◇幼女化願望のためのお祈り◇


どんなに「倒錯的願望を持った変人」と言われようが思われようが、構いません。暴力的・破壊的な思考回路を持っていた昔の自分よりは、今の自分のほうが、他人に迷惑をかけなくなった分ずっとマシです。私は暴力的・破壊的だった過去の自分が大嫌いになり、激しい自己嫌悪に陥り、一時は本気で自殺願望まで持ちました。だけどスピリチュアリズムを知ったことがキッカケで立ち直り、今では自殺願望のカケラも持っていません。

だから、倒錯的な願望を持っていようが何だろうが、今の自分を大事にして生きていこうと思います。幼女になりたいという願望は「まだ未熟で弱い心の逃げ場だ」と思われるかもしれませんけど、私自身の中では本質的な願望かもしれないと思えるほど真剣なものなんですから。

というわけで、霊界で幼女の姿になる方法を、私なりに考えてみようと思います。

まずは、精神統一の重要性についてです。

もともと精神統一というものは、「何も考えずに心を無にして、自分の存在を消すくらいにまで無我の状態になる」ことなのですけど、マイヤースの方法は、一つのイメージに意念を集中して、精神的にそのイメージと一体化するという方法らしいです。これはただ心を無にするよりもさらに高いレベルの精神統一の方法なのでしょう。この方法は霊的意識の中でもかなりハイレベルの精神統一の方法らしいですし。短時間でいいから毎日続ければ、かなりの効果が出るらしいです。

強く願っていると、それが現実になるということは、実際にあるようです。つまり、「霊界でこういう風になりたい!」と念じながら精神統一を日々続けていれば、霊界でそれがかなうことも充分にあり得るのです。

ですから、具体的な幼女の映像をイメージングして「こういう幼女の姿になりたい!」と念じながらそのイメージに意念を集中させていると、そのイメージと精神的に一体化する、ということですね。精神的に一体化するのですから、もしかしたらこの方法が、イメージした幼女の姿になれる方法なのかもしれません。

次に、想像力と創造力の重要性についてです。

想像力と創造力を磨くことは、姿を変えることにおいても霊界で暮らすこと全体においても、とても重要なことです。なぜなら、想像力は即イメージングの発達に繋がりますし、それが創造力(自分の姿を作り上げること)の発達にも繋がるからです。

ですから、想像力と創造力を磨くためには、それらを使った何かの趣味などを持つことがいいのだと思います。例えば私は、ティンホイッスルという笛を吹くことの他にも、お人形さんを作ることを趣味としています。今は組み立て式のプラスチックの人形しか持っていませんけど、今後経済的に余裕ができたら、球体間接人形の製作を始めてみようと思っています。

球体間接人形は、一から型を取って、一から粘土で全てを作り上げるのですから、技術はともかくも、人形を形作るためのイメージ能力=想像力と、新しい物を作り上げる能力=創造力が養われます。私の今後の課題として、球体間接人形の製作を始めることは、すなわち霊界で幼女の姿になるためのいい方法なのかもしれません。具体的に「こういう幼女の姿になりたい!」という思いを込めながら球体間接人形を作るのですから。

とにかく、がんばってみようと思います。

それから、少しでも自分の霊格を上げる=変身能力をアップするための方法について。

スウェーデンボルグが言っていた「素ぐなる心」(無垢な心)になるために、私は自分流の方法を持っています。それは、山の中でティンホイッスルを吹くことなんです。山の中でティンホイッスルを吹いていると、心が山の自然に溶け込む感じがして、同時に大きな心・優しい心・素直な心・無垢な心になれるんです。山の中でティンホイッスルを吹くことは、無垢な心になるための、私なりの方法なんですよ。

それに加えて霊界研究を続け、少女漫画も読み続け、できるだけ人に親切にする。これらが私の人間界での修行=無垢な心になるための修行になるんでしょうね。でもやっぱり一番効果があるのは山でティンホイッスルを吹くことみたいです。できるだけ時間を見つけて、山でティンホイッスルを吹きたいです。霊格を上げるために素直な心・無垢な心になりたいです。

山まで行く時間が無い場合は、近所の茶畑でティンホイッスルを吹くことにしています。その茶畑は、まるで地平線が見えるんじゃないかというほどに、とっても広くて、そこに居るだけで非常にのどかな気持ちになります。山の自然にはかなわないけど、「山の自然の中に居る時の気持ち」に近い気持ちになれるんです。そしてその茶畑でティンホイッスルを吹いても、けっこう素直な心・無垢な心に近づきます。山まで行く時間が無い場合は、そうしています。

そういう風に、山の中や茶畑などののどかな場所でティンホイッスルを吹くこと自体が大好きなので、私は我ながら貴重な趣味を持っていると思っています。私の演奏レベルは別として(笑)。

参考までに、以前丹波さんの霊界研究サークルに入っていた時に書いた研究レポート「霊界で変幻自在の変身能力を身に付けるための条件」を紹介しておきます。ちなみに今の私は、どこのサークルにも宗教にも入っていませんし、入る予定もありません。今後も単独で研究を続けていくつもりです。

−−− (レポート内容ここから) −−−

この研究結果は、あくまでも「現時点での」研究結果に過ぎません。したがって、今後も大きく変わっていく可能性・進展していく可能性も充分にあります。行き詰まることも相当に多いでしょう。要するにまだまだ未完成ということです。それを念頭においてください。またこの研究結果の内容には私の「たぶんそうなんじゃないかな?」という考えも部分的に混じっています。いかんせん難しい研究なだけに、すべてを断言できる自信が今のところありません。その点はご容赦ください。

まず、霊界で変幻自在の変身能力を身に付けるための条件を箇条書きします。

1.
それ相応の霊格・霊性が必要。
(「マイヤースの通信」でいうところの「夢幻界」の上層部に属することが「最低条件」であり、更に上の階層である「色彩界」にまで上ることが最も好ましい。なぜならば、色彩界にまで達すると、自分の姿をより大幅に自由に変えられるから。ただし色彩界でどの程度まで自由に変えられるかは今ひとつ不明。色彩界よりも上の階層に上がることは、相当の修行を要するので、とりあえずは色彩界まででよしとする)

2.
なりたい姿の映像をイメージする訓練が必要。
(霊体の脳裏に焼き付ける意味で必要。いわゆるイメージトレーニング)

3.
なりたい姿の、その人物の心になって意念を集中させる。言い換えれば、その人物の心になりきること
(そうしないと、本当の意味での変身は無理で、その人物の心になりきらないまま変身しても、どこかしら不自然な雰囲気が漂ってしまうから。つまり、変身前の元の雰囲気が残ってしまうから)

以上が基本的な条件かと思います。

死んだあと、夢幻界において、生前の肉体と全く同じ形体である「ダブル=ペリスピリット」を、前世のフラッシュバックを見せられている間に脱ぎ捨て、新調の幽体をまとった時、その幽体の構成要素は流動的なエーテルなので、基本的には「自分の思念によって姿を思うままに変えられる」と考えがちですが、上記の条件が揃わない限り、その変身能力には限界があり、少々の範囲内での能力しか持つことができない、と思うからです。

次に、生きている間・日常生活においてできる訓練について。

1.
精神統一の重要性。
(精神統一は、霊格・霊性を高める上での、最も基本的なこと。なぜならば、精神統一はすなわち“無我・無私”の状態になることであり、同時に、神様の心に近づく唯一の修行手段だから。「新樹の通信」に書かれているとおり、「霊界での修行手段は精神統一のほかには殆ど無いと言っていいほど重要なものだ。精神統一の修行をしなければ、いつまでたっても上へは進めないぞ!」という説からもうかがえる)

2.
上記の「なりたい姿の映像をイメージする訓練が必要。
(なりたい姿の、その人物の心になって意念を集中させる。言い換えれば、その人物の心になりきることを、生きている間にも訓練しておくこと。予行演習をしておけば、霊界での修行もラクになるでしょう)

最後に、これが霊的真理という意味において、最も重要なことですけど。

苦労の末に幸運にも変身能力を体得したら、「霊界でどんな仕事につくことができるだろうか?」ということを考えなければならない。なぜならば、自分の変身能力を利用して「霊界の人たちのために役立つ・人のために尽くす」ということが、霊的真理の本質において最も重要なことだから。

1.
たとえば、美人に変身して、その美貌を利用して女優を仕事にして、演劇に出て、観客たちを視覚的に楽しませてあげる

2.
また、生前の自分の姿とは全く違う姿に変身(たとえば生前に成人女性だった人が小さい男の子の姿に変身)して、演劇に出て、心はあくまでも成人女性であるにもかかわらず、迫真の演技で小さい男の子になりきって演じる。それによって観客からはただの感動ではなく、「あの人は心と外見がまったく違うにもかかわらず見事に男の子としての役割を演じていてスゴイ!」という意味の感動を与えることもできるかもしれないから。

どちらの場合でも、結局は「人々を楽しませてあげる・人のために尽くす」という霊的真理の基本姿勢を貫くことができ、またそれ(人のために尽くす)によって、自分も最高の喜びを得られることができるから。

ということで、ぶっちゃけた話、変身能力を体得したければ、最低でも「夢幻界」の上層部、あるいは「色彩界」にまで上り詰めなければならないことになります。

−−− (レポート内容ここまで) −−−

今にして思えばこのレポートは、かつて霊界研究を始めたばっかりの頃に夢中で書いた研究結果でした。今でも基本的なところは変わっていません。

なるほどねー忘れていたわ。女優になって演劇に出るという仕事があったか。かわいい4歳幼女の姿になって女優になって演劇に出て、霊界の人たちを楽しませてあげるというのも立派な「人のために尽くす」仕事ですね。これ霊界での仕事の候補の一つとして挙げておきます。

 

それから最近、「確実に幼女の姿になって、更にその姿を維持できる方法」を考えてみました。それは、女性の心と無邪気な心を発達させるということです。

私が霊的に女性であることは「私は霊的には女性」に書きましたけど、そうは言ってもやはり体は男なので、どうしても男の哀しい本能が顔を覗かせることが時々あって、口調が乱暴になったりネガティブで荒っぽい感情を抱いてしまうことがあるんですよ。これではいけない! と本当に思います。ですから男の哀しい本能を女性の清い理性で抑えて、表面的な性格をも、より女性的になることが大事だと思っています。っていうか、損得勘定抜きにそうなりたいですホントに。それに、男の本能に対して女性の理性が勝つということは、昔から言われている「霊と肉の戦い」に霊が勝つことになり、霊主肉従の状態になれるので、霊的成長もできるんです。以上が、女性の心を発達させることの意味です。

