◇GID(性同一性障害)を考える◇


自分がどの程度GID(性同一性障害)的な要素を持っているか、それによって今までどういう葛藤を抱えてきたか、そういうことを考えるページです。

このページでは、私のGIDとしての経歴や、今までに抱えてきた葛藤などをお話したいと思います。それによって今までまでにどういう風に精神的に変わってきたか、また、自分がGIDであることに気付くまでの経緯などもお話していきます。

何しろGIDな自分に気付く以前は、男性の肉体と女性の心の食い違いによる得体の知れない不安感を抱え、そしてその不安感に心が負けてしまって激しくストレスが溜まってしまい、物に八つ当たりする日々が続いていたんですからね。今思えば当時は本当にバカなことをしてきたものだと思っていますし、家族にもたくさん迷惑をかけてきました。

でも今はGIDだということに気付いただけでも、相当精神的に落ち着いていますし、もちろん暴力的なことも全くしていませんし、家族にも本当に申し訳なかったと思っています。クサイ言い方ですけど、GIDに気付いてからは心を入れ替えたんですよ。

まぁ、私個人だけの経歴なんですから、一つの「お話」として気楽に読んでいただければ幸いです。

では始めます。

私が小学生の頃は、自分がGIDだなんて思いもよりませんでした。ただ、中学校に上がってからは、潜在意識の中で、自分の外見上のコンプレックスつまり肉体が男であることにだんだんと違和感を感じてきて、でも当時はその違和感が何なのか解らなくて、本当に得体の知れない違和感を感じ始めていました。

高校に上がってからは、特に高校2年生あたりになってからは、少しずつ女の子の心が芽生えてきたように思います。その頃から既におかっぱ頭にして、女性用のジーンズもはいていました。とある駅のホームとか街中で女の子に間違われることもありましたが、私は女の子に間違われることが本当に心底嬉しかったんですよ。まぁかなり女の子っぽい外見をしていたんですから、間違われても不思議はありませんけど。

でも当時は自分がGIDであることには全く気付いていなくて、ただ「女の子っぽい格好をしたい」と思っていただけでした。さすがにスカートを穿く勇気はありませんでしたけど。

子供時代から高校時代に至るまでの私は、顔がふっくらしていて、お尻も大きくて、どことなく女の子っぽい顔つきをしていて、おまけに身長も低かったせいもあって、よく女の子に間違われたんでしょう。それは心底嬉しいことでした。

高校2〜3年生の頃から、男であることに相当コンプレックスを抱えてきていましたし、裏を返せば「女の子に変身したい」という願望が芽生え始めていたんですね。

もちろんその当時は霊界のことなんて全く知らなくて、漠然と「女の子に変身したい」と思っていただけでした。ですから、「ああ、でもやっぱり女の子になるなんて、どう転んでも絶対に無理だよなぁ…」と、しばしば落胆したものでした。

そういう得体の知れない不安感が強烈なストレスになって、情緒不安定になって、物に八つ当たりして家族に迷惑をかけることも多かったです。そして自暴自棄になって、自殺まで考えたことも数知れずありました。

でも最近になってスピリチュアリズムと出会ってから、死んで霊界に行ってからは努力次第で自分の願った姿に変身できることを知り、「霊界ならば幼女化願望が叶えられる」と確信したというわけです。

それにもう一つ、GIDを自認するきっかけがありました。少女漫画を描き始めたことと、ティンホイッスルを吹き始めたことです。少女漫画を描いているうちに「自分もこんな素敵な幼女のヒロインになりたい」と思い、ティンホイッスルを生き甲斐とすることで、「ティンホイッスルを吹く幼女」という、私の霊界での願望が、ごく自然に出来上がったわけなんですよね。

こんな私は「本当のGID」なんでしょうか? それとも「なんちゃってGID」なんでしょうか? まぁ言葉はどうでもよくて、大事なのは「今の心・今の精神状態」なんだと思います。

 

さて、ここでちょっと話の方向を変えて、今の人生について深く考えてみました。かなり込み入った内容です。

睡眠中の出来事について」のページに書いていますけど、私の前世の一つである、

また、金髪のロングヘアーの女性で、ヨットハーバーの見える街で遊んで暮らしていた(笑)前世も見ました。

というくだりについて。

私が前世で女性だった時のその姿は、映像的にハッキリ覚えてるんですけど、かなりの美人だったようです。あっ、自慢話じゃないのでページ閉じないでー!

