◇霊的に女性なこと、GID(性同一性障害)、男性恐怖症、霊界での彼氏について◇


一応自己紹介しておきますね。今までずーーーっと書きたくてたまらなかったけど、恥ずかしくてどうしても書けなかったことを、自己紹介で全部書いちゃいます。めあというのは、こんな人間です。ちなみに、とっくの昔に成人済みです。

私は昔から、そうですね、幼少時代はよく覚えていないんですけど、小学校半ばくらいからは、やけにプライドが高い上に、無意識に心の中で人を見下す、とっても悪いクセがありました。中学では猛勉強して5段階評価でオール5を取ったこともありましたし、高校に入ってからは学年トップの成績を取ったこともありましたし、スポーツもそれなりにできました。

なぜそこまでして頑張ってたのか、それは、「今まで自分のことをバカにしてきた連中を見返してやろう」という、卑しい気持ちからだったんです。それで見返した際には「どうだ、ざまぁみろ」みたいな気持ちになって周りを見下す、そういうクズみたいな人間でした。自分で付けた病名ですけど「うぬぼれ病」だったんですね。

長い人生においてそんなマイナスな感情が長続きするはずもなく、高校を出てからは何も目的がなくなってしまい、「自分は今まで何のために、こんなにがんばってきたんだろう。がんばったあとには何も残らなかった。全てが虚しい」と思えてきて、ひどい閉じこもり気質になって無気力になり、放心状態になって何もする気が起きずチカラも全く湧かず、やむをえず約三年間引きこもりの生活をせざるを得ませんでした。今でいう「燃え尽き症候群」のような状態に近かったのかもしれないですね。

その生活から学んだことは、「人を見下すことは今後は決してするまい。どんなに物事がよくできたとしても、決してうぬぼれないようにしよう。うぬぼれがあるから嫌われるし、誰かを傷つけてしまうかもしれないし、だから一切うぬぼれをやめよう」ということです。

で、社会復帰してからもいろいろあって、うぬぼれ病はしばらく影を潜めていたんですけど、VNIサイトを始める2003年頃になると、激しい自己顕示欲が現れてきて、また「人から評価されたい」という卑しい心が出てきました。ただアクセス数を稼ぎたいためだけに、いろんな記事を書きました。今思い出すとあのVNIサイト時代は、心が名誉欲・自己顕示欲に覆われた黒歴史だったと反省しています。ただのウケ狙いで当時使っていた「俺」という一人称も、今思えば相当無理して使って、自分を作っていたな、と思います。

それでもまだ悪いクセは抜けず、霊界研究をするようになってからは、心の中で「こんなに研究している自分すごい」とか、心のどこかで思ってしまっていたんですね。それだけならまだ救いがあるんですけど、自分のことを攻撃してくる人たちや、20年間以上に渡って部屋で聞こえてくる激しいラップ音や霊の罵声に対して、それまでのノイローゼな気持ちが怒りに変わって「低級霊乙」と言ってしまったこともありました。治っていたかに思われた「うぬぼれ病」が、また顔を出してしまったんです。霊界研究をしていながら同時にうぬぼれる、そんな最低な人間だったんです。本来ならばそういう浮かばれない霊たちにも哀れみの気持ちを向けるべきなのに、いくら頭にきたからといって「低級霊乙」と言ってバカにしている自分自身の心こそが、低級霊そのものだったんです。

霊界研究に携わるとカルマの返りが速いといいますので、そのカルマがすぐに返ってきたんでしょう。具体的なことは身元バレになるので伏せますけど、いろいろな物質的・精神的災難に見舞われました。

そこでやっと気づいたんですね。「ああ、またやっちゃった・・・うぬぼれ病だ」と。

たぶん、こんな最低の人間な私を見かねた守護霊さんが、霊界研究をさせて霊訓に出会わせることで、今までの歪んだ心を少しでも矯正させようと思ったのかもしれません。私は霊訓を教える側ではなく、どこまでも「教わる」側だったんですね。決してうぬぼれないように、上から目線にならないように、霊訓を学ばせて謙虚になれるように、そこを特に気をつけさせようという意図だったんだと思います。

霊能力は一切無いのであくまでも憶測なんですけど、夢で見た前世の記憶の一部をたどると、私の一つ前の前世は女性で、金髪のロングヘアーのかなりの美人で、その美貌を鼻にかけてうぬぼれて傲慢になって、ヨットハーバーの見える街で男をとっかえひっかえしながらセックスやお酒などの快楽に明け暮れて遊んで暮らして、心を磨く努力を一切しなかったみたいなんです。

夢で見た前世は、こんな姿の女性でした。ティンホイッスルは持っていなかったですけど、いかにも高飛車でナマイキで傲慢そうですねw

そういうビッチな女だったんじゃないかと思います。また、自分の美貌をいいことに、外見的なことにしか目が行かず、外見だけでしか人を判断することができず、気に入らない人や物はその姿をこき下ろしていたんじゃないか、って気がするんです。

 

「霊能力も無いのに、夢の内容だけで自分の前世をそこまで確信できるほうが怖い」とお思いでしょうか? でもそう解釈したほうが、GIDの葛藤や苦しみも含めて、お酒が一滴も飲めない体質(冗談抜きで僅かでも飲むと命に関わる)なのも含めて、何かと今回の人生での出来事の理由と原因が、スンナリ納得がいくんですよ。

そんなクズみたいなビッチな残酷女が寿命で死んで霊界で反省して、「次の地上人生では外見で人を判断するような人間には絶対になるまい。うぬぼれを無くそう。心を磨く努力をしよう」と決心して生まれ変わっても、そう簡単に聖人君子になれるはずがなく、ビッチだった心がまだどうしても抜けずに、幼少時代から今まで引きずってきたのだと思います。姿や性別のことで辛いことや苦しいことが実に多かったのと、お酒については、前世のカルマの清算も多分にあったことは間違いないでしょうね。

それに、GIDなので当然といえば当然なんですけど、少年時代から現在にかけて、女性に対してはどうしても恋愛感情を抱くことができず、男性にばっかり恋愛感情を抱いていました。しかしこれも「自分は男性で相手も男性=かなわぬ恋」として苦しんで苦汁を舐めるための試練・修行だったんだと思います。実際片思いの連続で非常に辛い思いをしました。何せ、男の姿で男性に恋をすること自体が、ものすっごく恥ずかしく思っているからです。恋をするなら女性の姿になりたいですもん。今は亡くなっていますけど坂上二郎さんなんて、もうその優しさと人情深さに思わず「結婚してください!」って思っちゃったくらいで・・・ああ恥ずかしい。でも書く。

また、VNI時代にあえて成人女性キャラではなく幼女キャラを演じていたのは、やっぱり、「ちっちゃくて可愛らしい姿になりたい」という気持ちからでしたね。あの、自分を作りまくっていたVNI当時でさえ、「ちっちゃくて可愛らしい姿になりたい」という願望だけは正直に表していました。やや言い訳っぽい欺瞞に聞こえるかもしれませんけど、本当なんですよ。

で、話を戻して、最近になってようやく「うぬぼれ病」を自覚して、幼女の姿に憧れるよりも前に、幼女の「心」になるために努力をしているところです。幼女の心とはいっても、幼女向けのアニメを感情移入して見るとかだけではなく、本当に純粋で無邪気で優しい、ちっちゃい女の子の心(めあちゃん名ゼリフ集参照)になれた日が最近では多くなってきていて、そこまではいいんですよ。

そこまではいいんだけど、そこで、「ああ、こんなに美しい心になれた自分ってすごい」と思っちゃったら、そこで進歩はストップなんですよね。そういう「うぬぼれ病」がまた出てしまわないように、日々気をつけています。

この「うぬぼれ病」が私の今世での一番厄介な課題なんだと思います。うぬぼれるから全てがうまくいかなくて裏目に出る。たとえ口には出さなくても、心がうぬぼれていると醸し出す雰囲気や仕草にも現れるもので、だから人から反感を買うことが多いし、迷惑をかけてしまうことにもなる、ということがやっとわかりました。

20年以上もの間、部屋で激しいラップ音や霊の罵声が聞こえる、そして「自分は特別なんだ」という「うぬぼれ」の気持ち、そして自意識過剰や過度な被害妄想、これって、統合失調症患者さんにかなり近い症状かもしれませんね。自分でも「統合失調症なんじゃないか」と思うことがあります。だけど前世からの因縁に基づいて考えているので、統合失調症の一言で片付けるのも乱暴な気がします。

ラップや霊の罵声については、これも何かのカルマあるいは修行なんでしょう、「今世では霊界のことを強く意識して沈思黙考して、常に内省的になって生きよ」という、霊界からのお達しなのかもしれません。

本当に神様や霊界のことを心から信じていれば、その壮大さと慈悲深さと神聖さに恐れおののいて跪いて謙虚になるはずであって、うぬぼれて見下すなんてことは絶対にできないと思うからです。(片柳神父さんのツイートが大変勉強になりました。ありがとうございます)

過去に、危ない意味で宗教にハマって傲慢になってしまったある人の言動を見て、「ああ、なんだか昔の自分の一部を見ているようで恥ずかしい・・・ 『人の振り見て我が振り直せ』とは、このことだ。深く反省しよう」と思った次第です。その人のことを知らなければ、私は今でも「うぬぼれ病」が治っていなかったのかもしれないのですから。

霊界研究といえば、ここ最近は再び丹波さんの本やネット資料を読み漁ってます。今までいろんな霊界通信を読んできましたけど、丹波さんのは、世界中の霊界通信をまとめた結果での内容なので、とても広い視野から研究できるのが好きです。元々私が霊界研究を始めたキッカケは丹波さんだったので、原点に帰った状態です。

丹波さんいわく、「私が霊界について話す言葉は、全部受け売りなんだ。私の意見など、これっぽっちも入っちゃいない。ただ世界中の霊界通信から特に重要な共通部分、最大公約数的な情報を取り出して、羅列しているだけだよ」なんだとか。今で言う「まとめサイト」みたいなことをやってらしたんでしょうね。たとえが悪いかw

だからまぁ、霊界通信のベストアルバムを聴くような気持ちで研究を始められたのは、本当に幸運なことでした。

それに丹波さんは、「霊界研究に限らず何にでも言えることだが、なんでも知ったつもりになって見栄を張るクセがついてしまうと、知ったかぶり仮面になってしまうので、常に分をわきまえて、知らないことは知らない、わからないことはわからないと正直に言える、そんな素直な心が大切なんだ」とも言っていました。これ、昔の私にピッタリ当てはまります。昔の私は正に、その知ったかぶり仮面になっていて、「知らない、わからない」と正直に言えない見栄っ張りな、本当に恥ずかしい人間でした。今後はそれを治して、いつも分をわきまえて、素直な心になっていきたいです。

今の未熟な心の自分を、「前世がビッチだったから、今世ではその悪影響を残していても仕方が無い」と免罪符にして言い逃れする気は毛頭ありません。ただ、「今世では、できるだけいい人間になれるように頑張るから、それこそ幼女のような清らかな心になれるように頑張るから、大きな目で見守っていてください」という気持ちです。私はそんなちっぽけな人間です。

前世はビッチのまま死んだとはいえ、その幼少時代におそらく持っていたであろう、純粋で無邪気で優しい、ちっちゃい女の子の心、そんな幼女の心を持っていた前世の幼女時代に帰りたいです。前世とはいえ、私にもそんな素敵な幼女をやらせていただいていた時期があったんですから。今の憧れの気持ちは、「前世での幼女時代への憧れ」と言ってもいいでしょうね。

その関連で、ツイッターでこんなのが・・・

https://twitter.com/full_moon_home/status/655186704031084544

「私の体の中には」を「私の心の中には」に置き換えると、自分にも当てはまる気がします。

 

最近になって、「今までの人生において、仕事が割とすぐに見つかってきた、つまり求職運が良かったのは嬉しいんだけど、どうしてこんな、休みの少ない職種ばかりが巡ってくるんだろう? 週休二日とか夏季休暇とかGWとかでノンビリできる仕事は、なぜ巡ってこないんだろう?」と考えた結果、まず学歴が低いから大きな企業に採用されないのはとっくにわかってるから置いといて、その他には、上にも書いたように、前世で女性だった時にかなりの怠け者っぽかったので、今世では「非常に働き者の母の元に生まれて、怠け心を無くして、労働する心を鍛えよう」と思って、今の母の元に生まれることを強く望んだんじゃないか、って気がしてきたんですよね。実際、霊界的な観点から見ると、張の本人は忘れていても、自ら課題を課して望んで生まれてくる例ってものすごく多いらしいですから。

