◇「続・スピリチュアリズム入門」から◇


※今までの断定口調を修正しました。もちろん長年の研究の結果、神様や霊界の存在は100%信じていますし、公言して、はばかりません。ですからその意味では断定口調のままでもよかったのかもしれませんけど、こんな未熟な魂の自分がエラソーに見えちゃうの恥ずかしいから、やっぱしここは分相応に、「〜らしいです」「〜だそうです」とかの、「〜って偉い人が言ってた」表現に変えています。上から目線とか教条的とかにだけは、絶対になりたくないので。

要するに、私は霊的真理を教える側じゃなくて、どこまでも「教わる側」のヒヨッコ魂なので、自戒を込めて、自分に強く言い聞かせるつもりで書いています。


「続・スピリチュアリズム入門」から、霊的真理をピックアップしていきます。原文はこちら。

神について。宗教によっては多神教の概念があり、男性の姿で表現されることが多いですけど、それは間違いで、神とは唯一の存在で、性別は無いそうです。女性も男性もみんな「神の子」であり、性別による差別は無いそうで。もちろん人間の姿はしておらず、霊界そして宇宙を含めた人間界の全てを作られた全知全能の創造主で、によって全てを創造し、霊界では神の存在と愛が実感として一人一人にダイレクトに感じられるので、霊界では神の存在を疑う霊は一人も居ないらしいです。また神は全ての自然法則も作り、このたくさんの法則は私達人間にとって、いえ死んで霊界に行っても、その厳密性・機械性ゆえに、逃れられる者は一人も居ないのだそうです。

守護霊について。守護霊は人間界の人間一人一人に対してそれぞれ一人だけついているらしいです。人間界において守護霊がついていない人は居ないのだそうで。守護霊は守護する人間の宿命や運命や性格など全てを知り尽くしていて、守護霊はその人間の魂の成長のために、いろいろな方法で援助するそうです。ただし、人間が苦しい状態にいる時は手を出さずにじっと見守っているらしいです。苦しみは本人の魂の成長にとって必用だからなんだそうです。こうして守護霊自身も魂の成長を為せるらしいです。神の愛は守護霊を通して人間に与えられるので、私達は神や守護霊からとても愛されているのだそうです。多くの場合は守護霊は同じ類魂のメンバーが守護霊になり、類魂の中の霊的な先輩なのだそうです。

背後霊について。守護霊の場合は一人の人間に一人だけついて一生変わらないらしいんですけど、背後霊は一人の人間に複数の霊がついて、人間の仕事や役割に応じて入れ替わるのだそうです。仕事や役割の大きさに応じて背後霊の人数が多かったり少なかったりするらしいです。背後霊も守護霊と同様に、人間に対して援助や支援などをして、そして背後霊自身も魂の成長が為されていくらしいです。また背後霊の場合は同じ類魂のメンバーとは限らず霊格も様々なことが多いそうです。因果律による人間のカルマの清算や埋め合わせなどの関係その他いろいろな理由から背後霊は決められるそうです。

低級霊について。夢幻界(幽界)の最下層部に住んでいる低級霊は、人間界への尋常ならぬ執着や嫉妬や憎しみや物欲などが未だ強く残っている霊で、何かにつけて人間に悪い影響を与えようとしてくるそうです。常に人間を悪の道に誘い込もうとスキをうかがっているそうです。この低級霊の数は相当な数に及ぶらしく、人間界はたくさんの低級霊に取り囲まれている状態らしいです。低級霊のバイブレーションは人間界のバイブレーションに極めて近いために、人間に影響を与えやすいんでしょうね。霊界の高級霊が人間に援助や支援をしようとすると、低級霊はそれを妨害してくるらしいんですけど、もちろん妨害された高級霊はその妨害を簡単に取り除くそうです。

低級霊への対処について。人間が物欲や霊現象に異常な関心を持つと低級霊はすぐに感知して、悪い影響を与えてくるとのこと。低級霊を近づけないようにするためには、そういう物欲や霊現象への異常な関心を持たず、雰囲気の悪い場所や人ごみには極力近づかないことらしいです。また、利他愛で心を満たして霊主肉従の状態を保つことで、そうすれば低級霊は手が出せないそうです。