もう一つの、無邪気な心を発達させることは、もうそれだけで大人の汚い邪念を消すことができるし、清純な意味で童心に帰ることができます。それに、イエスの言葉「汝ら心を入れ替えて幼な子のごとくならずんば、神の国へ入るを得ず」の真意を実践することになって霊的にプラスになって、これも霊的成長ができます。イエス本人も時には幼な子のように無邪気にはしゃいだこともあったそうです。そういう純粋で無邪気な心が霊的に見てとても大事なんですよね。以上が、無邪気な心を発達させることの意味です。

というワケで、女性の心と無邪気な心を発達させると、幼女の心になることができるんですよ。そして霊界では、心の状態がそのまま姿に反映されるので、幼女の心をずっと持ち続けてさえいれば、確実に永遠の幼女の姿になれるワケです。心が男のニセ幼女ではなくて、心まで本物の幼女になれるんです。幼女化願望が叶って更に霊的成長もできるなんて、なんていいことずくめなんでしょう! 今後はそういう精神状態になれるように、本物の幼女の心になることを目標にして努力していこうと思います。なにせ最近は、「自分の心から大人の汚い邪念と男の醜い本能を消したい。幼女のような無邪気な心になりたい」と心底思っているので。幼女の心になるように努力することは、心の管理の極地とも言える、果てしない「自分との戦い」ってヤツですね。

あ、もちろん大人としての大きな愛はたずさえたままで、ですよ。それはとても大切なことですからね。それに、完全に幼女の心「だけ」になって精神年齢まで下がっちゃったら大幅な退歩なので(笑)。なので、私の幼女化願望をまとめると、「大きな愛をたずさえた幼女の心になって、かわいい4歳幼女の姿になりたい」ということです。

 

幼女化願望の動機について。シルバーバーチによれば動機は何かということが一番大切らしいので、私の幼女化願望の動機は正しいだろうか? と考えてみました。

女性の心を発達させることは男の本能に女性の理性が勝つことになるので、霊主肉従になり霊的成長が得られる。無邪気な心を発達させることはイエスの教えを実践することになって、これも霊的成長が得られる。結果として幼女の心になれる。同時に、切望しているかわいい4歳幼女の姿にもなれるが、これは霊的成長とは関係ないかもしれない。でもその姿を生かして「人のために尽くす仕事」をやれば、やはり霊的成長が得られる。

要するに、私の幼女化願望の動機は、「大きな愛をたずさえた幼女の心になって、かわいい4歳幼女の姿になりたいから」ということですね。前者はそれ自体が霊的成長の証しなので正しいことだと自信を持って言えます。後者は利己愛によるものですけど、先に書いたとおり仕事の種類によっては利他愛の実践につながるので、仕事の種類さえ間違わなければ正しいことだと言えます。

ですから、幼女化願望や、その動機については、もっと胸を張って堂々としていてもいいでしょうね。「大きな愛をたずさえた幼女の心になって、かわいい4歳幼女の姿になって、その姿で人のために尽くす仕事をして、愛に生きたい! そのための幼女化願望なんだ!」と。ということで、今後も堂々と自信を持って幼女化願望の追及に人生をかけていきます。おかげで決意が更に強くなりました。

 

さて、幼女の心を目指すにあたっての注意点ですけど、こんな夢を見たことがありました。夢日記から抜粋。

2012/05/30

夢では私は、女子高生の姿になっていて、心も女の子の心になっていたと思います。そして白いドレスを着て馬にまたがり、お供の男性二人と一緒に田舎の細い道を通っていました。道は所々でY字路になっていて、そのたびに私はどっちの道に進もうか迷ったんですけど、お供の男性二人の支持のおかげで無事に何事もなく進んでいました。そしてある程度の距離まで来た時に、私は二人に向かって「ありがと。もういいわ。ここからは一人で行けるから」と言って一人で先に進んだんですけど、また出てきたY字路を間違った方向に進んでしまい、怖い生き物と遭遇してびっくりしました。そしたらさっきの男性二人がやってきて、「道を間違えたね。やっぱりまだ一人じゃムリだよ」と言ってきました。

    数々出てきたY字路の意味はいろんな解釈ができるんですけど、大雑把に言うならば人間界や霊界での私の人生の分岐点を象徴していたような気がします。心の持ち方一つでいい方向にも悪い方向にも向かってしまうので、心の管理とそれに伴う行動には充分に注意するように、との助言だったんじゃないかと。お供の男性二人は私の守護霊さんやガイド霊さんで、人生において良い道に進めるようにいつも導いてくれていて、今回の夢で助言してくれたのではないかと思いました。

    たとえば幼女化願望についてならば、「大きな愛をたずさえた幼女の心を目指すのはいいことだけど、一歩間違えば精神年齢まで下がってしまうから、大人としての愛と英知は常に忘れないように」という警告だったような気がします。それはもちろん充分解っているし気をつけています。でも夢の中で警告してくれたということは、それだけ心配してくれている証拠ですし、道を間違えないように導いてくれている証拠でもありますから、とてもありがたいことです。今回の助言と警告には感謝したいですね。女の子の心と姿になっていたのも嬉しかったです。

という風に、夢で助言と警告を受けたことがあります。確かに幼女の心を目指すことには注意が必要です。日々の暮らしの中でいつも「幼女の心になりたい。どうすればなれるのか」ということばっかり考えて、あまりにもそのことで頭の中がいっぱいになっていると、大人としての愛と英知をつい一瞬忘れてしまいそうになることがたまーにあります。そういう部分でも心の管理をしっかりしないといけませんね。

 

幼女の心の具体的な感覚について。最近になって、当時の夢の内容を思い出しながら、「幼女の心とは具体的にどういう感覚なのか」と考えていました。心の状態という感覚的なことを言葉で表現するのはかなり無理がありますし表現しきれないことも解っていますけど、あえて言葉にするならば、上にもさんざん書いたように「女性の心と無邪気な心を発達させたもの」という感覚でしょう。これは言葉どおりに受け止めると何の意味もなくて、心の底から童心に帰って初めて「感じられる」ものなんですよね。私もまだまだ修行中の身ですから偉そうなことは言えませんけど、とにかく幼女の心とは「女性の心と無邪気な心を発達させたもの」という感覚だ、ということだけは、なんとなく解り始めてきました。この感覚を大切にして、幼女の心を目指していきます。もうちょっと解りやすく言えば、幼女の心とは、「どこまでも優しくて純粋で無邪気」な心と言えます。

 

2012/07/06の時点での心の状態は以下の夢のとおりで、ほんとに少しずつではあるけれど幼女の心に近づいているようです。

2012/07/06

夢では私は、小学校二年生の女の子の姿と心になっていて、髪の毛を長めのおかっぱ頭にして、小学校のブレザーの女子用の制服を着ていました。そして学校の教室に居たんですけど、私の前の席に座っていたクラスメイトの男子が振り向いて私に向かって「もう二年生になったんだから、何でも一人でできないとね」と言ってきました。私は何のことか解らずポカーンとしていました。

    女の子の姿と心になっていたのは、とっても嬉しかったです。男子がああいうことを言ってきたということは、私が小学校二年生の女の子の心になっていた証拠ですし、心も姿も小二女子だということを認めてくれた証拠でもあるので、そういう意味でも嬉しかったです。「何でも一人でできないとね」の意味は、起きてからよーく思い出しながら考えてみると、寝る前に小林星蘭さん(小二女子)のファンサイトを見ていた影響かもしれません。でも私は小林星蘭さんのような完成された美しさよりも、一般市民の、無名なんだけどチョ〜かわいい5歳幼女の姿になることに憧れます。テレビのアイドルよりも、素人さんの素朴なかわいさに惹かれるんでしょうね。あぁ本当に、幼女の心になって、かわいい5歳幼女の姿になりたい…。

    夢の中での心の状態は成人女性は当然としても、あとは女子高生、女子中学生、女子小学生の低学年と、最近だんだん年齢が下がってきてますね。その日によって浮き沈みはありますけど、少しずつ幼女の心に近づいているようで嬉しいです。このまま女子幼稚園児の心=幼女の心になれれば理想的なんですけど、たぶんまた年齢が上がっちゃったりするんでしょうね。でもいいんです。浮き沈みはあっても一生をかけて幼女の心を目指す決意は絶対に変わりませんから。

というワケで、これからもがんばります。

 

私は、お酒は最初から体質的に一滴も飲めない(僅かでも飲むと命に関わるらしいのでドクターストップがかかっている)し、アルコールの匂い自体が非常に嫌いなので飲みたいとも思わないし、ギャンブルは大嫌いだし、男もやらないし、もちろん女もやらないし、暴力も振るわないし、スピード狂もとっくの昔にヤメた。ホントは車もバイクもヤメたいけどヤメたら仕事ができなくなるので(笑)。

そんな私の今の人生の楽しみといえば、

起きている時に幼女の心になって(←最近コツを掴みました)、自分の心に酔いしれること。更に、幼女の心を長時間持続できるようにがんばること」
「愛と英知を更に発達させられるように、偽善ではない利他愛の実践をより多くできるように、心の修行をがんばること」
ティンホイッスルで、宗次郎の音楽を始めとする自然派音楽を吹くこと。演奏の技術を上げるためにがんばること」

くらいしかないですね。でも私はそれで充分すぎるくらい幸せなんですよ。

現段階では、起きている時に幼女の心になることは、まだ短時間しかできません。毎日数分間、調子のいい時は30分間くらい幼女の心になれるんですけど、すぐにいつもの大人の心に戻ってしまいます。いつかは、毎日長時間幼女の心になれるように、がんばりたいです。

起きている時に幼女の心になるコツは、夢日記から抜粋すると、

2013/03/28

夢では私は、大人の心と姿になっていたり、何歳かは解らないけど小さな女の子の心と姿になっていたりして、それぞれの状態で地図を見ていました。

    たったこれだけなんですけど、私の中で、大人の心と幼女の心が同居しているのだろうと思われる、興味深い夢でした。まさに今そんなカンジなんですよ。仕事中もプライベートな時間も、動画の幼女のセリフをマネて感情移入しながら独り言で喋っているんですけど、それを続けていると、フッと幼女の心になれることが多いんです。最近幼女の心になるためのコツを掴んだというのは、このことです。これも一種の瞑想です。

    でもただ感情移入するだけではダメで、本当に「どこまでも優しくて純粋で無邪気な心になりたい!」と心の底から思っていないと、幼女の心にはなれないようです。私自身、ごくたまーに心が荒むことがあったりするんですけど、その状態では、いくらがんばっても幼女の心にはなれませんし、幼女の心になった夢も見ません。これは普通の瞑想にも言えることで、荒んだ心ではいくらがんばって瞑想しても安らかな心にはなれないのと同じです。心っていうのは正直ですね。だからこそ日ごろの心の管理が大事なんだと思いました。

