心をいつも忘れたくはないですね。愛は、恨みや憎しみなんかよりも遥かに強大な、神様の心の一部だからです。愛は何よりも強いのです。

で、毎日約30分間だけとはいえ実際に幼女の心になった時に、その日一日分の精神的ダメージを、お祈りで緩和しようという時の私の口調は、

「神様、あのね、めあちゃんね、今日はあんなにツラくてヒドい目にあったの。すっごく傷ついてて悲しいの。でもね(ここで首をかしげる)、相手を恨んだり憎んだりはしてないんだよ。だって、めあちゃんは、めあちゃんだもん。優しい心でいたいの。人を恨んだり憎んだりなんて、したくないの。人を傷つけたくないの。悪感情で自分の心を汚したくないの。だから相手を許してあげるの。神様、めあちゃん間違ってないよね。神様、あなたを心の底から信じています」

というカンジです。もちろん声もカン高い声にしています。男の声帯ゆえに昔はカン高い声は出なかったんですけど、練習していたら出るようになりました。自分でも「これが成人男性の声?」って疑っちゃうほどです。そうやって、幼女の心になって優しい愛の気持ちで心をいっぱいに満たして、そこで初めて相手を心の底から許してあげることができる、というワケです。幼女の心になっている時は涙声でお祈りする時も多いですけど、祈っているうちに気持ちが晴れてきますので、この方法はかなりいいと思います。やっぱり幼女の心は最強ですわ。

幼女の心になった時の口調は、大人の心モードで読むと赤面ものですけど、幼女の心モードになっている間は本当に真剣そのものなんですよ。

あ、もちろん、普段のお祈りの時はこんな口調でも声でもなくて(笑)、普通に大人の口調と声で敬語のみを使います。「傷ついた心を自分で癒すためのお祈り」の時だけ、幼女の心になってお祈りをするのです。

 

そして日々の生活では、自意識過剰と被害妄想を治していくように努力します。そうすれば、萎縮していた魂が開放されるのですから、心が今よりもずーーーっと軽くなって、行動力が更に増して、霊的にも成長できそうだし、幼女の心の修行にもかなりいい影響を与えるハズだからです。特に、「幼女の心の修行のために大きなプラスになって、今よりももっと幼女の心を発達させることができるのなら、もう、めあちゃん頑張っちゃう!」と、強い決意ができましたもん。

で、これはどうしても避けられないことですけど、自意識過剰と被害妄想を頑張って治していく途中で、いつものごとく攻撃を受けて精神が傷ついた時には、そんな時にこそ上のように幼女の心になってお祈りをして、自分で自分の心の傷を癒せばいいんですもんね。これで、今後の人生の精神的な羅針盤ができたので一安心です。物質的な羅針盤は全くできていませんけどね(笑)。ま、それはいっか。

 

最近ほんとに実感するんですけど、物質的に豊かになれば、世間からは幸せそうに見えるかもしれません。でも、心が豊かになれば、その喜びは物質的な喜びなど足元にも及びません。物質面よりも、心が満たされるほうが何百倍も幸せなんですよね。幼女の心になる回数が増えてきている最近では、その「心の幸せ」を実感することができるようになりました。私も少しは進歩したんでしょうけど、でもこの程度では決して満足しません。更なる完全な幼女化願望の達成に向けて爆進していきます。

 

そしてまた更に最近では、↓こういう風に願望の方向が定まってきました。夢日記からコピペします。

2013/10/24

夢では私は、セミロングの女子高生くらいの心と姿になっていて、どんな服装だったかは覚えていないんですけど、蒸気機関車に轢かれて全身血だらけになり、息も絶え絶えでうめいていました。即死ではなかったようでした。そして周りの男性たちが「おい大丈夫か! しっかりしろ!」と私に声をかけてくれていました。その後私は出血多量で夢の中で死んだようでした。

    夢の中の自分の精神状態を思い出してみても、自殺したいという気持ちを全く感じていなかったので、飛び込み自殺ではなくて単なる事故だったようです。でも蒸気機関車ってずいぶん古いなぁ。まさか前世はそういう事故で死んだとか…? 解りませんけど、自分が死ぬ夢は縁起がいいって昔から言われていますよね。検索してみると、「自分が死ぬ夢は、新しい自分になれるチャンスのしるし」という説もあるようで、事の真偽はともかく、新しい自分かぁ…。

    実は、というか「幼女化願望についての独り言」にも以前チラッと書きましたけど、更に追加説明すると、

    霊界で、大人としての愛と英知をたずさえた(←ここ大事)、可愛らしい6歳幼女の心と姿になって、精神的に参っている人や困っている人たちの心を癒やしてあげたい・励ましてあげたい・救ってあげたい

    という気持ちが最近だんだん強くなってきています。大人としての愛と英知=大人の良い部分の心を持っていれば、それだけ知恵や忍耐力や勇気などの精神力が強いということですから、精神力だけがモノをいう霊界では、つまらない腕力なんかじゃなく精神力だけで誰かを守ってあげることができます。これはまず100%間違いないでしょう。同時に多大な愛を持っていれば、それだけで霊界では「本当の意味の強者」になれます。

    「しかし、心はそれでいいとしても、なぜそれならば、たくましい姿じゃなくて、見かけは最弱の幼女の姿なのか?」と思うでしょうけど、やっぱり、ちっちゃい女の子の姿で愛の表現をしたほうが、相手もより癒やされると思うからです。大人としての強い精神力を持った幼女なんて、最強じゃないですか。そういう私の心と姿に癒されてほしいんです。「ウルトラゾーンチャンネル ケムール人走る」で少女(6歳当時の藤井杏奈さん)が盾になってケムール人を守るシーンの影響も無意識に受けているのかもしれませんけど、要するに自分の願望も入っているということで。幼女になった時の、守ってあげる人に向けたセリフは、

    心配しないで。大丈夫だよ。めあちゃんがついてるからね。安心して

    です。まさに「こういう心で、老若男女問わずいろんな人を守ってあげたい」と思っています。

    私の幼女化願望も、最初のうちは、ただ可愛らしい幼女の姿になりたいだけだったのが、心まで幼女になりたい、となって、そして今では「大人としての愛と英知をたずさえた幼女の心と姿で、誰かの役に立ちたい」という、利他的な気持ちが自然に、本当に自然に湧いてきています。自分で自分の心境の変化に驚いているところでもあります。

    こうやって少しずつ少しずつ時間をかけて、自分的にも他人的にも理想的な心に向かって進んでいくのかな、と思いました。差し当たっては、日々の出来事による感情のコントロールをもうちょっとうまくできるように頑張りたいです。努力あるのみ。

    今回はずいぶん思慮深い夢になりました。これ大事なことだから、気持ちの整理という意味で、「幼女化願望のためのお祈り」のページにもコピペして載せようかなと思います。

載せました。今まさに、こういう気持ちなんです。「普段は幼女らしく無邪気に振舞っているけれど、常に大人としての愛と英知(強い精神)を持っていて、ここぞという時にはその強い精神力を発揮して、霊界の困っている人たち、特に霊界の最下層部(俗に言う地獄界)で苦しんでいる人たちの救済を仕事としている。救済の余地がある人なら誰でも助けてあげる。そういう人たちを、悪感情がうずまく地獄界の奈落の底へと誘い込む悪霊から守ってあげる」と、そういう存在になりたいと思っています。

見かけは最弱の存在に見える幼女でも、実は「精神力による攻撃力や防御力」は成人男性も顔負けという、そういう存在になりたいなと思います。幼女という最弱の姿で相手を油断させて、そのスキを突いて愛の光で悪霊の目を眩ませてひるませて、救済すべき人を守ってあげたりしたいです。そのためには、まず私自身がもっと精神的に強くなって、もっと愛の心を育てなきゃ、ですね。でなければそういう仕事は務まりませんから。

 

でもいくら昔のこととはいえ、今となっては「あれは恥そのものだった」と思っているとはいえ、「男の醜い部分の心」も自分自身の心だったことは事実ですし、霊界での仕事の出張先(?)である地獄界の人たちは、性別を問わずそういう醜くてネガティブな心の持ち主ばっかりでしょうから、その人たちの心を心底理解してあげるためにも、今回の人生で「醜い心」を体験したことは必要なことだったのかもしれないな、と思います。だって、救ってあげようとする地獄界の人に対して

 

 

と言ってあげられるんですもの。本当の意味での理解者になってあげられるんですもの。だから、今回の人生の「男の醜い部分の心」を経験したことは、そういう意味でもずいぶん勉強になりました。昔のこととはいえ、必要なことだったんでしょう。これも修行の一環でしょうね。

うーん、自分のことしか考えていなかった大昔と比べたら少しは進歩したのかなー。これからもがんばろう。

 

(2014/01/14追記)

最近、起きている時に幼女の心になることが増えていますけど、今回は今までの自己ベストを大幅に更新しました! ご存じない人もいらっしゃるかもしれませんけど、私は深夜の運転手の仕事をしていて、車内で一人っきりでいることが多く、また信号などで停車しても周りには人も殆ど居ないので、そのおかげで運転中に声を出して、いつも見て完全に記憶している「動画の幼女のセリフや口調や仕草」などをマネて感情移入して、あと、「めあちゃん名ゼリフ集」にあるようにオリジナルのセリフも喋ったりして、そうやって心行くまで幼女の心になるための訓練ができるんです。それがここ二年間の日課になっています。