詳しいことは身元バレになるので伏せますけど、母は昔から本当によく働いてきましたし、今でもすごい働き者です。お金を稼ぐという意味の労働だけでなく、それ以外でも、家事もなんでも弱音を吐かずにテキパキこなすし、ノンビリ屋の私はいつも圧倒されてばかりです。

だから、神様や守護霊さんが、ブラック企業ではないとはいえ、私にそういう職場をあてがっているのかな、と思います。母を見習って働き者になるように、という意味で。

実際、昔の友人から、「めあさんは、失業してもなぜか仕事がすぐにまた見つかるし、それがなぜかまた適材適所な職種だし、人間関係もトラブルがほとんど無い職場ばっかりなんだよなぁ。羨ましいよ」と言われたことがありまして、当時自分では原因がわからなかったんですけど、「仕事はすぐに見つかるようにしてあげるから、母を通して、働く尊さを学べ」という、霊界からの「お助け・お情け」が入ってるのかもしれないと思ってます。

実際、公的な休みの日はシッカリ休んでも、自分の都合では一日も休まないで、実に13年近くも続いている、そんな今の職種を紹介してくれたのは、他ならぬ母なのですから。

だから、産み育ててくれたという意味でも、仕事の面でも、母には感謝の気持ちでいっぱいなんです。直には照れくさくて言えませんけどねw

そう考えると、「そうか、働き者の母を見習うことが今世での課題の一つなのかも。自分でそれを選んだのだろうな。それなら頑張れるかも」と思えるんですよ。一週間くらい前(2015年12月下旬あたり)から、やっとそう思えるようになってきたところです。

自分でやっとそう思えるようになって、初めて「人の役に立ちたい」という気持ちの意味だけでなく、「働き者の母の元に生まれたことの本当の意味」まで、わかり始めてきたような気がします。でもまだまだノンビリ屋の怠け者なので、精進したいです。マイヤースやジュリアが言っているように、瞑想などのゆっくりした静寂の中にこそ魂の真の安らぎがあるとは思ってますけど、ここ地上はあくまでも修行の場ですし、安らぐのは霊界に行ってからでも遅くは無いでしょうから。

今回のことのように、考えることはとっても大事だけど、考えることよりも感じることのほうがもっと大事だと思いました。今後は、それをいかにして行動に移せるかどうかがカギでしょうね。

でも、小学校時代の通信簿に、「特徴:働き者」と書かれたことがあったのは嬉しかったです。あの当時の気持ちになればいいのかな・・・?

・・・しっかし、前世は冷酷なビッチだった上に、よっぽどの怠け者だったんだろうなぁ・・・もうサイテー>過去の自分

 

え? 「ビッチビッチうるさい」ですって? すいません。

この自己紹介を読んで呆れちゃったら、帰ってくださって構いません。「サイト見てやってもいいか」という人は、よろしくお願いします。


それから話は変わりますけど、神様や霊界を信じることについて、今まで思ってきたことや、これからの考えを簡潔に。

宗教という観念自体は、もう地上には必要なくなっていると思います。いつも「人のために役立ちたい」と願っている人には、自然に神様からその道を用意してもらえると思いますので。

生前の丹波さんが言っていましたが、これからは、あえて宗教という用語を使うならば「一人宗教」の時代がきているんだそうです。

といっても「自分だけが正しい」という「一人宗教」ではなく、一人ひとりが神様や霊界のことを信じていて、いつも精進するように心がけて、それでいて決してうぬぼれない、他人を見下さない、それどころか他人の価値観や考えもちゃんと認めるし、相手の立場もちゃんと考えて、お互いに絶対に干渉しない。そういう意味の「一人宗教」ですね。

もっと極端なことを言えば、たとえ神様や霊界のことを全然信じていなくても、いつも誰かに親切にしているような、優しい心の人、そういう人も神様から見れば、立派な霊的人生を送っていることになると思うんです。

実際、霊界通信でそういう「無神論者だけど優しい人」も霊界の幸せな界層に行けたそうですから。大事なのは宗教に入るとか神様や霊界を信じること自体よりも、いかにして人に優しくしてあげることができるか、それだけで充分なんだと思います。

私は以前は、「神様や霊界のことを信じていないと霊界の良い界層には行けない」と思っていましたし、サイトでもそういう風に書いてきましたが、今では決してそんなことはない、と考えを変えました。さっき書いた「無神論者だけど優しい人」のことを知ったからです。

もちろん神様や霊界のことは今でも100%信じていますし、サイトでも霊界研究の結果をつらつらと書いていますけど、死んだらどうなるのかということよりも、いかにして良い霊的人生を送れるか、言い方を変えれば、どうやったらもっと聖人になれるか、それだけを考えていればいいんだと思うんですよ。例えば、「神様とか死後の世界とか信じてないしー、キョーミもないけどー、マザーテレサみたいな聖人になりたいんだよねー」と思っていて努力さえしていれば、それで充分すぎるくらい立派な人であり、大変有意義な霊的人生だと思うんです。

確かに霊界研究は希望の研究ですし、研究していれば「どうやったら良い人間になれて、霊界で上の界層に行けるのか」の方法がわかりやすくなりますし、その意味では霊界研究は哲学だと思っています。でも、霊界の知識をたくさん知っていても、「人に優しく親切にする」という行動が伴わなければ、何の意味も無いと思うんです。だから有神論者だろうと無神論者だろうと、そんなことは霊界では評価されなくて、肝心なのは、心から人に優しく親切にできるような、そんな人間になれるように努力する、それだけでいいと思うんです。

丹波さんの言葉をあえて借りるならば、「明るく、素直に、あたたかく」暮らしていくことですね。これすっごく簡潔明瞭な言葉だと思います。そんな人間に私もなりたいもんだわーーー。

以前に書いていた、妄信しているような断定口調や思い込みの発言は、今でもあえて残していますけど、上記のことを踏まえた上で、「ああ、でも今ではずいぶん考え方が柔軟になってるんだなぁ」と思いながら読んでいただければ幸いです。


2016/08/03追記:
中間部に書いたことと関連して、最近は、こういう考え方になっています。自己レスを最後までお読みください。

https://twitter.com/watashi_meachan/status/760288073498234880

めあ

シルバーバーチとかのスピリチュアルもかなり勉強した。けど、堅苦しくて融通がきかないんだよね。なんか規則ばかりの教条的で・・・そう思う時点ではまだまだスピリチュアルってしょせんは「宗教」の域を出ないんだと思う。前から思ってたけど、一度スピリチュアルの呪縛から離れてみるのもいいな。

んでもっと多方面から死後の世界を研究して、何かの教えをそのまんまコピペして語るんじゃなくて、自分の理性だけで判断して納得のいく思想・生き方だけを選ぶ、みたいな。無心論者だけど幸せになれた人ってたくさんいるもんね。

誤字「無神論者」だ。 神という観念から自分を解放して、自分の中の良心の声だけに従って生きる、それが一番「自分なりに生きる道」が見えやすいのかも。抽象的で曖昧な言い方だけど、こういう分野のことって毎度毎度うまく言葉にできないもんで。

よーするに「もっと素直で優しい人間になりたい」って思いながら生きれば、それだけで充分道標になるんじゃないかな。

激しく余談だけど、「めあ6歳」は一部の人たちに言わせると 「かわいい女の子になれる教」なんだそうなw ちょwwwおまいらwww笑かすなwwwわたしゃ至って真剣なんだぞ。野菜ジュース吹いちゃったよ弁償してくださいお願いします

霊界の存在は、まぁ間違いなく存在するだろうなと確信してる。 スピから離れるってのは「神仏を崇めまつることを一切やめる」ってこと。 わたしゃ宗教やりたいんじゃなくて、死後の世界がどうなっているのか、 情報は本当かウソかを突き止めたい、ただそれだけ。

だからわたしゃ宗教者じゃなくて研究者なのさ。元々お寺やお宮とかには全然興味なかったしさ。 自分の良心の声に従って生きていくってのは、その時での良心であって、今後の心の修行においての教訓で得たものは、良心に追加されて上書き保存されていくってことね。

これがいちばん最近の考えです。霊界はまず間違いなく存在するだろうな、とは思ってるけど、だからといって盲目的に神仏を崇めたりはしない、ってことで。ましてや聖書や霊訓の内容をそのまま無条件に信じることなどはしない、ってことです。無条件に信じた結果の悲惨な出来事をたくさん知っているので。

なので、その時点での自分の良心と理性で考えて判断して、納得がいったら行動することにしました。

スピと出会って10年間いろいろ研究と体験と実践とおべんきょをして、出た考え方です。こういうスタンスがいちばん気楽に力を抜いて生きていけるかも。

今でも、お寺とかお宮とか、神殿とか礼拝堂とかの神仏関係には、全然興味を持てないもんね。でもそれでいいと思うんです。ただただ「素直で優しい人間になりたい」って思いながら生きていくだけで充分だと思う。それ以上の「自分なりの正しい生き方」って、今のところは見つからないので。

神仏を崇めまつることをやめるってだけで、他は今までと変わりません。スピリチュアルの教え自体は非常に有意義だったので、サイトにも残しておきますし、今後の人生にも生かしていきたいです。守護霊の存在だって忘れたりしません。ただ、スピリチュアルだけに縛られたくないし、相変わらず宗教と名の付くものにだけは入りたくないので、もっと多方面から柔軟に、本当にじゅ〜〜〜なんに霊界研究をしていきたいんです。広くて大らかな視野でね。

だからさー、もっと丸っこくてふんわり平和で柔らかくて可愛らしくてお花がいっぱい咲いてる、女の子のための霊訓とかないの?w みーんなが平和になってぽわ〜んと幸せになれるようなの。幼女の心になったまんまでずっと平和に暮らせるような世界。マリーベルの花魔法界のような、ああいう可愛らしい世界に住みたいんですけど死後は。

 

ツイッターの自分のツイートから、今の心境を。

https://twitter.com/ponpon_mouippai/status/883696954802282497

昔の自分がまさにそうだった。私が勝手に作った言葉だけど「うぬぼれ病」だった。あの頃は教祖気取りだったなぁと反省してる。 今は神様は信じてるけど、信じてる自分が偉いなんてことは思いたくもなくなった。 だってめあちゃんいい子ぶってるけど、ほんとはちょいワルなんだもーん。

 

https://twitter.com/ponpon_mouippai/status/883697748251361282

もし、 「あなたは自分のことを善人か悪人か、どちらだと思うか? 善人でも悪人でもない普通の人というのは無しで、善人か悪人かのどちらかを選べ」 と言われたら、迷わず「私は悪人でーす」と答えるだろうな。

 です。神様や守護霊のことは信じてるけど、宗教には関わりたくない。宗教に関わるほどのレベルの高い魂じゃないんですわ私は。


人生哲学を学ぶ上で参考になった書籍。

 

けっこう読んだけど、やっぱし丹波さんの話が好きだな。


私は身体的には男なのですが、心は女です。「男の娘」と呼ぶには歳食いすぎていますが。

GID(性同一性障害)的な要素をかなり持っていると自認しているので、ご覧のとおり一人称を「私」にしています。私生活でも「私・あたし・自分」くらいしか使いません。それが自分にとって一番自然な一人称なんです。男性特有の一人称「俺・僕」とかはまず使いません。ネタで使うことはありますが。

マイヤースの「個人的存在の彼方」の105ページに、とても興味深いことが書かれています。マイヤースによれば、「幾つになっても結婚しようとしない、気難しくてケチで握り屋の男性は、霊的に女性」だというんです。なぜそうなったかというと、前世で女性的な性格をかなり発達させていたために、その性格を持ち越したまま今生で男性に再生したからだそうです。これを知った時、私は目からウロコが落ちたような気持ちになったものです。

確かに私は幾つになっても結婚しようとしないし、結婚なんて全く考えたこともないし、気難しいところがかなり多いし、ケチだし、握り屋な性格の男性です。だけどそういう私のような男性が霊的に女性、つまり心の奥底・心の本質的な部分では女性であるということになります。それを知った時に、私が飛び上がらんばかりに喜んだのは言うまでもありません。

やっぱり私って、本質的に女性なんだ! 私の今までの漠然とした考えだけでは確信が持てなかったけど、これで確信が持てました。きゃーーー! 嬉しいーーー!

