◇愛犬への多大な感謝の想い◇


読んでいて不快な気分にならないために一応書いておきますが、これは随筆なので「ですます口調」はあえて殆ど使っていません。あらかじめご了承ください。

下に行くほど新しいログです。


2024/06/27

今日はウチの愛犬の話を。
「ピッコロへの想いと何の関係があるの?」と思われるかもしれないが、私の中では、ピッコロと愛犬とは切っても切れない非常に深い関係があったりする。

10年近く前、それまで飼っていたワンコがお星さまになって、我が家は数カ月間ワンコ無しの生活が続いたが、
母は犬好きなのに、「私はもうかなりの歳だから次の犬を飼っても最後までは看取れないだろう。だからもう次の犬は飼わない。私に先立たれたら犬も可哀想だ」と言っていた。

そうしたら兄が、「じゃぁ俺が最後まで面倒見るから俺が選んでお迎えする」と言い出し、今の愛犬をお迎えした。

一先ず、めでたしめでたしとなったが、この愛犬が当初は、もう信じられない程のやんちゃのワルガキの暴れん坊で、家のフローリングは噛み切って剥がしまくるわ、ありとあらゆる家財をかじって傷だらけにするわ、座布団などの柔らかいものはメッチャクチャに食いちぎって破壊しまくるわ、外の物音や人の声に怖がって頻繁にギャン泣きを連発して近所迷惑をかけるわで、今までには無かったタイプのワイルドすぎるワンコだったので、我が家もかなり戸惑い、しつけのスクールっぽい所にも通わせたが、あまり改善はせずで困り果てていた。

そのうちに母が、「私はあんなに反対していたのにアンタ(兄)のせいでストレス溜まりまくりじゃない!!どうしてくれるんだ!!」を始めとする罵詈雑言を兄に浴びせかける日々がずっと続いていた。

私も実は、当時の愛犬にはかなり疲れていて限界に近く、ギャン泣きの連続にノイローゼにもなりかかっていて、限界まで追い詰められていたと思う。

そしてこれは後になってから知ったのだが
人間は限界まで追い詰められると本当の力を発揮する
という心理の働きが太古の昔から人間には備わっているらしく、当時の私も同じく
「何かを限界まで挑戦して悪戦苦闘して悶え苦しんでみたい。とにかく限界に挑戦したい!!」
という情熱が心の底から自然に燃え上がってきて、自分にとっては絶対のタブーで心の奥に封印していた「20年以上ぶりのピッコロの練習の再開」を決心して研究・模索・練習を再開した。
それが愛犬をお迎えしてからちょうど2年後のことだった。

そしてそのピッコロの悪戦苦闘しながらも充実しまくった生活が、ご存知のように6年間続いて今に至るというわけで。

その6年の間に愛犬の本当の飼い主だった兄は病気で急死してしまい、高齢だった母も急に倒れてしまって施設に入ることになった。

とまぁ、家族には本当にいろいろありすぎて同情しまくりなのだが、私一個人の「最大の生きがい」という点では、もう一生触れることはなかったであろうピッコロの練習を再開するキッカケを、間接的ながらも愛犬は私に与えてくれたのだ
もし愛犬がウチに来なかったら私は一生、1996年以来本当の生きがいを失ったまま、心に大きくポッカリと空いた穴を抱えて残りの人生を虚しく送っていたことは、まず間違いない。

だから不幸が降り掛かった家族には非常に同情するし、それによって私の一人暮らしが始まって家計に常に不安を抱える羽目になってしまったのも事実だが、「最大の生きがいのピッコロの再開」という点だけに絞って言えば、愛犬は私を救ってくれたのだ。これは断言できる。

そんな愛犬への多大な感謝の気持ちと共に愛犬と私との二人暮らしが始まった頃から、愛犬は私のその感謝の気持ちを感じ取ったのだろう、当時に比べればずいぶん大人しく素直で冷静にもなってくれている。
ウチの愛犬は人間の感情や心を読めるようなのだ。そういう事例が今まで数知れずあったので。

というわけで、ピッコロへの想い=愛犬への多大な感謝の想い、となるわけで、ええもちろん毎日毎日甘やかしまくってお守りや世話も常にしています。

農道での笛吹きから帰宅した時にも、お留守番のご褒美をあげながら
「ピッコロ再開はあんたのおかげだよ〜〜〜。ありがとね〜〜〜」って言って抱きしめて、いーーーっぱい遊んであげていますし、家に居る時は殆どの時間を愛犬とのジャレ合いに充てています。
ジャレ合いの最中でもアンブシュアのエア練習はできるので、それも頻繁にやっていますが、息を吹くと愛犬が面白がって口を舐めようとしてきて面白いです(笑)

愛犬よ、ありがとう!!


(ついでに、2024/06/25の日記から抜粋しておきます。以下、その日に書いた分です)

近所身バレするかもしれないので詳しくは書かないけど、うちの愛犬のことを嫌って常に敵意を向けて攻撃までしていた人が居た。
だが愛犬はその人から何を言われようと何をされようと、その人を愛することを止めなかった。

愛することしか知らない愛犬から、人間としての正しい生き方を学ばされることは、とても多い。少なくとも私はそうだ。

愛犬に敵意を向けていたその人は、先日遠くに去って行って、今は愛犬の安全は確保されてますのでご安心を。


はじめに

とっても長い紆余曲折の話

理想のピッコロに出会うまでの話

いろいろなミニ横笛についての考察:その1

いろいろなミニ横笛についての考察:その2

アンブシュアの試練の時

失われたアンブシュアを探して ――時は過ぎゆく――

アンブシュアの迷宮から、やっと脱出

アンブシュアが完治するも、今度は構え方に大きな問題が・・・

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