◇再生(生まれ変わり)について◇


※このページにおいて、所々断定口調になっている部分がありますけど、断定口調のほうが伝わりやすいからそうしているだけであって、妄信しているわけではありません。霊界に行って見聞きしてきたわけではないですし、様々な霊界通信の書籍などから私なりに解釈して個人的な意見を書いているだけですから、私の断定口調を鵜呑みにしないで、ご自分でご判断をお願いします。


先のページでもちょこちょこ触れましたけど、再生(生まれ変わり)について。ここでは専用ページとして、再生について考察していきます。

再生があるかどうかについては、スピリチュアリズムの研究をされている人なら「再生はある」と答えるでしょう。宗教によっては「再生は無い」という宗教もあるようですけど、ここではあくまでもスピリチュアリズムを土台として「再生はある」という前提で語っていきます。

ただ、特に再生の「回数」についてはスピリチュアリズム活動をされている人々の間や霊界通信の中でも様々な説があるようです。マイヤースは「類魂メンバーがそれぞれ再生して協力してくれるので一個人の再生の回数は多くても5回あれば充分」と言っていますけど、生前の丹波さんは「一個人のカルマの多さを考えたら数回の再生だけでは全然足りない」と言っていました(過去に丹波さんの研究会に入っていた頃に聞きました)。

誤解の無いように言っておきますけど、丹波さんはマイヤースを非常に高く評価していましたし、類魂の発案者としてもかなり参考にしていたそうです。ただ、再生の回数についてだけは、あまりにも難解で複雑きわまるシステムで、人間には理解できない部分が多いために、いろんな説が出てくるのでしょう。霊界通信によっては数十回再生した人も居るという話もききますし。一体どれが本当のことなんでしょう? 難しいです。

超越界(神界)にまで上り詰めて初めて再生のメカニズムが全て解るらしいですから、少なくとも私には、再生の回数については断言はできません。ですので回数についてはあまり語らないでおこうと思います。いえ、できればもう人間界には再生したくないんですけどね。私の今の人生は一体、何回目の再生なんだろう? この人生で再生は終わりにしたい! と思っちゃいます。

さて、私のことはおいといて。

「日本編 - 死後世界地図」の秋山眞人さんによれば、再生と再生の間の期間は大体400年くらいの場合が多いらしいです。ただその400年というのは霊本人の感覚であって、実際に地球の時間で見ればそのまま400年経ってから再生してくる場合もあれば、一ヶ月くらいの場合もあるそうです。ちょっと解りにくいですね。

つまり、霊界には時間という概念が無いので、地球の時間が何百年経っていようが構わないわけです。霊からしてみれば、本当に400年経った状態の地球に生まれることもできるし、自分が死んだ一ヶ月後の時期にポイントを合わせて生まれることもできるらしいです。

ですから、ある人が死んでまた再生してきた時、前回と今回の再生の期間が地球においてはたった一ヶ月だったにも関わらず、生まれてきた本人は霊界で400年間も暮らしていた、ということになるわけですね。秋山さんは「浦島太郎の感覚と同じ」と言っていますけど、解りやすい例えだと思います。

再生に際しての性別については、男性か女性のどちらに生まれたほうが魂の向上やカルマの清算にとって効率的かで決まります。ですので、男性と女性のどちらが優れていてどちらが劣っているなどということはありません。霊界の秩序では完全に男女平等なんです。今生で男性である人が前世では女性だったり、今度再生する時に女性に生まれたり、その反対だったり、性別の入れ替わりのパターンは様々です。