それで今日、というか昨夜から今朝にかけての仕事の運転中にも訓練をやっていたんですけど、今回は特に「根っからの幼女の心」という精神状態にまでなることができました。もう、すっごく無邪気な小さい女の子の心になって、「あぁ、ピョンピョン飛び跳ねて、思いっきりキャーキャーはしゃぎ回りたい! カン高い声でキャーーーッって叫びたい! 走り回って誰かに抱きつきたい! 両手を高々と上げて喜びの踊りを踊って、はっちゃけジャンプしたい!」という気持ちになれました。しかもその「根っからの幼女の心」になっている持続時間が、今まではどんなにがんばっても最長で45分間くらいまでだったのが、なんと今回は二時間近く、その状態が続いていたんです! 今までの自己ベストを大幅に更新したんです! これには自分でもビックリです。もう二時間近く心が天国状態で、すっごく幸せな気持ちでした。

もちろん、今生の男の姿でしかも車の中でそんな言動をしたら周りの運転手さんたちからは気が狂ったとしか思われないし(笑)、第一運転中だからできないし(笑)、それに私自身も男の姿でそんな言動なんて恥ずかしくてイヤなのでできません。いや、自室の中で一人っきりの時なら声を出さずにはしゃいでますけど、家族に奇声を聞かれたら気が狂ったと思われるし、ウチは住宅密集地なので近所に奇声が聞こえたら近所からも気が狂ったと思われるので、声までは出せないんですよ。そういうワケで、心はもう完全に幼女の心になっているんだけど姿にチョ〜抵抗がありまくりなので、晴れて声を出して心の底からキャーキャーはしゃぎ回るのは霊界で幼女の姿になってからのお楽しみにします

いや〜〜〜、でもすっごく貴重な体験をしました。元々幼女の心の素質を持っているのかもしれないけど、日々の訓練の賜物もかなりあると思います。今後もがんばろーう!

 

(2015/08/20追記)

思うんですけど、前世がない(初めて作られた魂で地上への誕生が今回が最初の)人は別としても、大抵の人には前世があり、少なくとも私の場合は何代前かはわからないけど女性だった前世もあるわけで、当然その人生での幼女時代を過ごした経験があるわけです。

そうなんです。前世とはいえ、私にだって、幼女やらせていただいてた頃があったんですよ。純粋無垢な心の、美しく輝かしい時代があったんですよ。

そういう、前世を含めた極めて広い霊的な意味では、私も「元幼女」なんですよ。すると、なんてったって元幼女ですから、既に幼女の心の素質を持っていても全然不思議じゃないし、むしろ持っていて当たり前なんですよ。何十年前か何百年前かはわからないけど、確実に本物のリアル幼女時代を生きた経験がある、そう思うと無性に嬉しくなっちゃいます。

「私は元幼女なんだ。だから幼女の心になる素質が充分あるし、幼女だった頃の心を思い出せばいいだけの話なんだ。単純で簡単なことなんだ」って。

頭のネジが数本ぶっ飛んでますでしょうか?(笑) でもけっこう本気で思ってます。

例えばプリパラおじさんなども、おそらく前世では女性で、その女性としての人生で幼女時代を過ごしたわけで、その時の幼女の心が今世で現れてプリパラにハマってる、と思えばいいんじゃないでしょうか。可能性としてはすっごく高いですよね。その意味でプリパラおじさんも元幼女なんだと思います。ええ、私ゃ彼らのことを肯定していますよ。気持ち悪いとか変とか全然思っていませんし、同じ「元幼女」として、むしろ親近感さえ感じます。「お前みたいな変人と一緒にするな」って怒られそうですけど(笑)

 

霊界に行ってからどうするか、今のうちに考えておこうと思います。あくまでも予定ですから、実際に霊界に行ってみてからどういう経路をたどるかは解りませんけど…。

死んで、肉体が消える。

 ↓

中間境に行く。

霊界の性質上、黙っていても、「幼女になりたい」という願望が周りの人たちに知られてしまう。そのために周りから変人と呼ばれ、普通の人たちから嫌われ、相当バカにされる。でも耐えて無視して、精神統一の修行を続ける。

前世のフラッシュバックを見ているうちに、ダブルが自然と脱げる。

 ↓

夢幻界に上がる。

夢幻界では、容姿の整形は細かい部分しかできないかもしれない。いきなり本物の幼女の姿になるのは無理かも。仕方が無いので、

今のところ、この順番が最もやりやすい順番ですし、自然な方法だと思います。全くの別人の姿をイメージするよりは、自分の体をベースにするわけですから、「あくまでも自分の体だ」という観念ができるので。それに、本物の幼女にはかなわないけど、この方法でやれば、だいぶ可愛い幼女の姿に近づくでしょう。

夢幻界では老衰がなくて、大半の人々は青春時代の容姿になって若返るそうですけど、それならもっと若返って自分の幼少時代の姿にも戻れるハズです。また、生前に憧れていた顔かたちやプロポーションがあれば、それが実現するそうですから、私だったら6歳の頃の自分の姿に戻って、身長を98cmにして、顔かたちを思いっきり幼女っぽくして、足の長さなどを含むプロポーションも自分好みの幼女仕様にして、少しでもかわいい幼女の姿に近づきたいです。

ですので、もし整形が比較的簡単にできるのであれば、最初のほうでやっておきたいです。つまり理想の順番は、

という順番にやっていくのが一番いいと思っています。これだと「男の子の不自然な女装」という雰囲気は出ませんから。キーポイントは、最初の段階でどこまで整形できるか、ですね。

6歳の頃の自分の姿になって身長を98cmにすることを、略して子供化。可能な範囲で顔かたちとプロポーションを幼女仕様に整形することを、略して幼女化整形。髪型をおかっぱ頭などの幼女仕様にすることを、略しておかっぱ。スカートやワンピースなどの幼女用の洋服を着ることを、略して女装

この四つの略語「子供化、幼女化整形、おかっぱ、女装」を大切な言葉として、いつどんな時でも忘れないように、私は常に頭の中で繰り返しつぶやいています。

 

周りからの叩きは相変わらず無視して、精神統一の修行を続ける。

 ↓

エイドスに上がる。

エイドスまで行ってしまえば、もう望むものは何もない。私の最終目標。

 

これらのどの界層に住んでいても、ティンホイッスルの演奏も続けていきます。私の霊界での願望は、まず幼女化願望、そして次がティンホイッスル演奏願望ですから。この二つの願望がかなうならば、他は何も要りません。

私は自分の幼稚園時代や小学校低学年時代の思い出アルバムを見ることが多いんですけど、これは、私が幼稚園や小学校低学年だった頃の顔つきや体つきを確認するためです。当時の姿をベースにして幼女化整形なしで、髪型と女装だけでどこまでいけるかな? と思うことがよくあります。霊界に行ってうまく幼女化整形ができればいいけど、できなかった場合に備えて考えてるんですよ。うーん、どうかしら? 幼稚園時代ならなんとかなるかなぁ…。まぁそれはともかく、霊界に行ったらまずは幼女化整形をがんばってみます。

もっと理想的なことを言うと、大人の汚い邪念と男の醜い本能を消して、女性の心と無邪気な心を発達させて、幼女の心になることが、人間界においても霊界においても最重要課題だと思っています。心の状態がそのまま姿に反映される霊界ですから、幼女の心になれれば自動的に幼女の姿になれます。これが実現すれば無理して幼女化整形をする必要もなくなって、何も考えなくてもごくごく自然に幼女の姿になれるんです。それが実現できるように、人間界で生きている間だけではなく、霊界に行ってからもがんばりたいです。

 

ところで、霊界に行ってからの仕事について。

私が霊界のことで常日頃から願っていることは、幼女の心になって、かわいい幼女の姿になることですけど、霊的真理に添って「人のために尽くす」ということを考えると、霊界でかわいい幼女の姿で「人のために尽くす」ことのできる仕事は、まず思いつくのは現代版座敷わらしです。現代版座敷わらしとは私が考えた言葉で、現代風の幼女の姿かたちや髪型や身なりをして座敷わらしの仕事をすることです。元々霊的真理は、霊主肉従になること・人のために尽くすこと(利他愛の実践)・苦しみを乗り越えることなど、魂の成長を第一に考えられています。霊界で自分の幼女化願望をかなえて、その姿で魂の成長を為すには、現代版座敷わらしになって人様の家を守る。これ、利他愛の実践になって魂の成長にもつながるし、霊的真理に添っていていいんじゃないでしょうか。

他にも、霊界で幼女の姿でできる仕事の候補があります。それは、かわいい幼女の姿になって女優になって演劇に出て、霊界の人たちを楽しませてあげる、という仕事です。これも立派な「人のために尽くす」仕事ですね。幼女の姿で女優、いいですねー。山内菜々さんや小林星蘭さんや芦田愛菜さんみたいで。

