そのまんまです。時々書く日記からコピペしたものですが、兄と母への感謝の気持ちからアップしました。
兄への言葉
2021/12/27
今年2021年はいろいろありすぎた年でした。
3月の始め頃から兄がひどい体調不良を訴えて検査してみたら、進行性のガンであることが発覚し、都区内の有名な病院でなんとか治療を試みるも、3月22日に兄はあえなく他界。
皮肉なことにその直前の3月13日にこのサイトが20周年を迎えるという、素直に喜べないサイト20周年となりました。
まぁサイトのことはともかく、兄の死のショックと同時に、これからは私が家を支えていかなきゃならないんだというプレッシャーがあまりにも強すぎて、そのストレスで胃をかなり痛めてしまい、本当に胃に穴が開いているのではないかというくらい痛むことも多かったです。
医者で胃薬を2種類処方してもらったら少し改善しましたが、まだ時々痛むことがあるので、来年早々に胃も含めた内蔵全般の検査を受けようと思います。
それらのこととは別に、ピッコロに限って言えば、入れ歯の調整も決まってきてアンブシュアのノウハウもだいぶ理解できた、とっても収穫のあった一年でした。
音が殆ど出なかった2年間の大スランプをどうにかこうにか乗り越えることができて、そのおかげで学んだ人生哲学もありました。
ピッコロという意味だけで言えばとても良い一年でした。
兄の話に戻りますが、兄の死後、私の夢に兄がよく出てきて言うんです。「まだ地上への未練を断ち切れていないんだ」と。
私は夢から覚めて、兄の守護霊さんや死後案内人のガイド霊さんに、「兄が早く地上への未練を断ち切って、地上よりも霊界での生活のほうが遥かに素晴らしいし、霊界のほうが実相の世界で、魂にとっての本来の故郷であることを悟れるように教えてあげてください」と祈ったものでした。
そのおかげかどうかはわかりませんが、最近の夢での兄は「やっと地上への未練を断ち切ることができた」と言っていたので、安心しました。
俗な言い方をすれば「成仏できた」のでしょうね。
兄よ、霊界の居心地はどうですか? 魂の成長にとってマイナスにさえならなければ、どんな趣味でもず〜っと楽しむことができるんだよ。病気にもならないからどんな料理でも食べられるし、行きたい場所があれば念じるだけで一瞬でテレポートできるし、自分の望んだ年齢や容姿にもなれるし、お金の心配もないし睡眠の必要もない、そういう素晴らしい、人間の本来の故郷に帰ることができたんだよ。
地上に残された私達は寂しいけど、兄本人は超幸せなはず。
だから兄にとっては2021年は目出度い年になったはず。
私達遺族は生きるために日々大変だけど、兄の霊界への帰還と、彼が帰還を心底喜んでいることを祝いたい。
母への言葉
2024/08/10 深夜23:00・・・
母が、入居していた老人ホームにて、先ほど息を引き取りました。老衰で、91歳と6ヶ月でした。大往生でした。
昼間に面会に行った時、息遣いが苦しそうにしていたけど、まさか、面会を終えて帰宅してから数時間後に息を引き取るとは・・・
葬儀などのバタバタが落ち着くまでは、ツイッターでは必要なこと以外はツイートしない予定です。
お母さん、病気で長年苦しんでたけど、やっと楽になれたね。
お疲れ様。
今まで本当にありがとう。心の底から感謝しているよ。
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2024/08/12
一昨日の深夜に母が入居先の老人ホームにて息を引き取り、昨日の午前中に葬儀屋さんに頼んで、母の遺体を老人ホームから自宅に連れてきてもらって、一通りの手続きを済ませて葬儀屋さんが帰ったあと、安らかに眠っている母に向けて両手を合わせながら、私はこうお祈りした。
「お母さん、長年病気で苦しんでたけど、やっと楽になれたね。本当にお疲れ様だったね。
3年半前に霊界に行った兄の所に今はあなたも行ったわけだけど、霊界で兄と再会して、生前兄と仲が悪かったのを仲直りできますように。
兄は口は悪いけど、仕事を真面目にこなして、一家の大黒柱として頑張ってきて、家族や歴代ワンコのことを細かく気配りしてくれた、とっても優しい、素晴らしい人なんだよ。それをどうか、わかってあげてください。
霊界は本当に素晴らしい所だから、寿命まで頑張って生き抜いたお母さんも、兄と同じく、きっと幸せになれるよ。