それに加えて、高校時代から「女の子になりたい」という願望が出始めて、おかっぱっぽい髪型にして女性用のジーンズを穿いて街中を歩いて、女の子っぽいふっくらした顔つきやお尻が大きい体つきなども手伝って、女の子に間違われたことがしばしばありました。それは心底嬉しいことだったんですよ。「女の子になりたい」という願望が半分叶ったような気がして、本当に嬉しいことだったんです。今でも女性に間違われた時は、心の中で飛び上がって喜びます。これを考えても、私は霊的・本質的に女性だということが解ります。

話は変わって、改めて思ったことなどを。

ある日、古本屋さんに行って、エッチな本(いわゆる男性向けのエロ本)を立ち読みしてみました。なぜそうしたかというと、確認したかったんです。男性向けのエロ本を読んで「男の視点から見て」性的に興奮するかどうかをです。結果は、ぜんっぜん興奮しませんでした。無理して自分で自分を興奮させようといろいろエッチな空想を加えながらエロ本を読んでみたんですけど、やっぱり全く何も感じませんでした。これは完全に、私の心が女性になっている証拠でしょう。

そして今度は視点を変えて、「女性の視点から見て」性的に興奮するかどうかを試してみました。まぁ、ある程度は「この女性の立場になってエッチなことをされたいな〜」とは思いましたし、そういう意味ではいいんですけど、いかんせん男性向けのエロ本ですから、局部のアップとか、いかにも男性が興奮しそうなアングルの写真を見ると、もう生理的に受け付けないんですよね。それを考えてもやっぱり私の心は女性になっているんだな、と思いました。女性というのは局部のアップなどの過激な写真よりも、もっと全体のムードを重視するものだからです。

男性向けのエロ本を読んでも何も感じない私は、心が完全に女性になっていることを再認識して、大変喜ばしいことだと思いました。ルンルン。

また、仕事中に時々やっちゃうことなんですけど、配達で時間に追われていてアセっていて、車から荷物を取り出そうとしても奥に入っちゃってなかなか取れなくて、ついに「あーもうっ! キーーーッ!!」っていう風に本当に女性のヒステリーと同じ感情になってしまうことがあります(笑)。ヒステリーはよくないですけど、それだけ私の心は女性的だということが解りましたよ。我ながらしょうがないなぁヤレヤレ、と思いながらも、そういう自分の女性的な心が好きだなぁなんて思っちゃいました。まぁ、周囲に八つ当たりして不快感を撒き散らすようなことだけは絶対にしませんけどね。ヒステリーは自分の心の中だけで収めます。

また、こういう夢を見たこともあります。夢日記から抜粋。

2012/06/13

夢では私は、5歳くらいの幼女の姿になっていて、髪の毛を長めのおかっぱ頭にしていたんですけど、なぜか声は男の声のままで、心も大人の心だけでした。その状態で私はとある中年男性とテーブルを交えて何かを議論し合っていたんですけど、男性が「俺の言うことのほうが正しいんだ!」と言って足をテーブルにドン! と置いて威嚇してきたので、私は「そんな乱暴な言動をするんでしたら、私はもう議論するつもりはありません。帰らせていただきます。失礼します」と言ってその場を去りました。

    何を議論していたのかは思い出せないんですけど、男性が感情的になっていた反面、私は常時冷静でした。どっちの言うことが正しいかはおいといて、感情的になって乱暴な言動に出るのは、いただけませんね。そういう人は相手にしたくないから帰ったんですよ。それにしても、5歳幼女の姿になっていた感覚がしっかりあって、おかっぱ頭にしていた感覚もハッキリあったのに、なぜ声とか心が幼女のものじゃなかったんでしょうか? 声はまぁおいとくとしても心のことが気になります。何しろ心は一番大事な要素ですから。

    で、ふと思ったんですけど、数日前から「本当に自分は女性霊なんだろうか? 本当は男性霊なんじゃないだろうか? 男性霊の自分なんかヤダ。絶対に女性霊のほうがいい。女性霊であってほしい」と考えていて、かなり気にしていたんですよね。つまり自分が霊的に女性であるということにちょっと自信がなくなってきていたんです。でも今回幼女の姿になれていたのは、やっぱり心に女性的な部分がかなり多いからでしょうし、幼な子の心も発達してきている証拠でしょうし、まして今回のような状態の夢は初めてですから、「まぁたまにはこういう変わった夢も見るよね」という風に、ほとんど気にしなくていいのかもしれません。守護霊さんからの、「あなたは女性霊だよ。あまり弱気になるとネガティブ思考になっちゃうから注意しなさい」という警告かも。もっと自分に自信を持ったほうがいいですね。自信を持ちすぎて傲慢にならないように気をつけますけど。

という風に、自分が霊的に女性すなわち女性霊である、ということについて自信をなくしかけていたところ、夢で警告を受けたんじゃないかと思える出来事がありました。私だって肉体に閉じ込められた人間ですし霊的にもまだまだ未熟ですから、時には自信をなくしかけちゃうこともあります。ネガティブ思考にならないように、「死んで霊界に行って霊的な感覚を思い出したら、自分が女性霊であることも、きっと思い出す」と信じて、自信を持って生きていきたいですね。

と思っていたら二日後に、こんな夢を見ました。

2012/06/15

夢では私は、6歳くらいの女性の姿になっていて、心も完全に女性の心でした。そして男性数名と一緒に広い砂漠の中の一本道を歩いていたんですけど、しばらく歩いていたら、まるでSF映画に出てくるような巨大な街並みが現れました。私は「すごーい! 近未来都市ー!」と叫びました。

    砂漠の中に近未来都市があるなんて、まるで中東の霊界のようですね。「日本編-死後世界地図」の秋山さんによれば、それぞれの国にはそれぞれ同じ街並みの風景の霊界があるということなんですけど、なぜ中東の霊界だったんでしょう? 同行していた男性数名はみんな日本人の姿で、私も同じだったんですけどねぇ。それはともかく、前回の夢日記で「自分は本当に女性霊なんだろうか?」と不安を感じていたところに、こういう、姿だけでなく心まで完全に女性だった夢を見て、安心しました。「やっぱり自分は女性霊なんだ」と自信を持って、幼女の心になることを目指してがんばっていきます。

よかったよかった。

それで、よくよく今までの人生を思い返してみると、私っていつも晴れ晴れとした気持ちにはなれずに暗い気持ちで落ち込んでいることが多かったし、昔から自分に自信を持てない日々が続いていたんだな、と思いました。実際、学生時代に兄から「お前暗いな。暗さがにじみ出ているな」と言われたこともあったし、社会に出てからは会社の上司から「もっと自分に自信を持ってくださいね」と散々言われたこともありました。無理もないです。学生時代から体が男であることに相当なコンプレックスを抱えていて激しい葛藤に悩まされて、それが今まで続いていたんですからね。暗くもなるし自信も持てなくなるってもんです。

それで最近気づいたこと。暗い気持ちでいて自信を持てないでいると、自然にマイナス思考に陥ってしまい、そのせいで悪感情を抱いてしまうこともしばしば。そういう精神状態の時ほど夢の内容もよくない。心のよりどころである夢の内容が悪いから暗い気持ちになって自信をなくしてマイナス思考になって悪感情を抱きやすいと、もう負のスパイラルで悪循環なんですよね。で、時々精神状態がよくなると夢の内容も満足のいくものになるんです。夢って心の状態を映し出す鏡みたいで本当に正直だと思います。

ですから私にまず必要なのは、自信を持つこと、そして極力プラス思考になって明るくなることですね。別に表面に出して笑ったりする必要はなくて、心を明るくすればいいんだと思います。自信を持ってプラス思考になる、まずはこれですね。そうすれば、自分が女性霊だということに更に自信が持てることは間違いないですから。うん、それでいこう! 神様を信じれば、きっとうまくいく。

 

また、マイヤースは、想像力の大切さを説いていて、自分で作ってしまった心の型の中に凝り固まってしまわない限りは、人間や霊は想像力によって心の状態を新たに創り出すこともできるし、削ぎ落とすこともできるらしいです。これを私の場合に当てはめれば、想像力によって大人の汚い邪念や男の醜い本能を削ぎ落とすこともできるし、女性の心と無邪気な心をもっともっと発達させて「幼女の心」を創り出すこともできる、ということになります。人間の想像力とはすごいもので、努力次第で自分の心の状態までもガラリと変えることができるんですよね。完全な女性霊になりたい私としては、この文章にはとても勇気づけられました。完全な女性霊になれるようにがんばろう! という気持ちになりました。

とはいうものの、スピリチュアリズムの事実に照らし合わせると、100%完全な女性霊、100%完全な男性霊というのは存在しないそうで、実際は女性的要素の多い霊が女性霊、男性的要素の多い霊が男性霊だということらしいです。どんなに女性らしい女性でも男性の心を残していて、どんなに男性らしい男性でも女性の心を残している、ということらしいです。ですから、私がどんなに女性的な感情や考え方や心を持っていても、霊的には男性の心がほんの僅かに残っている、ということですね。

そっかー、じゃぁ無理して100%完全な女性霊になろうなんて考えないほうがいいんだなぁ。それは霊的に絶対に不可能なことなんだから。今の、女性的な心が非常に強い状態のままでちょうどいいんでしょうね。それで充分に私は立派な女性霊なんですから。

それでも、ごくたまーにわいて出てくる、僅かに残った男の心に対して、

こんなもの要らない! 消えてなくなれ!!

と心の中で叫んでしまいます。ほんとに、男の心が僅かでも残っていることがイヤなんですよ。男の心を完全に消すことは霊的に絶対に不可能なんだから諦めりゃいいのに、往生際が悪いというかなんというか…。まぁそれは潔く諦めるように努力しますハイ…。

 

ちなみに最近では、私生活でも「私」という一人称が自然に出てきます。いえ、誰かを相手にじゃないですよ。そんなの恥ずかしくてできませんから。「私」という一人称が自然に出てくるのは独り言を言っている時とか何かを思っている時とかに限ってです。「私もまだまだ未熟だなぁ」とか「あっ、これ私の仕事じゃん」とかです。もう何も意識しなくても本当に自然に「私」という一人称が出てくるんですよ。遂にここまで来ることができたか! と喜んでいます。今まで以上に女性の心が発達している証拠ですね。

 

ある日、YouTubeで何気なしに「面白い動画はないかな〜」と検索して、リンクをどんどん辿っていったら、なぜかレイプもののAVの一部がアップされていると思われる動画に辿り着きました。もちろんAV女優さんがしっかり演技しているもののようで、実際のレイプ現場ではないようなんですけど、私の心の中で「ただのエッチなお芝居なのに、なんだか怖い。見ちゃいけない。見たら心が壊される」という気持ちがありました。でも、女性としての立場から「一体、レイプされるのってどういう心境なんだろう? どれくらい怖いんだろう?」という怖いもの見たさの気持ちも沸いてきて、オマケに「女優さんがしっかり演技してるだけなんだから、大丈夫だろう」と油断してしまって、ついその動画をクリックしちゃったんです。

………

怖い! 怖すぎる!! もうダメ見てらんない!!

言葉では言い表せないとんでもない恐怖を感じて、途中で見るのをヤメました。心の底から「見なきゃよかった…」と後悔しました。いくら演技でも、プロの女優さんがコレをやると迫真の演技すぎて、もう恐怖心しか伝わってきません。

男の人なら、こういうシチュエーションの動画を見て性的に興奮するのかもしれませんけど、私は全くの正反対でした。他人事しかも演技なのに、もう自分のことのように怖くて怖くて、ただただ恐怖感が襲ってくるばかりで、背筋は冷たくなって体がガクガクブルブル震えてきちゃうし、心にもグサーーーッ! っと何かが刺さったような痛みを感じたし、何というか、本当に「精神的に殺された」という表現がピッタリの気持ちになりましたもん。

今回のことを考えても、本当に私は心が女性、つまり霊的に女性なんだなぁと実感しました。あーほんとに怖かった。二度と見るもんか!(←自分のせいでしょ) っていうか、なんであんな動画に辿り着いたんだろう? 半分寝ボケて操作してたのかな? たぶん魔が差したんでしょうね。

 

またある日、いつものお医者に行ったらけっこう混んでて、待合室で「ジュリアの音信」を読みながら待っていたんですけど、ハッと気づいて自分のふくらはぎと足首の下を見たら、見事に内股になっていました。こういう風に最近では、何も意識しないでもごくごく自然に女性の座り方になっていて自分でも嬉しくなります。かと思ったら隣に座っていた女性は大胆に脚を組んでましたけど。

で、一時間くらい待ったんですけど、診察室に有線放送が流れていて、イージーリスニング的な音楽がランダムに流れていて、そしたらその中に宗次郎の曲が二曲流れました。「心」と「TAO/道」でした。うわ〜いいな〜と思って、そういえば最近笛を吹きに山とか茶畑とかに行ってないよなぁと思いました。やっぱり笛も時間を見つけて吹きたいです。

それはともかく、自然に無意識に女性らしい仕草が出てくるようになって、更に女性の心が強くなってきているようで、このまま男の心が完全に消えてくれればいいなーなんて、往生際の悪いことを考えてます(笑)。

 

またある日、精神科のお医者に行ったら、薬局の待合室で50代くらいの男性がこっちを見ながらブツブツ暴言のような言葉を吐いていて、すっごく怖かったです。こっちは目を合わせてもいないのに、向こうが勝手に因縁を付けてきているカンジでした。私が最も苦手とする男性のタイプでしたね。

その帰りに、更新手続きが迫っていた自立支援の更新のために市役所まで行ったんですけど、順番を待っている間、構内のベンチの女性ばかりが座っているスペースに座りました。もうそれだけで「ああ、ホッとする。安心する。落ち着くわ〜」と思いました。ましてや薬局で怖い男性から因縁を付けられた後だったので、尚更そう思いました。

年代はいろいろあれど女性ばかりのスペースに居ると、緊張感は全く無く、ただただ「ああ、ホッとする。安心する。落ち着くわ〜」って思うんです。男性の群れの中に居ると緊張して怖くて息が詰まりそうになりますけど、周りが女性だとリラックスできるんです。やっぱり心が女性だからなんだと思います。

 

それと、これを言うと女性の方々から文句が来そうですけど、巷でよく言われている「女は感情の生き物」「女は子宮で物を考える」というの、実は恥ずかしいことに、私にも当てはまるフシがかなりあったりするんですよ。子宮はありませんけど、お腹の下のほう(要するに子宮の位置に相当する場所)がモヤモヤとしてきて、そこから感情が出ているような気がするんです。ヨガとかでいうところのチャクラと関係あるんでしょうかね?