でも、もし霊界に行っても私の女優としての才能が芽生えなかったらどうしようかな? とも考えています。その場合は、タレントかコメディアンになろうと思います。霊界にも娯楽として芸能界やコメディがあるそうなので、女優が無理なら、私は、かわいい幼女の姿になってタレントコメディアンになるでしょう。そして霊界の人たちを笑わせて楽しい気分にさせてあげたいです。これも立派な「人のために尽くす」仕事ですね。

その他にも、かわいい幼女の姿でできる「人のために尽くす」仕事はないだろうか? と思っているんですけど、なかなか思いつかないので、毎日やっている神様へのお祈りの時に「どうかインスピレーションを与えてください」とお願いしています。それほどまでに、私の「大きな愛をたずさえた幼女の心になって、かわいい幼女の姿になりたい。そしてその姿で人のために尽くす仕事をして、愛に生きたい!」という気持ちは、どこまでも真剣です。遊び半分な気持ちじゃないんですよ。何か「これだ!」っていうような適任の仕事ないかしら…。

インスピレーションを与えてくださるように毎日お祈りをしていたら、神様が答えてくれたのかどうかは解りませんけど、ある日こんな夢を見ました。

2012/05/12

夢では私は、6歳くらいのツインテールの幼女の姿になっていて、なぜか着物を着ていて、日本風の屋敷の廊下に立っていました。廊下にはやはり着物姿の大人たちが数人居て、彼らはフスマが閉まっているある部屋を指差しながら、私に向かって「あそこの部屋の人たちは君の存在を知らないから、いきなり入っていって着物を脱いで驚かしてやりなよ」と言ってきたので、面白そうだと思った私は言われたとおりに、その部屋のフスマをガラッと開けて、幼女特有のカン高い声で「こんにちはー! そーれっ!」と言いながら着物を脱いで全裸になりました。部屋に居たのは全員着物姿の中年の男性だったんですけど、彼らはポカーンとして言葉が出ないようでした。次の瞬間私は「あはは! じゃ、さよーなら〜」と言いながら姿を消して透明人間になりました。それを見ていた部屋の人たちは「き、消えた! なんだ今の女の子は!?」と驚いて混乱しているようで、「もしや今の女の子は座敷わらしではないか?」とも言っていました。私にイタズラを奨めた廊下に居た大人たちは一部始終を見てクスクス笑っていたんですけど、彼らは私に「これ、みんなお芝居だからね」とも言いました。一連の行動を通して私は、自分の心が幼女の心になっているような感覚を抱いていました。

    ワケの解らない内容ですけど、落ち着いて分析すると、私はもしかしたら霊界において、幼女の姿で座敷わらしの仕事をすることを奨められたのかもしれません。廊下に居た大人たちは私の仕事の説明役・指導役のような存在の霊で、普段はマジメに座敷わらしの仕事について私に教えていたんだけど、「今回は息抜きとしてちょっとイタズラをしてみないか?」と奨めてきたんじゃないかと。それで童心に帰って幼女の心になっていた私は面白そうだと思って同意したのかも。でもいくら幼女が恥じらいがないとはいえ、全裸はちょっとやりすぎだと思いましたし、そこら辺に私の恥を知らない男の心がまだ残っているのかもしれません。これではいけない! 幼女の心がもっと解るように精進しなきゃ。姿を消して透明人間になったのは、「座敷わらしは普段は人間の目には見えない」ということを象徴していたんだと思います。

    「これ、みんなお芝居だからね」という言葉の意味は、今回の出来事は、部屋に居た中年男性たちも含めた全員が、私に座敷わらしの仕事を疑似体験させてくれるという意図で、みんな解っていて協力してくれたんじゃないかと思うんですよ。中年男性たちが、姿を消した私に驚いたのもお芝居だったということで。

    今回の夢から学べることは、私が日ごろから「霊界で、6歳幼女の姿でできる仕事はないだろうか?」と、かなり真剣に考えていたので、霊界の人たちも真剣に考えてくれて、座敷わらしになって人様の家を守るという仕事を紹介してくれたんじゃないかと思います。だとしたら本当に私の霊界での仕事は座敷わらしなのかもしれません。今回協力してくれた人たち、そして神様に心から感謝したいです。

    でも欲を言うならば、着物姿じゃなくて、ピンクと赤のかわいいシャツに水玉のスカートに黒いストッキングにグレーの靴下というような、現代風の幼女の洋服のほうがよかったですけどね。髪型もツインテールじゃなくて、動画の幼女のように、前髪をギリギリまで下げた長めのおかっぱ頭のほうがよかったなぁ。名づけて現代版座敷わらし(現代風の幼女の姿かたちや髪型や身なりをして座敷わらしの仕事をすること)を希望なんですよ。まぁ、座敷わらしは普段は人間の目には見えないんですから、普段の髪型や身なりは自由に選ばせてくれるでしょう。今回の着物という身なりは、人間の前に姿を現す時にだけ着物姿になるという意味だったんだと思います。なぜかというと、人間の前に姿を現す時には、人間が座敷わらしを認識しやすいように、人間が抱いている座敷わらしのイメージを壊さないように、着物姿で現れるということですね。

    とにかく、何を差し置いても幼女の心になれていたし、6歳幼女の姿にもなれたし、声も幼女の声だったし、座敷わらしの仕事という希望も見えたし、霊界での私の未来は明るい! と思わされた、とってもいい夢でした。

という風に夢の中で、座敷わらしの仕事の予行演習というか疑似体験をさせてもらったんですよ。本当に霊界での「かわいい幼女の姿でできる、人のために尽くす仕事」を疑似体験とはいえさせてもらえたんですよね。神様からのインスピレーションなのかどうかは解りませんけど、この夢はかなり有意義でした。座敷わらしの仕事、本気で考えてみます。上の夢日記にも書いているとおり、私は現代版座敷わらし(現代風の幼女の姿かたちや髪型や身なりをして座敷わらしの仕事をすること)になりたいですね。普段の仕事中は現代風の洋服姿で、人間の前に姿を現す時にだけ着物姿になる、ということで。

で、ふと、座敷わらしの精神状態について考えてみました。一般的に知られている座敷わらしの外見的な年齢は5〜6歳らしいんですけど、本当にその年齢の精神状態の子供の霊が座敷わらしを務めているとは思えません。人様の家を悪霊とか悪因縁とか災害とかから守るんですから、いくら霊的に目覚めているとはいえ精神状態が5〜6歳の子供の霊では、まずムリだと思うんです。ですから座敷わらしは、大きな愛を持った成人女性の霊があえて幼女の姿になっている、と考えると納得がいくんですよね。そうじゃないと座敷わらしなんていう責任重大で大変な仕事は務まらないと思うんですよ。

なので、私が霊界に行ってから座敷わらしの仕事をするのなら、大人としての大きな愛を持っていなければならないし、幼女の心も持っていなければならない、ということになります。大人の心と幼女の心を兼ね備えた精神になるべきなんですよね。大人の心はいいとしても、幼女の心になることは今後の大きな課題です。「素直で純粋で優しい無邪気な」幼女の心になれるように、がんばらなきゃ。「いつか絶対に幼女の心になってやる!」という意気込みは変わらないどころか日に日に強くなる一方です。

最近の夢日記では、大人の心と幼女の心が半々くらいの精神状態なことが多いですけど、上に書いた理由で、座敷わらしの仕事をするのならばそういう精神状態でちょうどいいんじゃないかと思えてきました。大人の心だけでも務まらないし幼女の心だけでも務まらない、その両方を兼ね備えていなければならないのが、座敷わらしの仕事ですからね。その精神状態を完全にマスターすることが最重要課題で、それができたら、あとはかわいい6歳幼女の姿になって、現代版座敷わらしのドレスアップをすれば、仕事の準備オッケーですから。

というワケで、現代版座敷わらしの仕事、本気で考えています。霊性を磨く修行はもちろんのこと、きっと勉強することも相当多いでしょうけど、がんばります。

 

ところで最近は、「霊界で幼女になったら、いろんなオシャレな洋服を着てみたい」と思って、ネットで子供服のサイトなどを見ています。いや〜、最近の子供服って本当にフリフリでかわいい服があるんですね〜。例えばこのショッピングサイト、

「【楽天市場】子供時代の思いでをかわいい服で:子供時代[トップページ]」
http://www.rakuten.co.jp/kodomojidai/

ここだけでもいろいろ見て回りましたけど、カラフルで愛らしいワンピースからめっちゃ綺麗なドレスみたいな服とかもあって、「ああ、私も霊界で幼女になったら、こんなかわいい服着てみたーーーい!」と思っています。子供服ってなんだか、デザイナーの幼少時代の夢が詰まっているようなカンジがして、ほわ〜んと温かい気持ちにさせてくれます。

個人的に普段着として着てみたいのは、今の時点では、↓このワンピースです。デザインと配色がめっちゃ気に入りました。

http://item.rakuten.co.jp/kodomojidai/coop130602-03/?scid=af_pc_etc&sc2id=238884120

と言っても生きているうちに買うわけにもいかず…あくまでも死んで霊界に行ってからのオシャレの参考として見てます。この服の画像を参考にして、霊界で同じ服を形作るというワケです。楽しみだなー。