私はあなたに心の底から感謝してるよ。あなたが妊娠中に牛乳をたくさん飲んでカルシウムをたくさん補充してくれて、栄養バランスのよく取れた食生活をしてくれたからこそ、私を産んでくれた時から、私は骨の丈夫な、病気をあまりしない健康な体に生まれることができたんだ。だから今の私は健康でいられて充実したピッコロ&ピアノ人生を満喫できているんだよ。今の私の心身ともに充実した楽器人生はひとえに、お母さん、あなたのおかげだよ。ありがとう。本当にありがとう。
どうか、霊界で幸せになれますように・・・」
そう祈ったあと、私は両手を合わせたまま、姫神の「見上げれば、花びら」を母の前でフルコーラスで歌った。
「見上げれば、花びら」の曲の歌詞の私なりの解釈、
「人生には辛いこと・楽しいこと・悲しいことがたくさんあるけれど、いつも上を見上げて生きていれば、人生の先にはきっと花びらが舞っていて幸せが待っている。だから地上でも霊界でも、いつも上を見上げて生きていれば幸せになれる」
という想いを込めて歌い上げた。
母にその想いが伝わればいいな。
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2024/08/13
この真夏の時期は、葬儀屋さんがドライアイスを使ってメいっぱい遺体を冷やして布団でくるんで、安置している我が家の客間のエアコンの温度を一番低くしても、我が家で衛生的に安置できるのは2〜3日が限界らしく、今日再び葬儀屋さんが来て、遺体を運び出してもらって、葬儀屋さんの霊安室(大きくて強力な冷蔵庫のような部屋)に保存してもらうことになった。
現在ウチの地元の火葬場の予約が混んでいるらしく、火葬の日は3日後が一番早いらしいので、その日までは葬儀屋さんに預けることになった。
棺に入る前の状態での最後のお祈りを終わらせて、母は引き取られて行った。
これでやっと第一段階が終わった感じ。
3日後の火葬が終われば、お骨になった母の骨壺を我が家に帰らせてあげられる。そうなれば母もやっと一息つけるんじゃないかな。
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2024/09/27
生前の母と私とのやり取り。
私「私はいつか寿命であの世に行ったら、8歳くらいの実写の小さい女の子の姿になって、その姿に見合った服を着て、山奥の大自然の中でピッコロを吹きたいんだ。そして言葉で祈る代わりに、ピッコロの演奏で大自然への感謝の祈りを捧げたいんだ」
母「へぇ〜〜〜、かわいい夢じゃない。素敵だわね」
とまぁ、母は私の幼女化願望を受け入れてくれていた。「気持ち悪い」とかは全く思わなかったそうだ。
私がそういうシチュエーションの絵を描いて見せても、「かわいい夢だわね〜〜〜。叶うといいね」と言ってくれた。
母はアニメや漫画には全く興味を示さなかったが、なぜか実写の幼女化願望にだけは肯定的で応援さえしてくれた。う〜〜〜ん、どういう思考回路だったんだろうか?(笑) 子役タレントの女の子を見ても「かわいいわね〜」と言っていたのだが、アニメとかの幼女キャラを見ると眉をしかめていたので、たぶん根っからの3次元好きだったんじゃなかろうかと思う。
というより、2次元に没頭する感覚が母には全くわからなかったらしい。
母のそういう感覚を私は受け継いでいるのかもな、と思った。
お母さん、霊界で元気でやっていますでしょうか? 幸せに暮らしていますように(−人−)
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2024/10/05
夢に母が出てきました。夢の中で私が仕事をしていたら、母は、「そんなことしてないで笛吹きなよ、笛」と言ってきました。
お母さん、あなたもサボレン推奨派ですかいw こりゃいいや!!
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2024/12/22
ちょっと早いですけど、今年一年を振り返って・・・
やっぱり年末年始って、その一年を振り返って、どんなことがあったか、どういう生活だったのか、それを今後に生かすにはどうすればいいのか、を考える良い節目の時期だと思います。
まず母の死ですが、老衰で91歳で大往生だったので、めでたいくらいでした。「よくぞその歳まで生きてくださいました!!お疲れ様!! あっちで幸せに暮らしていますように」という気持ちしかありません。