低級霊の憑依現象について。交霊会などで霊媒の体と意識を霊が一時的に借りる場合は、双方納得の上で行われるので問題はないらしいんですけど、低級霊が無理矢理チカラずくで人間の体と意識を乗っ取ってしまうのが憑依現象なのだそうです。憑依された人間はまるで別人のような人格になり、物を壊したり周りの人間に暴力を振るったり自殺を図ったりと、完全に気が狂った状態になるそうです。ただ、人間が自身のカルマの清算のために憑依されて苦しまなければならない、という場合もあるそうです。憑依される原因は、人間が極めて強い利己的・本能的な感情を抱いた時に憑依されやすいようです。いつも霊主肉従を心がけている人は絶対に憑依されることは無いそうなので、強い利己的・本能的な感情を持たないようにすることが一番なのでしょうね。

天使について。天使は人間との関わりなく霊界においてのみ成長・進化していくので、人間界へ誕生したり人間の守護にまわる必要は無いのだそうです。また天使には翼は生えておらず、人間と同じ姿かたちをしているそうです。天使は神の作られた自然法則、中でも因果律の運行をつかさどっているらしいです。

妖精について。妖精は進化のレベルとしては人間よりも低く、また、一定の形態を持っていないそうです。一瞬だけ人間や動物の姿になることはあっても、すぐに無形態の状態に戻るそうで。妖精には自意識も知性もなく、また、自然現象は全て、多くの妖精が集まって引き起こされるのだそうです。

動物について。人間だけが霊体を持ち永遠の霊界で暮らすのとは違って、動物には霊体が無いのだそうです。ゆえに動物はペットとして飼われて愛された場合のみ、死後、幽界において幽体の状態で飼い主が他界するのを待っているんだそうです。飼い主から愛された分だけ動物の幽体と自我は失われずに残っているそうです。でも人間の霊が幽界から霊界へと上がっていって動物への関心がなくなった時、動物の霊は集魂(しゅうこん)の中に吸収され自我を失うらしいです。ちなみに動物の場合は再生はなく、一度きりの人間界での生活らしいです。神は人間に対して「神にかわって動物を愛するように」との思いで動物を作ったそうで、私達は動物を愛さなければならないんだそうです。植物についても同じで、動物や植物に対して愛を与えることはとっても重要なことなんだそうです。

動物への虐待について。人間が動物をイジメたり、狩猟をしたり(これは殺人と同じくらい重い罪らしいです)、肉食をしたり、動物実験をしたりと、人間の動物への虐待は現在も続いています。霊的真理が普及していくにつれて、これらの虐待はなくなっていくんでしょうけど、肉食だけはどうでしょう? 肉食がこれだけ世界中に浸透しているからには、なかなかなくならないんじゃないかと思います。

宇宙人について。私達が住んでいる地球を含める太陽系、この太陽系の他の天体にも、物質的な次元の人類が住んでいるらしいです。火星、水星、木星、土星、これらの天体にもそれぞれ人類が住んでいるという驚くべき事実があるんだそうです。これらの天体も地球と同じ物質界ですけど、それぞれの天体はバイブレーションが違うためにお互いが見えないのだそうで。他の天体でも人類は魂の成長のために生まれて、やがて霊界へと帰っていくらしいです。ただ、他の天体の人類の形態は、地球人が全く見たこともないものだそうです。ちなみに地球は、太陽系にある天体の中でも霊的進化のレベルではビリから二番目だそうで、ビリは火星だそうです。その火星から地球に再生してくることもあれば、地球から更に高いレベルの天体に再生することもあるそうです。

因果律について。自然法則の中で、私達人間が魂の成長に際して最も深い関わりを持っているのが因果律らしいです。この因果律から逃れられる人は一人もおらず、機械的正確性をもって自動的に働くのだそうです。死んで霊界に行った時、先の人生で何が間違っていたのか、何が足らなかったのかを霊は自覚して、次の再生人生ではその罪を償おうと思って再生してくるのだそうですけど、その再生人生では因果律が自動的に働いて、生まれついての体の状態や日常生活の出来事などが償いにふさわしい形で苦しみとして現れるらしいです。また、その人生を終えて再度霊界に帰っても、同じような反省が行われ、間違いや不足していた分を霊界で見せ付けられて、また苦しのだそうです。苦しみは人情的に避けたいものではあるでしょうけど、魂の成長にとっては苦しみは必用なんだそうです。苦しみがあってこそ魂は成長するんだそうです。そうした苦しみを私達はありがたいものとして甘受するべきなんだそうです。その時は確かに苦しいですけど、永遠に続くわけではなく、霊界に帰ってから何十倍もの喜びを味わうことができるらしいですから、何とか乗り越えたいですよね。