 

もう一つ、霊界で幼女になってできる仕事の候補を思いつきました。「幼女化願望のための独り言」から抜粋。

最近では毎日、起きている時に約30分間くらい幼女の心になれていることは別のページで書いたとおりなんですけど、昨夜、仕事に出かけようと思って準備していたら、近所の路上を酔っ払いの中年男性がクダまいて歩いてました。何やら「こんな世の中生きてても仕方ねえんだ〜。死んだほうがいいんだ〜」とか言ってました。会社で何かあったのか、それとも家庭でなのかは解りませんけど、ふと、「もしここが霊界で、私が幼女の心と姿になっていたとしたら、あの男性に向かってきっとこう言うだろうな」と思って、ちっちゃい女の子が一人称を使う時に自分の名前に「ちゃん」を付けるのと同じように、一人称を「めあちゃん」として、男性に話しかけてるつもりで、幼女になり切って自室で一人ごちてみました。

    「おじちゃん、どしたの? ヤケになっちゃダメだよ。めあちゃんでよかったら、いっくらでもお話相手になったげるから、めあちゃんにぜーーーんぶお話しちゃって。吐き出したいこと、たっくさんあるんでしょ? ぜーーーんぶ喋っちゃっていいよ。そしたら、おじちゃんの気持ちも少しはスッキリすると思うの。ね? おじちゃん、だからもうヤケにならないでね。お願い」

なーんて風に。…くくく、ちょっとーヤダもうー。何やってんだろ私。でもチョ〜ハマりすぎ。自分でやっといて自分でウケて、手足ぶんぶんさせて幼女のようにはしゃぎ回ってしまいましたよ。私ってば本気で幼女の心モードになると、ホントにこんなカンジの口調になるからなー。

いえ、ホントはふざけるつもりはなかったんですよ。「死んだほうがいいんだ〜」なんて言ってるものだから、できれば「最大の過ち・自殺について」のページのアドレスでも教えたかったんですよ。でも相手は酔っ払いの、しかも中年男性。「なんかの宗教の勧誘かコラ!」とか言って絡まれたら怖いじゃないですか。ただでさえ男性恐怖症だし、それに出勤間際だったし。でも、もしあの男性がパソコンかケータイを持っていたら、先のページを見てくれることを願うだけです。私にはそれしかできません。

だから仕方が無いので、「もしここが霊界で〜」という妄想話で気を紛らわしたんですわ。

でも、もし本当に死後、霊界で今回のような出来事に遭遇したら、今度こそ私は幼女の心と姿になって、あの中年男性を「おじちゃん、大丈夫だよ。めあちゃんが付いてるからね。安心して」と優しく抱きしめてあげたいです。霊界で幼女になって、霊的人生に疲れた中年男性の霊を抱きしめて励ましてあげる(もちろん変な意味ではなく)、それも立派な愛の与え方の一つですよね。そういうシチュエーションって実は密かに憧れていたりします。それが例えばピーター・フォークとかパトリック・マッグーハンとかロバート・カルプ似の優しくてシブ〜イ中年男性だったら、私はもう喜んで抱きついちゃいます(←オヤジ好き)。おっとヨダレが…いけないいけない。

ヨダレは冗談としても、実は私は、優しくてシブ〜イ中年男性が大好きなんです。昔からそうなんですよ。チョ〜有名どころでいうと、ハリソン・フォードなんかも好きですね。

そういうオヤジ好きな趣味を霊界での仕事に生かす、つまり霊界で、「幼女になって、霊的人生に疲れた中年男性の霊を抱きしめて励ましてあげる」ことを仕事にすれば、それだけで愛を与える仕事になります。もちろん中年男性に限らず、それ以外の人たちにも同じ方法で励ますことができれば理想的ですけど、みんながみんな、私を受け入れてくれるとは思えないので、とりあえず最初のターゲットは優しい中年男性に絞ることにします。そこから徐々に慣らしていって、最終的には全ての人たちに同じ方法で愛を与えることができれば理想的で嬉しいですね。


お風呂に浮かべるアヒルさん

アヒルさんの名前は、「ばぶぅ〜・べろべろべ〜」ちゃんにしました。略して「ばべ」ちゃんです。

お風呂の時は、ばべちゃんを湯船に浮かべて、一緒に洗ったりして遊んでます。ええ楽しんでますよ、家族には内緒でw 「ついに幼児退行しまくった挙句に気が狂ったか」と思われないようにwww

 

↓おまけ。笛とキーボードと、おソバにおうどんにポテチで幸せ。ばべちゃんも幸せそう。

んふふ〜。お風呂がますます楽しくなるわー。

 

ある日の、家族との会話


死んだ後や来世での性格について

ツイッターも参考までに。

めあ@人を愛する喜びを知んない@watashi_meachan 6月19日

よく「自分は誰からも愛されたことがない。寂しい」と境遇を嘆く人がいるが、
なんでそんなに寂しいの?って思う。人から愛されて悪い気はしないけど、特に嬉しいとも思わないよ。
むしろ煩わしいと思うことさえある。愛される喜びを知らないから愛する喜びも知らないんだろうな>自分

では、なぜ愛されることが煩わしいのか、ずっと考えてみたけど、納得のいくはっきりした答えは出ない。
前世でもたぶん同じだったろうから、今世では「少しでも人間を好きになれるように」
って課題をしょって生まれてきたのかもなぁ。

でもさー、なんとなく今回の人生もさー、人を愛する喜びを知らないまま終わりそうな気がする。
動物から愛される喜び、動物を愛する喜びならよーく知ってるんだけど、なぜ相手が人間になると
とたんに無関心・無感情になるんだろうか?

そんなことを思いながら暮らしていたら、ある日私生活で人間関係のトラブルにあった時、
あまりのうっとうしさに、つい「人間うぜぇ。超うぜぇ」と言葉に出してしまった。
その場の空気が凍りついたのは言うまでもない。はは・・・ははは・・・

 家族「あんた、なんでいつもそんなに無口なの?」
 私「何話したらいいか、わかんないから」
 家族「犬やネコとはよく話してるくせに」
 私「裏表無く心で話せるからね」
 家族「生きてる気がしないんじゃない?」
 私「大自然の中で笛を吹いてる時だけ、生きてるって感じる」
 家族「寂しい人生だねぇ」
 私「ちっとも寂しくありません
 家族「動物に優しい人は、人間にも優しいはずだよ? それに霊の声が聞こえるとか見える人は心が優しいっていうよ?」
 私「んなことしーらない。わたしゃ根っからの悪人ですからー」
 家族「悪人は自分のことを悪人だなんて言わないよ?」
 私「じゃぁ私は善人。わたしいいひとー」
 家族「お前マジメに会話する気ないだろ」
 私「ポニテ引っ張るのはヤメテ」

人生、「100万回生きたネコ」の前半なう。

とまぁ、今の時点では、こんな状態です。孤独を恐れる人が多い中、私にとっては孤独は、安らぎを得られて静かに暮らせるという意味で、最高のご褒美なんです。本当にニッコリ微笑んで

「ちっとも寂しくありません。それどころか、孤独なのは、むしろ嬉しいです」

って思ってる自分がいます。

めあ - 2018年1月5日

「人は皆、一人では生きていけないもの」って歌があるけど、勝手に決めてもらっちゃぁ困りますなぁ。
地上では物質的な意味では一人で生きるのは無理だけど、死後、霊界の深い森で常に一人で暮らし、誰にも愛を求めずに、逆に、誰かが寂しがっていたらひたすら慰めに行きたい、
って考えの人間だって居るんだよ?

ある人によれば、私は、
絶対的な孤独の中でも平気で、本当に独りぼっちになっても生きていけるだけの、すごく強い精神力と自立心を持っている人。他者への依存心が殆どゼロと言っていいほど、精神的に強い人
なんだそうです。ほんまかいなー、そんな精神強くないぞ。強かったら精神科になんか行ってないって。まぁ、慢性的な不眠症だから睡眠薬もらいに行ってるだけなんだけどね。

ほんとは、心が冷たいから依存心が殆ど無いんじゃないのー? 自分でもよくわかんないけどねー。

動物や植物相手だったら、いくらでも心を開けるのになー。人間にはまだどうしても心を開けないわー。ま、それはおいといて、

 

私は今世では、物心ついた時から、とにかく一人っきりでいるのが大好きな子供でした。性別問わず友達はそれなりに居たんですけど、基本的には一人っきりの時間を大事にする子供でした。

幼稚園時代は授業を抜け出して園庭の隅っこで一人で泥団子を作って遊んでましたし、小学校に上がってからも一人で本を読んだり工作をしたり漫画を描いたりしてばっかりで、夢中になって小学生のくせに徹夜したこともあります。

中学時代も同じで、高校に入ってからも、社交の輪は少し広がったものの、やっぱり一人っきりの時間を大事にしていました。

そしてその性格は社会人になった今でも続いています。

音楽のセッションとかは事情が違うので特別として、どうも、みんなとワイワイ騒ぐっていうノリが理解できないんですよね。仮にお酒が飲める体質だったとしても飲み会の雰囲気はチョ〜苦手です。隅っこで黙って「早く一人になりたい。静かな場所に行きたい」って思います。