    仕事中は一人で車を運転しているので、気兼ねなくカン高い声を出して幼女のセリフを喋っているんですけど、家の中でそれをやると「気が狂ったか」と言われるのは間違いないので(笑)、そういう場合は口パクでやってます。

というワケなんです。いかに日ごろ心の管理をしっかりやって、その上で純粋で無邪気な幼女の心になりきることができるか、それは私の集中力と瞑想力にかかっている、ということですね。最近はもっぱらこの修行に力を注いでいます。

最近の科学(というか医学かな?)では、「動物や人間は新しい感情を意図的に生み出すことができる」ということが解明されてきたそうですね。それならば、最近表立って目立ってきている私の「幼女の心」は新しく意図的に生み出されたものなのかな? と思ったんですけど、そんな気もしないでもないし、元々本来の心のような気もします。あるいは前世で女性だった時の幼女時代の感情かもしれませんね。

 

ところで、私以外にも「幼女になりたい」という願望を持っている人は意外と多いと思います。でも大多数が男性(霊的にも男性なことが多い?)で、幼女の愛らしい「姿・体」だけに憧れていて、「心は男のままでいい、いやむしろ男のままのほうがいい」と言って主にエッチなことに結びつける人が大半なんじゃないかと思います。私は、そんな危ないことには興味はありません。私は幼女の「心」になりたいんです。幼女にしかない「純粋で無邪気で愛らしい心」になりたいんです。幼女の心は本当の自分の心だからです。不本意にも男に生まれ落ちてしまったために今までいろんな葛藤を抱えてきたので、「本当の自分の心=幼女の心」に帰りたいんです。で、まぁ、姿も愛らしい4歳幼女になりたいとは思っていますけど、これは特に願わなくても、心の状態がそのまま自分の姿になる霊界ですから、愛らしい幼女の心になれば、自然に姿も愛らしい幼女の姿になるので、姿のことはあまり意識していません。

大人としての愛と英知を併せ持っているとはいえ、GIDの男性が幼女の心になりたいと願うケースはほとんど見ないかもしれません。でも案外、全世界のGID男性の中で一人くらいは、喋らないだけで内心では私みたいに「幼女の心になりたい」と願っている人がいらっしゃるかも。え? 居ないですかね?(笑) 居たら嬉しいんだけどなぁ。もし現代に居なくても、霊界と人間界と人類誕生(創造)の歴史上、必ず何人かは居るハズです。そして「幼女の心になりたい」と願望を抱いて人間界や霊界で願望を実現させた人も必ず居るハズです。

とある霊界通信で「過去に一人でも前例が居れば、その境地には一生懸命努力すれば必ず行けます」というメッセージがありますけど、霊界は自由自在な発想・想念・思想の世界ですから、どんなに風変わりな境地でも行けるハズなんです。いえ、必ず行けるでしょう。それに何も幼女の心に限らず、「本当の自分の心」に帰りたいと願う人はたくさんいらっしゃるハズですよね。私の場合はそれがたまたま幼女の心だったというだけのハナシですから。

こんなことはあり得ませんけど、もし万が一、一人も前例が居なかったとしたら、「前例が居ないからムリ」とは考えずに、「それなら私が前例を作ってやる! 私が身をもって前例になってみせる!」と意気込んで、がんばるだけです。

 

とにかく、「どこまでも優しくて純粋で無邪気で可愛らしい心になりたい!」と心の底から思いながら、修行をがんばります。

現在では毎日、神様にお祈りをしています。以下が、お祈りの内容です。ちなみに、日常生活や夢の中での体験そして教訓を取り入れて、お祈りの内容は随時最新のものに書き換えています。

 

 

という風にお祈りをしています。お祈りをする時は極めてマジメな気持ちです。ふざけた気持ちなんて全くありません。私はどこまでも真剣です。

お祈りにもちょっと書いていますけど、私の幼女化願望の内容も昔に比べたらずいぶん変わりました。昔はただ単に「かわいい5歳幼女の姿になりたい」という外見的な願いだけだったのが、現在では「幼女の美しい心になって、霊的成長をしたい」という内面的な願いも同じくらい大きくなっていますし、「5歳幼女の心と姿だけに固執しないで、4歳とか、もっと願望にゆとりを持とう」とも思えるようになってきました。私も少しは進歩したのかな? なにしろ今は、夢の中で幼女の心や姿になっていた時はもちろんのこと、動物に愛を与えている時や人に親切にしたり人助けをしている時も、心から嬉しい気持ちになるんですもん。やっとそういう心境にまで達することができました。

 

また、2012/07/15には、自分的に非常に衝撃的で嬉しい出来事がありました。夢日記から抜粋。

2012/07/15

夢の内容自体は平凡なものだったんですけど、今回は夢から覚めてからの出来事です。低血圧なので、目が覚めてからもすぐには布団から出られずに、しばらくボ〜〜〜ッとしながら目をつぶって頭の中をカラッポにしていたら、次の瞬間、なんと突然自分の心の中に幼女の心が芽生えてきて、やがて私の心は完全に幼女の心になっていることを自覚していました。布団から出ても、幼女の心になった感覚をしばらく噛み締めていました。ちなみに、私が感じた幼女の心とは、女の子の心なのは当然として、どこまでも純粋で無垢な心でした。

    こんなことは初めてです。もう、びっくりしました! 夢の中で幼女の心になった感覚を自覚していたことは今までにもありましたけど、起きてしまうとその感覚を半分以上忘れちゃってたんですよ。それが今回は、夢では何の自覚もなかったのに起きてから完全に幼女の心になるとは! しばらく幼女の心を実感して我に返った時、「こ、これが幼女の心か!」と驚くと同時に感激しましたよ。本当に衝撃的でした。

    起きている時に幼女の心になることができたということで、また一歩幼女化願望に近づいた気がします。今回の出来事を忘れないで、いや忘れようにも忘れられませんけど、今後の心の管理に大いに役立てていこうと思います。仕事や私生活でイヤなことやつらいことがあった時に、また、悪感情を抱いてしまいそうになった時に、自分に向かって「幼女の心を思い出せ。あの時の、どこまでも純粋無垢な女の子の心だ!」と言い聞かせて気持ちを静めることができそうです。なにせあれだけ鮮明に幼女の心を実感できたんですからね。毎日やっている「幼女化願望のためのお祈り」の願いの一部がやっと叶い始めたようで、とっても嬉しいです。神様に心から感謝!

という風に、今までは夢の中だけで幼女の心になっていたのが、今度は起きてから幼女の心になったんです。なにしろ起きているんですから幼女の心になった感覚も非常に鮮明で、その記憶も強いので、いつまでも覚えていることでしょう。これで、「幼女の心を思い出せ。あの時の、どこまでも純粋無垢な女の子の心だ!」と自分に言い聞かせて心の管理に大いに役立てることができますし、常日頃から幼女の心を強く意識することができます。神様には本当に心から感謝しています。今回の出来事は永遠に忘れません! おかげで幼女の心になることへの強い自信と、心の管理をしていくことへの強い自信が持てました。やったー!

その二日後、こんな夢も見ました。夢自体は関係ないのかもしれませんけど、問題はその後です。

2012/07/17

夢での姿は解りませんでしたけど、心は普段どおり女性の心でした。私の側には3歳くらいの女の子が居て、その女の子を50代の頃のピーター・フォークが「刑事コロンボ」のテーマ曲を口笛で吹いてあやしていたんですけど、女の子は最初怖がって泣いていました。私は女の子の肩をポンポンと叩きながら「大丈夫。コロンボは怖くないよ」と言ったら、間もなく女の子は怖がらなくなって笑い始めました。

    私の母性(?)本能が出たんでしょうか? どっちかというと、ピーター・フォークよりも私のほうが女の子のあやし方がウマかったような気がします。彼の演じるコロンボはちょっと不気味な雰囲気もありますから、女の子が最初怖がっていたのも無理はないでしょう。

    この夢を見てなぜか突然思ったんですけど、幼女の心になるためには、精神統一の修行もがんばらなきゃいけない、ってことを思いました。二日前の起床直後に実感した「幼女の心=どこまでも純粋で無垢な女の子の心」を一生忘れないためにも、精神統一をして「心を純粋で無垢な女の子の心に極力近づける」ことをしなければならないと思いました。考えてみたら最近は、日々の仕事と心の管理とお祈りとボランティア活動ばっかりに夢中になっちゃって、精神統一の重要性を忘れかけていたような気がします。幼女の心になるための修行の一つである精神統一を疎かにするなんて、これではいけない! 早速今日から精神統一も日課に入れます。よく考えたら精神統一の修行も立派な「心の管理」でもありますもんね。よし、がんばるぞ!

という風に、例の起きている時に実感した幼女の心の感覚を一生忘れないためにも、2012/07/17から「あの時の、どこまでも純粋な幼女の心を強く意識しよう」と思いながら精神統一の修行を再開したんですよ。ところが初日と二日目に見た夢は、知らない人間数人に対して私が怒り狂っている夢と、人間界の家族全員からイジメられて家を出て行く夢という、とんでもない悪夢でした。そのせいで「精神統一の修行をすると私の場合は悪夢を見やすいのかなぁ…」と落ち込んで、早くもメゲそうになっていたんですよね。

でもメゲないで精神統一の修行を続けていたら、三日目の仕事中(夢の中ではなくて起きている時です)に一人で車を運転している時に、なんと突然また幼女の心が芽生えてきて、幼女の心を実感することができたんです! ほんの数分間でしたけど、再度私は完全に幼女の心になっていたんですよ! 幼女の心になっていた時間は前回よりも長かったです。もう、チョ〜感激しました! これって間違いなく精神統一のおかげだと思います。やっぱり再開してよかった〜。ええ、もちろん今後も毎日続けますとも。できれば寝る前の布団に入っている時がいいですね。一日が終わってあとは寝るだけという、心が開放されている時のほうがやりやすいですし、寝落ちしちゃってもそれはそれでよく眠れるんじゃないかと思うので、いいんじゃないかと。

起きている時に幼女の心になった感覚を二度も体験させてもらって、私は幸せです。そこで、シルバーバーチの「援助を求める真摯な熱意が等閑(なおざり)にされることは決してありません」という言葉が思い浮かびました。まさに先日の二度の出来事はそのとおりで、清い動機から本当に真剣に援助を求めて祈れば、神様は必ず聞き届けてくださることを実感しました。あの二度の出来事は、神様から授かった「幼女の心」という、永遠に大切に抱いていたい宝物です!

