◇「人間として正しい生き方って何?」の自分なりのまとめ◇


以上、こうやって霊的真理をピックアップしてきて、それらをまとめて考えて、じゃぁどういう生き方が人間として霊として正しいのか、深く考えてまとめてみました。断定口調で書いてますが、全部完全な個人的見解ってやつですので、むやみに信じないでください。なお、書籍とかからの受け売りも僅かに入ってますが、基本的には殆ど自分で考え抜いて出した結論です。

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元々は、人間はみんな生まれる前の世界=霊界で、穢れを知らない純粋無垢な魂だけの存在だった。
しかし霊界は「似たもの同士」が集まる、類は友を呼ぶ世界なので、基本的に考え方や価値観の異なる霊たちとの接触はない。
下の世界で苦しんでいる霊たちを助けに降りていくことはあるが、それ以外では自分たちの平和の輪から外れて生かされることは、まずない。

しかし、そういうぬるま湯に浸かったような世界にばっかり住んでいては、(地上でも同じことが言えるが)苦しみや悲しみを体験することもほとんど無いことになる。
それでは苦しみや悲しみに対する耐性・抵抗力がつかず、いくら純粋無垢でも打たれ弱い、甘ったれた心の霊ばかりになってしまう。

それではまずいので、地上のようないわゆる「意見の対立や軋轢や悪がのうのうとはびこっている故に苦しみも悲しみも多く存在する」物質世界に落とされて、苦しみや悲しみを体験して精神を鍛えるために、それが目的で私たちは生まれてきた。

だから幼な子は、苦しみや悲しみに対しての耐性は弱いが、ただただ愛することしか知らない。何でも愛そうとする極めて美しい心を持っているのだ。
子供は耐性こそ無いが、愛する心は大人よりも遥かに強い。だから尊い存在なのだ。

 

さて、地上に生まれてくる際、最も重要な修行ポイントとなるのは、

成長していくにつれて、地上でのしがらみや大人たちの悪感情に惑わされずに影響されずに、ひねくれることなく、どれだけ本来の純粋無垢な心を保っていられるか。

なのだと思う。

この世に生まれてくる魂なのだから、耐性が弱く潰されやすくひねくれやすい未熟な魂なのは当たり前なので、100%純粋なまま一生を終えることは、そんなことはできるわけがない。それは最初から霊界側も承知しているから、ある程度は汚れてもいいから、どこまで幼な子だった頃の綺麗な心を保っていられるか、70%くらい? 50%くらい? 30%くらい? 10%くらい? 人によって様々だろうが、それを試されているのではないだろうか。

地上のような物質世界ではなくても、霊界の低い界層に落とされて同じような苦しみや悲しみの体験をして修行する魂も多いらしい。要するに修行の場所が霊界なのか物質界なのかの違いだけである。

だから、地上は悪がはびこるように、人々の食い違いによる苦しみや悲しみが存在するように、あえて「苦しい修行の世界」として作られているのではないだろうか。それならばそういう地上世界は、むしろ必要悪といってもいいのではないだろうか?

だから、地上生活で幸せなど求めてはいけないのではないか? 地上で安住の地を得ることは間違っているのではないか? そう考えると、なぜこんなひどい地上という世界で生かされているのか、個人的に納得ができてしまう。ここはあくまでも修行の場に過ぎず、ほんの一時泊まるだけの旅の宿に過ぎない。

 

人間は地上生活という旅を終えて霊界に帰れば、地上でのしがらみや悪感情という垢を落として、だんだん本来の純粋な心を取り戻していき、素の状態に戻る。

そして、「ああ、前回の地上人生ではこんな汚れた心になっちゃってたのかぁ。純粋な心は30%くらいしか残せなかったなぁ」と、誰に言われるわけでもなく自発的に反省して、「まぁとりあえずこの霊界でまた長期休暇をとってゆるーーーく生きて魂をリフレッシュさせて、なんの刺激も無い生活に飽きちゃったら、また地上に落ちて行って耐性と抵抗力をつけてくるか」

という流れで、本当に自分で望んで、自分で環境を選んで生まれてくるのだと思う(これは最近スピ系の人たちも言うようになった)。

その繰り返しが輪廻転生なのだと思う。そして仏教でいうところの解脱をしてしまえば、あとは霊界で永遠にぬるーーーい生活をするか、気が向いたら霊界においても向上のために更に修行を続けるか、それはどこまでも本人の自由なんだそうだ。強制されることは絶対に無いらしいから、それこそ100年でも1000年でも10000年でもゆるーいぬるーいあまーい生活を送っていても誰からも怒られない。上の界層の偉い人たちから「修行したほうがいいよ」とアドバイスは時々されるがあくまでも推奨であり強制ではないらしい。

いやっほーーー! 霊界に帰ったら遊びまくるぞーーー!