それに私は論理立てて物を考えて行動するタイプではなく、その場の直感で行動するタイプです。もちろん考えなきゃならない場面ではしっかり・じっくり考えますけど、基本的には直感で、もっと極端な場合は感情だけで動いている場合さえあったりします。それ故に女性特有のヒステリーを起こして、感情がメチャクチャに高ぶって、もう自分でも何が何だか解らなくなっちゃうことがあります。「キーーーッ!」ってなるんです。はい、女性としてとっても恥ずかしいことだと思っています。あ、もちろん大昔とは違って、今ではヒステリーを起こしても周りに八つ当たりしたり物を壊したりすることは一切無いですよー。

職場の上司からは「めあさんは物腰が柔らかいし、雰囲気とか仕草が女性っぽくて、姿はともかく心が可愛らしいんだよなぁ」と言われたことがあって、それは女性特有の長所だと思うのでいいんですけど、ヒステリーなんていう女性特有の短所まで同居しちゃってるから困ったもんです。

スピリチュアリズム普及会(旧・心の道場)さんのニューズレターによれば、人間界での修行課題として、「男性はいかにして性欲を抑えることができるか、女性はいかにして感情のコントロールができるか」が課題なんだそうです。言われてみるとその通りで、ホントに感情が言うことを聞いてくれないことが多くて、自分でも困っています。なんでこんなに感情だけが暴走してんのー!? ってカンジで自分のヒステリーに呆れることさえあります。

え? そこまで自覚してるんなら直せって? それができれば苦労しませーーーん! 直すように努力はしているんですけど、これは持って生まれた性格だしなぁ…。思い起こせば子供の頃から直感と感情で動いて、時々ヒステリーも起こしていましたからねぇ…。やっぱり私って、生まれついての女性霊なんでしょうね。っていうか、魂自体は中性(これは誰でもそうです)なんだけど、私の場合は、いくつか前の前世から、あるいは直前の前世で、女性的な性格を良くも悪くも発達させすぎたのかもしれません。それで今の私がある、と。

「ったくもー、これじゃー、男の体でいることに激しい違和感と嫌悪感とコンプレックスを抱いても無理ないわー。むしろ抱かないほうがおかしいわー」と、妙に納得した次第です。納得してる場合じゃないんですけどね。

とにかく、私の今回の人生の課題は、幼女の心になることが最大の課題であることはもちろんだけど、その他に、女性特有の短所であるヒステリーを抑えるために感情のコントロールをうまくできるようになることも課題の一つなんだと思います。

ネット友人を引き合いに出して申し訳ないんですけど、彼女は女性なのにサバサバしていて、女性にありがちなドロドロしたネガティブな心が殆ど無いといってもいいほどアッサリしてて、尊敬しちゃいます。ネットで彼女の言動や考え方を見るたびに、「ああ、私は体は男のくせに、心は女性のネガティブな部分ばっかりを持ってる。これではいけない。男の心なんかハナっから未練無いしマジで完全に消えちゃっていいけど(←ゴミ箱にポイッとね☆)、とにかく女性特有の短所を直したい。そして女性特有の長所である、優しくて無邪気で可愛らしい心を持ちたい! その全てが幼女の心にも繋がるから、なおのこと重要だ。もっと心の修行をがんばらなきゃ!」と思います。

 

で、霊界で6歳幼女になったら、一つの「別の願望」があったりします。「幼女化願望についての独り言」から抜粋しますけど、

2013/07/19

最近では毎日、起きている時に約30分間くらい幼女の心になれていることは別のページで書いたとおりなんですけど、昨夜、仕事に出かけようと思って準備していたら、近所の路上を酔っ払いの中年男性がクダまいて歩いてました。何やら「こんな世の中生きてても仕方ねえんだ〜。死んだほうがいいんだ〜」とか言ってました。会社で何かあったのか、それとも家庭でなのかは解りませんけど、ふと、「もしここが霊界で、私が幼女の心と姿になっていたとしたら、あの男性に向かってきっとこう言うだろうな」と思って、ちっちゃい女の子が一人称を使う時に自分の名前に「ちゃん」を付けるのと同じように、一人称を「めあちゃん」として、男性に話しかけてるつもりで、幼女になり切って自室で一人ごちてみました。

    「おじちゃん、どしたの? ヤケになっちゃダメだよ。めあちゃんでよかったら、いっくらでもお話相手になったげるから、めあちゃんにぜーーーんぶお話しちゃって。吐き出したいこと、たっくさんあるんでしょ? ぜーーーんぶ喋っちゃっていいよ。そしたら、おじちゃんの気持ちも少しはスッキリすると思うの。ね? おじちゃん、だからもうヤケにならないでね。お願い」

なーんて風に。…くくく、ちょっとーヤダもうー。何やってんだろ私。でもチョ〜ハマりすぎ。自分でやっといて自分でウケて、手足ぶんぶんさせて幼女のようにはしゃぎ回ってしまいましたよ。私ってば本気で幼女の心モードになると、ホントにこんなカンジの口調になるからなー。

いえ、ホントはふざけるつもりはなかったんですよ。「死んだほうがいいんだ〜」なんて言ってるものだから、できれば「最大の過ち・自殺について」のページのアドレスでも教えたかったんですよ。でも相手は酔っ払いの、しかも中年男性。「なんかの宗教の勧誘かコラ!」とか言って絡まれたら怖いじゃないですか。ただでさえ男性恐怖症だし、それに出勤間際だったし。でも、もしあの男性がパソコンかケータイを持っていたら、先のページを見てくれることを願うだけです。私にはそれしかできません。

だから仕方が無いので、「もしここが霊界で〜」という妄想話で気を紛らわしたんですわ。

でも、もし本当に死後、霊界で今回のような出来事に遭遇したら、今度こそ私は幼女の心と姿になって、あの中年男性を「おじちゃん、大丈夫だよ。めあちゃんが付いてるからね。安心して」と優しく抱きしめてあげたいです。幼女になって、人生に疲れた中年男性を抱きしめて励ましてあげる(もちろん変な意味ではなく)、それも立派な愛の与え方の一つですよね。そういうシチュエーションって実は密かに憧れていたりします。それが例えばピーター・フォークとかパトリック・マッグーハンとかロバート・カルプ似の優しくてシブ〜イ中年男性だったら、私はもう喜んで抱きついちゃいます(←オヤジ好き)。おっとヨダレが…いけないいけない。

こういう妄想を抱くのは、10年ほど前に父の一方的な都合で父とコミュニケーションを殆ど取らせてもらえないまま死なれてしまったのが悔やまれて、その辺の物足りなさ・寂しさが、オヤジ好きなシチュエーションを妄想させるのかもしれませんね。うん、きっとそうだ。お父さん、今頃霊界でどうしてるだろうなー。私の幼女化願望を知って呆れてるんじゃないかしら…。「こんなナヨナヨしたみすぼらしい息子を持った覚えは…」とか言ってたりして。ま、いっけどね。それかもうとっくに再生してるかなー。霊界に帰ったら一目でいいから会えればいいなー。

というワケで、毎日順調に幼女の心になることができています。短時間しかなれない日もあるけど、けっこう長時間なれる日もあるので、平均すると一日約30分間くらいですね。もっとコンスタントに長時間なれるように今後も修行がんばろう!

次は夢日記から抜粋しますけど、

2013/08/07

夢では私は、何歳かは解らないけど幼女(女子園児)の心と姿と声になっていて、白いドレスを着て、ダンスパーティーの会場のような所に居ました。会場ではチークタイムになって、私は誰か素敵な相手を探したんですけど見つからなくて、「シブくて素敵なおじさまは、なかなか居ないなぁ〜」と言いました。そしたら側に居た20代後半くらいの男性が「おじさまじゃなくたっていいだろ、めあ、俺でガマンしろ」と言ってきたので、私は「ん、わかったー」と言って、その男性とチークを踊りました。以下、その時の会話です。

 

私「シブくて素敵なおじさまは、なかなか居ないなぁ〜」
男性「おじさまじゃなくたっていいだろ、めあ、俺でガマンしろ。さぁ踊ろうぜ」
私「ん、わかったー。(おじさまとダンスできないことを残念がって、男性とダンスをしながらため息混じりに)あ〜あ〜…ん〜ん〜…はぁ〜…」
男性「なんだよ。いかにもつまんなさそうな顔しやがって。よっぽど俺とダンスするのがイヤなようだな」
私「(慌てて両手のひらをブンブン振って)う、ううん、そんなことないよ。めあちゃん楽しいよ。あはは、あはは、たのしーなー。あはははははは! らんららんらら〜ん」
男性「いいよ…気を使うなよ…どうせ俺はシブくて素敵なおじさまじゃないからな。めあはシブいおじさまのことしか頭に無いみたいで、俺は寂しいよ…どうせ俺はお前の好みの男じゃないよ…」
私「ううん、あなただって素敵だよ。だってすっごく優しいじゃん。ありがとー! とっても楽しかったー! また遊んでねー!
    (思いっきり両手を振って)ばっばーーーい! (そして男性と別れた後で)…はぁ…やっぱりシブくて素敵なおじさまとダンスしたかったなぁ…」

 

    私のオヤジ好きは健在ですね(笑)。チークを踊った男性は、一見見知らぬ顔だったんですけど、以前から知っているような親しみのある雰囲気をしていました。実際、親しそうな会話をしていましたから。霊界でのただのお友達かもしれませんけど、類魂のメンバーとかだったら嬉しいです。幼女の心と姿になれていたことも、すっごく嬉しかったです。

という風に、霊界で6歳幼女になったら、優しくてシブイ中年男性に遊び相手になってほしいと思っています。もちろんエッチな意味なんて皆無で、とにかく、そういう男性に優しさという名の愛を注ぎたい、できれば一緒にダンスとかも踊ってほしい、んで、できれば一緒に遊園地とか映画館とか公園とかに行って遊んでほしい。こういう、「幼女の視点から見た、素敵なお父さんのような存在」がほしいですね。

私は無条件に男性に対して優しさという愛を注ぎ、男性は私を自分の子供のように可愛がってくれる、こんな清い関係ができたら嬉しいです。ピーター・フォークとかパトリック・マッグーハンとかロバート・カルプで解らなかったら、チョ〜有名どころで、「インディジョーンズ」のハリソン・フォードとか、好きですねー。とにかく、いい年の取り方をしている中年男性が好きです(そういえば、ハリソン・フォードについては、柊あおいさんも少女雑誌「りぼん」のコメントで大好きだと言っていましたっけ)。

人間界で男の姿でこんなことを言ったら即ホモ扱いされるでしょうけど、私はホモじゃないし、「女の子として」そういう中年男性が好きなんですよ。そこのところ、誤解のなきようにお願いしますです。ただのオヤジ好きなのか父性愛に飢えているのかは解りませんけどね。

 

ところで、昔の私は、髪の毛が腰までありました。髪の毛がショルダーバッグに届きそうなくらいに長かったです。でも10年前に仕事を変えた時、さすがにここまで伸ばすことは許されなかったので、一旦ショートカットにまで短くさせられました。その時のショックは、かなりのものでした。ショートカットは女の子でも通用することはしますけど、それまで長年伸ばしてきた髪の毛をバッサリ切ることによって、自分の中の「女の子の心」が失われてしまった気がしたものでした。

