◇幼女のような無邪気な心になって、人助けをしたい◇


※勘違いする困った人がいらっしゃるかもしれないので一応書いておきますけど、「幼女になって人助けをしたい」という言葉に、なぜか犯罪の匂いを感じる人も居るのだそうですね。でも私の願望は、そういう意味とは無縁です。本当に幼女の姿になって人助けをするのは死んで霊界に行ってからか、来世で女の子に生まれることができたら、の話です。今世ではあくまでも「心が女性なGID男が普通に人助けをしているに過ぎない」のであって、犯罪的な要素などカケラもありません。くれぐれも誤解のなきようにお願いします。私がなりたいのは幼女のような「無邪気で清らかな心」なんですから。


最近、休みの日になると一週間分の仕事の疲れが一気にドバーッと出て、ずーっと寝ちゃってることが多いです。本当は山とか茶畑まで行ってティンホイッスルを吹きたいんですけど、疲れて寝ちゃってて行けません。このパターンが続いてます。広々とした場所でティンホイッスルを吹きたいです。

でも、一年か二年くらい前からだんだん感じていたんですけど、山とか茶畑で一人っきりでティンホイッスルを吹いていても、あまり楽しくないというか、虚しい気持ちになることが多いんですよ。なんでかなーとずーっと思ってて、その原因に先日やっと気づきました。

「ティンホイッスルを吹くこと自体は大好きで、すっごく楽しいんだけど、誰も居ない広々とした場所で一人っきりで吹いていると、自分のためだけに吹いていて自分一人だけが楽しんでいる、つまり誰かを楽しませたり喜ばせたりするために吹いているんじゃない。だから虚しいし、つまらない。今まで漠然と感じていた虚しさの原因はコレだ」

ってことが、やっとわかりました。昔はよく山奥とかで吹いてて自分一人だけが楽しければいいやって気持ちだったのが、今では「ティンホイッスルを吹いて誰かを楽しませてあげられないと虚しい」と思うようになってきたんです。私のつたない演奏レベルはおいといて、ティンホイッスルを吹くことでも人助けができないだろうか、って思うようになってきたんです。

そうなんですよ。「幼女のような清らかで無邪気な心になりたい」のと同時に、「人助けをしたい」という気持ちも自然に湧き出てきたんです。

かつて二時間ぶっ続けで完全に幼女の心になりきっていた時、同時に自然に湧き出てきた「誰かを幸せにしてあげたい」という気持ち、あの時の「心が天国状態」をまた何度でも味わいたい、できればそういう心にずーーーっとなっていたい、っていう願いが最近ますます強くなってきています。そう思っているうちに、先の原因がわかったという次第だったんです。

うまく言えないんですけど、幼女の心になっている時に自然に人助けの気持ちが湧き出てきて、また、人助けの気持ちが強くなっている時は幼女の心になりやすい、ってことにも気づきました。この二つの気持ちはそれぞれが独立しているんじゃなくて、二つが一緒になって連携して、初めて本当の「霊的に大人な、それでいて清らかで無邪気な幼女の心」になるんじゃないかなーって思うようになりました。

ってワケで、今の気持ちを要約すると、

幼女のような無邪気な心になって、人助けをしたい」略して「無邪気に助けたい」。そう、マリーベルのように。

ですね。今はそういう気持ちでいっぱいです。人助けの気持ちはボランティアをやっている人たちからしてみれば当たり前のことなんでしょうけど、私にとっては大きな変化なんですよ。嬉しいな〜。

こうやって少しずつ本当の「霊的に発達した幼女の心」に近づいていくのかなー・・・なんて思ってますけど、まだまだ未熟なので精進あるのみ。

ただ、人助けの気持ちや行動って、一歩間違うとただの自己満足で終わっちゃう危険性があるので、そこだけは気をつけています。

また、

人助けは自分自身の向上につながり、幸せな気持ちになるという研究結果

のように、やっぱり人助けの気持ちって、根本的に魂の向上と関わっているんですよね。いろんな霊界通信で口をそろえて言われている「人のために惜しみなく自分を役立たせなさい。愛を持って人のために尽くしなさい」の言葉は、人助けの気持ちを抱く=霊的成長に直結する、ということですから。それが最近になって科学というカタチで証明されてきたわけですね。嬉しいです。