おっと・・・コホ・・・

 

「ならば、この地上での、人間として正しい生き方っていうのは、結局なんなの?」という疑問への答えは、先にも書いた

試練の中で、ひねくれずに、どれだけ純粋な優しい無垢な心を保っていられるか、試練への耐性(ゲームでいう防御力)がどれくらい上がるか。また、汚れてしまった心の自己浄化能力(エスナ?)をどれくらい習得できるか。

に尽きるのではないか? と個人的に思う。

だからイエスなどが言うように、「汝ら心を入れ替えて幼な子のようにならずんば、神の国へ入るを得ず」というのは、「それだけ苦しみや悲しみに対する抵抗力を付けて、より強くて優しくて温かい心を育むようにがんばってほしい。子供の純粋な心+大人の強い心=霊界でより幸せになれる心なんだよ」ってことなんじゃないかな。

 

要するにー、「花の魔法使いマリーベル」の名言を見習えばいいんよ。実際にはマリーベルは↓のような言い回しはしてないけど、作品が言いたかったことそのものズバリな言葉を自分なりに考えた。ので、以下はマリーベルのセリフじゃなくて私の言葉。

「いくつになっても子供の心を忘れないで。無条件に何もかもを愛そうとする、いい意味での子供の心を忘れないで。
私たちはみんな、生まれてくる前の世界ではそういう心だったのよ。
ただし、いくつになっても依存心が強い甘ったれとか、人をいじめて楽しむとか、そういう悪い意味での子供の心は直さなきゃダメだけどね。
大人になってもお花が大好きな人もたくさん居る。そんな優しくて強い大人になって。
辛くて悲しいことがありすぎて我慢できなかったら子供みたいにワーワー泣いてもいいのよ。泣いたほうがスッキリするし毒も抜ける。気分一新して明るく生きようという気になるかもしれないじゃない。
人生は一度きりなんかじゃない。あの言葉は大嘘よ。
人生なんて、たとえ大失敗しても何度でもやり直せるんだから、絶望だけはしないで。決して生き急がないで。安心してゆっくり生きて。
少しくらい汚れてもいいじゃない。服が汚れたら洗濯して綺麗にすればいい。心だって同じこと。
つらい毎日の中で、どれくらいひねくれずに済むか、どれくらい汚れずにすむか、汚れちゃっても後から自分でどこまで洗い落とせるか、それがいちばん大事なこと。
だから、いくつになっても子供の心を忘れないで」

 

 

・・・って結論になったんだが、どうよ?

 

少なくとも私は、そういう生き方をしていこうと思います。

ツイッターでの名前「めあ@幼な子のように何でも愛したい」は、こういう気持ちから来ています。最終的にそういう心を目指しているだけで、実際にはまだまだですが・・・

 

 

追記:後日更に考えてみた結果、

今でもそうだが、前世でも霊界でも、私は本当に自然が大好きだった。友人によれば、前世では自然の恵みや四季折々の美しい変化に感謝し、神への信仰心は薄いものの、自然全てが神そのものという感覚でいたらしい。神という人物像は無く、道端に咲く名も無い花一つでも神であるという観念でいた。

そして霊界でそういう幸せな気持ちで心静かに暮らしていた。

でも霊界では快適な自然現象しか起きないので、美しく豊かな自然が存在することが当たり前に感じてしまい、自然のありがたみを感じにくくなってしまっていた。
それではよくないので、「地上という自然現象の厳しい世界で大雪や嵐に打たれるなどの試練を受けても自然を愛する気持ちを維持できるか、自然のありがたみを再認識できるか」という課題を自分に課して、自分で「じゃ、地上に下りて自分を試してみるか」となって今回の人生があるのかもしれない。

音楽でも、子供時代からラブソングには興味が無く、別に琴線にも触れない子供だったし、今でもそうだ。それより自然を題材にした音楽(歌詞付きなら松山千春などの北海道の大自然を扱った曲、インストなら宗次郎や姫神など)を本当に好んで聴いていたし、今でも楽器で頻繁に演奏する。

今の仕事が天候に左右される、時には非常に厳しい悪天候の中でもやらなければならない仕事なので、そういう仕事をやっていても、自然の厳しさを叩きつけられても、それでもまだ自然が大好きでいられるか、それを自分で試しているのだと思う。
たぶんそれが今回の人生での最大の課題ではなかろうか。

人を愛する喜びを知らなくても、今はとりあえずそれでもいいではないか。それはまたいつか、数回後の人生でだんだんと学んでいけばいい。焦って生きようとしても絶対にうまくいかないものだ。魂の旅は本当の意味で永遠なのだから、焦らずに生きよう。
誰かの言葉を借りれば「あなたがどんな生き方をしていようと宇宙はそんなこと大して気にしてない」だ。

人間が勝手に作った「社会不適合者」なんていう言葉があるが、それってただ「人間社会に溶け込めない」ってだけの話でしょ。自然を愛して自然を大切にする人なら立派な「社会適合者」だよ。人間社会になんて溶け込めなくてもいいんだ。大自然の摂理に溶け込んで生きればいい。

・・・暴論ですかね?(笑) こんなひねくれた考えになるなんて、かなり疲れてるなぁ。普段はここまでドライにならないんだけど。

でも本当に自然は大好き。異常なくらい好き。大自然と融合・合体したいとまで思える。

まぁとにかく、幼な子のようになんでも誰でも、どんな人でも愛せるようなマザー・テレサのような心になれれば理想的だなー、いつかはそうなれればいいなーがんばろうー、でもとりあえずは大自然を愛する気持ちを忘れないように、いつも優しい気持ちでいたい。

という結論になりました。

 

霊界では、4歳の女の子の姿でいつもティンホイッスルを吹いてピアノを弾いて木々や花とお話しながら暮らしている森の妖精になりたいな。


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