◇「スウェーデンボルグの霊界からの手記(全2巻)」から◇


※今までの断定口調を修正しました。もちろん長年の研究の結果、神様や霊界の存在は100%信じていますし、公言して、はばかりません。ですからその意味では断定口調のままでもよかったのかもしれませんけど、こんな未熟な魂の自分がエラソーに見えちゃうの恥ずかしいから、やっぱしここは分相応に、「〜らしいです」「〜だそうです」とかの、「〜って偉い人が言ってた」表現に変えています。上から目線とか教条的とかにだけは、絶対になりたくないので。

要するに、私は霊的真理を教える側じゃなくて、どこまでも「教わる側」のヒヨッコ魂なので、自戒を込めて、自分に強く言い聞かせるつもりで書いています。


「スウェーデンボルグの霊界からの手記(全2巻)」から、霊的真理をピックアップしていきます。

霊の見える範囲について。本書には「霊界に居る霊には、人間界の人間の肉体は見えない」と書いてありますが、死んだ人が自分の葬式を見たり、悲しみにくれている人々を見たりする事例はいくらでもあるので、この矛盾はどう取るべきでしょうか? スピリチュアリズムの書籍群によると、霊格の高い霊が人間を見た時、その霊のバイブレーションがあまりにも高いために人間の肉体は見えずに人間の霊の部分だけが見えるらしいので、スウェーデンボルグはそのことを言っているものと思われます。

夢幻界から(狭義の)霊界への入り口について。夢幻界(本書では精霊界)から狭義の霊界に上がるためにある入り口は、山脈のふもとのあちらこちらに開いていて、そこを通って霊界に上がっていくのだそうです。ただし、霊界に上がる準備のできていない(霊格がまだそれにふさわしくない)状態の霊には、その入り口はまだ見えないそうです。夢幻界において、人間界への未練を完全に断ち切ってからでないと霊界には上がれないということですね。

家族がバラバラになることについて。どんなに仲のいい家族でも、夢幻界ではある一定の期間は一緒に暮らせても、霊界に上がる頃にはその家族の行き先は一人一人バラバラになって、それぞれの団体に行くそうです。一見寂しいことのように見えるでしょうけど、これが霊界の掟なんだそうです。それに、霊界に上がれるような心の状態にまでなったら、もう人間界で家族だった人たちのことなど忘れてしまって、自分が属する類魂の成長を第一に考えて行動するようになるんだそうで。

霊界の太陽について。霊界の太陽は、霊一人一人の命を養っていて、霊流というものを放射していて、霊流には、各人が直接受け取る直接霊流と、上の階層から順番に通っていって下の世界まで放射されている間接霊流があるらしいです。この間接霊流も各階層の霊一人一人が受け取れるにふさわしい分だけ受け取っていて、霊界全体の存在と秩序を保っているそうです。霊界の太陽がなければ霊は消滅してしまい、霊界全体はバラバラになってしまうのだそうです。この霊界の太陽についてはかなりの高級霊でも詳しくは解らない謎の一つらしいです。更に、霊界の太陽からの霊流は、人間界の人間一人一人にまで放射されていて、そこで霊流は終わっているらしいです。人間の肉体の神秘も魂の神秘も、人間が霊流を受け取っていると解釈すれば納得がいくのではないでしょうか。

やってはいけないことについて。夢幻界を含めた霊界では、霊の背後に立つことは、やってはいけないことだそうです。前に居る霊が霊界の太陽から受け取っている霊流の流れを乱し、その霊を苦しませることになるからだそうです。

素直で無垢な人について。霊界全体において、心が素直で無垢な人は霊的な目が開かれているので上の界層に住むことができるらしいです。心を素直で無垢にして人間界での生活を送り、生きている時から霊界のことを強く意識して、霊界の秩序にのっとって生きた人生だったならば、それだけで充分に上の界層に住む資格が与えられるんだそうです。それに対して、人間界特有の外面的な知識や財産や地位などを大事にしてきて霊的な目が開かれていなかった人は下の界層にしか住めません、と本書では書かれています。