 

時々、電車や待合室などでお年寄りに席を譲るんですけど、そういう時ってやっぱり昔から言われている、「いいことをした後は気持ちがいい」の言葉どおり、人助けをすると幸せな気持ちになるんですよね。あの気持ちをいつも忘れずにいたいです。

そして、誰かに傷つけられた時は、恨みや憎しみの感情で心を固めるのではなく、そのエネルギーを人助けに向ければいい、ということに気づいたんです。その場の感情に流されてなかなか人助けの実践はできなくても、常にそう心がけていれば、それだけでいいんじゃないかな、って思うんです。

傷つけられて、恨みや憎しみで心が歪みそうになった時、そのマイナスのエネルギーを人助けというプラスのエネルギーに変換して実践できたら、それで自分の心が安堵できるし救われる、ってことが、だんだんわかってきたんです。

もちろん傷つけてきた相手を「無邪気に助ける」ほど私は聖人君子じゃありませんから、別の困っている誰かを「無邪気に助ける」、それで充分でしょう。

「無邪気に助ける」時の心の中は、

「座ります? どうぞ」 「落としましたよ〜。はい」

という風に、幼女の心になれるんですもん。人助けが好きな幼女の心って理想的ですよね。そういう心になりたいです。

 

えっと、数年前に一時間くらい完全に幼女の心になりきって心が天国状態だった時、あの時の気持ちを今思い出してると、ちっちゃい女の子の心なのは当然としても、何よりも「誰かを幸せにしてあげたい」という、愛に満ちた霊の心そのものだったことを改めて思い出します。あの状態が本当の意味での、私のいう「完璧な幼女の心」なんですよね。

でも、愛に満ちた霊の心はともかくとして、ただのちっちゃい女の子の心になっていて、その心のままに振舞ったりしたら、そりゃー、周りからはキモがられますわな(笑)。ハタから見たら中性っぽいオバサン(?)が無邪気にはしゃいでるんですから、キモがられないほうが不思議なのであって、キモがられなけりゃおかしい、といってもいいでしょうね。

だからそれを「周りからバカにされた」と落ち込んだり「またバカにされるんじゃないか」とビクビクするのは、まったくもってお門違いだったことにも気づきました。

だから今後はちっちゃい女の子の心になる時にはTPOをよーく考えて、周りからの目を考えて、それでも幼女っぽく振舞いたかったら、「バカにされてもキモがられてもいい」という、ある種の覚悟を持たないといけないなって思いました。当時はその覚悟が無いまま幼女のように振舞っていたから、キモがられてバカにされて傷ついたワケで、それが今でもトラウマになってるんですけど、全て自業自得だったワケで。

だから、普段はいつもの成人女性の心モードで静かに暮らして、周りにキモイ思いをさせないで、「今だ。誰にも見られないし、カン高い声を発しても誰にも聞かれない。チャンスは今しかない」という時に、幼女の心モードになって思いっきり幼女っぽく振舞えばいいんですよね。そういう風に、心のモードをうまーく切り替えて使い分けていきたいです。

幼女の心モードになる時の要領は、ぶっちゃけた話、普段の成人女性モードの心の頭のネジを緩めて「にゃはは」って具合にあっぱらぱーになれば、けっこういけます。こんなカンジで。

他にも、幼女の心モードになる方法は見つけましたけど、ほんとに感覚的なことなので言葉ではうまく説明できません。ので省略。

そうやって心のモードの使い分けをやっていきたいです。

一句。「TPO、幼女の心、覚悟要る」(字余り)。これをいつも肝に銘じておきたいです。

 

また、数年前から幼女の心を目指し始めてからというもの、だんだん怖いものが多くなってきたんですよ。何が怖いって、仕事上の都合で雨や台風やカミナリや雪などの悪天候への恐怖、そして大きな声や音に対する恐怖、そしてスピードへの恐怖、高い所への恐怖、見知らぬ人への恐怖、暗闇への恐怖、とにかく、いかにもちっちゃい子が怖がりそうなものが、私も怖くなってしまいました。昔は平気だったのに、今では困ったことに怖いものになっちゃったんです。