一人っきりっでいる時間って、すごく落ち着くんですよ。黙想というか瞑想というか、それに近い状態になるのが大好きです。例えば(最近は時間が無くて行けてませんけど)山奥で一人でティンホイッスルを吹いていると、とっても心が落ち着きます。大自然と一体になったような安堵感を感じます。こういう性格だから宗次郎とか姫神とかの自然を題材にした音楽が好きなんでしょうね。

さて、こういう性格のまま寿命が来て霊界に行ったら、やっぱりそういう環境を好んで自ら住むでしょうね。そこまではいいんですけど・・・問題は来世。

来世で女の子に生まれることができたら、どういう少女時代を過ごすのかな〜と。友達をあまり作ろうとせず、いつも一人で絵を描いたり楽器をやってたりで、外にもあまり遊びに行かない子になるんじゃないかな、なんて思ってます。

 

って風に、母に背中を押されてやっと外に出るような子になったりして(笑)

来世では幼少時代からティンホイッスルを趣味にして、それとは別にピアノも習いたいので、ピアノの練習にも夢中になって普段はますます家の中で遊んでる子になったりして。

 

とかね(笑)

んで、母と一緒に縁日に行った日にゃ、

 

と母を困らせたり(笑)

上のはちょっと極端ですけど、やっぱり自然の中でティンホイッスルを吹いて小鳥たちと遊んだりするのが大好きな子供になりそう。あ、でも自然遊びならアスレチックでお友達みんなと遊ぶって手もあるな。それなら母も心配しないかも。

あと、家族でカラオケに行って

 

と、いろいろ想像してみました(笑)

 

 

で、仮に私が来年(2016年)くらいに突発的な事故とか病気で死んだとして、霊界で100年くらい休んでから、時間をさかのぼって2020年くらいに再生してきて、その頃には管理人(つまり私)が死んだからという理由で閉鎖されているであろうこのサイト「めあ20歳」をウェブ・アーカイブか何かで来世での母が知って、私に教えてきて、

 

 

とか思ったり(笑)。そらー、そう思ってもおかしくないわ。自分が作ったサイトだもん(笑)

いろいろ想像は膨らみます。


 

来世で、ある日のお買い物を想像。

 

 

ありうる。大いにありうるw 安い食物ばっかりを好む娘に対し、なんとかして贅沢をさせようと苦心する母。とかw

 

あとこれ、

めあ@幼な子のように何でも愛したい 8:52 - 2017年2月2日

来世の母「めあちゃん、何か欲しいものある?」
私「・・・ん、とね」
母「何?どれ?」
私「・・・これ・・・あと・・・これ・・・」
母「笛とピアノね。もう少し大きな声で自己主張していいのよ?」
私「・・・ん」
母「これだけでいいの?」
私「・・・ん」
母「他には?」
私「んーん」
母「無口な娘だわぁ」

 今の性格のまま死んだら、来世ほんとにリアルでこんな女の子になりそう。来世の母はきっと苦労するだろうなぁ・・・ 今の母も私の子供時代からの無口な性格に手を焼いていたらしいし。

極端なコミュ障で無口だけどオツムの中は常にめまぐるしく回っている、そんなヤツです私は。

ツイッターから。

https://twitter.com/watashi_meachan/status/842147813123211264

めあ@幼な子のように何でも愛したい - 2017年3月16日

来世の母「めあちゃん、練習中?」
私「んーん」
母「だって間違えた部分何度も練習してるじゃない」
私「これはー、お楽しみ中。練習って思いたくない」
母「できるように頑張ってるんでしょ。立派な練習だよ」
私「練習って思うと楽しくなくなるー。だからお楽しみ中なの」
母「でもそれは」
私「いいのー」

 

ティンホイッスルでプリキュアばっかり吹きたいとゴネて

母「めあちゃん、そんな我侭言っちゃダメだよ?他のも吹かなきゃ。アイリッシュとかクラシックとか、吹いてみない?」
私「いやー!プリキュアばっかり吹きたいのーお」
母「困った子ね」
私「あ、でも、もひとつ吹きたいのがあるのー」
母「何?」
私「ポプテピピック」
母「だめだこりゃ」


めあちゃん名ゼリフ集

サイトの各ページでの、「幼女の心と姿になりきっている私」の名ゼリフ(←自分で言うな)を集めてみました。なんでこんなページを作ったかというと、これらのセリフをいつもプライベートや仕事の運転中に独り言で喋って(一人っきりでいる時に限ってです)、自分のセリフに自分で感情移入しまくって、幼女の心になりきって、生きているうちに少しでも本物の幼女の心に近づけることができるように練習するためです。今までは動画の幼女のセリフのマネっこをしていただけだったんですけど、最近では、幼女である私自身のセリフとしてオリジナリティが出てきたので載せました。このページに載せているセリフは、一部、ネット友人のFさんからアドバイスをいただいたセリフもありますけど、それ以外は全部私のオリジナルです。

要するに、動画の幼女のセリフをマネているのではない、ってことを言いたいんですハイ。これからも、もっと自分自身のセリフとしてオリジナリティを出していければいいなーと思っています。

ちなみにセリフの喋りテンポは、ゆーーーっくりテンポです。例えるなら、ハードロックやジャズなどのテンポの速い音楽を篠笛音楽のゆっくりテンポで演奏するようなカンジだと思ってください。それくらい、普通の人に比べると、幼女の心になった時の私の喋りテンポは、とーってもゆっくりです

上に行くほど新しい(最近口にした)セリフです。


セリフ一覧


(次の休みは3日後という日の夕方=出勤前)

「今日はもう無いものとするでしょ〜ぉ? だからあと2日なの」


来世の母「あ、かたつむりがいるね〜」
私「きゃたちゅむりゅ〜」


(来世の母とアイスを食べながらお散歩中。漫画の中のセリフが名言)

「落っこちそうで、こ わ い・・・
 落っこちそうで、こ わ い・・・
 落っこちそうで、こ わ い・・・
 落っこちそうで、こ わ い・・・
 落っこちそうで・・・・・・落っ こ ち た〜〜〜!!」


私「でー、これがー、こうなってー、こうなりたいの」

親友のFちゃん「めあちゃん、それってモロに女の子の発想だよ」

私「そなの? 男の発想かとずっと思ってた」

Fちゃん「ううん、男じゃそういう感覚や発想はまず思いつかないよ。今更ながら、やっぱめあちゃんは女の子だわ」

(ほんとにあったFちゃんとの会話)


「落ちる! 落ちる〜!」


(スマホを持ちながら)
「ここをー、押っぺしてー、ここにー、かんましてー、ここにー、ぶっ差してー、充電しまーす」


 

(来世の母(以下母)と来世の私との会話)

 

母「めあちゃん、楽器に名前付けてるの?」

私「ん」

母「なんていう名前付けてるのかな? 教えて。
  まず、ピアノ(KORG B1)は?」

私「和音でみんなを勢揃いさせる妖精ハーモナイズ

母「おお〜、妖精かぁ〜。めあちゃんらしいね。
  じゃぁティンホイッスル(Dixon SV)は?」

私「縦向きのピッコロだから、ピコ

母「それ、縦向きじゃなくてもピコだねwww」

私「いいのー。ピコは小さい笛だから、全ての小さい生き物の味方の妖精、それがピコ」

母「そっか。うんうん、いいね〜。じゃぁ次はフルート4本いこうか。まずこの白いフルート(GUOニューボイスフルート in C Snow White)は、なんて名前?」

私「白くってね、雪の妖精っぽいから、スノーン

母「じゃぁこのキャラメル色のフルート(GUO トッコフルート・キャラメルマキアート)は?」

私「茶色っぽくてね、木みたいだから、木の妖精ウッディ

母「じゃぁこの銀メッキのフルート(YAMAHA YFL-211S2)は?」

私「銀の雨を降らせる妖精シルヴィ

母「銀だからシルヴィかぁ〜。センスいいね〜。
  じゃぁ最後、このヌーボ Student Fluteの名前は?」

私「・・・っとね・・・サボレン

母「サボテン? サボテンの妖精なの?」

私「んーん、サボレン。テじゃなくてレ」

母「どうしてその名前なのかな?」

私「わかんないんだけど、今ふっと、その名前が浮かんだの」

母「(前世で毎日仕事に持って行ってサボ練でしょっちゅう吹いてたフルートだったって、めあちゃんの守護霊さんが言ってたからなぁ。ちょっとだけ前世を思い出したのかもなぁ) で、でもさ、もうちょっと可愛らしい名前にしよっか^^;」

私「ん・・・じゃぁ・・・えっとねー、ヌーだからビルヌーブ。どんな逆境に置かれても最後まで絶対に諦めなかった大昔の偉大なF1ドライバーだって、伯父ちゃんたちからきいたことある」

母「(それも前世繋がりじゃねーか。ったくもうお兄ちゃんたちは。ほんとに思い出しちゃったらマズイじゃないの)」

私「でもさー、おかーさん、どんな逆境でも最後まで絶対に諦めないっていうのは、素晴らしいよね。きっとヌーボを吹いてる時は、どんなに難しい曲でも最後まで絶対に諦めないで練習できるような気がする」