宿命について。先に書いたように、人は魂の成長のために人間界での苦しみの体験を選ぶそうです。具体的な細かい出来事までは決まっていないらしいんですけど、カルマの清算のために、また魂の成長のために、何らかの形で苦しみを体験することが、あらかじめ決まっているそうです。これが「宿命」で、宿命は人間界に再生してくる前の霊界において自分で選んだもので、どういう苦しみの体験をするかは100%決まっているそうです。この宿命からは絶対に逃れられないのだそうで。

自由意志と運命について。宿命の上に立った苦しみの体験ですけど、それに対して人間がどのような対処をするか、苦しみに立ち向かっていくか逃げるか、これは完全に本人の自由意志に任されていて、立ち向かうか逃げるか、どっちを選んでも全くの自由らしいです。守護霊もこの自由意志にだけは手を出してはいけないことになっているらしいです。守護霊は苦しみに立ち向かうように働きかけはするものの、それ以上の手出しは許されていないとのこと。大事なのは、この自由意志によって人間の運命が変わってくるということで、逃げてばかりいると次々と同じような苦しみの体験が現れるそうです。立ち向かって苦しみを乗り越えれば、その苦しみの体験は晴れてそこで終わりなのでしょうね。このように、人間の自由意志によって運命は変えられるらしいです。魂の成長のチャンスを生かすも殺すも自分次第、自分を救えるのは自分だけなんだそうです。キリスト教の贖罪思想にあるような、イエスを信じた者だけが救われるというのは間違いらしいです。最後の審判で復活にあずかるということも無いそうで。最後の審判自体が存在しないらしので。ちなみに、宿命や運命は人間界へと生まれてくる際に背負ったものであって、霊界に行けばその苦しみから解放されるらしいです。残したカルマがあるとはいうものの、霊界での自然法則の中で自由に生きることができるようになるのでしょうね。

苦しみの中に居る人への対処について。助言としては「苦しみはあなたが自分で選んだものであり、魂の成長に際して必要なものであり、霊界ではその何十倍もの喜びが得られるので、あなたは決して不幸ではないんですよ。むしろ苦しみに対して感謝すべきです」と言ってあげるのがいいらしいです。小さな同情心から安易にラクな道への手助けをすることは、正しい愛とはいえないそうです。

善・悪の基準について。スピリチュアリズムでは善悪の基準を、「魂の成長にとってプラスならば善、マイナスならば悪」と、実に簡潔明瞭に言い切っています。これほど解りやすい善悪の基準は無いそうです。魂の成長にとってプラスとなるもの(善)は何かというと、霊主肉従と利他愛の実践で、それに対してマイナスとなるもの(悪)とは、肉主霊従と利己性なのだそうです。霊界通信での高級霊は「利己的な歩みをして決して得をすることはない。また自己犠牲の歩みをして損をすることは絶対にない」と言っています。その通りなんでしょうね。

イエスと、イエスの再臨について。キリスト教の三位一体説は間違いらしく、イエスは霊能力がずば抜けて優れていた、ただの人間だったのだと思います。イエスは常に霊界のこと、そして霊的真理を説いていて、「人間は基本的に霊であるのだから、私のような霊的な生き方をしなさい。そうすれば霊界に帰った時により上の界層に住むことができて幸せになれる」という意味の教えを説いていました。イエスは霊界においては高級天使として存在し、今では人間界へのスピリチュアリズム普及活動の総指揮官を務めているそうです。スピリチュアリズムのリーダーとして人間界に働きかける、実はこれこそがイエスの再臨なんだそうです。かと言ってイエスは崇拝されても喜ばず、崇拝するのは唯一の存在である神だけでいいらしいです。イエスを喜ばせることができるのは、人間がイエスの当時の生き方を手本として霊的な人生を歩み、魂の成長を成し遂げることなんだそうです。もちろん、「この世の終わりにガブリエルのラッパが鳴り響き、イエスが人間界へと再臨して、イエスを信じていたものだけが救われて地上で肉体をまとって永遠に生きる」という話はデタラメらしいです。そういう事実は霊界のどこを見渡しても無いそうです。

