◇「スピリチュアリズム入門」から◇


※今までの断定口調を修正しました。もちろん長年の研究の結果、神様や霊界の存在は100%信じていますし、公言して、はばかりません。ですからその意味では断定口調のままでもよかったのかもしれませんけど、こんな未熟な魂の自分がエラソーに見えちゃうの恥ずかしいから、やっぱしここは分相応に、「〜らしいです」「〜だそうです」とかの、「〜って偉い人が言ってた」表現に変えています。上から目線とか教条的とかにだけは、絶対になりたくないので。

要するに、私は霊的真理を教える側じゃなくて、どこまでも「教わる側」のヒヨッコ魂なので、自戒を込めて、自分に強く言い聞かせるつもりで書いています。


「スピリチュアリズム入門」から、霊的真理をピックアップしていきます。原文はこちら。

人間の体の状態について。人間の体は、外側から順番に、肉体・ダブル・幽体・霊体という風になっていますけど、勘違いしてはならないのが、幽体と霊体は別の体ではなく、あくまでも状態の変化であることらしいです。幽体がバイブレーションの低い状態であるのに対し、霊体は高いバイブレーションで、幽体のバイブレーションが上がるにつれて霊体になっていく、ということらしいです。

霊主肉従と肉主霊従について。人間は基本的に霊ということで。潜在意識に秘められている霊の心は利他愛に満たされているのだそうです。一方、肉体に秘められている本能は利己的な欲望に満たされていて、人間は基本的に霊なのですから、できるだけ霊の心が肉体を支配しなければならないのだそうです。この状態が霊主肉従で、一方、霊の心が肉体の欲望(地位欲・名誉欲・財産欲・金銭欲・肉欲)に負けてしまった状態が肉主霊従とのことです。私たち人間は、できるだけ霊主肉従の状態を長く保っていたいですね。霊主肉従と肉主霊従については、このサイトのページに詳しく書かれています。

(狭義の)霊界での界層について。霊界では、各人の霊格によって住む界層世界が限りなく重なっているらしいです。霊格のあまり高くない霊は低い界層へ、霊格が上がるほど高い界層へ住むようになるそうです。始めは低い界層に落ち着いても、その後の修行次第で一つ一つ上の界層に上がっていくことができるそうで。ちなみに、異なる界層間での交流は基本的に無く、交流があるのは同じ界層内での霊たちだけなんだそうです。ただ、上の界層の霊が下の界層に降りていってそこに居る霊たちに指導をしたり、新米の霊(他界したばかりの人間)を出迎えに夢幻界(幽界)まで降りていくことはちょくちょくあるそうです。でも下の界層の霊が上の界層に出向いていくことはできなくて、これは霊界全体の決まりごとなんだそうです。

人間界での目的について。人間は何のためにこの世に生まれてきたのでしょう? その答えは、「魂を成長させて、永遠の世界である霊界での生活に備える」こと、これに尽きるんだそうです。私達人間はこの世に生まれてくる前に、霊界で「次の再生ではもっと魂の成長を成し遂げて、もっと上の界層に住むことができるようにしよう!」と決意して生まれてきたのだそうで。ですから今の人生がどんなに辛くても、それを乗り越えていかなければならないんだそうです。

魂の成長の手段について。まずは利他的に生きること(利他愛の実践)とのこと。霊主肉従になって霊の心に従って、できるだけ人のために尽くすことが何よりも大切らしいです。これは丹波さんも言っていましたね。次に、今の人間界での人生における苦しみを乗り越えること、そして精神統一(瞑想)などをして、心をより霊的な状態にして、守護霊さんや指導霊さんたちの影響力を受けやすくすること、こうすることによって霊格が上がっていくようになるそうです。しかし、先に述べた利他愛の中で最も難しいのは、好感の持てない人や敵をも愛することで、これほど難しいことはありませんよね。特に敵意を持っていない人や好きな人を愛して尽くすことは割と簡単なんですけど…。肝心なのは、心を静かに保ってネガティブな感情を持たないことでしょうね。

地球圏霊界と宇宙圏霊界について。一人の人間が人間界での再生を繰り返すのは大体5〜6回と言われていますけど、この状態にある霊界を地球圏霊界と言うらしいです。それに対してこの人間界への再生がもはや必要なくなって、あとは霊界でのみの修行だけでいいというところまで上り詰めた霊界のことを宇宙圏霊界と言うらしいです。

人類を堕落させている二つの問題について。それは、唯物主義利己主義なのだそうで。この二つを打破するには、スピリチュアリズムの霊的真理が普及されるのを待つしか無いのだそうで。「人間は死んでも霊界で永遠に生き続け、霊界こそが人類のふるさとであり、人間界での生活は永遠の霊界での生活に比べたらほんの一時のものでしかなく、人間界での物質的なことは、はかなく脆いもの」という霊的真理が世界中に行き渡るのを待つしかないのだそうです。現在の宗教では唯物主義と利己主義を完全に打破することはできず、スピリチュアリズムの霊的真理のチカラに期待するしかないらしいとのこと。現在では既に宗教組織は不要になっているのかもしれませんね。

コナン・ドイルの言葉について。コナン・ドイルは、霊界の存在をどこまでも否定する人たちのことを、「これだけ科学的な研究や実験による証拠があるのに、それでもまだ猜疑心が消えないようでは、その人の頭が少しおかしいのではないか」と言っていますけど、私も同感です。信じる・信じないというのは宗教の観念に過ぎませんけど、本当かウソかを解明する霊界研究は、れっきとした科学です。また、スピリチュアリズムは科学であると同時に哲学でもあると思っています。私はこのスタンスで霊界研究をしています。

死を恐れる人々について。「死ぬのが怖い」と言う人はけっこう居ますけど、シルバーバーチが言うように、また、他の数々の霊界通信でも言われているように、霊界は素晴らしいところらしいです。体の痛みも苦しみもない、行きたいと思えば一瞬のうちに行ける、念じたことがすぐに現実となる、追求したいことにいくらでも専念できる、お金の心配がない、人々は皆優しく慈悲深い、自分の好きな仕事ができる上にその仕事が自分と他人への喜びになる、こんなに素晴らしい世界が私達を待ち受けているんですから、これは希望以外の何物でもありませんよね。死は恐れるどころか、むしろ待ち望むべきことなんだと思います。


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