母「そんなに自分に厳しくしなくていいのよ」

私「いいのー。楽器の練習だけは自分を甘やかしたくないから、厳しくていいのー」

母「(めあちゃん前世からすっごい頑張りやさんだったからなぁ。頑張り過ぎないように練習の合間にちょくちょくアニメ見させなきゃ) じゃぁ、この中で特に好きな楽器は何?」

私「ピコとスノーン。でもやっぱり」

母「めあちゃんらしいわぁwww」

 

−−−−−−−−−−−−−−−−

<備考:各楽器の外国語名>

ピコ:Pico(イタリア語Piccoloの略)

スノーン:Snown(アイスランド語で「雪」)

ウッディ:Woody(ディズニーのキャラ)

シルヴィ:Silvie(人名)

サボレン:Saboren(サボ練。完全に当て字w)

ハーモナイズ:Harmonize(英語で「調和」)


「みんな好き〜」


(「とう!」と言うところを)
「てぉぅ!」


「誰のマネをしたところで、やっぱりめあちゃんは、他の誰でもないめあちゃんにしかなれない。それでいいんだ(≧∇≦)b」


(来世の母と街を歩いていて)

母「あ、前のおじさまのポケットからお財布が落ち・・・」
私「(迷わず駆け寄って財布を拾い上げて)おじちゃん、はい!

おじちゃん「おお、気が付かなかったよ。ありがとう」
私「ん・・・こういう時は・・・なんていうんだっけ」
母「どういたしまして、よ、めあちゃん(^-^)b」
私「どーしまいてーm( ..)m」
周囲「あははw」


(ティンホイッスルでプリキュアばっかり吹きたいとゴネてる私に対して)

来世の母「めあちゃん、そんな我侭言っちゃダメだよ?他のも吹かなきゃ」
私「いやー!プリキュアばっかり吹きたいのーお」
母「困った子ね」
私「あ、でも、もひとつ吹きたいのがあるのー」
母「何?」
私「アイカツ」
母「だめだこりゃ」


来世の母「めあちゃん、練習中?」
私「んーん」
母「だって間違えた部分を何度も練習してるじゃない」
私「これはー、お楽しみ中。練習って思いたくない」
母「できるように頑張ってるんでしょ。立派な練習だよ」
私「練習って思うと楽しくなくなるー。だからお楽しみ中なの」
母「でもそれは」
私「いいのー」


(楽器屋さんにて)

来世の母「めあちゃん、何か欲しいものある?」
私「・・・ん、とね」
母「何?どれ?」
私「・・・これ・・・あと・・・これ・・・」
母「ティンホイッスルとピアノね。もう少し大きな声で自己主張していいのよ?」
私「・・・ん」
母「これだけでいいの?」
私「・・・ん」
母「他には?」
私「んーん」
母「(無口な娘だわぁ)もっと欲しいものがあったら言ってね。遠慮しなくていいのよ? ティンホイッスル用の可愛いソフトケースとか、ピアノにかける可愛いカバーも売ってるよ。見る?」
私「んーん、これだけあれば幸せだから、いい」
母「(物欲のない娘だわぁ)」


(死んで霊界に行ってから、霊界のみんなに自己紹介)

「めあちゃんです。3歳6ヶ月なので、数えでは5歳です。
好きな食べ物は、ん〜・・・今のところは、きつねうどんです。
最近〜、やっと地上に居た頃の食事の習慣が抜けてきて〜、何も飲食しないことに慣れてきました。でもきつねうどんだけは時々食べてます。えへへー。だぁってぇ〜美味しーーーいんだもん。
いつかは〜、全然飲食しないで暮らせるように〜、がんばります。

趣味は〜、地上では30センチくらいの長さのD管ティンホイッスルを吹いてたんですけど〜、この姿(リアル5歳幼女の姿)だと〜、ご覧のように〜手がすっごくちっちゃくて〜、指が届かないし指穴も指先で押さえられないので〜、霊界に来てから〜、D管ティンホイッスルの半分の長さ、15センチのティンホイッスルを自分で作っちゃいました。

ソプラノD管よりも更に1オクターブ分高い音が出まーす。これならこの姿でも余裕で吹けます。

(彼氏に向かって)ねえ、これさぁ、1オクターブ分高い音が出るティンホイッスルでも、やっぱしティンホイッスルっていうの? ・・・あ、そうだね。ちっちゃいだけで構造的にはティンホイッスルには変わりないもんね。やっぱりティンホイッスルでいいんだそうです。ま、いっかー。
このティンホイッスルの名前は〜、スイちゃんっていいまーす。地上で愛用してたディクソンSVと同じ形にして〜、半分の大きさに作りました。かっわいいーーーの。
ピアノも〜、この手だと普通のピアノはうまく弾けないので〜、全体がちっちゃくてキーもとっても細いミニピアノを弾いてます。地上にあるような幼児用のおもちゃのピアノじゃなくて〜、ミニサイズだけど88鍵のピアノでっす。
霊界では発想がほんとに自由なので〜、地上には無いこういう楽器も作れるから〜、嬉しいです。えっへへー。
地上でのPちゃんとも、こっちに来てからもよく一緒に遊んでまっす。

お仕事は〜、ん〜と・・・人付き合いにまだ興味が沸かないので〜、お友達とか欲しいとは思わないんですけど、人助けは好きなので〜、困ってたり悲しんでたりしてる人たちをなんとかして助けてあげたいと思ってます。それがめあちゃんのお仕事なの。

霊界では〜、自分の趣味に没頭することも精神統一の訓練になって魂の向上に役立つらしいんですけど〜、人助けの心を持つことが向上への一番の近道らしいので〜、人助けのお仕事は〜、めあちゃんに合ってるような気がします。お仕事っていうか、好きだから趣味でやってるみたいなもんだけどねー、えっへへー。

人付き合いには興味が無いけど、人助けは好き。そんなめあちゃんですけど、いろいろがんばるので、応援よろしくお願いしまっす。
ばいばーーーい」


「宗次郎の中でも一番好きな曲「ぶーちゃんの夢」じゃなかった「ブータンの夢」、たどたどしいけどキーボードでも弾けるようになったー。わーーーい!

おかーさーん、聴いて〜〜〜」


「夜遊び好きな人が「朝が来るまで君を探している〜♪」って言ってるけど、気持ちはわかるけどさ、なんで昼間探さないの? 昼間のほうが明るくて見つけやすいのにぃ〜」


(ある曲をキーボードで弾けるようになって)
「おかーさーん、弾けるようになったから聴いて〜」


(仕事帰りにコンビニで買い物しながら、心の中で)
「これ、うちのおかーさんの分〜」


(仕事中の気持ち)
「おうち帰って楽器で遊びたーい」


「走り屋さん漫画で事故った時に、『やっちまった。俺のマシン。ボコボコだ(´;ω;`)ブワァ』とか泣いてるけど、泣くくらい大切な車なら、最初から走り屋さんなんて、やらなきゃいいで、しょ〜お? 騒音出して迷惑かけるし危ないし争い合うし、魂の成長にとって、いいことない、じゃ〜ん


(全身にチカラを込めて物事をやって成し遂げた時)
「轟け! 三人のハーモニーパワー! 響き渡れー! いっけーーー! ・・・・・・と・・・ と  ど  ろ  い  た・・・ とどろいた〜。 はひー」


(雨の中での配達中に、外仕事をしている人たちを見ながら、八代亜紀の「雨の慕情」の替え歌を)
「あ〜め あ〜め や〜め や〜め♪ すぐに〜やめ〜♪ 外仕事の人 ラクになれ〜♪」


(仕事が休みの土曜の朝を待ちわびて)
「もーおーいーくつ ねーるーとー どようーのーあーさー♪
どようのあさには のうどう(農道)でー ふえをーふいてー あそびましょー♪
はーやーくーこーいーこーい どようーのーあーさー♪」

(↑実際にはそれ以外の日でも笛吹いてるけど)


「今、心の浄化中〜〜〜。しゃわしゃわしゃわ〜」


「かっこつけて『疲れきったアメリカン・ドリーマー』とか言ってるけど、要するに、おっきなお金とおっきな名誉が欲しかっただけで、しょ〜お? お金と名誉なんて霊界では通用しないんだよ。めあちゃんそーゆーの、もう興味なぁーい」


(クリスマスの日に)
「あ〜、ピザ屋さんがサンタさんのおよぷく着てバイク乗ってる〜。こっちに来て〜」


「いつも好きなことを追及していられれば、周りから見た順位がビリでも、自分の中では一等賞だ、ょ〜お?」(語尾上げ)

「めあちゃん、バカ殿になるのが好き〜ぃ。あっぱらぱーになるのが好き〜ぃ」


(霊界にて、私好みのおじさまが落とし物をしたのを見て、拾って渡してあげるところ)
「はい、おじちゃん」


(この世で最も苦手な生物にバッタリ出くわしてしまって)
「ぎゃあああああああ!! ちょっとヤメてーーー!! や だ も う!  く じ け ちゃ う!!」


(「プリキュア」と言うところを)
「ぷいきゃー」


「めあちゃん女の子なのよ光線〜〜〜」


(雨の日の配達にて)
「雨の配達は濡れるし視界が悪いしで辛いけど、お花さんたちが『雨気持ちいい』って喜んでる〜。だからいいの〜」


(大人の男性からバカにされて、心の中で)
「女子園児(←自分のこと)なめんな。この純粋な心は、汚れた大人なんかには絶対に負けないんだぞ。純粋な心こそが最強なんだぞ」