でもさすがに10年間も勤めていると上司も融通が利くようになってくるもので、「お客さんが不快にならないくらいの長さまでなら伸ばしてもいいよ」となったので、最近ではまた伸ばし始めています。今やっと後ろでゴムやシュシュで縛れる程度には伸びてきました。久しぶりに髪の毛を後ろで縛ってみた時の嬉しさといったら、もう、たまりませんでした。今の髪の毛の長さは、大体高校時代の長さですね。

私は、髪の毛を伸ばしている時は本当に、精神的にしっくりくるし安心するし落ち着くし、「ああ、これが本来の自分だ。ホッとする〜」という気持ちでいっぱいになります。やっぱり、髪の毛は女の子の命ですもん。「めあちゃん女の子だから髪の毛伸ばすと嬉しいの〜。男みたいに短髪なんて絶対にイヤなの〜。とんでもないの〜」ってカンジですね。やっぱり私は人間的にも霊的にも女性なのです。自覚ありまくりです。

ホントは、また昔みたいに腰まで伸ばしたいけど、さすがに上司から怒られるので、今よりも、もうちょっと伸ばした程度にしようかなと思います。腰まで伸ばしていた当時は「カラスの濡れ羽色」と言われるほどに髪質が良くて、女性からも嫉妬された(笑)んですけど、今はさすがにそこまでのツヤは無くなってきましたから、あまり伸ばしすぎても逆に恥ずかしいような気もするので。

ところで写真の私、お腹が僅かにポッコリ出てて、お尻が大きくて、ちょっと女性っぽい体つきでしょ? 子供時代から女性ホルモンが多かったために、女性っぽい肉付きになっているようです。あ、女性ホルモン投与とかは全然やったことないです。

 

あと、私はアグラはかきません、っていうか、精神的に抵抗があって、かけません。ずーっと昔はかけていたんですけど、最近ではかけなくなっちゃいました。なんかこう精神的に、アグラをかくことにすっごく抵抗があるんですよ。なので床に座る時は、正座か、アヒル座り(女の子座り)か、脚をまっすぐ伸ばしてカカトまでピシッとくっつけて座るか、その状態で体育座りをするか、内股になって体育座りをするか、いずれかですね。イスに座る時も同じで、脚をカカトまでピシッとくっつけるか、内股になって座ります。そういう時には、心から「ああ、安心する〜。落ち着くわ〜」と感じるんですよ。動画の踊りをマネっこする時にも完全に内股です。

女性が無意識に脚を揃えて座ったり内股になるのは、骨格の関係もあるんでしょうけど、女性特有の「子宮を守る本能」が働いて、そうなるらしいですね。

それと、以前は、床に座る時に頻繁に横座りをしていた時期もあったんですけど、どうやら横座りは一般的にも言われているように腰に悪いらしく、私もそれで腰を若干痛めたことがあるので、やむなく横座りだけはあまりやらないことにしています。ほんとは頻繁にやりたいんですけど、ま、仕方なく。

余談ですけど、私はオートマの車を運転する時には、常に左足ブレーキを使います。左足ブレーキを使うと、自然に脚がカカトまでピシッとくっつくようになって、やっぱり、「ああ、安心する〜。落ち着くわ〜」という気持ちになります。社用車がオートマなので、仕事中も常に「女性として安心して落ち着いている状態」です(笑)。っていうか、脚をカカトまでピシッとくっつけて運転したいから左足ブレーキをがんばって練習してマスターした、と言っても過言ではありません。それくらい、脚を開いて座るのはイヤなんですよ。

精神的な事情でアグラをかけない、脚をガバッと広げて座れないというのは、やっぱり私は霊的に女性なんだということを再認識しました。女性特有の「子宮を守る本能」も働いているんでしょう。私には子宮ないけど(笑)、ま、精神的に自然にそうなっているんでしょうね。

 

ちょっと恥ずかしい話なんですけど、最近ふと思ったこと。「睡眠中の出来事について」でも書いているように、私の前世は女性で、若い頃はかなりの美人だったようで、おまけにヨットハーバーの見える街で遊んで暮らしていて、お酒やセックスなどの快楽にばっかり溺れて、自分の美貌にうぬぼれて男をとっかえひっかえしながら弄んでいたんじゃないかなーと改めて思います。そのクソビッチな性格が今世にも引き継がれていて、体こそ男だけど心は女性の立場になりきって・・・まー・・・そのー・・・なんだー・・・あれこれ妄想することが多いんですよ。「男性の立場から妄想するのなんてヤダ。女性の立場になってあれこれされたい」って風に妄想することがヒジョーに多いんです。

まーーー、つまり前世の私は、いわゆるひとつの「淫乱女」だったんじゃないかなーと思います。でも死後守護霊さんとかと話し合って、「ただの淫乱女じゃ魂の修行にとってよくない」って話になって、今世ではあえて男の体に生まれて淫乱女ぶりを発揮できないようにして、「もっと心を大事にする」ってことを今世の課題にして生まれてきたんじゃないかなーと思うんですよね。

そう考えると、体質上お酒が全く飲めない(アルコールを分解する酵素が極端に少なく、僅かでも飲んだら命にかかわる)こととか、今世での自分の性別や容姿に対する葛藤とか、妄想する時に自分の立場を女性の立場にして妄想したい、って思うことの原因が割とスンナリ説明がついちゃうんですわ。これが今世での修行課題なんじゃないかなーって。

そういう、私のような、前世で心を磨く努力を一切しなかったクソビッチな淫乱女が寿命で死んで霊界に行っても、そう簡単に清らかな聖人君子になれるハズもなく、その性格を引き継いだまま今世にあえて男として生まれてきて、心の変革をするためにがんばる、それが今世でのいちばん大きな課題のような気がします。

というワケで、このページのタイトルを「私は霊的に女性だけど本能的にはクソビッチな淫乱女」に変えてもいいんじゃないかって思うくらい(笑)、それくらいスンナリ納得がいったんですよねー。

いや納得してる場合じゃないか(笑)。とにかく、今世でどれくらい清らかな心になれるか、がんばってみたいです。

 

脳の性別診断、やってみました。

http://homepage1.nifty.com/apartment/shindan/

何も意識せずに普通に答えてみたら、結果は・・・

脳の性別診断

診断結果

あなたは・・一般的な女性の脳の持ち主です。

あなたは、一般的な女性の脳の持ち主です。
あなたは、一般的に女性の脳が持っている特徴を、多く持っています。
あなたは、どちらかと言うと、冷静で論理的に物事を考えることができないタイプで、すぐ感情に左右される傾向もあります。

また、どちらかと言うと、男性が何を考えているのか理解できないタイプです。
その反面、感情が豊かで、他人とのコミニュケーションを大切にする性格でもあり、
どちらかと言うと、友人を多く作り、他人とのふれあいに喜びを感じるタイプです。

また、洞察力があり、わずかな情報で物事を深く認識する事ができ、勘が鋭く、思いがけない方法で問題を解決するのを得意とするタイプでもあります。

でした。脳の構造まで女だったとは我ながら意外でした。でも友人は多くないし、友人が少なくても深い付き合いのほうが大事、っていう考えなんですけどね。

やっぱり、心も脳も女なんだろうか・・・我ながら逆に怖くなってきたぞ。魂のバランス的には中性が理想的らしいから、私は心が女に偏りすぎてるのか? それにしては綺麗好きじゃないし、むしろ部屋はすっごく汚いし、男性的な部分もけっこうあると思うんだけどなぁ。こんなヤツが心も脳も女だなんて、我ながら信じられないな。

・・・でも、ちょっぴりばんざーいw

 

 

ええと、ちょっと珍しく(?)シモの話になるのでご注意ください。

2〜3年前から、配達で車を降りたり乗ったりを繰り返していると、車に乗り込んでシートに座った時に、ものすごい違和感と不快感を感じることが多くなりました。何がって、男性性器があることが、です。男性ならおわかりでしょうけど、いわゆる「ポジションが悪い」状態で、その不快感があまりにも強すぎて、まるで「靴下の中に巨大な異物が入り込んで気持ち悪くて、さっさと排除しちゃいたい」っていうような感覚になるんです。

もうね、乗り込むたびに「んもーう! 気持ち悪くてヤダ!」と言ってソッコーで直します。その作業がまた自分でもイヤでイヤで・・・

パンツがきつくてそうなるのかなと思って緩めのにしても同じで、違和感と不快感は変わらず。今これを正座とか横座りとかアヒル座りして書いている時も股間に違和感と不快感があってイヤになります。立ち上がっている時はほとんど感じないのだけど、座った途端に感じます。なんで最近になってまたこうなったんだ? アグラをかいた時だけはほとんど感じないんですけどアグラだけはかきたくないしなー。

まだ少年と呼べる年だった頃も、同じ理由で本当に男性性器を取っぱらっちゃいたいと思ったことが多かったです。「またこの変なカンジか。なんでこんなモンが付いてんの? 要らない! ジャマ!!」と思ったことも多く、成人してから一時期は収まっていたんですけど、最近になってまた当時の感覚が蘇ってきちゃって・・・

本当に、極端にポジションが悪い時の不快感に加えて、物理的に余計なモンが付いてるという意味で「男性性器要らない。ジャマ」って思ってます。もうその場で「えいやっ」て引っ張って取っちゃいたい衝動にかられます。いや本当にそうしたら大怪我&死ぬほど痛い&大出血するのでやりませんけど(アタリマエだ)。

ただ、付いてて便利なことが一つだけ。それは立ちショ○ができることです。仕事は夜中の運転なので、誰にも見られないような場所に行きさえすれば、その場でサッと済ますことができる、これが手軽で便利。でもその時に思うのは、

「ああ、こういう時だけは男の体は便利でありがたいよなぁ。本当にこういう時 だ け は。でもそれ以外は・・・ダメだ。受け入れられないわー。今こうして用を足してる自分自身の行動がイヤで恥ずかしくてたまらないわー。自己嫌悪で落ち込むわー」

って思うんです。

女性だった前世では当時の自分の体をどう思ってたのかな? 「女の体っていろいろ不便で厄介。なんでも気軽にできる男の人が羨ましい」とか思ってたのかな? わかんないですけどね。

でもまー、今になって手術で取っちゃうのもきっとえらくお金がかかるし、ただでさえ貧乏だし、家族から猛反対食らうに決まってるし、何より親を悲しませることになるし、自分さえコレを受け入れられればいいんだし。仕方が無い。今世の修行と思って諦めるしかないか。

あ、女性性器が欲しいと思っているのではないです。そーゆう意味ではないです。男性性器が要らないってだけの話です。股間がのっぺらぼうで、ただ排泄さえできればいい、そう思ってるだけですので誤解のなきように。

 

おまけ。えーと、先日致し方ない事情で雪道を三時間ほど歩かなければならなかった時、いやに足が外側に横滑りするなー変だなーと思って、いろいろ自分の歩き方を研究してたら気づいたこと。私はどうやら自覚が無かっただけで、X脚だったみたいです。


こんなの

X脚なのに無理してO脚っぽい歩き方をしてたから変な方向にチカラがかかって横滑りするってことがわかりました。

結果、現在では内股で歩いたり、走る時も内股で走ったり、階段を上り下りする時も内股でやると、足腰に負担がかからなくなったんですよ。いやマジで。今までは「なんでこんなに足腰が痛くなりやすいんだろう?」と不思議に思ってたのが、全ての動作を内股にしたら殆ど解決しちゃったワケなんです。ヒザの内側が擦れるくらいの内股で歩くと、足に負担がかからなくて済むこともわかりました。

今まで全然意識したことがなかったので、生まれつきX脚だったのかはわかりません。でも体を動かす仕事をやっていることもあり、足腰への負担がかなり軽くなるのなら、喜んで内股生活続けますわ。

それにしても、最近、女性だった前世を思い出しては、「ああ、やっぱり女の子として生きたあの人生は、きらびやかで華やかで可愛らしくて、本当に本当に素晴らしいものだったなぁ」と、つくづく思います。


次は、GID(性同一性障害)について。自分がどの程度GID(性同一性障害)的な要素を持っているか、それによって今までどういう葛藤を抱えてきたか、そういうことを考えます。

私のGIDとしての経歴や、今までに抱えてきた葛藤などをお話したいと思います。それによって今までまでにどういう風に精神的に変わってきたか、また、自分がGIDであることに気付くまでの経緯などもお話していきます。

何しろGIDな自分に気付く以前は、男性の肉体と女性の心の食い違いによる得体の知れない不安感を抱え、そしてその不安感に心が負けてしまって激しくストレスが溜まってしまい、物に八つ当たりする日々が続いていたんですからね。今思えば当時は本当にバカなことをしてきたものだと思っていますし、家族にもたくさん迷惑をかけてきました。