ところで、太平洋戦争の時に神風特攻隊というのがありましたよね。まだ10代後半の男子が戦争に狩り出されて、飛行機で敵軍に特攻していった、あの悲惨な出来事です。彼ら特攻隊員は当然霊界のことなど考えもしなかったでしょうし、ただ「お国のため」という言葉と日本の群集心理に洗脳されて戦死していったわけです。彼らにしてみればあまりにも理不尽な死だったこともあって、霊界側でその埋め合わせが働いたらしいんです。特攻して死んでいった者の殆どが、なんと、死んだすぐ後に、一つ上のランクの天体に再生していったらしいんですよ。彼らは地球よりも一段高いバイブレーションの天体に再生することができたんです。それが霊的に見て「立派なご褒美」のようなものになるんでしょうね。人間界から見れば悲惨そのものに見えても、霊的にはものすごい進歩の再生になっている。奥が深いです本当に。

また、仮に、人間Aが人間Bを殺したとします。そしてやがて人間Aも寿命が来て死んで、霊界で二人は会うことになります。そして人間Aは人間Bに対して償いの意味で、今度再生する時は逆の立場になって、人間Bから殺される人生を選び、カルマの清算をする、ということもあるそうです。一言に再生といってもいろんな要素が絡み合っているんですね。

 

参考までに、実際に出版されていた漫画で、「ハロウィン少女コミック・ほんとにあった怖い話/チャネリング体験記」という少女漫画の単行本があって、その中の話の一つに、こんな相談者さんが居ました。

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小さい頃(まだやっと赤ちゃんを脱したかというくらい)に、近所の犬に顔を噛まれて大怪我をして、女の子なのに顔に大きな傷を負ってしまい、小学校に上がってもクラスメイトから気持ち悪がられて、「なんで私生きていなきゃいけないんだろう・・・」と思いつめて電車に飛び込み自殺を何度もしようかと思った。そのままOLになるまでなんとか生きてきたけど、もうこの人生に疲れた。一体前世で私は何をやらかしたのだろう? と思ってチャネラーさんに前世を見てもらったら、どうやら私の前世はかなり古い時代の非常に背の高い体格のいい男性で、こん棒を振り回して人をたくさん傷つけて殺したりもしてしまったらしく、そのカルマが今世に回ってきているらしい。

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という内容だったんですけど、チャネラーさんのハグを始めとするヒーリングで、最終的には「カルマの清算をするためにがんばって生きよう」と思い直してくださったらしいです。その女性は、絵柄上ではとてもそんな乱暴な人格には見えなかったので、おそらく、男性だった前世を終えて霊界に行って、後悔して反省して心を入れ替えて温厚な性格になって、それこそ別人のような良心を持った性格になったけど、「次の(つまり今回の)人生ではカルマの清算が残ってるから、それをがんばろう」と決意して女性に再生してきたのかもしれませんね。それにしても過酷な人生だと思いました。

 

「オーラの泉」に出ている美輪さんは、自称「天草四郎の生まれ変わり」だそうですけど、それだけを聞いたら「ウソに決まってるじゃん。視聴率狙いでしょ」って思いますよね。でも、「天草四郎と同じ類魂のメンバーの中に美輪さんが属している」と解釈すればどうでしょう? 類魂は一つの集合体ですから、類魂単位で考えれば納得できますね。美輪さんは天草四郎本人の生まれ変わりじゃないけど、天草四郎と同じ類魂のメンバーの一人で、今回たまたま再生してきた、と考えればいいんじゃないでしょうか。「オーラの泉」のことはよく知らないのでこの辺で。

ところで、人によって考え方は様々のようですけど、人間は犬や猫など、人間以外の動物に再生することがあるかどうか、考えてみたこともあるんじゃないでしょうか。スピリチュアリズムでは、そういうことはあり得ないと言われているようです。人間は人間にしか再生しないそうです。理由は、人間と同じように他の動物にもそれぞれに類魂があるからで、犬には犬の、猫には猫の類魂があるそうです。他の動物も同様です。