(社用車を運転しつつ、佐野元春の「Heart Beat 小さなカサノバと街のナイチンゲールのバラッド」の替え歌を歌いながら)
「タバコ臭いカサノバ〜、でも冬はあったかいカサノバ〜、夏はエアコンが効けばいいなーのカサノバ〜」


「ちっちゃい女の子の心になる時には〜、無理矢理なろうとしちゃダメなの〜。こーやって〜、しぜ〜んに〜、なるのが〜、一番いいの〜。じゃないと〜、心が〜、長持ちしな〜いの」


「みんな好き〜ぃ」


(誰かに返事する時、「うん」と言うところを、思いっきりカン高い声で)
「んっ!」


(仕事中に商品を数えながら)
「い〜ち、に〜い、さ〜ん、し〜い、ご〜お、ろ〜く、ひ〜ち、は〜ち、く〜う、じゅっ! じゅっ! じゅっ!」


(霊界の幼稚園で幼稚園バスに乗りながら、運転手さんに向かって)
「うーんてーんしゅさ〜〜〜ん、あ〜んぜ〜んう〜んて〜ん、お〜ねが〜いしま〜〜〜す!」


(配達のルート途中にある、幼稚園の園舎を見ながら)
「ああ〜〜〜、憧れの〜幼稚園〜、めあちゃんも、めあちゃんも、来世で女の子になって入りた〜〜〜い。幼稚園バスに乗って、窓から『やっほ〜』って手を振りた〜い」


(真冬の明け方の一番冷え込む時間帯に、仕事帰りにバイクで走っていて)
「寒い〜〜〜! 体が凍る〜〜〜! 身が死ぬる〜〜〜! め あ ちゃ ん  い け なぃ!!」


(配達の件数が多くて、急いでやっている時に、体はキビキビ動いてるんだけど、口にハエが止まるんじゃないかというくらいのスローテンポ口調で)
「急げ〜〜〜、急げ〜〜〜、って〜、言われて〜も〜〜〜、こ〜れ〜が〜〜〜、本〜来〜、の〜〜〜、めあちゃん〜、な〜ん〜だ〜か〜ら〜、しょうが〜〜〜、ない〜、じゃ〜〜〜ん。だって〜〜〜、だって〜〜〜、こ〜れ〜が〜、素の〜〜〜、めあちゃん〜〜〜、な〜ん〜だ〜か〜ら〜〜〜、こ〜れ〜で〜〜〜、いい〜の〜〜〜☆ んふっ」


(吉田拓郎の「今日までそして明日から」を歌いながら)
「『けれど〜♪ それにしたって〜♪ どこで〜♪ どう変わってしまうか〜♪ そうです♪ わからないまま生きてゆく〜♪ 明日からのそんな私です〜♪』・・・(ハタと考え込んで)・・・それはありえないなぁ〜。『どこで、どうかわってしまうか、わからない』なんて、いくらなんでも、めあちゃん、それはありえないなぁ〜。だって、めあちゃんは、めあちゃんだも〜ん☆」


「どんな時でも、どこに居ても、胸の奥の幼女の心があるから、心細くない、不安にならない、寂しくないの。それが、めあちゃんの心」


(吉田拓郎の「今はまだ人生を語らず」を歌いながら)
「『あの人のための〜♪ 自分などと言わず〜♪ あの人のために〜♪ 去り行くことだ〜♪』・・・(ハタと考え込んで)・・・それは出来ないなぁ〜。『あの人のために去り行く』なんて、いくらなんでも、めあちゃん、それは出来ないなぁ〜。んふっ☆ だって、あの人のための、めあちゃんだも〜ん」


(配達中に、予想通りに雨が降ってきたので、思いっきりアホっぽい幼女のゆっくり口調で)
「ほらね、やっぱり、雨降ってきた。めあちゃんの、言ったとおりで、しょぉ〜〜〜お?


(仕事の配達先で、商品を入れる箱の上にお花の植木鉢が乗せてあったので)
「お花さん、ごめんね。ちょっとどいてね。はい終わったよ〜。ありがとう〜。うふふ、今日もゴキゲンね。早く大きくなってね。じゃーねー」


(仲良しの人とふざけあいっこをしていて、相手がちょっとイヤなことをしてきたので、ニッコリ微笑みながら)
「お願い。(首を大きくかしげて)やめてぇ〜え?
 


「神様、あのね、めあちゃんね、二年くらい前まではね、自分一人だけが幸せになりたくって『幼女の心と姿になりたい』って思ってたんだけどね、あれからずいぶん心境が変わってきてね、今はね、『幼女の心と姿になって、誰かを癒して幸せにしてあげたい』っていう気持ちのほうがずーっと強くなってきてるんだよ。大切な人が幸せになることが、めあちゃんの幸せなの。本当にそう思ってるんだよ。そりゃぁ幼女の心と姿になれれば、めあちゃん自身も嬉しいけど、そのおかげで大切な人が幸せになれたら、もっと嬉しいもんね。だから神様、大切な人が悲しい思いをしないように、お守りください。よろしくお願いします」


(仕事中、配達先の業者にて、いつも空箱が出ているのに、出ていなかったので)
「空箱出さなきゃダメって、め あ ちゃ ん 何 度 も 言っ た で しょ。だ め な の。だ〜〜〜め」


(夢にて、類魂のメンバーらしき、おばちゃんとの会話)
私「おばちゃ〜〜〜ん、めあちゃんと遊ぼう〜〜〜! チューリップ畑に行こうーーー!」
おばちゃん「はいはい。めあちゃん、チューリップ好きだもんね」
(チューリップ畑にて、チューリップを指差しながら)
私「えとね〜、えとね〜、これがね〜、チューちゃんでしょ〜、これが〜、リッちゃんでしょ〜、んでこれが〜、ーちゃん」
おばちゃん「うんうん。で、他のチューリップの名前は?」
私「………知らなぁ〜〜〜い。てへ」


(夢にて、類魂のメンバーらしき人との会話)
メンバー「ねぇ、めあちゃん、めあちゃんは、大きくなったら何になりたいの?」
私「お花屋さ〜ん。お花が綺麗だから〜。だから今からお花のこと、たっくさん勉強しておくの〜」
メンバー「素敵な夢だね。お花屋さんになったら、なんていう名前のお花屋さんにするの?」
私「もっちろん、『フラワーショップ・マリーベル』だよ」


(めあべるになってティンホイッスルをマリーベルのように振り回しながら)
「届け! めあちゃんパワー! フラワー・バイブレーーーショーーーン!!」 


(ベッドで横向きに寝ながら、両手を顔の前に持ってきて、霊界での母親役の人を思いながら)
「お母さん、抱っこして・・・ 子守唄歌って〜・・・」


(霊界での縁日にて、幼女向けのアクセサリーの屋台を類魂のメンバーとやりながら)
私「いらっしゃいませー、可愛いアクセサリーはいかがですかー? いらっしゃいませー・・・ふぅ、疲れた。一休みしよっかな。あ、あっちの飴屋さん綺麗〜。遊びに行こう〜っと」
類魂のメンバー「あれ? めあちゃん、どこ行った?」
店のおじさん「いらっしゃい。可愛いお嬢ちゃんだね、飴欲しいのかな?」
私「うん。ふたっつください」
店のおじさん「あいよ。べっこう飴二つと、あと、はいこれ、おまけの綿飴だよ」
私「わ〜〜〜い、ありがとう〜。ね、ね、おじちゃん、ほっぺた出してぇ〜え?
店のおじさん「ほっぺた? 何するの?」
私「いいから出してぇ〜え?
店のおじさん「(何だろう?)はいよ」
私「(ほっぺたにチューして) んふふふ〜〜〜。綿飴のお礼。じゃねーーー。ばっばーーーい(*^^*)」
店のおじさん「こりゃまいったな。わっはっは。ありがとよ〜〜〜」
類魂のメンバー「めあちゃん、どこ行ったんだろう?」
私「ただいまー。べっこう飴二つと、綿飴も貰ってきたよー。ねーねー、きいてきいて、あのね、あのね、さっきねー」
(一連の話を聞いた)類魂のメンバー「めあちゃん、オジコンだからなぁ・・・」
(雨の仕事中にて、生まれて初めての雨を体験した幼女のマネ)
「ワアーーーオ! 神様からのシャワー!」

(雨の中での配達で、カッパを着ながら車内にて、あまりの暑さに)
「あーーーーーーっつぃ! あーーーーーーっつぃ! カッパが蒸れて、あーーーーーーっつぃ!  め あ ちゃ ん  い け なぃ!!