でも今はGIDだということに気付いただけでも、相当精神的に落ち着いていますし、もちろん暴力的なことも全くしていませんし、家族にも本当に申し訳なかったと思っています。クサイ言い方ですけど、GIDに気付いてからは心を入れ替えたんですよ。

まぁ、私個人だけの経歴なんですから、一つの「お話」として気楽に読んでいただければ幸いです。

では始めます。

私が小学生の頃は、自分がGIDだなんて思いもよりませんでした。ただ、中学校に上がってからは、潜在意識の中で、自分の外見上のコンプレックスつまり肉体が男であることにだんだんと違和感を感じてきて、でも当時はその違和感が何なのか解らなくて、本当に得体の知れない違和感を感じ始めていました。

高校に上がってからは、特に高校2年生あたりになってからは、少しずつ女の子の心が芽生えてきたように思います。その頃から既におかっぱ頭にして、女性用のジーンズもはいていました。とある駅のホームとか街中で女の子に間違われることもありましたが、私は女の子に間違われることが本当に心底嬉しかったんですよ。まぁかなり女の子っぽい外見をしていたんですから、間違われても不思議はありませんけど。

でも当時は自分がGIDであることには全く気付いていなくて、ただ「女の子っぽい格好をしたい」と思っていただけでした。さすがにスカートを穿く勇気はありませんでしたけど。

子供時代から高校時代に至るまでの私は、顔がふっくらしていて、お尻も大きくて、どことなく女の子っぽい顔つきをしていて、おまけに身長も低かったせいもあって、よく女の子に間違われたんでしょう。それは心底嬉しいことでした。

高校2〜3年生の頃から、男であることに相当コンプレックスを抱えてきていましたし、裏を返せば「女の子に変身したい」という願望が芽生え始めていたんですね。

もちろんその当時は霊界のことなんて全く知らなくて、漠然と「女の子に変身したい」と思っていただけでした。ですから、「ああ、でもやっぱり女の子になるなんて、どう転んでも絶対に無理だよなぁ…」と、しばしば落胆したものでした。

そういう得体の知れない不安感が強烈なストレスになって、情緒不安定になって、物に八つ当たりして家族に迷惑をかけることも多かったです。そして自暴自棄になって、自殺まで考えたことも数知れずありました。

でも最近になってスピリチュアリズムと出会ってから、死んで霊界に行ってからは努力次第で自分の願った姿に変身できることを知り、「霊界ならば幼女化願望が叶えられる」と確信したというわけです。

それにもう一つ、GIDを自認するきっかけがありました。少女漫画を描き始めたことと、笛を吹き始めたことです。少女漫画を描いているうちに「自分もこんな素敵な幼女のヒロインになりたい」と思い、笛を生き甲斐とすることで、「笛を吹く幼女」という、私の霊界での願望が、ごく自然に出来上がったわけなんですよね。

こんな私は「本当のGID」なんでしょうか? それとも「なんちゃってGID」なんでしょうか? まぁ言葉はどうでもよくて、大事なのは「今の心・今の精神状態」なんだと思います。

 

さて、ここでちょっと話の方向を変えて、今の人生について深く考えてみました。かなり込み入った内容です。

睡眠中の出来事について」のページに書いていますけど、私の前世の一つである、

また、金髪のロングヘアーの女性で、ヨットハーバーの見える街で遊んで暮らしていた(笑)前世も見ました。

というくだりについて。

私が前世で女性だった時のその姿は、映像的にハッキリ覚えてるんですけど、かなりの美人だったようです。あっ、自慢話じゃないのでページ閉じないでー!

問題なのは、女性だった前世のカルマ今生の試練との非常にシビアな因果関係なんですよ。

女性だった時は、何もしなくても男性たちが寄ってくるような自分の美貌にうぬぼれて、おしゃれをしては気まぐれにあっちの男性こっちの男性へと寄って行って、主にセックスなどのつかの間の快楽におぼれて、何人もの男性たちを手玉に取って遊びまくって、心を磨く努力を一切しなかったんじゃないかと思います。また、自分が美人であることをいいことに、つまらないプライドばかりが高くなって、ひょっとしたら気に入らない人たちに対して身体的な特徴を含めた悪口まで言って、人をたくさん傷つけてしまったんじゃないかな、とも思うんです。私の魂の基本的な欲求は美の追及ですから、女性だった時もきっと同じだったことでしょう。それで外見的に美しいものばかりに惹かれて、美しくないものは人であれ物であれコキおろしていたんじゃないかな、と。

そういう、ワガママで自己中心的で、おしゃれとセックスのことしか頭にないような煩悩の塊で、外見的なことしか見ない残酷だった女が、寿命で死んで霊界に帰って、霊的な良心に目覚めて、「自分はなんてひどいことをしてしまったんだろう…」と女性だった前世を激しく反省した後に、「今度は普通の外見の男に生まれて、何をやっても失敗ばかりするトロい男になって、自分がコキおろされる立場になって、罪滅ぼしをしよう」と決意して今の人生を選んだんじゃないかと思うんですよ。ただ、再生する際の性別についてだけは自分で選べないらしいので、私が再生するちょっと前に霊界の指導霊さんたちが「こやつは今度は男に生まれて苦しんだほうがいい。それがカルマの清算の早道だ。こやつの今度の再生は男だ」と判断したんでしょう。激しく反省した私もそれに同意したのかもしれません。

それで今の人生がある、と。思い返してみれば小さい時から苦労と失敗の連続で、人から暴言を吐かれて傷つけられてばっかりで、心が安らいだ日々など全くありませんでした。何せ、大多数の人間から無条件に嫌われる・バカにされる・迫害される・攻撃を受けるという人生を送ってきたんですから。男女問わず、老人、中年、青年、果ては子供にまで「死ね」と言われたことも数知れずありました。その度に自殺を考えたことも数知れずありました。

そして、自分は体は男なのに心は女なんだということに気づき、体と心の食い違いによる葛藤や苦しみまでをも味わって、精神的にのた打ち回る人生が続いて今に至るんじゃないかな、と。要するに前世の罪滅ぼし=カルマの清算なんですね。

今までのつらい体験は、前世の罪滅ぼしなんだと割り切ってしまえば、傷つけられる度に落ち込みはするけど、少なくとも自殺を考えるまでには至りませんし、「また一つカルマを消化できた」と安心することさえあります。

学生時代に芽生えた「女の子になりたい」という気持ちは、本能的に潜在意識で「美しかった前世の姿に戻りたい」と感じていたんじゃないかと思います。でもそれは今生では絶対に叶わない夢。罪滅ぼしが終わるまではどんなに苦しくても男として明るく前向きに生きていかなければならない。そして何よりも心を磨くことを覚えなければならない。だから今の人生がある。と、そういう風に思うんです。そう思えば今まであまりにも理不尽に感じていた今生での苦しい出来事が全て納得がいくんですよ。

マイヤースの本などのスピリチュアリズムと出会ったことも、偶然じゃなく(シルバーバーチは“偶然は存在しない”と言っているし)、必然的に出会う運命だったんじゃないかと思います。私の前世の歪みきった心を体と知識で矯正させようという、指導霊さんや守護霊さんの計らいだったと思うんです。

幼女化願望を持ったことも、今までの経験が役に立って精神が鍛えられていくうちに、自然に「無垢な心のかわいい女の子になりたい」と願うようになった気がするんですよ。前世の美しい姿への憧れと、今生で磨かれた「無垢な心になりたい」という精神が折り重なって幼女化願望が芽生えたんだと思います。

でも仮に、次回かわいい女の子に再生したとしても、今度は自分の美貌にうぬぼれることもなく、セックスなどの快楽におぼれることもなく、謙虚に慎ましく生きていきたいです。じゃないとまた同じことの繰り返しになっちゃいますから。

とにかく、男としての今生を耐えて生きていくしかありません。がんばります。

私は子供時代から、イジメ、嫌がらせ、不当な仕打ち、不当な扱い、割に合わない損な役回りなどで、これまで散々苦しい思いをさせられてきました。霊界のこととかスピリチュアリズムを知る前は、よく相手を憎んだものでした。でも私は、怒りや憎しみの感情を抱いている時って、すっごく心がツライんですよね。ネガティブな感情を抱いている自分の心に対して胸が痛むというか…。

だから基本的には怒りとか憎しみの感情を持つことはイヤなんですよ。もちろん人なんか傷つけたくありません。子供だった頃は無意識に言葉で人を傷つけてしまったこともありましたけど、今は全く違いますから。

ひどいことをされた時には、とにかくひたすら悲しむことにしていました。そうすれば忘れるのも早いですから。

でもスピリチュアリズムを知ってからは、ひどいことをされていたのは相手だけじゃなく自分にも大いに責任があるってことを学んだんです。「自分の心に愛が足りないからだ」って思えるようになって、「もっと心に愛を抱かなきゃ」とも思えるようになりました。それを教えてくれたのはスピリチュアリズムの数々の霊界通信でした。霊界研究を始めて本当によかったと思います。気持ちにゆとりができて心が晴れて、愛に目覚めることができたんですから。

そして今では、「大多数の人間から嫌われようとも、家族(親兄弟)と仲良くできて、体もまぁまぁ健康で、仕事もそこそこできて、収入も飢え死にしない程度あれば、もうそれで満足。必要以上の富も仲間も求めないし、心が女だから結婚したいとも思わない。一生独身を貫き、清貧に甘んじて、決して目立つことはせずに、一生静かに慎ましやかに暮らしていこう。心が幸せならば、物質的な幸せなど必要最小限でいい。心を磨くこと・誰かに愛を与えることだけに専念して生きていければ、それで幸せ」と思って暮らしています。

 

えっと、ちょっと脱線させてください。

白状しちゃいますけど、私は未成年時代、特に幼稚園から中学一年くらいまでの時代は、心の隅っこにかなり残酷な一面を持っていました。上に書いた女性だった前世の時の残酷な心がまだ残っていたんでしょう。幼稚園から中学一年くらいまでの時代は悪いこともたくさんしました。具体的に言うと、幼稚園の側に建っていた保育所のような所に当時の悪友と二人でこっそり行って、そこの窓ガラスを石を投げて割ったり、意味も無く虫をたくさん殺したり、小学校に上がってからは、しばらくは大人しかったんですけど、小学校高学年辺りになると感情のコントロールがきかなくなって、その場の感情に任せて暴言を吐いて人を傷つけてしまうことも多かったです。この小学校高学年時代は、我ながら最低の人間だったと思います。そして中学一年の時には、廃墟になっていたお店に遊びのつもりで忍び込んで、近所の人から通報されて補導されて、パトカーに乗せられて警察署できっついお説教をされたこともありました。呼び出された母親はあまりの情けなさに泣いていました。

こんな風に、私の幼稚園から中学一年くらいまでの時代は、善悪の区別が付かない極めて未熟な心のままダラダラと時を過ごしていたのでした。もっとハッキリ言えば、その時代の私は反省することを知らない「低級霊の中の低級霊」と言ってもいいほどで、今思い出すと「人間のクズだった」という後悔と反省の念でいっぱいです。

でも、そういうクズ人間が、その後すぐにカルマが帰ってきたんでしょう、中学時代後半そして高校時代へと進んでいくうちに、幼少時代から受けていたイジメや嫌がらせが急にひどくなって遂にノイローゼになり、男の体への違和感と嫌悪感も手伝って自殺を考えることも多くなり、これではマズイと思って勉強に集中して悩みを忘れようとして、そこから何とか立ち直ったものの、その後の人生も失敗と苦労の連続で、そういう経験をすることで結果的に「他人への哀れみを知る」ことや「人を傷つけることがいかに愚かな行為か」ということを身をもって学んだのでした。この時点でやっと、残酷な女性だった前世での性格を変えていくことが僅かながらでき始めたのでした。

それからもいろいろな苦難を経験して、「この理不尽な苦難はどういうことだろう? 何かきっと理由があるハズだ」と思っていたところで、ふとしたことからスピリチュアリズムに出会い、霊界研究に目覚めて以来、今まで約8年間過ごしてきました。そして今の私があります(これを書いているのは2013/08/22)。もともと霊界には興味があって、長年続いている部屋のラップや話し声(「家鳴り」とか「気のせい」とか「幻聴」なんていうレベルではなく本当に耳元でハッキリ聞こえる)などの現象のおかげで、興味本位とはいえハロウィン少女コミック「ほんとにあった怖い話」とかを読んでいましたから、霊界研究を本格的に始めるのにも抵抗がなかったことが幸いでした。