私が最終目標としているのは「大人としての大きな愛と英知を併せ持った、幼い女の子の心」になることで、これを略して「幼女の心」と呼んでいるんですけど、幼女の心になるために日々がんばっていることに対して、神様がインスピレーションを与えて援助してくれたんだと思います。幼女の心になることができれば、他は何も要りません。私の宝物は自分の心だけです。

(起きている時に幼女の心になった体験談は、三回目以降は「幼女化願望についての独り言(2012年)」に書いています)

またまた夢日記から抜粋しますけど、

2012/08/11

夢では私は、5歳くらいの幼女の姿と心になっていて、髪の毛をおかっぱ頭にして、白いタンクトップのワンピースを着ていました。そしてとある駅前で待ち合わせしていた10代後半くらいの少年と会いました。彼は優しく微笑んで私を抱きしめてくれて、私は「お兄ちゃん、大好き」という気持ちになりました。彼はどうやら霊界での私の彼氏だったようです。

    今回の夢での重要点は、幼女の姿になっていただけでなく、幼女の心になっていた感覚がハッキリあったことで、どこまでも純粋で無邪気な幼女の心になっていました。抱きしめられた時も幼女らしい、いい意味での甘えた気持ちがわいてきたし、女の子としてとても嬉しい気持ちになりましたからね。幼女になった状態で久しぶりに彼氏に会えたのも嬉しかったです。

    改めて思ったんですけど、ほとんどの夢の場合、幼女の姿になっていれば心も自動的に幼女の心になっているし、幼女の心になっていたからこそ幼女の姿になっていたんですよね。「心の状態がそのまま自分の姿になる」という霊界での性質を再確認できました。今までの霊界研究の内容が正しかったことが解って、安心しました。今回のことを心の糧にして、夢だけじゃなくて起きている時でも、どこまでも純粋で無邪気な幼女の心をいつも意識できるように、がんばります。

という風に、幼女の姿と心になって、いかにも幼女らしい甘え方ができるほどに幼女の心が発達してきたこと、そして、「心の状態がそのまま自分の姿になる」という霊界での性質を再確認できたこと、これらが大収穫でした。夢の中とはいえ、こんなに幼女らしい純粋で無邪気な心になれたことは初めてかもしれません。起きている時にも幼女の心をいつも意識できるように、この夢での心を生かしていきます。どこまでも純粋で無邪気な幼女の心に着実に近づいてきているようで何よりです。

また最近では、起きている時でも幼女の心になる訓練をしているんですけど、だんだん成果が出てきて、心の状態を普段の大人の心から幼女の心へとスイッチさせるコツが掴めてきました。その結果、こういう夢を見ました。

2012/10/24

夢では最初のうちは男のままだったんですけど、「よし、幼女の心になってみよう」と思ったら、途端に私は5〜6歳のおかっぱ頭の幼女の姿になって、身なりも水色のスモックと黄色い帽子の女子園児姿になりました。私は幼女のカン高い声で「すごーい! 思った途端になったー!」とはしゃいで周りの人たちにそのことを伝えました。次に、「透明人間になってみよう」と思っただけで体が透けて服だけが見えていました。

    幼女の姿といい透明人間といい、本当に、心の状態がそのまま自分の姿になって現れるという霊界の性質を実感できて、すっごく嬉しかったです。特に幼女の心になるように意識した時、次の瞬間には幼女の姿になっていたんですから驚きました。やっぱり今までの研究は正しかったんだと解って安心しました。これからも絶対に幼女の心を忘れないで生きていきます。

 

日々の言動について、それぞれ霊界側からはいい評価も悪い評価も付いていることでしょう。それが夢の内容に出てきたり日々の出来事になって出てきたりするので、それを参考にして言動や考え方を正していけばいいんだと思うんです。常に「この夢の内容はどういうメッセージだろうか? この出来事の意味は?」とアンテナを張り巡らせていたいですね。

また、上の夢日記にも書いているように、最近では、睡眠中はもちろんのこと、起きている時でも幼女の心になる術を会得しつつあります。う〜ん、我ながら今後が楽しみ。ええ、絶対に幼女の心を忘れないで、いえそれどころか今後はもっと強く意識していきます。

 

ここで言いたいのは、私が「心の面で」憧れているのは山内菜々さんや「四ツ葉のクローバーの声が聞こえる少女!?」の女の子で、「心にも姿にも」憧れているのが「ウルトラゾーン・チャンネル/ケムール人走る」などに出演していた4歳当時の藤井杏奈さんなんですよ。これはハッキリ区別しておいたほうがいいと思ったので書いておきます。

あ、もちろん、彼女だけでなく、このサイトに書いている女の子たちには、私はお会いしたことはありませんし、お会いしたいとも思いませんし、親御さんにお会いしたこともありません。メールや手紙や電話などの連絡をしたことも一切ありません。もちろんメールアドレスや住所や電話番号なども一切知りません。要するに、ただテレビとか動画を見て、私が一人で勝手に彼女たちの人間性・霊性を分析しているだけのことですので、誤解のなきように。

 

ちょっと、重要な話を。

最近気づいたことなんですけど、昔の汚れた心が浄化されてきて、「幼女の心」という純粋なものへの憧れの気持ちがどんどん強くなっていくにつれて、本当の自分は、前世の女性としての人生の幼女時代の心なのではないか、と気づきました。

どういうことかというと、最近、起きている時でも幼女の心モードになるコツを掴んだことは前にもお話した通りですよね。で、私生活や仕事をしながら、目は開いていて体も動いているんだけど精神は瞑想に近い状態で「幼女の心モードになりながら」自分自身の心を見つめている時が多かったんです。そして、そういう幼い女の子の心になっている自分のことが本当に芯から幸せに感じたんですよ。言葉で理解しただけというレベルではなく、本当に心から「ああ、すっごく幸せ〜…」と、限りなく直感に近いカンジで、心で理解したんです。

その幸せを噛み締めながら、これも頭で理解したのではなく心で理解したんですけど、私の前世はたぶん女性だということ。前世が女性じゃなかったとしても、その一つ前の前世では女性だった可能性が極めて大きいということ。まぁ、いつの人生かはどうでもいいんですけど、肝心なのは、「女性だった人生の幼女時代の心」が本当の自分の心なのではないか、と気づいたんですよ。これも、限りなく直感に近いカンジで、心で理解したのでした。

だって、幼女の心モードになっている時は、本当に幸せだし、妙に落ち着くし、芯からホッとするし、すっごく穏やかな気持ちになるし、自分本来の感覚にしっくりくるんですもん。

元々私は女性霊ですから、女性霊が霊本来の心である「純粋さと無邪気さが溢れる、幼な子のような心」に戻れば、それはすなわち「幼女の心」に戻ることを意味します。それが私の霊としての本当の自分の心だということです。

ですので先述のように、「女性だった人生の幼女時代の心」が本当の自分の心なのだろうと確信したのでした。

その、本当の自分の心に気づいた時の喜びと感動と幸福感は、何物にも代えられない、永遠に抱いていたい大切な宝物だと思いました。気づきを与えてくださった神様には更に感謝するばかりです。そういう意味で今の私は幸せです。自分が幸せな気持ちになると、自然と「誰かを幸せにしてあげたい」という気持ちになるものです。これは人間の本来の心である「霊の心(良心と善意のカタマリ)」の発現でもあります。あとは心の管理を今後もがんばりながら生きていくだけです。

え? 幼女の心って具体的にどういう感覚か、ですって? そうですねー、あくまでも私の場合に限ってですけど、幼女の心「めあ」バージョンは、普通に表現すると、「どこまでも優しくて純粋で無邪気で可愛らしい、幼い女の子の心」なんですけど、もっとフランクに言うと、

「愛に溢れていて、天然ボケが入っていて、あまりにも天真爛漫すぎるが故に、一つ間違うとアホっぽく見えてしまいそうな、幼い女の子の心」

ってとこですね。天然ボケについては、よく人から「天然ボケが入ってる」と言われるので、そうなんでしょう。自覚は無いんですけどね。あ、だから天然ボケなのか(笑)。天真爛漫を通り越してアホっぽく見えてしまいそうなのは、ギリギリのところでセーフってカンジです。ギリギリ、我を忘れない程度の天真爛漫さということで。

現段階では、起きている時に幼女の心になることは、まだ短時間しかできません。毎日数分間、調子のいい時は30分間くらい幼女の心になれるんですけど、すぐにいつもの大人の心に戻ってしまいます。いつかは、毎日長時間幼女の心になれるように、がんばりたいです。

また、「幼女化願望についての独り言」から抜粋しますけど、

2013/04/20

もっと純粋で無邪気な幼女の心に近づけるように、日ごろから心の管理・心の修行をがんばります! その方法の一つとして、「純粋で無邪気な幼女の心になりたい!」という真剣な気持ちで動画を見て感情移入しながら、セリフを一緒に喋ること、そして家事の最中や仕事中でも彼女たちのセリフを喋って(もうほとんどセリフは暗記しているので)、自分自身が本当に幼女になったつもりで、ひたすら「幼女になりきる」ことです。そうすれば何かのはずみでフッと数分間だけ「本当に幼女のような心になる」ことが多いんです。その時の気分といったら、もう筆舌に尽くしがたいほどの心の喜びで、幸せいっぱいの気持ちになります。肉体的な快楽なんて足元にも及びません。

こんな気持ちで、「純粋で無邪気な心」に憧れながら動画を見ている人は、たぶん私くらいなもんでしょう。要するに、完全に女性の視点になって見ているってワケなんです。

幼女になりきる感覚は、役者さんが役になりきる感覚と似ているかもしれません(なりきるのが大事だということはネット友人に教えてもらいました。この場を借りてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました!)。ただ一つ違うのは、「大人が幼な子の心になりきるのは、かなり難しい」という点です。難しいけど、でも不可能ではない。実際に私は毎日数分間だけとはいえ幼女の心になることができています。

ここで、イエスの言葉。
はっきり言っておく。心を入れ替えて幼な子のような純粋な心にならなければ、決して天国に入ることはできない。どこまでも謙虚な気持ちになって、なおかつ幼な子のような純粋な心になる人こそ、天国で光り輝く存在になれるのだ
幼女の心を目指している身としては、骨身に染みます。天国に行けなくても、光り輝く存在になれなくてもいいから、いえ、そうなれるに越したことは無いけど、そんなに簡単に上の世界に行けるとは思えないから、差し当たっては、私は純粋で無邪気な幼女の心になりたいです。それだけが望みです。幼女の心になれるように一生懸命努力すれば、イヤでもだんだんと自然に霊性が上がってきて上の世界に近づいていくから、霊的に結果オーライなのです。