問題なのは、女性だった前世のカルマ今生の試練との非常にシビアな因果関係なんですよ。

女性だった時は、何もしなくても男性たちが寄ってくるような自分の美貌にうぬぼれて、おしゃれをしては気まぐれにあっちの男性こっちの男性へと寄って行って、主にセックスなどのつかの間の快楽におぼれて、何人もの男性たちを手玉に取って遊びまくって、心を磨く努力を一切しなかったんじゃないかと思います。また、自分が美人であることをいいことに、つまらないプライドばかりが高くなって、ひょっとしたら気に入らない人たちに対して身体的な特徴を含めた悪口まで言って、人をたくさん傷つけてしまったんじゃないかな、とも思うんです。私の魂の基本的な欲求は美の追及ですから、女性だった時もきっと同じだったことでしょう。それで外見的に美しいものばかりに惹かれて、美しくないものは人であれ物であれコキおろしていたんじゃないかな、と。

そういう、ワガママで自己中心的で、おしゃれとセックスのことしか頭にないような煩悩の塊で、外見的なことしか見ない残酷だった女が、寿命で死んで霊界に帰って、霊的な良心に目覚めて、「自分はなんてひどいことをしてしまったんだろう…」と女性だった前世を激しく反省した後に、「今度は普通の外見の男に生まれて、何をやっても失敗ばかりするトロい男になって、自分がコキおろされる立場になって、罪滅ぼしをしよう」と決意して今の人生を選んだんじゃないかと思うんですよ。ただ、再生する際の性別についてだけは自分で選べないらしいので、私が再生するちょっと前に霊界の指導霊さんたちが「こやつは今度は男に生まれて苦しんだほうがいい。それがカルマの清算の早道だ。こやつの今度の再生は男だ」と判断したんでしょう。激しく反省した私もそれに同意したのかもしれません。

それで今の人生がある、と。思い返してみれば小さい時から苦労と失敗の連続で、人から暴言を吐かれて傷つけられてばっかりで、心が安らいだ日々など全くありませんでした。何せ、大多数の人間から無条件に嫌われる・バカにされる・迫害される・攻撃を受けるという人生を送ってきたんですから。男女問わず、老人、中年、青年、果ては子供にまで「死ね」と言われたことも数知れずありました。その度に自殺を考えたことも数知れずありました。

そして、自分は体は男なのに心は女なんだということに気づき、体と心の食い違いによる葛藤や苦しみまでをも味わって、精神的にのた打ち回る人生が続いて今に至るんじゃないかな、と。要するに前世の罪滅ぼし=カルマの清算なんですね。

今までのつらい体験は、前世の罪滅ぼしなんだと割り切ってしまえば、傷つけられる度に落ち込みはするけど、少なくとも自殺を考えるまでには至りませんし、「また一つカルマを消化できた」と安心することさえあります。

学生時代に芽生えた「女の子になりたい」という気持ちは、本能的に潜在意識で「美しかった前世の姿に戻りたい」と感じていたんじゃないかと思います。でもそれは今生では絶対に叶わない夢。罪滅ぼしが終わるまではどんなに苦しくても男として明るく前向きに生きていかなければならない。そして何よりも心を磨くことを覚えなければならない。だから今の人生がある。と、そういう風に思うんです。そう思えば今まであまりにも理不尽に感じていた今生での苦しい出来事が全て納得がいくんですよ。