そうなんです。前世の残酷な自分そして今生の中学一年までの自分の醜い心、これを完全に自覚して、本気で「何とかしたい!」と思うようになったのでした。だからこそ昔の自分を大いに恥じて大いに軽蔑して、「もう二度とあの時代の心には戻るもんか!」と決心したからこそ、今の願望「どこまでも優しくて純粋で、心の底から無邪気で、『これぞ6歳幼女!』と言えるような可愛らしい心になりたい」という願望が湧き上がってきて、自分の心を全て、文字通り入れ替えてしまいたい・いっそ(いい意味で)別人のような心になりたいという気持ちで、本気で努力している真っ最中だったりします。

マイヤースも、「残酷な心・残虐性の強い人間は、心の奥深くに食い入った変態で、己の魂を著しく傷つける」と言っています。そうなんですよね。昔の私は自分で自分の魂を著しく傷つけていたってことです。

前世から抱えてきた「残虐性を完全に消す」という宿題は、どんなにがんばってもあと10年か20年か、あるいは今生いっぱい、いや死後までかかるかもしれません。なんといっても私の持っていた残虐性は前世で一生かけて培ってしまった心だったんでしょうから。でもいいんです。前世を含む昔の醜い心の自分が大っ嫌いになって、現在時々「愛と優しさと無邪気さでいっぱいの幼女の心」になれている自分を好きになれただけでも、成長と言えるでしょう。おそらく前世を含む昔の私は、悪を好んで善を憎む、まさに「低級霊そのもの」だったんだと思います。そういうどうしようもない人間が、心の方向を180度変えることができただけでも収穫と言えるのではないでしょうか。

というワケで、GIDの話とはちょっと脱線してしまいましたけど、私はこんな人間です。呆れちゃったら帰ってくださっても結構ですけど、私の本格的な心の修行は、まだ始めてから一年ちょっと(2013/08/22の時点で)なので、要するに修行を始めたばっかりの未熟者なので、大目に見ていただければ幸いです。サイトの随所でエラソーに霊的真理を語っているように見えるでしょうけど、それも全部自戒を込めて、自分に強く言い聞かせることも兼ねて書いていることを付け加えておきます。要するに上から目線で書いているのではない、ということです。そこのところを、ご理解ください。


次は男性恐怖症について。

私は昔から男性恐怖症です。自分自身も一応体だけは男なんですけど、なぜか周りの男性が怖いんです。職場の上司や先輩の男性はもちろんのこと、同僚や後輩の男性、更には兄までもが怖いんです。男性というだけで、もう無条件に怖いですね。ひどい時には見知らぬ男性と道ですれ違う時も怖い時があります。女性特有の自己防衛本能が自動的に働いちゃうかんじなんですよ。特に、身体上の特徴のことで男性から暴言を吐かれた時には、本当に冗談抜きで「女としてのプライドをズタズタにされた」という気持ちになるんです。これ本当に大マジメな話です。何せ心は完全に女ですから。

いつ頃から男性が怖くなったのかしら? とよーく思い出してみると、高校時代の後半あたりからのような気がします。青春真っ盛りで感受性が強い時期に、何かあったかしら? と考えてみると、私が「女の子になりたい」と思い始めた時期と重なるんですよね。そしてその時期は自分のことをGIDではないかと思い始めた時期でもあります。もちろん当時はGIDとか性同一性障害なんて言葉は知りませんでしたけど。

イヤな自分の性別のせいで強烈な性別コンプレックスに陥り、男性に対する友情よりも女性に対する友情のほうが勝(まさ)って、女性が相手だったら気を使わずに気兼ねなく話せるのに、男性に対してはダメになっていきました。そんな調子だから今は女性の友達ばかりです。ちなみに性別に関係なく恋人は居ないですからね。

高校時代の後半に芽生えた女性化願望と男性恐怖症は、どこかで繋がっているんだと思います。

ある日のことですけど、仕事上のミスで男性の上司から怒られたことがありました。ただ注意されているだけで別に怒鳴られているんじゃないのに、ものすごく怖かったです。ただ単に私がミスをしただけで、上司は当然怒ったワケです。それでも相手が男性というだけですっごく怖かったんですよ。この男性恐怖症は異常ですね。

またある日のこと。入社したばっかりの時で仕事の勝手が解らない時期に、「仕事の要領が悪い!」と男性の上司から大声で怒鳴られました。あそこまで怒らなくてもいいのに、もう怖くて怖くて体が縮こまっちゃいましたよ。やっぱり男性は怖いです。

気をつけなければいけないのは、男性恐怖症が悪化して男性不信や男性嫌悪にまでなってしまうことです。ただただ男性が怖いという意識だけが強くなってしまって、更に男性は得体の知れない存在だと思うようになってしまって、遂には男性不信になる、と。人間は恐怖を感じると本能的に身を守って、相手が得体の知れない存在だと思ったら攻撃までしてしまうという習性を持っているらしいですよね。私の場合は攻撃なんかはできませんけど、心の中で「男ってなんであんなに乱暴でガサツなんだろう。男なんか大っ嫌い」という風に、最終的には男性嫌悪にまで悪化してしまう危険性があるんですよ。

特に私の場合は夜中に外回りの仕事をしているので、夜中の街をうろついているガラの悪い男性を多く見てきています。そういう時間帯の男性ばっかりを見てるから、つい「男性は乱暴でガサツ」と思ってしまうんでしょうね。それは実に短絡的な思考回路だと自分でも思いますし、自己改善の余地は大いにあると思います。

もちろん、乱暴でガサツな男性ばっかりじゃないのは解っていますし、優しくて思いやりがあって繊細な心を持った男性もいっぱい居る(←ここ特に強調)ことも解っています。でも怖い体験をしていく内に、それがどんどん積み重なっていく内に、「怖い」という感情が「怒り」という名のヒステリーになっちゃって、そういう時はもう自分でも手が付けられないんです。「あーもうっ! キーーーッ!!」っていう風に本当に女性のヒステリーと同じ感情になっちゃうんですよね困ったことに。それだけ私の心は女性的ということなんでしょうけど…。

私の場合は怒りや憎しみの感情を抱えている時ほどツライことはないので、そういう時は極力感情を抑えて冷静になるようにして、なんとか自分との戦いを終わらせることが多いです。とにかく、男性不信や男性嫌悪には悪化させたくないですね。それが日ごろの注意点なんですよ。怒りや憎しみの感情ほどネガティブな感情はありませんし、心の管理をしっかりしていきたいです。

ある日、こんな夢を見ました。夢日記から抜粋。

2012/06/02

夢での性別は解りませんでしたけど、心は女性の心になっていました。私は夢の中でも部屋に居てベッドに入っていたんですけど、意識はありました。そしたら急に人の気配がして掛け布団がひとりでにスルスルッとめくれたので、私は直感的に男性の色情霊が来たと思って「レイプされる! いやあああ! 怖いーーー!」と心の中で叫びました。体が動かなかったので、意念のチカラで掛け布団を元に戻したところ、男性の色情霊の気配は消えました。

    女性の心になっていたのは当然としても、男性恐怖症は夢の中でも時々ありますね。まぁ特に今回はレイプされそうになったんですから、女性として怖かったのはこれまた当然なんですけどね。怖い体験でしたけど、自分の心が女性であることを再認識できて、よかったです。っていうか、そうとでも思っていないと今回は怖くてやってられません。

    男性恐怖症と関連して、最近男性から怒られたり怒鳴られたり、他にもいろんなことをされた時に、心の中で叫んでいる言葉があります。

    「怖い、怖い、男の人怖い。怒られたーーー!」
    「怖い、怖い、男の人怖い。怒鳴られたーーー!」
    「怖い、怖い、男の人怖い。睨まれたーーー!」
    「怖い、怖い、男の人怖い。凄まれたーーー!」
    「怖い、怖い、男の人怖い。なじられたーーー!」
    「怖い、怖い、男の人怖い。(精神的に)犯されたーーー!」

    などです。特に最後の言葉は、女性としていちばん心にグサッとくる言葉や態度を示された時に使っています。そういう風にいろんなパターンの言葉にして叫ばないと、精神のバランスが保てないんですよ。精神的ダメージを食らったままだと、あまりのストレスのせいで精神がおかしくなりそうになるので、ストレスを発散するために上のような叫びを発して精神的ダメージを緩和しているワケです。女性の心が発達すればするほど男性恐怖症が強くなるような気がして、本当に困ったもんです。夢の中での善良な男性に対しては全然怖くないのが、せめてもの救いです。

という風に、夢の中でレイプされそうになったことがありました。それよか以前にも、実際に女性の姿になっていて本当にレイプされてしまった夢を見たことも何度かありました。その時はもう怖くて怖くてたまりませんでしたよ。女性としてレイプされるということは精神的に殺されることと同じなんですよ。たかが夢ですから実害はないし気にしなければいいんですけど、男性恐怖症が悪化しないか心配です。

最近では、女の子の心がどんどん発達するにつれて、男性恐怖症も更に強くなってきています。なぜなんでしょうね? 原因をいろいろ考えているんですけど解りません。何しろ学生時代から男性恐怖症をずーっと引きずっているので根深い原因があるんだと思います。

また、こんな夢も見ました。

2012/11/21

夢では私は、17歳くらいの女子高生の姿と心になっていて、学校の制服の上に薄くて黄色いセーターという身なりでした。向かいにはとても大柄で筋肉質な中年男性が居て、私はその男性に押さえ込まれてセーターの上から胸を揉まれていて、とてもイヤな気分でした。そして私は「なんでそんなにギラギラした目をしてんの!? ヤメて!」と抵抗したんですけどダメでした。

    最近は女の子になれた夢を見る頻度もある程度は安定してきて嬉しいんですけど、女の子になれた時に限ってこういうイヤなシチュエーションの夢を見ることが多い気がします。今回の男性は暴力的なイメージが強く、私が最も苦手とするタイプでした。

    実は最近、精神安定剤の種類を変えてもらったんですけど、副作用の一つとして「人によってはヒドイ悪夢を見ることがある」というのがあったりします。新しい薬の影響もあるでしょうし、また、昨日某サイトでマザーテレサの言葉「どんなに悪い人でも必ず心のどこかに美しい部分を持っている。その美しい部分だけを見れば、どんなに悪い人でも私は愛することができる」というのを読んで、今更ながらすごい人だ、こういう心境に達するまでどれくらいかかるんだろう? と思ったことも今回の夢の原因なんじゃないかと思うんですよね。最も苦手とするタイプの男性に対して、ほんの一瞬でもいいからマザーテレサのような広い心で愛することができれば理想的だよな〜と。

    今後は、真っ向からイヤがらないで、少し違う角度から考えてみることにしてみます。

という風に、少し落ち着いて考えられるようになってきました。「どんなに悪い人でも必ず心のどこかに美しい部分を持っている。その美しい部分だけを見れば、どんなに悪い人でも私は愛することができる」。改めてマザーテレサは偉大ですね。「え? あんた今までこの言葉知らなかったの?」と言われそうですけど、はい、知りませんでした。もう、死ぬまで勉強のタネ尽きな〜い。死んでからも尽きないんですけどね。

そういえばジュリアも、「極悪の人をも愛するべきです」と言っていましたけど、こういうことだったのかなと今になって思います。

でもまだ私の男性恐怖症の克服の修行は始まったばかり。これからもいろいろとあるでしょうけど、その度にマザーテレサやジュリアの言葉を思い出そうと思います。

ある日髪の毛をカットしに行ったんですよ。といっても1000円カットですけど。美容師さんに「どれくらい切りますか?」と聞かれたので、それまでかなり伸びていたこともあって、「思いっきり短くしてください。女の子のショートカットみたいに」とお願いしました。昔は腰までのロングヘアーだったんですけど、仕事上マズイということで数年前にバッサリ切ったんです。それに最近では「私の願望は霊界にしかない。だから人間界でのこんな男の姿なんて、どーでもいいや」という割り切った気持ちになることができているので、ショートカットにすることも今では抵抗はありません。

で、美容師さんは男性だったんですけど(女性と男性が半々くらいで、私はたまたま男性に当たった)、カットしてもらってる最中「とっても恥ずかしい…」という気持ちになっちゃいました。なんて言うのかな、うまく言えないんですけど、髪の毛をバッサリ切られてショートカットにされることで、自分の女としての内面までもが崩れていくカンジがして、それをその男性の前にさらけだしてしまっているようで恥ずかしかったんですよ。本当に「女としての恥ずかしさ」という感覚でした。

幸いなことに、その男性のことはそれほど怖いとは思いませんでした。優しい美容師さんだったからでしょうね。

男性恐怖症、少しずつ治ってくれればいいなーと切に思います。

 