そうなんです。イエスが言っているように、大人が幼な子の心になることは、本気で一生懸命がんばれば、できるんですよ。最近それを実感しまくっています。「幼女の心になるなんて、最初のうちは絶対にムリだと思っていたのに、最近は少しずつだけど、だんだんできるようになってきてる。嬉しい!」という気持ちでいっぱいです。

あとはただ、神様と守護霊さんを信じて心の全てを委ねて、幼女の心を目指して、心の修行の道を突き進むだけです。もちろん、大人としての愛と英知は携えたままで。

というのが、現時点での心境です。修行まっしぐら〜! ってとこですね。

 

最近の私のモットーは、「清く、純粋に、無邪気に、お茶目に、かわいく」です。「清く」は欲望や煩悩や悪感情を抱かないという意味で、「純粋に、無邪気に」は幼な子のような心という意味で、「お茶目に、かわいく」は女の子の心という意味です。要するに、「汚れのない幼女の心」というワケです。そういう心になりたいと願いながら暮らしています。

多くの人々は強い存在になることに憧れるんでしょうけど、私が霊界でなりたいのは、「幼女という、最も弱い存在」なんですよね。私は、あえてそういう存在になりたいです。姿は最も弱い存在でも、心は幼女の心に加えて愛と英知に溢れている、そんな幼女になりたいです。姿は弱い存在でも心が強ければ(要するに愛と英知が深ければ)、幼女だからといって守ってもらうのではなく、逆に誰かを守ってあげられるのですから。

 

そして2013/05/25(土曜日の朝)は、起きている時に幼女の心になった連続時間の自己ベストを更新しました。「幼女化願望についての独り言」から抜粋すると、

2013/05/25 (起きている時に幼女の心になった連続時間の自己ベスト更新4回目)

最近は、毎日数分間だけとはいえ、起きている時に幼女の心になれるようになりました。でも今日の体験は今までで一番長かったです。連続45分間くらい幼女の心になれました。連続記録は今までは長くても30分間くらいだったので、自己ベスト更新です。

今日は土曜日で仕事は休みなので、ショッピングセンターにまとめ買いに行った時、歩いていたら、心の奥底からジワジワと湧き出てくるものがあって、「これは…あ、いつもの心! きたきた! 今日もきた!」となって、たちまち私の心は幼女の心でいっぱいになりました。

「ああ…今日はなんだかすごい。私今、ものすっごく純粋で、ものすっごく無邪気な幼い女の子の心になれてる。ああ、思いっきりかわいいお洋服を着てオシャレしたい! 遊びたい! 踊りたい! はしゃぎ回りたい! カン高い声でキャ〜〜〜ッて叫びたい! もう、すっごく幸せ〜〜〜!!」

っていう風に感激しまくりでした。しかも買い物をしている間中、そして帰りの道中もその心の状態がずーーーっと続いていたので、連続約45分間、この世のパラダイスでした。あまりに嬉しすぎたのでガマンできなくなって、家に帰ってから自室に入ってすぐに、両腕と両脚を振り回していろんなポーズをとったり、意味も無いのに踊ったりしました。私がやっていたことは幼女が嬉しい時にやる仕草そのものでした。完全に幼女の心になりきっていたんです

そして、前半はただ「幼い女の子の心」だったのが、後半では「誰かを幸せにしてあげたい」という愛の気持ちが泉のように湧き出てきて、良心と善意のカタマリのような気持ちも加わって、

「こ、この気持ちは…! うわ、一年前くらいに体験したっきりの、幼女の心+霊の心! 今、とびっきり純粋で無邪気で、それでいて大人としての愛の心も溢れている、幼い女の子の心だわ。私が最終目標にしている理想的な幼女の心じゃん! 4回目ついに体験できた。マジすっごい…なんという幸せな感覚…。シルバーバーチの言う『天国はその人の心の中にある』って、こういうカンジなんだろうなぁ」

となりました。で、今やっと大人の心モードに帰ってきた(笑)ところです。

今回の体験で解ったのは、「理想的な幼女の心になりたければ、とにかく先ず何は無くとも、心の底から無邪気になればいい。そうすれば自動的に幼い女の子の心になれるし、愛の心も発動される」ということです。これ、あくまでも私の場合に限ってです。人によっては方法が全然違うこともあると思います。

そうです。心の底から無邪気になれば

「愛に溢れていて、天然ボケが入っていて、あまりにも天真爛漫すぎるが故に、一つ間違うとアホっぽく見えてしまいそうな、幼い女の子の心」

になれるんです。言い換えれば、それを意識しさえすれば、幼女の心になりたい時には幼女の心に、大人の心に戻りたい時はすぐに戻れることを知りました。今日の約45分間の感触では、今後がんばればそれらの心のモードをコントロールできそうな気が確かにしたんですよ。

というワケで今、「起きている時に更に完璧な幼女の心(幼女の心+霊の心)になれるコツ」を掴みかけています。「心の底から無邪気になるコツ」も掴みかけています。今まで毎日コツコツがんばってきたご褒美かも。神様、ありがとうございます! もう神様大感謝祭です。

幼女の心を目指そうと本気で思い立ってから、まだ一年ちょっとなのに、ここまでこれました。あとはこのモチベーションとクオリティを維持するために、心の管理をがんばるだけです。えいえいおー!

その後、調子のいい時には以下のようなカンジで、起きている時に幼女の心になれています。今度は夢日記から抜粋。

2013/06/13

夢では私は、何歳かは解らないけど幼女の心と姿になっていて、髪の毛をおかっぱ頭にして白いサマードレスを着ていました。私は何かの演劇に出ていて、相手役はとってもハンサムな男性でした。私と彼は山道をくぐり抜けて、白い建物のある広場に出ました。その時の私と男性の、お芝居上の会話です。

男性「あの白い建物、消しゴムで消したみたいに色あせて見えるよ。対してこの先の山道はシンナーでこすったように綺麗な色をしている。めあちゃんにこの違いが解るかな?」

私「ううん、全然わかんない」

男性「それが解るようになれば、君の天然ボケもだいぶよくなるんだけどなぁ」

私「ねーねー、これは台本には無かったセリフなんだけど、これ言ったらこの仕事クビになっちゃうかもしれないけど、素敵なあなただから言っちゃうね(←ここでかなり照れてました)。私がなんでこのお芝居にスカウトされたか解る?」

男性「いや、解らないなぁ」

私「とにかく天然ボケが入ってて、トロくさいからなんだってさ。あははは」

男性「監督も、ずいぶんこの芝居にピッタリな人材をスカウトしたもんだね」

    久しぶりの夢でしたけど、夢でも幼女の心になっていて、しかもハンサムで素敵な男性に照れながら話していたなんて、なんとまぁ幼女らしいことで。天然ボケが入っててトロくさいのは元々なんですけど、そんな自分を夢の中でも気に入ってるようでした。

    この夢を見る前日、仕事中にいつものように幼女の心モードになれて、しかもかなり無邪気な心にもなれて、しかもその状態が30分くらい続いて幸せいっぱいの気持ちになれたので、起きている時の幼女の心が夢にも現れたんでしょう。幼女の心になっていたから例によって姿も幼女の姿になれていたことだし、とにかく、いろんな意味で幸せな夢でした。

    今回のように、起きている時だけでなく夢の中でも幼女の心になっていても、心のバランスのことは気にしないようにしようと思います。大人としての愛と英知の心は特に意識しなくても持っているのかもしれませんから。

という風に、以前の45分間にはかなわないものの、最近では、起きている時に30分間くらい連続で幼女の心になることが日常化しつつあります。もう、すっごく無邪気な気持ちになって、本物の幼女のように「んふふふ、きゃはは」と笑ったり腕を振り回したり奇声を発したり、それらがもう自然にというか無意識にできていました。やっぱり今回も完全に幼女になりきっていたんですよ。これ以上はないというくらい楽しくて幸せな時間でした。

改めて今回の体験から解ったのは、「心の底から無邪気になれれば、自動的に幼女の心になれるし、一時的にとはいえ全ての悪感情を完全に消せるし、愛の心でいっぱいになる」ということです。これって私的にも霊的にも理想的です。あとはただ、「いつでも心の底から無邪気になれるように、がんばる」ことだけですね。一生というか永遠の目標です。幼女の心になることに関しては、修行が全く苦にならず、むしろ楽しくてたまらないので、生きている間はもちろんのこと、死後もずーっと永遠に修行を続けていきたいです。幼女の心になるために修行をすることは、私の生きがいです。生きがいが永遠にあるって幸せ!

今まで書いてきた、初代「ホットマン」に出演していた5歳当時の山内菜々さん、「四ツ葉のクローバーの声が聞こえる少女!?」の5歳幼女、「ウルトラゾーン・チャンネル」に出演していた4歳当時の藤井杏奈さん、子供服ネットショップ「子供時代」のこの広告この広告のモデルになっている4歳幼女など、どなたも5歳から4歳の幼女ですけど、彼女たちのように、「どこまでも優しくて純粋で、心の底から無邪気で、『これぞ4歳幼女!』と言えるような可愛らしい心」になりたいです。心の状態がそうなれば姿にも反映されて、姿も優しくて無邪気な雰囲気が溢れる可愛らしい幼女の姿になりますからね。それに、何も5歳だけにこだわる必要は無くて、5歳でも4歳でもいいから、とにかくちっちゃな女の子(要するに5歳以下の女の子)の心と姿になれれば、それで満足なんです。それが私の幼女化願望の全てです。何せ最近では「5歳だけじゃなくて、4歳幼女の心と姿にも憧れるなぁ」と思っていますし、「ガンコに固く考えないで、キッチリした年齢に固執しないでいこう」と思うようになりましたから。心に柔軟性が出てきたのかもしれません。

とにかく、「どこまでも優しく純粋に、心の底から無邪気に、『これぞ4歳幼女!』と言えるような可愛らしい心になりたい」。この言葉を永遠に忘れずに生きていきたいです。

特に怖いのは、

生きているうちにあまりにも醜い心を育ててしまうと、霊界に行ってからの姿が悲惨極まる、怪物のようなグロテスクな姿になってしまう

ということです。自分の心と、霊界に行ってからの姿を醜くしないためにも、何をされても決して恨んだり憎んだりしないで、ちょっと悲しんでから許してあげることが、とっても大事なのかもしれません。