マイヤースの本などのスピリチュアリズムと出会ったことも、偶然じゃなく(シルバーバーチは“偶然は存在しない”と言っているし)、必然的に出会う運命だったんじゃないかと思います。私の前世の歪みきった心を体と知識で矯正させようという、指導霊さんや守護霊さんの計らいだったと思うんです。

幼女化願望を持ったことも、今までの経験が役に立って精神が鍛えられていくうちに、自然に「無垢な心のかわいい女の子になりたい」と願うようになった気がするんですよ。前世の美しい姿への憧れと、今生で磨かれた「無垢な心になりたい」という精神が折り重なって幼女化願望が芽生えたんだと思います。

でも仮に、次回かわいい女の子に再生したとしても、今度は自分の美貌にうぬぼれることもなく、セックスなどの快楽におぼれることもなく、謙虚に慎ましく生きていきたいです。じゃないとまた同じことの繰り返しになっちゃいますから。

とにかく、男としての今生を耐えて生きていくしかありません。がんばります。

私は子供時代から、イジメ、嫌がらせ、不当な仕打ち、不当な扱い、割に合わない損な役回りなどで、これまで散々苦しい思いをさせられてきました。霊界のこととかスピリチュアリズムを知る前は、よく相手を憎んだものでした。でも私は、怒りや憎しみの感情を抱いている時って、すっごく心がツライんですよね。ネガティブな感情を抱いている自分の心に対して胸が痛むというか…。

だから基本的には怒りとか憎しみの感情を持つことはイヤなんですよ。もちろん人なんか傷つけたくありません。子供だった頃は無意識に言葉で人を傷つけてしまったこともありましたけど、今は全く違いますから。

ひどいことをされた時には、とにかくひたすら悲しむことにしていました。そうすれば忘れるのも早いですから。

でもスピリチュアリズムを知ってからは、ひどいことをされていたのは相手だけじゃなく自分にも大いに責任があるってことを学んだんです。「自分の心に愛が足りないからだ」って思えるようになって、「もっと心に愛を抱かなきゃ」とも思えるようになりました。それを教えてくれたのはスピリチュアリズムの数々の霊界通信でした。霊界研究を始めて本当によかったと思います。気持ちにゆとりができて心が晴れて、愛に目覚めることができたんですから。

そして今では、「大多数の人間から嫌われようとも、家族(親兄弟)と仲良くできて、体もまぁまぁ健康で、仕事もそこそこできて、収入も飢え死にしない程度あれば、もうそれで満足。必要以上の富も仲間も求めないし、心が女だから結婚したいとも思わない。一生独身を貫き、清貧に甘んじて、決して目立つことはせずに、一生静かに慎ましやかに暮らしていこう。心が幸せならば、物質的な幸せなど必要最小限でいい。心を磨くこと・誰かに愛を与えることだけに専念して生きていければ、それで幸せ」と思って暮らしています。

 

えっと、ちょっと脱線させてください。

白状しちゃいますけど、私は未成年時代、特に幼稚園から中学一年くらいまでの時代は、心の隅っこにかなり残酷な一面を持っていました。上に書いた女性だった前世の時の残酷な心がまだ残っていたんでしょう。幼稚園から中学一年くらいまでの時代は悪いこともたくさんしました。具体的に言うと、幼稚園の側に建っていた保育所のような所に当時の悪友と二人でこっそり行って、そこの窓ガラスを石を投げて割ったり、意味も無く虫をたくさん殺したり、小学校に上がってからは、しばらくは大人しかったんですけど、小学校高学年辺りになると感情のコントロールがきかなくなって、その場の感情に任せて暴言を吐いて人を傷つけてしまうことも多かったです。この小学校高学年時代は、我ながら最低の人間だったと思います。そして中学一年の時には、廃墟になっていたお店に遊びのつもりで忍び込んで、近所の人から通報されて補導されて、パトカーに乗せられて警察署できっついお説教をされたこともありました。呼び出された母親はあまりの情けなさに泣いていました。