再生(生まれ変わり)について。再生についてはこのページに詳しく書いているので、ここでは簡略に書きます。霊界通信によって「再生はある」「再生はない」という風に意見が分かれる原因は、通信を送ってくるその霊が未だ未熟なために、再生という複雑な事実が解らないからなんだそうです。シルバーバーチなどの高級霊による通信では皆「再生はある」と、意見が一致しています。霊は、地球圏霊界に居る間は何度か再生を繰り返しますけど、再生の回数は多くても5〜6回だそうです。再生は類魂の一部としての再生と一人の霊としての再生が同時進行で行われるそうで、前者は類魂全体のレベルアップのため、後者は一人の霊が作ったカルマの清算のためらしいです。

霊界での男女愛について。人間界での男女愛の場合は、独占欲・支配欲・嫉妬などが必ず付きまといますけど、それはどこまでも利己的な感情に過ぎず、霊主肉従ではなく肉主霊従の状態になってしまうらしいです。いくら激しくて純粋な男女愛でも、霊界の高級霊は「人間界には真の男女愛はない」と言っています。真の男女愛とは、霊界において為されるそうです。霊界での男女愛は親友に近い友情とでもいうべきもので、お互いが与え合い尽くし合い、何よりもお互いがお互いの魂の成長を願っていることらしいです。夢幻界(幽界)では人間界のような男女愛は続けることができますけど、その上の霊界に入るとその二人はバラバラになって別の界層へと散っていくそうで、結婚の場合も同様なんだそうです。

人間界での人生の意義について。「人は何のために生きているのか」の答えは「苦しみを通して魂の成長を成し遂げて、永遠の霊界での生活に備えるため」なのですから、本来、人間界での生活は魂の成長のためだけに費やさなければならないことになるそうです。霊界に行けば誰でも人間界での苦しみを感謝するようになるそうで。それに対して、苦しみから逃げてばかりの安易な人生を送った人は激しく後悔すると共に、「次の再生ではなんとしても苦しみの人生を歩もう」と決心するそうです。魂の成長レベルには一定の基準があって、ある基準まで到達しない限りは、地球圏霊界で何度も再生しなければならないとのこと。大半の人々は霊的真理を知らないために物欲にどっぷりと浸かってしまっていますけど、物欲は魂の成長のために必要最小限だけに留めるのがいいそうです。

魂の成長の方法について・その1。まずは霊主肉従の状態になる時間が長くできるように努力することらしいです。これが逆に肉主霊従の状態になると寂しさ・空しさ・苦しさなどの精神的苦痛を感じることになるそうです。霊主肉従になれば心は明るく元気よく、すがすがしい気持ちで満たされるらしいです。霊主肉従になるためには、必要以上に物質的なことを追いかけないで、何とか生活できる状態でガマンすること、飽食や飲酒を控えること、性欲も抑えること、適度な運動をすること、霊的真理をじっくり読むこと、瞑想や祈りをすること、心を静かに保ってネガティブな感情を持たないこと、などらしいです。

魂の成長の方法について・その2。苦しみを甘受することらしく、苦しみは人情的に誰もが避けたいものですけど、魂の成長にとっては必要不可欠なものらしいです。人間界での苦しみは、永遠の霊界での生活に比べたら実に短期間のもので、この苦しみを乗り越えれば霊界では何十倍もの喜びが得られるんだそうです。人間界での他人からの評価など、どうでもいいということですね。それに、いくら自分が孤独だと思っていても、実際には守護霊や背後霊がいつも見守ってくれているんですから、決して人は孤独ではないと思っています。そう考えると嬉しくなっちゃいますね。