そういう、攻撃を受けて精神的ダメージを食らって、つい怒りや憎しみなどの悪感情を抱いてしまいそうになった時、真っ先に自分に言い聞かせる言葉が

「こんな時にこそ幼女の心になるのだ。幼女の心を思い出せ。どこまでも優しくて純粋で、心の底から無邪気で、『これぞ4歳幼女!』といえるような可愛らしい心だ。そういう心になれ」

です。幼女の心になれば、どんな悪感情も吹っ飛んじゃって、明るく優しい愛の気持ちでいっぱいになれるもんだから、もう幼女の心は最強です。どんな逆境に立たされても、この心をいつも忘れたくはないですね。愛は、恨みや憎しみなんかよりも遥かに強大な、神様の心の一部だからです。愛は何よりも強いのです。

で、毎日約30分間だけとはいえ実際に幼女の心になった時に、その日一日分の精神的ダメージを、お祈りで緩和しようという時の私の口調は、

「神様、あのね、めあちゃんね、今日はあんなにツラくてヒドい目にあったの。すっごく傷ついてて悲しいの。でもね(ここで首をかしげる)、相手を恨んだり憎んだりはしてないんだよ。だって、めあちゃんは、めあちゃんだもん。優しい心でいたいの。人を恨んだり憎んだりなんて、したくないの。人を傷つけたくないの。悪感情で自分の心を汚したくないの。だから相手を許してあげるの。神様、めあちゃん間違ってないよね。神様、あなたを心の底から信じています」

というカンジです。もちろん声もカン高い声にしています。男の声帯ゆえに昔はカン高い声は出なかったんですけど、練習していたら出るようになりました。自分でも「これが成人男性の声?」って疑っちゃうほどです。そうやって、幼女の心になって優しい愛の気持ちで心をいっぱいに満たして、そこで初めて相手を心の底から許してあげることができる、というワケです。幼女の心になっている時は涙声でお祈りする時も多いですけど、祈っているうちに気持ちが晴れてきますので、この方法はかなりいいと思います。やっぱり幼女の心は最強ですわ。

幼女の心になった時の口調は、大人の心モードで読むと赤面ものですけど、幼女の心モードになっている間は本当に真剣そのものなんですよ。

あ、もちろん、普段のお祈りの時はこんな口調でも声でもなくて(笑)、普通に大人の口調と声で敬語のみを使います。「傷ついた心を自分で癒すためのお祈り」の時だけ、幼女の心になってお祈りをするのです。

 

そして日々の生活では、「男性恐怖症について」のページの最下部に書いているとおり、自意識過剰と被害妄想を治していくように努力します。そうすれば、萎縮していた魂が開放されるのですから、心が今よりもずーーーっと軽くなって、行動力が更に増して、霊的にも成長できそうだし、幼女の心の修行にもかなりいい影響を与えるハズだからです。特に、「幼女の心の修行のために大きなプラスになって、今よりももっと幼女の心を発達させることができるのなら、もう、めあちゃん頑張っちゃう!」と、強い決意ができましたもん。

で、これはどうしても避けられないことですけど、自意識過剰と被害妄想を頑張って治していく途中で、いつものごとく攻撃を受けて精神が傷ついた時には、そんな時にこそ上のように幼女の心になってお祈りをして、自分で自分の心の傷を癒せばいいんですもんね。これで、今後の人生の精神的な羅針盤ができたので一安心です。物質的な羅針盤は全くできていませんけどね(笑)。ま、それはいっか。

 

最近ほんとに実感するんですけど、物質的に豊かになれば、世間からは幸せそうに見えるかもしれません。でも、心が豊かになれば、その喜びは物質的な喜びなど足元にも及びません。物質面よりも、心が満たされるほうが何百倍も幸せなんですよね。幼女の心になる回数が増えてきている最近では、その「心の幸せ」を実感することができるようになりました。私も少しは進歩したんでしょうけど、でもこの程度では決して満足しません。更なる完全な幼女化願望の達成に向けて爆進していきます。

 

そしてまた更に最近では、↓こういう風に願望の方向が定まってきました。夢日記からコピペします。

2013/10/24

夢では私は、セミロングの女子高生くらいの心と姿になっていて、どんな服装だったかは覚えていないんですけど、蒸気機関車に轢かれて全身血だらけになり、息も絶え絶えでうめいていました。即死ではなかったようでした。そして周りの男性たちが「おい大丈夫か! しっかりしろ!」と私に声をかけてくれていました。その後私は出血多量で夢の中で死んだようでした。

    夢の中の自分の精神状態を思い出してみても、自殺したいという気持ちを全く感じていなかったので、飛び込み自殺ではなくて単なる事故だったようです。でも蒸気機関車ってずいぶん古いなぁ。まさか前世はそういう事故で死んだとか…? 解りませんけど、自分が死ぬ夢は縁起がいいって昔から言われていますよね。検索してみると、「自分が死ぬ夢は、新しい自分になれるチャンスのしるし」という説もあるようで、事の真偽はともかく、新しい自分かぁ…。

    実は、というか「幼女化願望についての独り言」にも以前チラッと書きましたけど、更に追加説明すると、

    霊界で、大人としての愛と英知をたずさえた(←ここ大事)、可愛らしい4歳幼女の心と姿になって、精神的に参っている人や困っている人たちの心を癒やしてあげたい・励ましてあげたい・救ってあげたい

    という気持ちが最近だんだん強くなってきています。大人としての愛と英知=大人の良い部分の心を持っていれば、それだけ知恵や忍耐力や勇気などの精神力が強いということですから、精神力だけがモノをいう霊界では、つまらない腕力なんかじゃなく精神力だけで誰かを守ってあげることができます。これはまず100%間違いないでしょう。同時に多大な愛を持っていれば、それだけで霊界では「本当の意味の強者」になれます。

    「しかし、心はそれでいいとしても、なぜそれならば、たくましい姿じゃなくて、見かけは最弱の幼女の姿なのか?」と思うでしょうけど、やっぱり、ちっちゃい女の子の姿で愛の表現をしたほうが、相手もより癒やされると思うからです。大人としての強い精神力を持った幼女なんて、最強じゃないですか。そういう私の心と姿に癒されてほしいんです。「ウルトラゾーンチャンネル ケムール人走る」で少女(4歳当時の藤井杏奈さん)が盾になってケムール人を守るシーンの影響も無意識に受けているのかもしれませんけど、要するに自分の願望も入っているということで。幼女になった時の、守ってあげる人に向けたセリフは、

    心配しないで。大丈夫だよ。めあちゃんがついてるからね。安心して

    です。まさに「こういう心で、老若男女問わずいろんな人を守ってあげたい」と思っています。

    私の幼女化願望も、最初のうちは、ただ可愛らしい幼女の姿になりたいだけだったのが、心まで幼女になりたい、となって、そして今では「大人としての愛と英知をたずさえた幼女の心と姿で、誰かの役に立ちたい」という、利他的な気持ちが自然に、本当に自然に湧いてきています。自分で自分の心境の変化に驚いているところでもあります。

    こうやって少しずつ少しずつ時間をかけて、自分的にも他人的にも理想的な心に向かって進んでいくのかな、と思いました。差し当たっては、日々の出来事による感情のコントロールをもうちょっとうまくできるように頑張りたいです。努力あるのみ。

    今回はずいぶん思慮深い夢になりました。これ大事なことだから、気持ちの整理という意味で、「幼女化願望のためのお祈り」のページにもコピペして載せようかなと思います。

載せました。今まさに、こういう気持ちなんです。「普段は幼女らしく無邪気に振舞っているけれど、常に大人としての愛と英知(強い精神)を持っていて、ここぞという時にはその強い精神力を発揮して、霊界の困っている人たち、特に霊界の最下層部(俗に言う地獄界)で苦しんでいる人たちの救済を仕事としている。救済の余地がある人なら誰でも助けてあげる。そういう人たちを、悪感情がうずまく地獄界の奈落の底へと誘い込む悪霊から守ってあげる」と、そういう存在になりたいと思っています。

見かけは最弱の存在に見える幼女でも、実は「精神力による攻撃力や防御力」は成人男性も顔負けという、そういう存在になりたいなと思います。幼女という最弱の姿で相手を油断させて、そのスキを突いて愛の光で悪霊の目を眩ませてひるませて、救済すべき人を守ってあげたりしたいです。そのためには、まず私自身がもっと精神的に強くなって、もっと愛の心を育てなきゃ、ですね。でなければそういう仕事は務まりませんから。

 

でもいくら昔のこととはいえ、今となっては「あれは恥そのものだった」と思っているとはいえ、「男の醜い部分の心」も自分自身の心だったことは事実ですし、霊界での仕事の出張先(?)である地獄界の人たちは、性別を問わずそういう醜くてネガティブな心の持ち主ばっかりでしょうから、その人たちの心を心底理解してあげるためにも、今回の人生で「醜い心」を体験したことは必要なことだったのかもしれないな、と思います。だって、救ってあげようとする地獄界の人に対して

 

 

と言ってあげられるんですもの。本当の意味での理解者になってあげられるんですもの。だから、今回の人生の「男の醜い部分の心」を経験したことは、そういう意味でもずいぶん勉強になりました。昔のこととはいえ、必要なことだったんでしょう。これも修行の一環でしょうね。

うーん、自分のことしか考えていなかった大昔と比べたら少しは進歩したのかなー。これからもがんばろう。

 

(2014/01/14追記)

最近、起きている時に幼女の心になることが増えていますけど、今回は今までの自己ベストを大幅に更新しました! ご存じない人もいらっしゃるかもしれませんけど、私は深夜の運転手の仕事をしていて、車内で一人っきりでいることが多く、また信号などで停車しても周りには人も殆ど居ないので、そのおかげで運転中に声を出して、いつも見て完全に記憶している「動画の幼女のセリフや口調や仕草」などをマネて感情移入して、あと、「めあちゃん名ゼリフ集」にあるようにオリジナルのセリフも喋ったりして、そうやって心行くまで幼女の心になるための訓練ができるんです。それがここ二年間の日課になっています。

それで今日、というか昨夜から今朝にかけての仕事の運転中にも訓練をやっていたんですけど、今回は特に「根っからの幼女の心」という精神状態にまでなることができました。もう、すっごく無邪気な小さい女の子の心になって、「あぁ、ピョンピョン飛び跳ねて、思いっきりキャーキャーはしゃぎ回りたい! カン高い声でキャーーーッって叫びたい! 走り回って誰かに抱きつきたい! 両手を高々と上げて喜びの踊りを踊って、はっちゃけジャンプしたい!」という気持ちになれました。しかもその「根っからの幼女の心」になっている持続時間が、今まではどんなにがんばっても最長で45分間くらいまでだったのが、なんと今回は二時間近く、その状態が続いていたんです! 今までの自己ベストを大幅に更新したんです! これには自分でもビックリです。もう二時間近く心が天国状態で、すっごく幸せな気持ちでした。

もちろん、今生の男の姿でしかも車の中でそんな言動をしたら周りの運転手さんたちからは気が狂ったとしか思われないし(笑)、第一運転中だからできないし(笑)、それに私自身も男の姿でそんな言動なんて恥ずかしくてイヤなのでできません。いや、自室の中で一人っきりの時なら声を出さずにはしゃいでますけど、家族に奇声を聞かれたら気が狂ったと思われるし、ウチは住宅密集地なので近所に奇声が聞こえたら近所からも気が狂ったと思われるので、声までは出せないんですよ。そういうワケで、心はもう完全に幼女の心になっているんだけど姿にチョ〜抵抗がありまくりなので、晴れて声を出して心の底からキャーキャーはしゃぎ回るのは霊界で幼女の姿になってからのお楽しみにします

いや〜〜〜、でもすっごく貴重な体験をしました。元々幼女の心の素質を持っているのかもしれないけど、日々の訓練の賜物もかなりあると思います。今後もがんばろーう!