つい最近思い出したことで、「もしかしたら、これが男性恐怖症になった根本的な原因かも!?」という出来事があるんですけど、それは私がまだ小学校低学年だった頃の話で、ネットに書くにはまだ恥ずかしいので今は書けませんけど、いつか勇気が出たら書きたいと思います。今まで家族にも誰にも話していなくて、つい最近女性の親友一人だけに話した状態です。

 

それとは別に、昨日(2013/08/08)にハッと気づいたことがあります。それは、「もしかしたら私の男性恐怖症は、自意識過剰と被害妄想も原因ではないか?」ということです。思い返してみれば中学時代から自意識過剰と被害妄想が出てきて、それ以後の人生のそれぞれの時期の精神の安定度により、今まで自意識過剰と被害妄想が出たり引っ込んだりしていた気がするんですよ。

「自分の性別への違和感」や「男の姿でいることへのコンプレックス」が原因で、「外見を不自然に見られていないだろうか?」とか「周りに不快感を与えていないだろうか?」と、周りの目を過剰に気にして、常にその場の空気を感じながら生きてきました。

本当なら気にしないのが一番よかったんでしょうけど、まだ中学生で多感だった私は、それがどうしてもできなくて、たぶん周りに対して意識しすぎて「周りの目が怖いよオーラ」を出して、その場の空気を変な重圧感と不快感で満たしてしまっていたんだと思います。それで周りも「なに意識してんだコノヤロウ」とか「なにアイツ? 変なヤツ」と思って、要らぬ反感を買っていたのではないかと。で、基本的に心が女で既に男性恐怖症になっていたので男性の目のほうがずっと怖くなってしまって、結果的に無条件に男性を怖がるところまで悪化してしまって今に至るんじゃないかと。

そう考えると、根本的な男性恐怖症の解決にはならないけれど、

自意識過剰と被害妄想を治していけば、男性恐怖症の悪化を防いで、更に症状を軽くすることはできるな、

と思ったんです。

でも、長年かけて培ってきてしまった自意識過剰と被害妄想は、そう簡単には治ってくれないでしょう。なにせGIDによる「性別と姿へのコンプレックス」がドーンと心の奥深くまで根っこを張っていますからね。でも原因の一部が解っただけでも、チョ〜めっけもんです。あとは自分ががんばればいいんですからね。気づきを与えてくれた神様や守護霊さんには、とても感謝しています。

とにかく、自意識過剰と被害妄想を治せるように、がんばっていこうと思います。これを克服できれば、萎縮していた魂が開放されるんですから、行動力が更に付くし、霊的にもかなり成長できそうだし、幼女の心の修行にも、とてもいい影響を与えると思うんです。特に、毎日30分くらいしか幼女の心になれていないとはいえ、幼女の心になった時には、その30分の間、

周りの目を気にしないで本当の自分らしい、幼女らしい表情や仕草や身振り手振りや言葉遣いができるでしょうし、幼女の心になっている持続時間もかなり長くなるでしょうから。

幼女の心の向上のためとなったらもう、がんばるぞー! という気持ちになります。「男性恐怖症の克服」と「幼女の心の修行」とを合わせて、ちょっと希望が見えてきたかな? という気がします。


次は、霊界での彼氏について。

最近(これを書いているのは2013/12/30)、霊界での彼氏のことを思うことが多いです。私の今生での性別やGIDのことや心の中を全て知っていて、その上で私の幼女化願望も受け入れてくれて、それも全部ひっくるめて、私を「彼女」として扱ってくれる、そんな人が出来たらいいなーと思います。

それに関連したことで、夢日記から抜粋しますけど、

2013/08/07

夢では私は、何歳かは解らないけど幼女(女子園児)の心と姿と声になっていて、白いドレスを着て、ダンスパーティーの会場のような所に居ました。会場ではチークタイムになって、私は誰か素敵な相手を探したんですけど見つからなくて、「シブくて素敵なおじさまは、なかなか居ないなぁ〜」と言いました。そしたら側に居た20代後半くらいの男性が「おじさまじゃなくたっていいだろ、めあ、俺でガマンしろ」と言ってきたので、私は「ん、わかったー」と言って、その男性とチークを踊りました。以下、その時の会話です。

 

私「シブくて素敵なおじさまは、なかなか居ないなぁ〜」
男性「おじさまじゃなくたっていいだろ、めあ、俺でガマンしろ。さぁ踊ろうぜ」
私「ん、わかったー。(おじさまとダンスできないことを残念がって、男性とダンスをしながらため息混じりに)あ〜あ〜…ん〜ん〜…はぁ〜…」
男性「なんだよ。いかにもつまんなさそうな顔しやがって。よっぽど俺とダンスするのがイヤなようだな」
私「(慌てて両手のひらをブンブン振って)う、ううん、そんなことないよ。めあちゃん楽しいよ。あはは、あはは、たのしーなー。あはははははは! らんららんらら〜ん」
男性「いいよ…気を使うなよ…どうせ俺はシブくて素敵なおじさまじゃないからな。めあはシブいおじさまのことしか頭に無いみたいで、俺は寂しいよ…どうせ俺はお前の好みの男じゃないよ…」
私「ううん、あなただって素敵だよ。だってすっごく優しいじゃん。ありがとー! とっても楽しかったー! また遊んでねー!
    (思いっきり両手を振って)ばっばーーーい! (そして男性と別れた後で)…はぁ…やっぱりシブくて素敵なおじさまとダンスしたかったなぁ…」

 

    私のオヤジ好きは健在ですね(笑)。チークを踊った男性は、一見見知らぬ顔だったんですけど、以前から知っているような親しみのある雰囲気をしていました。実際、親しそうな会話をしていましたから。霊界でのただのお友達かもしれませんけど、類魂のメンバーとかだったら嬉しいです。幼女の心と姿になれていたことも、すっごく嬉しかったです。

という風に、霊界で6歳幼女になったら、優しくてシブイ中年男性に遊び相手になってほしいと思っています。もちろんエッチな意味なんて皆無で、とにかく、そういう男性に優しさという名の愛を注ぎたい、できれば一緒にダンスとかも踊ってほしい、んで、できれば一緒に遊園地とか映画館とか公園とかに行って遊んでほしい。こういう、「幼女の視点から見た、素敵なお父さんのような存在」がほしいですね。

私は無条件に男性に対して優しさという愛を注ぎ、男性は私を自分の子供のように可愛がってくれる、こんな清い関係ができたら嬉しいです。ピーター・フォークとかパトリック・マッグーハンとかロバート・カルプで解らなかったら、チョ〜有名どころで、「インディジョーンズ」のハリソン・フォードとか、好きですねー。とにかく、いい年の取り方をしている中年・老年男性が好きです(そういえば、ハリソン・フォードについては、柊あおいさんも少女雑誌「りぼん」のコメントで大好きだと言っていましたっけ)。

人間界で男の姿でこんなことを言ったら即ホモ扱いされるでしょうけど、私はホモじゃないし、「女の子として」そういう男性が好きなんですよ。そこのところ、誤解のなきようにお願いしますです。ただのオヤジ好きなのか父性愛に飢えているのかは解りませんけどね。

 

既に他界している父は、私が幼少時代の頃から滅多に家に帰って来なくて、父が居ない生活が当たり前だったせいで、私は父性愛に飢えていたのかもしれません。でも、父がまだ生きていた時でも、私は、当時勤めていた会社の30歳くらい年上のシブくて優しいおじさまのことを「○○さぁん・・・素敵」と思っていたことがあります。マジです。30歳も年上の男性のことを素敵と思っていたんですよ。なので、生まれつきそういうファザコンならぬオジコンが入っているのかも(笑)。

ネット友人のFさんとの会話で、「おじさま好きな幼女、かわいいじゃないですか。娘に相手にされなくて寂しい思いをしているおじさまに『めあちゃんと遊ぼう〜〜〜!』って言って遊んであげたら、近所のおじさま達からモテモテのアイドルになれますよ」と言われたのが発端というかキッカケなんですけど、霊界に行ったら、そういう、「娘が遊んでくれなくてなぁ・・・」と寂しい思いをしているおじさまたちの気が済むまで遊んであげたい。いろんな寂しい気持ちのおじさまたちのために遊んであげたい。そうすれば霊界で寂しい思いをしているおじさまたちからモテモテのアイドルになれます、でへへ。霊界でおじさまたちからのアイドル、やってみたーーーい!

寂しい思いをしているおじさまに向かって、満面の笑顔を浮かべて元気いっぱいに、

って言って遊んであげて、寂しい気持ちを紛らわしてあげたいです。プライベートではもちろんのこと、毎晩の仕事の運転中にも、上のセリフを独り言で喋って、幼女の心の練習をしてます。

 

でも、夢に出てきた20代後半の男性は、一見見知らぬ顔でも、心の奥底では昔から知っているような、とっても親しみを感じる人でした。言葉遣いはちょっと荒っぽいけど、それは「優しさの照れ隠し」という風に見えました。そういう風に、言葉遣いはちょっと荒っぽくても心はすっごく優しくて、私のことをいつも慕ってくれている、そういう人だと感じました。もしかしたら、類魂のメンバーなのかもしれません。類魂のメンバーで、なおかつ彼氏になってくれるなら大歓迎です。

それに、私は「シブくて素敵なおじさま」にこだわっていましたけど、それはあくまでも外見的なことに過ぎないので、夢に出てきた男性のような人のほうが理想なのかもしれないなーと思ったりもします。それにそれに、20代後半の男性であれば、6歳幼女の私から見て、年齢差という意味でも立派に「幼女の視点から見た、素敵なお父さんのような存在の彼氏」になるんですよね。

人間界と違って、霊界では、たとえ20代後半の男性と6歳幼女が恋人同士であっても、恋愛の年齢差は関係ありませんし誰にも咎められません。なぜなら霊界では、基準になるのは外見的な年齢や容姿ではなく、お互いの心の状態だけですから、そういう父娘のような恋人同士が居ても、何も不思議は無いんですよ。お互いがしっかり大人としての愛と英知を持ってさえいれば(←ここ大事)、それで立派に恋人同士として認められます。

ということで、もしかしたら、あの男性は霊界での私の彼氏になってくれるかもしれないなーと。私の今生での性別やGIDのことや心の中の全てを知っていて、その上で幼女化願望を全て受け入れてくれて、それも全部ひっくるめて私を「彼女」として愛してくれれば嬉しいなーと。そんな淡い期待を抱いています。

更に言えば、オジコンな6歳幼女(私)の彼氏が、中年男性はもとより老年男性だとしても、誰にも咎められないし、大いにアリだと思うんですよ。ましてや私は男性側の立場じゃなくて幼女のほうの立場ですし、幼女の心だけじゃなく成人女性としての心も半分持っているんですから、なおさら周囲の目からもオッケーかと思います。昔から巷で「愛があれば年の差なんて関係ない」ってよく言われていますけど、私はその極端な例かもしれないですね(笑)。だって見方を変えれば、精神的な年の差は殆ど無いに等しいかもしれないんですから。姿はともかく、精神的な面では普通に成人同士のカップルなんですから。え? そこまで必死になってオジコンを正当化しようとしなくていいって?(笑)

まー要するに、霊界において、大幅に年上の、それこそお父さんかお爺ちゃんほど年の離れた遊び相手のような彼氏が欲しいなーってことを言いたいんですわ。

夢の彼の言葉遣いはちょっと荒っぽいけど、優しさの照れ隠しでそうしているだけで、絶対に暴力は振るわない、そういう男性だったらいいな。ってか、暴力を振るう男性だけは絶対にダメです。受け付けません。

あ、夢の彼みたいに荒っぽい言葉遣いの男性じゃなくて、風貌も性格も根っから優しい男性も大好きです。今は亡くなっていますけど、
坂上二郎さんなんて、もう、その優しさと人情深さに心打たれて、「結婚してください!」って言いたくなったほど
でしたもん(笑)。テレビを見てそう思っただけで、実際にお会いしたことはないんですけどね。

関連したハナシで、「刑事コロンボ」の「さらば提督」で、おじいちゃんほどの歳の離れた男性と婚約をした女性リサについて、関係者たちが、「驚いたな。孫ほども歳の差がある男と婚約するとは」と驚いているシーンがあるんですけど、リサは本当に本心から男性を愛していて、「愛があれば歳の差なんて関係ないわ。あの人に幸せな余生を過ごさせてあげたいから婚約したの」と言っていました。

それと同じで、霊界で、6歳幼女の私が、それこそ60代70代のおじいちゃんとカップルになっても、大人としてのしっかりした愛さえあれば、誰からも咎められません。姿や外見的な年齢は判断基準ではなくて、心の状態だけが評価されるのが霊界だから。


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