魂の成長の方法について・その3。利他愛の実践をすることらしく、霊界では利己的な気持ちを持つと心の痛みを感じる反面、人に与えて尽くすことに大きな喜びと楽しさを感じるために、霊界では自然に心が利他愛で満たされるようになっているそうです。人間界でも利他愛の実践をすることで魂の成長が得られるそうで、見返りを期待せずに、嫌いな人に対しても愛する努力をして、相手のために尽くすことが大事なんだそうです。嫌いな人を愛する…これほど難しいことはないんですが…。

魂の成長の方法について・その4。精神統一(瞑想)や祈りをすることらしく、精神統一は心をカラッポにして何も考えずに、「今ここに自分の存在がない」というまでの感覚になることですけど、そういう状態になるまでには、なかなか時間がかかりますよね。焦らずにゆっくりと練習してみましょう。それから祈りに入っていくわけですけど、利己的なことだったり魂の成長とは無関係なことだったり、それどころかマイナスになることを祈ってはいけないそうです。正しい祈りの内容は、「苦しみに耐えられる強い精神力を与えてほしい」「一人でも多くの人が霊的真理に目覚めるようになってほしい」「自分の醜い心を無くして清い心を宿らせてほしい」「自分を神の道具として使ってほしい」などらしいです。

人間は神の道具であるという意識について。高級霊が心から謙虚である理由には、神の道具であるという意識があるそうです。人間は基本的に霊ですから、霊である以上、神の心に少しでも近づくように努めなければならないそうです。利他愛を実践して人に親切にしたり尽くしたり与えたり、そういう行動は「人間は神の道具であるのだから謙虚な気持ちで利他愛を実践するのは当然のこと」という意識から生まれるそうです。また、利他愛を実践した結果、人からお礼を言われたとしても、「自分はただの道具にすぎません。ですからお礼は神に言ってください。あなたが愛を与えてもらったら他の人にも愛を与えてください」と言うべきなんだそうです。愛を与えることが「人間は神の道具である」という謙虚な意識を持つことになり、これは同時に、自己中心的な思いや醜い感情を打ち消すことにも繋がりますよね。一石二鳥ですね。

寂しさや嫉妬の思いについて。よく人間は寂しさや嫉妬の思いにかられます。これは神からの霊的エネルギーが不足しているためらしいです。人間界で生活している以上は、よっぽどがんばって霊主肉従にならないと寂しさや嫉妬の思いが出てくるかららしいです。霊的真理に目覚めると、魂の成長のために寂しさや孤独感や嫉妬の思いが今まで以上に厳しいかたちで襲ってくることが多いらしいです。私も一時期そういう状態になりました。更にそういう思いが出てきた時には「考え方や行動が霊的真理からズレているので修正しなさい」という霊界からのメッセージでもあるそうです。それらの苦しみを乗り越えるためには、自分が神や守護霊から愛されていることを思い出すこと、そして、与えることだけが自分のすべきことで他人からの評価などどうでもいいという思いを持つことなんだそうです。

失敗してしまった時について。人間界に生まれてきたのは霊格が不十分なのであって、失敗しない人は居ません。大事なのは、失敗を通して教訓を得ながら成長することで、失敗したことをいつまでもくよくよ悩むのはヤメて、これから先のことを考えるようにしたいですね。

魂の成長の実感について。霊的真理に目覚めた人は「自分ははたして魂の成長が為されているのだろうか?」と悩んでしまうことがよくあるそうです。しかし、半年前・一年前と比べたら確実に別の考え方ができるようになっているハズで、自分は気づかないだけで少しづつ魂の成長が為されているらしいです。悩む必要は無いのだそうで。霊的真理に目覚めた人は、他の人に比べて天と地ほどの違いがあるということを自信に思えばいいのだそうです。また、違う考え方ができるようになった時は、大きな苦しみ・ショックの後だったことも多いハズで、やはり魂の成長のためには苦しみは必要なんでしょうね。

ただ、苦しみだけが修行ではないと個人的に思います。苦しみは多ければ多いほどいい、という説もありますけど、やはり「無条件に愛すること」が何よりも大事なんじゃないでしょうか?