 

(2015/08/20追記)

思うんですけど、前世がない(初めて作られた魂で地上への誕生が今回が最初の)人は別としても、大抵の人には前世があり、少なくとも私の場合は何代前かはわからないけど女性だった前世もあるわけで、当然その人生での幼女時代を過ごした経験があるわけです。

そうなんです。前世とはいえ、私にだって、幼女やらせていただいてた頃があったんですよ。純粋無垢な心の、美しく輝かしい時代があったんですよ。

そういう、前世を含めた極めて広い霊的な意味では、私も「元幼女」なんですよ。すると、なんてったって元幼女ですから、既に幼女の心の素質を持っていても全然不思議じゃないし、むしろ持っていて当たり前なんですよ。何十年前か何百年前かはわからないけど、確実に本物のリアル幼女時代を生きた経験がある、そう思うと無性に嬉しくなっちゃいます。

「私は元幼女なんだ。だから幼女の心になる素質が充分あるし、幼女だった頃の心を思い出せばいいだけの話なんだ。単純で簡単なことなんだ」って。

頭のネジが数本ぶっ飛んでますでしょうか?(笑) でもけっこう本気で思ってます。

例えばプリパラおじさんなども、おそらく前世では女性で、その女性としての人生で幼女時代を過ごしたわけで、その時の幼女の心が今世で現れてプリパラにハマってる、と思えばいいんじゃないでしょうか。可能性としてはすっごく高いですよね。その意味でプリパラおじさんも元幼女なんだと思います。ええ、私ゃ彼らのことを肯定していますよ。気持ち悪いとか変とか全然思っていませんし、同じ「元幼女」として、むしろ親近感さえ感じます。「お前みたいな変人と一緒にするな」って怒られそうですけど(笑)

 

霊界に行ってからどうするか、今のうちに考えておこうと思います。あくまでも予定ですから、実際に霊界に行ってみてからどういう経路をたどるかは解りませんけど…。

死んで、肉体が消える。

 ↓

中間境に行く。

霊界の性質上、黙っていても、「幼女になりたい」という願望が周りの人たちに知られてしまう。そのために周りから変人と呼ばれ、普通の人たちから嫌われ、相当バカにされる。でも耐えて無視して、精神統一の修行を続ける。

前世のフラッシュバックを見ているうちに、ダブルが自然と脱げる。

 ↓

夢幻界に上がる。

夢幻界では、容姿の整形は細かい部分しかできないかもしれない。いきなり本物の幼女の姿になるのは無理かも。仕方が無いので、

今のところ、この順番が最もやりやすい順番ですし、自然な方法だと思います。全くの別人の姿をイメージするよりは、自分の体をベースにするわけですから、「あくまでも自分の体だ」という観念ができるので。それに、本物の幼女にはかなわないけど、この方法でやれば、だいぶ可愛い幼女の姿に近づくでしょう。

夢幻界では老衰がなくて、大半の人々は青春時代の容姿になって若返るそうですけど、それならもっと若返って自分の幼少時代の姿にも戻れるハズです。また、生前に憧れていた顔かたちやプロポーションがあれば、それが実現するそうですから、私だったら4歳の頃の自分の姿に戻って、身長を98cmにして、顔かたちを思いっきり幼女っぽくして、足の長さなどを含むプロポーションも自分好みの幼女仕様にして、少しでもかわいい幼女の姿に近づきたいです。

ですので、もし整形が比較的簡単にできるのであれば、最初のほうでやっておきたいです。つまり理想の順番は、

という順番にやっていくのが一番いいと思っています。これだと「男の子の不自然な女装」という雰囲気は出ませんから。キーポイントは、最初の段階でどこまで整形できるか、ですね。

4歳の頃の自分の姿になって身長を98cmにすることを、略して子供化。可能な範囲で顔かたちとプロポーションを幼女仕様に整形することを、略して幼女化整形。髪型をおかっぱ頭などの幼女仕様にすることを、略しておかっぱ。スカートやワンピースなどの幼女用の洋服を着ることを、略して女装

この四つの略語「子供化、幼女化整形、おかっぱ、女装」を大切な言葉として、いつどんな時でも忘れないように、私は常に頭の中で繰り返しつぶやいています。

 

周りからの叩きは相変わらず無視して、精神統一の修行を続ける。

 ↓

エイドスに上がる。

エイドスまで行ってしまえば、もう望むものは何もない。私の最終目標。

 

これらのどの界層に住んでいても、ティンホイッスルの演奏も続けていきます。私の霊界での願望は、まず幼女化願望、そして次がティンホイッスル演奏願望ですから。この二つの願望がかなうならば、他は何も要りません。

私は自分の幼稚園時代や小学校低学年時代の思い出アルバムを見ることが多いんですけど、これは、私が幼稚園や小学校低学年だった頃の顔つきや体つきを確認するためです。当時の姿をベースにして幼女化整形なしで、髪型と女装だけでどこまでいけるかな? と思うことがよくあります。霊界に行ってうまく幼女化整形ができればいいけど、できなかった場合に備えて考えてるんですよ。うーん、どうかしら? 幼稚園時代ならなんとかなるかなぁ…。まぁそれはともかく、霊界に行ったらまずは幼女化整形をがんばってみます。

もっと理想的なことを言うと、大人の汚い邪念と男の醜い本能を消して、女性の心と無邪気な心を発達させて、幼女の心になることが、人間界においても霊界においても最重要課題だと思っています。心の状態がそのまま姿に反映される霊界ですから、幼女の心になれれば自動的に幼女の姿になれます。これが実現すれば無理して幼女化整形をする必要もなくなって、何も考えなくてもごくごく自然に幼女の姿になれるんです。それが実現できるように、人間界で生きている間だけではなく、霊界に行ってからもがんばりたいです。

 

ところで、霊界に行ってからの仕事について。

私が霊界のことで常日頃から願っていることは、幼女の心になって、かわいい幼女の姿になることですけど、霊的真理に添って「人のために尽くす」ということを考えると、霊界でかわいい幼女の姿で「人のために尽くす」ことのできる仕事は、まず思いつくのは現代版座敷わらしです。現代版座敷わらしとは私が考えた言葉で、現代風の幼女の姿かたちや髪型や身なりをして座敷わらしの仕事をすることです。元々霊的真理は、霊主肉従になること・人のために尽くすこと(利他愛の実践)・苦しみを乗り越えることなど、魂の成長を第一に考えられています。霊界で自分の幼女化願望をかなえて、その姿で魂の成長を為すには、現代版座敷わらしになって人様の家を守る。これ、利他愛の実践になって魂の成長にもつながるし、霊的真理に添っていていいんじゃないでしょうか。

他にも、霊界で幼女の姿でできる仕事の候補があります。それは、かわいい幼女の姿になって女優になって演劇に出て、霊界の人たちを楽しませてあげる、という仕事です。これも立派な「人のために尽くす」仕事ですね。幼女の姿で女優、いいですねー。山内菜々さんや小林星蘭さんや芦田愛菜さんみたいで。

でも、もし霊界に行っても私の女優としての才能が芽生えなかったらどうしようかな? とも考えています。その場合は、タレントかコメディアンになろうと思います。霊界にも娯楽として芸能界やコメディがあるそうなので、女優が無理なら、私は、かわいい幼女の姿になってタレントコメディアンになるでしょう。そして霊界の人たちを笑わせて楽しい気分にさせてあげたいです。これも立派な「人のために尽くす」仕事ですね。

その他にも、かわいい幼女の姿でできる「人のために尽くす」仕事はないだろうか? と思っているんですけど、なかなか思いつかないので、毎日やっている神様へのお祈りの時に「どうかインスピレーションを与えてください」とお願いしています。それほどまでに、私の「大きな愛をたずさえた幼女の心になって、かわいい幼女の姿になりたい。そしてその姿で人のために尽くす仕事をして、愛に生きたい!」という気持ちは、どこまでも真剣です。遊び半分な気持ちじゃないんですよ。何か「これだ!」っていうような適任の仕事ないかしら…。

インスピレーションを与えてくださるように毎日お祈りをしていたら、神様が答えてくれたのかどうかは解りませんけど、ある日こんな夢を見ました。

2012/05/12

夢では私は、5歳くらいのツインテールの幼女の姿になっていて、なぜか着物を着ていて、日本風の屋敷の廊下に立っていました。廊下にはやはり着物姿の大人たちが数人居て、彼らはフスマが閉まっているある部屋を指差しながら、私に向かって「あそこの部屋の人たちは君の存在を知らないから、いきなり入っていって着物を脱いで驚かしてやりなよ」と言ってきたので、面白そうだと思った私は言われたとおりに、その部屋のフスマをガラッと開けて、幼女特有のカン高い声で「こんにちはー! そーれっ!」と言いながら着物を脱いで全裸になりました。部屋に居たのは全員着物姿の中年の男性だったんですけど、彼らはポカーンとして言葉が出ないようでした。次の瞬間私は「あはは! じゃ、さよーなら〜」と言いながら姿を消して透明人間になりました。それを見ていた部屋の人たちは「き、消えた! なんだ今の女の子は!?」と驚いて混乱しているようで、「もしや今の女の子は座敷わらしではないか?」とも言っていました。私にイタズラを奨めた廊下に居た大人たちは一部始終を見てクスクス笑っていたんですけど、彼らは私に「これ、みんなお芝居だからね」とも言いました。一連の行動を通して私は、自分の心が幼女の心になっているような感覚を抱いていました。