「いつも大人としてのしっかりした愛と英知を持っていて〜、その上で〜、とにかく無邪気で〜、お茶目で〜、可愛らしい心。それが、めあちゃんの こ こ ろ


「めあちゃんはね〜♪ 『めあ5歳』って〜ゆ〜んだホントはね〜♪ だ〜け〜ど〜ちっちゃいか〜ら〜自分のこと『めあちゃん』って呼ぶんだよ〜♪ おかしいね〜♪ めあちゃん〜♪」」


「めあちゃんです。5歳です。好きな食べ物は〜、じゃがいも料理と〜、たぬきソバです。最近〜、『マリーベルなりきり遊び』に〜、ハマってます。霊界に帰るまでには〜、マリーベルのような心になれるように〜、がんばります。優しさと〜真心の〜精神も〜忘れないように〜がんばるので〜、応援よろしくお願いします。ばっばーーーい


(仕事で運転中に道を間違えて)
「あーーー! まちがえたーーー!  め あ ちゃ ん  い け なぃ!!


(仕事の運転中にお腹がすいたので、車を停めて、あらかじめコンビニで買っておいたおにぎりを美味しく食べながら、心から幸せそうな顔をして、思いっきりゆっくり口調で、それこそ『口にハエが止まるんじゃないか』というくらいのスローテンポで)
「ん〜〜〜〜〜〜、あ〜の〜〜〜ね〜〜〜〜〜〜、今〜〜〜ね〜〜〜〜〜〜、あ〜の〜〜〜、お〜に〜ぎ〜り〜〜〜、ん〜〜〜、食〜べ〜て〜る〜〜〜〜〜〜」


「地位欲とか名誉欲とか金銭欲とか、そういう欲にまみれた大人の世界って、つまんない。飽きちゃった。もちろん人間界では生きるために仕方なく生活費のことを考えてるけど、霊界に行ったら、ぜーんぶ忘れちゃおーっと。だって霊界ではめあちゃん本来の心で振る舞えるんだも〜ん。報酬なんて要らないから〜、この心と姿で誰かを癒してあげるお仕事した〜い


(霊界にて、母親と歯医者に行って、一緒に治療を受けているところ。診察室に入って、まずは母親から治療開始)
私「お医者さんヤメて! お母さん泣いてる! 痛がってるよ〜!」
看護師さん「はい、めあちゃんはこっちの診察台に座ってね〜^^」(と言いながら私を持ち上げて診察台に乗せる)
私「あぁ〜〜〜、や〜〜〜め〜〜〜て〜〜〜>< でも、お母さんが頑張ってるんだから、めあちゃんも頑張る。絶対泣かない」
(そして治療が終わって待合室に戻ってきた途端、感情がドバーッと出て、母親に泣きついて)
私「うわあぁ〜〜〜ん! 痛かったよぉ〜。これからは歯磨きマジメにやる〜。甘いものもできるだけ食べないようにする〜…全然自信ないけどぉ…。え? 頑張ったから帰りにガチャポン二回もやっていいの? わーーーい! 痛いのが吹っ飛んじゃった〜」
(↑以上のやり取りは、Fさんとの会話が発端。霊界では歯医者は存在しないと思うけど、気分だけでもということで)


(仕事中に車を停めて地図を広げて)
「ぇとね〜、こっからここまでの抜け道わぁ〜、(首をかしげて)どな道ぃ〜?


(仕事中に車で裏道を走っていたら、路面凍結していて、更に側溝にフタがない道だったので徐行しながら、側溝にタイヤが落ちるのが怖くて)
「落っこちそうで、 こ わ い。 落っこちそうで、 こ わ い。 落っこちそうで、 こ わ い。 落っこちそうで、 こ わ い」
(実際には落ちていないけど、タイヤが側溝に落ちたと仮定した上で、私ならこう言うだろうなーと思って)
「落っこちそうで、 落  っ  こ  ち  たーーーーーー!!


「あぁ、ピョンピョン飛び跳ねて、思いっきりキャーキャーはしゃぎ回りたい! カン高い声でキャーーーッって叫びたい! 走り回って誰かに抱きつきたい! 両手を高々と上げて喜びの踊りを踊って、はっちゃけジャンプしたい!」


「お母さん、○○が好きなの? じゃぁ、めあちゃんね、おっきくなったら○○になりたい。とにかく、お母さんの好きなものになりたい。それくらいお母さんのこと、だーい好きー!」


「おじちゃ〜ん! (両手を高々と上げて)めあちゃんと遊ぼう〜〜〜! 公園に行こ〜。ブランコでしょ〜、シーソーでしょ〜、砂場でしょ〜、鉄棒でしょ〜、ジャングルジムでしょ〜、それから滑り台で一緒に滑ろうよ〜!」
(↑太字の部分は、Fさんとの会話が発端)


「むつかしくて、めあちゃん、わかんなーい」

(↑Fさん作)


「えっとー、そんなのあったかなー? どんなんだっけー?」


(ダンスパーティの会場にて、類魂メンバーかもしれない20代後半の男性との会話)
私「シブくて素敵なおじさまは、なかなか居ないなぁ〜」
男性「おじさまじゃなくたっていいだろ、めあ、俺でガマンしろ。さぁ踊ろうぜ」
私「ん、わかったー。(おじさまとダンスできないことを残念がって、男性とダンスをしながらため息混じりに)あ〜あ〜…ん〜ん〜…はぁ〜…」
男性「なんだよ。いかにもつまんなさそうな顔しやがって。よっぽど俺とダンスするのがイヤなようだな」
私「(慌てて両手のひらをブンブン振って)う、ううん、そんなことないよ。めあちゃん楽しいよ。あはは、あはは、たのしーなー。あはははははは! らんららんらら〜ん」
男性「いいよ…気を使うなよ…どうせ俺はシブくて素敵なおじさまじゃないからな。めあはシブいおじさまのことしか頭に無いみたいで、俺は寂しいよ…どうせ俺はお前の好みの男じゃないよ…」
私「ううん、あなただって素敵だよ。だってすっごく優しいじゃん。ありがとー! とっても楽しかったー! また遊んでねー!
(思いっきり両手を振って)ばっばーーーい! (そして男性と別れた後で)…はぁ…やっぱりシブくて素敵なおじさまとダンスしたかったなぁ…」


「おじちゃん、心配しないで。大丈夫だよ。めあちゃんが付いてるからね。安心して」


「めあちゃんもね、昔はあなたと同じような、すっごく似たような、醜くてネガティブな心だった時代があったんだよ。だから人のことは言えないの。だから、あなたの心が手に取るように解るの。だからこそ、あなたの心を全て受け入れてあげたい。あなたを一人の大切な人間として、人類愛という意味で愛して、この地獄界から救い出してあげたいの。だって、あなたは昔のめあちゃんみたいなものだから、とても他人事とは思えないから。もし、この地獄界からなかなか抜け出せなくて辛い時は、めあちゃんに八つ当たりしてもいいから、めあちゃんは物理的にも精神的にも、どんなことをされても平気だから、本当に大丈夫だから、辛い時は遠慮しないで、辛い心のモヤモヤをぜーんぶ、ぶつけちゃっていいよ。ひっぱたいてもいいよ。それであなたの気が晴れて当面の間、心の修行を頑張れるのなら、それだけでめあちゃんは嬉しいから。…さぁ、この地獄界から這い上がって向上・脱出できるように、めあちゃんと一緒に頑張ろ。ね?」


「おじちゃん、どしたの? 何か辛いことあったの? ヤケになっちゃダメだよ。めあちゃんでよかったら、いっくらでもお話相手になったげるから、めあちゃんにぜーーーんぶお話しちゃって。吐き出したいこと、たっくさんあるんでしょ? ぜーーーんぶ喋っちゃっていいよ。そしたら、おじちゃんの気持ちも少しはスッキリすると思うの。ね? おじちゃん、だからもうヤケにならないでね。お願い」


「神様、あのね、めあちゃんね、今日はあんなにツラくてヒドい目にあったの。すっごく傷ついてて悲しいの。でもね(ここで首をかしげる)、相手を恨んだり憎んだりはしてないんだよ。だって、めあちゃんは、めあちゃんだもん。優しい心でいたいの。人を恨んだり憎んだりなんて、したくないの。人を傷つけたくないの。悪感情で自分の心を汚したくないの。だから相手を許してあげるの。神様、めあちゃん間違ってないよね。神様、あなたを心の底から信じています」


「めあちゃん三歩歩いたら忘れる鳥頭だからー」


「めあちゃん女の子だから髪の毛伸ばすと嬉しいの〜。男みたいに短髪なんて絶対にイヤなの〜。とんでもないの〜」


「幼女の心の修行のために大きなプラスになって、今よりももっと幼女の心を発達させることができるのなら、もう、めあちゃん頑張っちゃう!」


「お兄ちゃんの大事な車〜、絶対キズとか付けられない〜。めあちゃん気をつけなきゃ」


「めあちゃんってばね、女の子になったもんだから嬉しくって浮かれ過ぎちゃって、キャーキャーはしゃぎ過ぎちゃって、周りから『キャーキャーうるさい』って怒られちゃったんだよ〜。ダメだね〜あはは〜」


「お〜手伝い〜、お手伝い〜、めあちゃん今日も〜、お手伝い〜」


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