ただ人間の類魂と決定的に違う点は、動物の霊は類魂の中に帰ると自我を失ってしまうことです。可愛がっていた犬が死んでその犬が犬の類魂に帰っていったら、その犬の自我は失われて感情を持たなくなってしまうと。そう考えると寂しい限りですけど、落ち込むことはありません。私たち人間が死んだペットのことを愛し続けている限りは、そのペットの自我はいつまでも失われないんですよ。例えば私が可愛がっていたハムスターは数年前に死んだんですけど、いつか私が死んで、「ああ、あのハムちゃんに会いたい」という風に愛情を持っていれば、目の前にそのハムちゃんが現れて、霊界での再会もできるんですよね。動物の霊が自我を失うか失わないかは、飼い主の愛次第なんです。

人間の類魂とは性質が違うので、動物の類魂のことを「集魂(しゅうこん)」とも呼ぶらしいです。動物の類魂は一つだけの魂という扱いなので一つにまとめて「集魂」と呼ぶそうです。そして動物もまた人間界に再生して集魂の成長に役立っているんですよ。集魂を成長させるためには、人間側の愛がものをいいます。人間に愛されれば愛されるほど集魂は成長します。人間とは別のプロセスではありますけど動物も再生によって成長していくわけですね。

「500に及ぶあの世からの現地報告」(ネヴィレ・ランダル)による、ある馬の飼い主からの霊界通信。飼っていた馬が死んでしまって、飼い主はその馬への愛情が忘れられないまま暮らしていたらしいのですが、その飼い主も寿命で死んで霊界に行った時、愛していた馬とすぐに再会できたそうです。愛情さえ忘れなければ霊界でまた会えるんですね。嬉しいことです。私もハムちゃんにきっと会えるでしょう。

ちょっと話がズレましたが、人間にとっても動物にとっても、再生というのは魂の成長のために必用ということを言いたかったんです。

魂の成長のために再生は必要、と言いましたけど、再生をしないで、つまりある人生を境に人間界へ再生することは完全にヤメて、霊界でのみ修行を続けて魂を向上させている人も多いそうです。ここから先の話は噂程度のものなので信憑性はありませんけど、織田信長や東条英機の霊はまさにそのパターンで霊界でのみ修行を続け、現在では霊界のかなり上の界層まで上がっているそうな。もしそれが真実だとすれば、私もそうしたいですね。織田信長や東条英機のこの情報元ソースは、知っている人もいらっしゃるでしょう。いろいろ物議をかもし出しかねないので、これ以上は言わないでおきます。

私の願いのように霊界でのみ修行をするには、まず今の人生でできるだけ心を磨いて(愛や英知の心を発達させて)がんばって霊性を上げておく必要があります。そうして初めて、次の再生で更に厳しい境遇の人生を選んで生まれてきて、その人生の課題をクリアすれば、もう一度死んで霊界に戻った時に、「あなたはもう再生しなくても、霊界でだけで修行ができるほどの霊格に上がったよ。人間界への再生は卒業だよ」と神様から言われて、そこでやっと念願の「解脱」が叶うというワケです。

ちなみに、インペレーターの霊訓によれば、「霊が魂の向上を続けるにあたって、人間界への再生は心の土台を作る作業と同じで、土台が出来上がれば、要するに再生を卒業すれば、あとは霊界での修行のみになる。この霊界だけでの修行こそが本格的な修行の始まりであって、永遠の霊的人生において再生するのはほんの最初の時期だけである」とのことです。それを考えても、霊的人生の舞台はどこまでも霊界がメインだということが解ります。私はこれを知って、心の底から安心しました。やっぱり人間のふるさとは霊界なんだと解ったからです。早く再生という「連続島流しの刑」から脱出したいものです。そのためには心の修行がんばらなくっちゃ。

さて、それでは再生ではなく、初めて人間界に生まれてくる霊の場合はどうでしょう。マイヤースによれば、この場合だけは守護霊や背後霊の団体が強く作用するそうです。霊界においても経験を積んでいない全くの赤ん坊ともいえるこの新米霊は丸腰なために、悪霊に影響されないように特別なガードをつける必用があるからだそうで、その分、守護霊や背後霊と密接に繋がっているらしいです。新米霊本人がそのガードのありがたみを感じることができるかどうかは、多分その新米霊の資質や霊感次第なんでしょうね。