霊的楽天的な人生について。霊的真理に目覚めて心や考え方が霊界を基準にしたものになると、視点が180度変わるらしいです。人間界での周りからの評価や金銭欲や名誉欲や物欲には全く関心がなくなって、あくまでも心の基準を霊的なもの・精神的なものに置くことができるようになって、霊的楽天的な人生を送れるようになるらしいです。周りの人間に誤解されても非難されても悪口を言われても嫌われても、それらに対して超然とした気持ちでいることができるそうで、これほど楽天的な人生はありませんよね。すばらしいことです。

人間界での仕事の役立たせ方について。霊界での仕事はその人の性格や能力に応じて適材適所の仕事に携わることができるらしいですし、「人のために尽くす」という利他愛の意識の元に仕事をしているそうです。それによって霊界の人たちから喜んでもらえれば本人も大満足となるそうです。それに対して人間界での仕事はお金儲けのためにしなければならず、「人のために尽くす」という意識からは程遠いものになっていますよね。でも、人間界での仕事の役立たせ方いかんでは有意義なものになるそうで、すなわち、仕事で得たお金を自分の家族の生活に必要最小限の使用と貯金に使い、残った分は人々への奉仕(施設への募金など)に使えば、それだけで人間界での仕事は利他愛の実践に繋がり、霊的に有意義なものになるということらしいです。

身近な人の死について。身近な人が死んだ場合、人情的につい悲しみの思いを抱いてしまいますけど、その人が人間界での修行を終えて晴れて自由の世界である霊界に旅立ったことをお祝いしてあげるべきであって、悲しむべきことではないのだそうです。霊界の高級霊も「死ぬことがどうして悪いのですか? 死はすばらしい霊界への旅立ちで、本来よいことです」と言っているらしいです。葬式もやる必要はなく、お墓も立派なものにする必要は無いそうです。どのように葬っても構わずむしろ散骨でもいいくらいらしいです。死んだ身内などが夢に出てきて「立派な墓を作ってほしい。足しげく墓参りもしてほしい」と要求してくるのであれば、それはその人がまだ霊的に未熟で人間界への未練を残している証拠なので、あえて相手にする必要は無いのだそうで。そういう霊に対しては、「あなたはもう霊界の住人になったのです。いつまでも人間界への未練を残していないで、早く霊界での生活に馴染むようにしてください」と祈ってあげるのがいいらしいです。それが本当の先祖供養なんだそうです。また、先祖崇拝もするべきではないといわれています。もう既に霊界での生活に馴染んで人間界でのことなどすっかり忘れている霊を崇拝するということは、昔の恥ずかしい地位や名誉などを引っ張り出して見せ付けられるようなもので、霊としては恥ずかしくてたまらなくなるかららしいです。先祖崇拝は先祖の霊本人にとってはむしろ迷惑なことなんでしょうね。

身体障害者・精神障害者に対しての気持ちについて。身体障害者や精神障害者は、人間界に生まれてくる前に「こういう障害を持って生まれて苦しみの人生を歩んで、カルマの清算と魂の成長を達成しよう」という考えの元に生まれてきていることが多いそうで。ゆえにシルバーバーチは「お気の毒という必要さえありません」とまで言っています。ですから障害者の人を見かけたら、「どうか人間界での修行に耐えて、カルマの清算と魂の成長を為せるようにがんばってください」と祈ってあげるのがいいらしいです。人間界において本当に不幸な人とは、障害を持った人ではなく、五体満足でありながら肉主霊従と利己的な生活に甘んじて、魂の成長にとってマイナスな人生を歩んでいる人なのでしょう。

カルマによる病気について。何らかのカルマを背負っている人が、そのカルマの清算のために病気になることがあるそうです。この場合はどんなに優秀なお医者さんや霊的なヒーラーにかかっても、将来どんなに医学が発達しても、そのカルマの清算が終わるまでは治らないそうです。こういう時は、病気を通して教訓を学び、魂の成長を為すことが大事らしいです。

休養について。霊的真理を受け入れて、生活の中心を霊界におけば、体を壊すほど働く必要もなくなるんだそうで。大半の人間は「もっとお金がほしい」と思って無理をして過酷な労働をするわけですけど、人間界の仕事で体を壊してまでやらなければならない仕事は無いそうです。霊的真理を知った人は適度な休養をとることが必要らしいです。そして精神を落ち着かせ、霊主肉従の状態をできるだけ長く持続できるようにすればいいのだそうです。


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