この原因は、幼女の心が発達してきているから怖いものが多くなってきているのだと考えました。もちろん万人に当てはまる法則じゃないですけど、私にはピッタリ当てはまるんです。少女漫画を描き始めた頃の精神状態と出来事を振り返っても、この法則が当てはまるんです。まる二日考え込んで沈思黙考して自問自答して、そういう結論に達しました。

怖がりな上に、自分で言うのもすごく変ですけど、かなりナイーブで繊細で感受性が豊かで傷つきやすく涙もろい性格になっちゃいましたね。ほんとに自分で言うとすごく変だな(笑)。マリーベルやムカムカパラダイスとかの幼児向けアニメも心底のめり込んで見て、感動の涙を流すことも本当に多いですし。ほんとに自分で言うと以下略。

加えて可愛らしいグッズとかも大好きになっちゃって・・・昔は全く興味の無かったキティちゃんが大好きになったことなんて、そのいい例ですよ。そのかわり、昔は趣味にまでしていた乗り物とか機械物には全然興味が無くなっちゃいました。これもやっぱり幼女の心が発達してきているからでしょうね。

幼女の心が発達してきているのは精神的にはとっても嬉しいんですけど、社会人としての日常生活をする上では厄介なものになっちゃいましたねー。本当に怖がりになっちゃって、天候の影響をモロに受ける深夜の外仕事なんて、昔は平気だったのに今ではけっこう辛くなっちゃってます。辛いのなら、幼女の心を忘れて手放してしまえば昔のように怖いもの無しでふてぶてしく生きられるんでしょうけど、でも・・・

そんなの絶対イヤ!! せっかく芽生えたこんなに素晴らしい心を手放すなんて、とんでもない損失だよ!

というワケで、たとえ地上での日常生活が辛くなろうとも、仕方が無いと割り切って、自分の中に芽生えた幼女の心を大切にして、今後も更にその心を育んでいきたいです。

また一句。「怖がりは、幼女の心に、比例する」(字余り)。この一言で、私的には全ての説明がついてしまいます。


このページをまとめるとーーー・・・

素直な優しい気持ちになってる時は、「誰かを幸せにしてあげたい。この人にとっての幸せってなんだろう?」っていう人助けの気持ちが自然に湧いてきやすい。そしてそういう素直で優しい気持ちになっている時ほど、幼女のような純粋な心になりやすい。人助けの気持ちと幼女の素直で優しい心はそれぞれ独立しているんじゃなくて互いに連携しているから当然といえば当然。

その上で幼女らしい可愛らしい心を持てば、もう完璧。霊界では素直で優しいほど、争いの無い、平和で幸せな界層に行けるので、愛に溢れる幼女は外見的には最弱に見えても実際はその正反対。素直で優しくて強くてかわいい。いろんな意味で最強w

これだ。これこそ霊界で、いやまだ地上に居るうちにでも通用する、幼女の心になった上での霊的生き方だと思う。

その上で自分の心に、いかにもあったかくて素直な心を持っていそうな幼女の映像を重ね合わせて、その幼女の姿と心になりきるイメージトレーニングを続け、毎日楽しく邁進していけばいい。なりきりをするには、まず姿なりきりから始めたほうが心もなりきりやすいことを発見。したのが2017/1/12(木)の仕事中w

その後、詳細は省くけど、今までの心の訓練は絶対に必要なことだったことも判明して喜んでます。

大人としての分別をわきまえつつ、 子供らしい純粋な心と視野を忘れないでいたい。そして姿までも幼女になる。これだ、これが私の最終目標だ

丹波さんの名言「明るく、素直に、あたたかく」をちょっと拝借して、まだ明るくはなれないから、「(まず姿)かわいく、素直に、あたたかく」。これぞファイナルアンサー。

可愛らしくて素直であたたかい心、これが本当の私だ。そういう心を持つ幼女になりたい。


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