霊界での距離感について。霊界には時間の観念と同じく距離の観念も存在しないんだそうですけど感覚的な距離を感じる時はあるそうで、それは、対象物に対する望みが少ない・熱意が少ない場合に距離感として感じるらしいです。願望が叶わない場合などが距離を感じる感覚に近いらしいです。

地獄について。地獄という場所は存在しないらしいのですが、霊界のだいぶ下のほうの界層はまさに地獄的な状態だそうです。人間界で生きていた時、欲望や嫉妬などの醜い心にまみれて、なおかつ物質的な快楽だけを追い求めていた人は、霊的な目が全く開かれていないので、この地獄的な界層に自ら行かざるを得なくなるんだそうです。そういう霊にとっては上の界層の光はあまりにもまぶしくて苦痛になるかららしいです。

人間についている善霊と悪霊について。人間にはそれぞれ善霊と悪霊がついていて、日々の生活に大きな影響を与えているそうです。そのため、人間は常に良い想念と悪い想念に影響されているらしいです。死んで肉体が滅んだらこれらの霊は離れるんですけど、生きている間はずっとついているらしいです。

霊の人体への影響について。人体は霊界全体の構造と似ていて、高い界層の霊から送られてくる思念は人体の頭脳に影響し、中くらいの界層の霊から送られてくる思念は人体の胴体に影響するのだそうで。更に、最も低い界層の霊から送られてくる思念は人体のに影響するそうです。人間本人のカルマが理由なこともありますけど、霊の影響で人体の各部が病気になったりもするらしいです。

霊界の秩序について。霊界は神が定めた秩序によって構成されていて、その秩序を各人がどれだけ理解しているかによって、それぞれの霊の住む界層世界が存在しているそうです。そして、どれだけ神に近づくかということだけを考えて、霊たちは努力をするらしいです。人間界も修行の場所ですけど、常に向上を目指すという点では霊界も修行の場所なのでしょう。

子供の霊について。幼くして死んで霊界に来た子供の霊は、人間界での悪を知らないのだから最初から高い界層に住めると思いがちです。しかし、前世で悪人だった人間は生まれついての悪を持った子供の霊になっているために、その悪を浄化させなければならないのは道理ですよね。更に、人間界で幼い時に間違った宗教の教義を受けていた子供の霊の場合はもっとやっかいで、その考えを改めさせなければならないそうです。子供の霊だからといってすぐに上の界層に住めるワケではないらしいです。ただ、それでも余計な悪想念を身に付けてしまった大人の霊に比べれば、子供の霊のほうが早く上の界層に迎え入れられやすいそうです。

古代の人間と近代の人間について。古代の人間は霊界のことを本能的に解っていて、霊的な秩序にのっとって人生を送っていたので、死ねばすぐに高い界層に住むことができたそうです。それに対して近代の人間は霊界のことには無関心で、更に学問や表面的な(人間界でしか通用しない)知識や欲望といった、いわば人間界のアカを多く身に付けてしまっているため、低い界層にしか住むことができなくなってきているそうです。私たちのような近代の人間は、自分の人生をじっくり考え直して、霊界のことを強く意識して生きなければならないのでしょうね。すなわち霊主肉従になることと利他愛の実践をすることなのでしょう。

理屈っぽい人について。理屈っぽい人は霊的な目が開けていない未熟な霊で、何かにつけてあれやこれやと理屈をこねるのだそうです。それに対して高級霊は、善が何であるかを理屈をこねなくても感覚で解っているので理屈をこねないのだそうです。高級霊の言うことは簡潔明瞭で解りやすいものなのでしょうね。

善を知って行う者について。人間には善霊と悪霊がついていて精神的な影響を受けていることは先に書きましたけど、善霊の影響を受けやすくするためには、やはり霊主肉従利他愛の実践に尽きるのだと思います。スウェーデンボルグ風に言うと「善を知って行う者」になるということで、霊的真理をしっかり理解して、それを実践に移すことをすれば、善霊の影響を受けやすくなるんだそうです。


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