こんな風に、私の幼稚園から中学一年くらいまでの時代は、善悪の区別が付かない極めて未熟な心のままダラダラと時を過ごしていたのでした。もっとハッキリ言えば、その時代の私は反省することを知らない「低級霊の中の低級霊」と言ってもいいほどで、今思い出すと「人間のクズだった」という後悔と反省の念でいっぱいです。

でも、そういうクズ人間が、その後すぐにカルマが帰ってきたんでしょう、中学時代後半そして高校時代へと進んでいくうちに、幼少時代から受けていたイジメや嫌がらせが急にひどくなって遂にノイローゼになり、男の体への違和感と嫌悪感も手伝って自殺を考えることも多くなり、これではマズイと思って勉強に集中して悩みを忘れようとして、そこから何とか立ち直ったものの、その後の人生も失敗と苦労の連続で、そういう経験をすることで結果的に「他人への哀れみを知る」ことや「人を傷つけることがいかに愚かな行為か」ということを身をもって学んだのでした。この時点でやっと、残酷な女性だった前世での性格を変えていくことが僅かながらでき始めたのでした。

それからもいろいろな苦難を経験して、「この理不尽な苦難はどういうことだろう? 何かきっと理由があるハズだ」と思っていたところで、ふとしたことからスピリチュアリズムに出会い、霊界研究に目覚めて以来、今まで約8年間過ごしてきました。そして今の私があります(これを書いているのは2013/08/22)。もともと霊界には興味があって、長年続いている部屋のラップや話し声(「家鳴り」とか「気のせい」とか「幻聴」なんていうレベルではなく本当に耳元でハッキリ聞こえる)などの現象のおかげで、興味本位とはいえハロウィン少女コミック「ほんとにあった怖い話」とかを読んでいましたから、霊界研究を本格的に始めるのにも抵抗がなかったことが幸いでした。

そうなんです。前世の残酷な自分そして今生の中学一年までの自分の醜い心、これを完全に自覚して、本気で「何とかしたい!」と思うようになったのでした。だからこそ昔の自分を大いに恥じて大いに軽蔑して、「もう二度とあの時代の心には戻るもんか!」と決心したからこそ、今の願望「どこまでも優しくて純粋で、心の底から無邪気で、『これぞ4歳幼女!』と言えるような可愛らしい心になりたい」という願望が湧き上がってきて、自分の心を全て、文字通り入れ替えてしまいたい・いっそ(いい意味で)別人のような心になりたいという気持ちで、本気で努力している真っ最中だったりします。

マイヤースも、「残酷な心・残虐性の強い人間は、心の奥深くに食い入った変態で、己の魂を著しく傷つける」と言っています。そうなんですよね。昔の私は自分で自分の魂を著しく傷つけていたってことです。

前世から抱えてきた「残虐性を完全に消す」という宿題は、どんなにがんばってもあと10年か20年か、あるいは今生いっぱい、いや死後までかかるかもしれません。なんといっても私の持っていた残虐性は前世で一生かけて培ってしまった心だったんでしょうから。でもいいんです。前世を含む昔の醜い心の自分が大っ嫌いになって、現在時々「愛と優しさと無邪気さでいっぱいの幼女の心」になれている自分を好きになれただけでも、成長と言えるでしょう。おそらく前世を含む昔の私は、悪を好んで善を憎む、まさに「低級霊そのもの」だったんだと思います。そういうどうしようもない人間が、心の方向を180度変えることができただけでも収穫と言えるのではないでしょうか。

というワケで、GIDの話とはちょっと脱線してしまいましたけど、私はこんな人間です。呆れちゃったら帰ってくださっても結構ですけど、私の本格的な心の修行は、まだ始めてから一年ちょっと(2013/08/22の時点で)なので、要するに修行を始めたばっかりの未熟者なので、大目に見ていただければ幸いです。サイトの随所でエラソーに霊的真理を語っているように見えるでしょうけど、それも全部自戒を込めて、自分に強く言い聞かせることも兼ねて書いていることを付け加えておきます。要するに上から目線で書いているのではない、ということです。そこのところを、ご理解ください。


Home