    ワケの解らない内容ですけど、落ち着いて分析すると、私はもしかしたら霊界において、幼女の姿で座敷わらしの仕事をすることを奨められたのかもしれません。廊下に居た大人たちは私の仕事の説明役・指導役のような存在の霊で、普段はマジメに座敷わらしの仕事について私に教えていたんだけど、「今回は息抜きとしてちょっとイタズラをしてみないか?」と奨めてきたんじゃないかと。それで童心に帰って幼女の心になっていた私は面白そうだと思って同意したのかも。でもいくら幼女が恥じらいがないとはいえ、全裸はちょっとやりすぎだと思いましたし、そこら辺に私の恥を知らない男の心がまだ残っているのかもしれません。これではいけない! 幼女の心がもっと解るように精進しなきゃ。姿を消して透明人間になったのは、「座敷わらしは普段は人間の目には見えない」ということを象徴していたんだと思います。

    「これ、みんなお芝居だからね」という言葉の意味は、今回の出来事は、部屋に居た中年男性たちも含めた全員が、私に座敷わらしの仕事を疑似体験させてくれるという意図で、みんな解っていて協力してくれたんじゃないかと思うんですよ。中年男性たちが、姿を消した私に驚いたのもお芝居だったということで。

    今回の夢から学べることは、私が日ごろから「霊界で、5歳幼女の姿でできる仕事はないだろうか?」と、かなり真剣に考えていたので、霊界の人たちも真剣に考えてくれて、座敷わらしになって人様の家を守るという仕事を紹介してくれたんじゃないかと思います。だとしたら本当に私の霊界での仕事は座敷わらしなのかもしれません。今回協力してくれた人たち、そして神様に心から感謝したいです。

    でも欲を言うならば、着物姿じゃなくて、ピンクと赤のかわいいシャツに水玉のスカートに黒いストッキングにグレーの靴下というような、現代風の幼女の洋服のほうがよかったですけどね。髪型もツインテールじゃなくて、動画の幼女のように、前髪をギリギリまで下げた長めのおかっぱ頭のほうがよかったなぁ。名づけて現代版座敷わらし(現代風の幼女の姿かたちや髪型や身なりをして座敷わらしの仕事をすること)を希望なんですよ。まぁ、座敷わらしは普段は人間の目には見えないんですから、普段の髪型や身なりは自由に選ばせてくれるでしょう。今回の着物という身なりは、人間の前に姿を現す時にだけ着物姿になるという意味だったんだと思います。なぜかというと、人間の前に姿を現す時には、人間が座敷わらしを認識しやすいように、人間が抱いている座敷わらしのイメージを壊さないように、着物姿で現れるということですね。

    とにかく、何を差し置いても幼女の心になれていたし、5歳幼女の姿にもなれたし、声も幼女の声だったし、座敷わらしの仕事という希望も見えたし、霊界での私の未来は明るい! と思わされた、とってもいい夢でした。

という風に夢の中で、座敷わらしの仕事の予行演習というか疑似体験をさせてもらったんですよ。本当に霊界での「かわいい幼女の姿でできる、人のために尽くす仕事」を疑似体験とはいえさせてもらえたんですよね。神様からのインスピレーションなのかどうかは解りませんけど、この夢はかなり有意義でした。座敷わらしの仕事、本気で考えてみます。上の夢日記にも書いているとおり、私は現代版座敷わらし(現代風の幼女の姿かたちや髪型や身なりをして座敷わらしの仕事をすること)になりたいですね。普段の仕事中は現代風の洋服姿で、人間の前に姿を現す時にだけ着物姿になる、ということで。

で、ふと、座敷わらしの精神状態について考えてみました。一般的に知られている座敷わらしの外見的な年齢は5〜6歳らしいんですけど、本当にその年齢の精神状態の子供の霊が座敷わらしを務めているとは思えません。人様の家を悪霊とか悪因縁とか災害とかから守るんですから、いくら霊的に目覚めているとはいえ精神状態が5〜6歳の子供の霊では、まずムリだと思うんです。ですから座敷わらしは、大きな愛を持った成人女性の霊があえて幼女の姿になっている、と考えると納得がいくんですよね。そうじゃないと座敷わらしなんていう責任重大で大変な仕事は務まらないと思うんですよ。

なので、私が霊界に行ってから座敷わらしの仕事をするのなら、大人としての大きな愛を持っていなければならないし、幼女の心も持っていなければならない、ということになります。大人の心と幼女の心を兼ね備えた精神になるべきなんですよね。大人の心はいいとしても、幼女の心になることは今後の大きな課題です。「素直で純粋で優しい無邪気な」幼女の心になれるように、がんばらなきゃ。「いつか絶対に幼女の心になってやる!」という意気込みは変わらないどころか日に日に強くなる一方です。

最近の夢日記では、大人の心と幼女の心が半々くらいの精神状態なことが多いですけど、上に書いた理由で、座敷わらしの仕事をするのならばそういう精神状態でちょうどいいんじゃないかと思えてきました。大人の心だけでも務まらないし幼女の心だけでも務まらない、その両方を兼ね備えていなければならないのが、座敷わらしの仕事ですからね。その精神状態を完全にマスターすることが最重要課題で、それができたら、あとはかわいい4歳幼女の姿になって、現代版座敷わらしのドレスアップをすれば、仕事の準備オッケーですから。

というワケで、現代版座敷わらしの仕事、本気で考えています。霊性を磨く修行はもちろんのこと、きっと勉強することも相当多いでしょうけど、私は全身全霊でがんばります。

 

ところで最近は、「霊界で幼女になったら、いろんなオシャレな洋服を着てみたい」と思って、ネットで子供服のサイトなどを見ています。いや〜、最近の子供服って本当にフリフリでかわいい服があるんですね〜。例えばこのショッピングサイト、

「【楽天市場】子供時代の思いでをかわいい服で:子供時代[トップページ]」
http://www.rakuten.co.jp/kodomojidai/

ここだけでもいろいろ見て回りましたけど、カラフルで愛らしいワンピースからめっちゃ綺麗なドレスみたいな服とかもあって、「ああ、私も霊界で幼女になったら、こんなかわいい服着てみたーーーい!」と思っています。子供服ってなんだか、デザイナーの幼少時代の夢が詰まっているようなカンジがして、ほわ〜んと温かい気持ちにさせてくれます。

個人的に普段着として着てみたいのは、今の時点では、↓このワンピースです。デザインと配色がめっちゃ気に入りました。

http://item.rakuten.co.jp/kodomojidai/coop130602-03/?scid=af_pc_etc&sc2id=238884120

と言っても生きているうちに買うわけにもいかず…あくまでも死んで霊界に行ってからのオシャレの参考として見てます。この服の画像を参考にして、霊界で同じ服を形作るというワケです。楽しみだなー。

 

もう一つ、霊界で幼女になってできる仕事の候補を思いつきました。「幼女化願望のための独り言」から抜粋。

最近では毎日、起きている時に約30分間くらい幼女の心になれていることは別のページで書いたとおりなんですけど、昨夜、仕事に出かけようと思って準備していたら、近所の路上を酔っ払いの中年男性がクダまいて歩いてました。何やら「こんな世の中生きてても仕方ねえんだ〜。死んだほうがいいんだ〜」とか言ってました。会社で何かあったのか、それとも家庭でなのかは解りませんけど、ふと、「もしここが霊界で、私が幼女の心と姿になっていたとしたら、あの男性に向かってきっとこう言うだろうな」と思って、ちっちゃい女の子が一人称を使う時に自分の名前に「ちゃん」を付けるのと同じように、一人称を「めあちゃん」として、男性に話しかけてるつもりで、幼女になり切って自室で一人ごちてみました。

    「おじちゃん、どしたの? ヤケになっちゃダメだよ。めあちゃんでよかったら、いっくらでもお話相手になったげるから、めあちゃんにぜーーーんぶお話しちゃって。吐き出したいこと、たっくさんあるんでしょ? ぜーーーんぶ喋っちゃっていいよ。そしたら、おじちゃんの気持ちも少しはスッキリすると思うの。ね? おじちゃん、だからもうヤケにならないでね。お願い」

なーんて風に。…くくく、ちょっとーヤダもうー。何やってんだろ私。でもチョ〜ハマりすぎ。自分でやっといて自分でウケて、手足ぶんぶんさせて幼女のようにはしゃぎ回ってしまいましたよ。私ってば本気で幼女の心モードになると、ホントにこんなカンジの口調になるからなー。

いえ、ホントはふざけるつもりはなかったんですよ。「死んだほうがいいんだ〜」なんて言ってるものだから、できれば「最大の過ち・自殺について」のページのアドレスでも教えたかったんですよ。でも相手は酔っ払いの、しかも中年男性。「なんかの宗教の勧誘かコラ!」とか言って絡まれたら怖いじゃないですか。ただでさえ男性恐怖症だし、それに出勤間際だったし。でも、もしあの男性がパソコンかケータイを持っていたら、先のページを見てくれることを願うだけです。私にはそれしかできません。

だから仕方が無いので、「もしここが霊界で〜」という妄想話で気を紛らわしたんですわ。

でも、もし本当に死後、霊界で今回のような出来事に遭遇したら、今度こそ私は幼女の心と姿になって、あの中年男性を「おじちゃん、大丈夫だよ。めあちゃんが付いてるからね。安心して」と優しく抱きしめてあげたいです。霊界で幼女になって、霊的人生に疲れた中年男性の霊を抱きしめて励ましてあげる(もちろん変な意味ではなく)、それも立派な愛の与え方の一つですよね。そういうシチュエーションって実は密かに憧れていたりします。それが例えばピーター・フォークとかパトリック・マッグーハンとかロバート・カルプ似の優しくてシブ〜イ中年男性だったら、私はもう喜んで抱きついちゃいます(←オヤジ好き)。おっとヨダレが…いけないいけない。

ヨダレは冗談としても、実は私は、優しくてシブ〜イ中年男性が大好きなんです。昔からそうなんですよ。チョ〜有名どころでいうと、ハリソン・フォードなんかも好きですね。

そういうオヤジ好きな趣味を霊界での仕事に生かす、つまり霊界で、「幼女になって、霊的人生に疲れた中年男性の霊を抱きしめて励ましてあげる」ことを仕事にすれば、それだけで愛を与える仕事になります。もちろん中年男性に限らず、それ以外の人たちにも同じ方法で励ますことができれば理想的ですけど、みんながみんな、私を受け入れてくれるとは思えないので、とりあえず最初のターゲットは優しい中年男性に絞ることにします。そこから徐々に慣らしていって、最終的には全ての人たちに同じ方法で愛を与えることができれば理想的で嬉しいですね。


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