また、人間界で暴君だった者の運命ですけど、大抵の場合は精神薄弱児(知恵遅れなど)や身体障害者として再生してくることが多いそうです。これも前世の償いとして本人がそういう苦しい境遇を望んで再生してくるそうで。あるいは、精神薄弱児や身体障害者とまではいかなくても、ものすごく貧しい家庭に生まれて生活面で大変な苦労をして、更に何をやっても失敗と挫折の繰り返し、こんな人生をわざわざ選んで再生してくる霊も居るそうです。暴君だった前世の歪んだ心を浄化させて哀れみの心を覚えるためなんですね。

かと思えば、もう少しで超越界(神界)に上り詰めることができるのに、あと一歩及ばない。どうしてもあと一回だけ再生して苦しい境遇の人生を選んで大変な苦労をしてこなければならない、と本人が判断して、超越界(神界)に上がるための最後のステップとして、精神薄弱児や身体障害者に生まれることを選ぶ、そういう場合もあるそうです。

 

再生までの年月の感覚は本当に相対的なもので、たとえば私が明日(2015/10/20)に心臓発作や突発的な事故で死んだとして、疲れた心をリフレッシュさせるために中間境で5年くらい眠ってから霊界で100年くらい自由に過ごしたとしたら、地上の歴は105年後つまり2120年になっているワケで、それでも霊界の法則からしてみれば、何も律儀に2120年以降に生まれなくてはならないワケではなく、現代、極端に言えば明後日生まれ変わってくることも可能なんだそうです。

地上の観点から見れば、「明日死んで明後日生まれ変わってくるとか、どんだけせっかちなの?」って思われちゃうでしょうね(笑)。でも本人は105年間も霊界で暮らしていたことになるワケで。

 

また、ある説によれば、再生する際に過去に遡って再生することも可能だそうです。例えば2000年生まれの人が2080年くらいに死んだとしたら、次の再生では1980年に生まれてくるとか、そういう「時代逆行再生」とでも言うべきことも不可能なことではないそうです。タイムパラドックスが起きそうな怖さがありますけど、無名の一個人レベルの再生ならば問題ないんでしょうね。少しはあったとしても、そこは神様がうまくやってくれるんじゃないかと。

 

というわけで、本当に、再生のパターンというのは一人一人異なっていて、誰一人として同じパターン・同じ境遇の霊は居ないそうです。霊界の現象の中でも最も複雑で難解な再生のメカニズムについては、誰も「こういう一定の法則があるんだ」と独断することはできない、ということですね。

今後いくら人間界での霊界研究が進んでも、また霊界人が霊界の上の界層に行っても、やっぱり独断はできない。真相を知ることができて独断できるのは、神に限りなく近づいている超高級霊のみということですね。再生のメカニズムの全貌については、全人類・全霊界人にとって永遠の謎なのでしょう。


「永遠の大道」や「個人的存在の彼方」を読んでいて、

「かくしてブッダは、あれほど恐れていた地上界への再生を選ばざるを得なくなる」

このフレデリック・マイヤースの言葉、ブッダほどの大人物でもこの当時は解脱ができなかった、ということでしょうね。 もっともブッダの場合は相当次元の高い天体(たぶん太陽系以外の天体)への再生でしょうけど、再生は奥が深いなぁ。深すぎます。
私が解脱できるのは果たしていつなんだろう・・・? 気が遠くなる・・・

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(2023/01/19木曜日追記)

・・・と思ったのですが、最近Fさんに霊視してもらったところ、私は古代エジプトにも生きていて人の死に関わる仕事をしていた、その様子が見えたそうです。
ミイラ作りとかには関わっていなかったらしい(よかった。怖いもん)ですが、亡くなった人にお花を添える係のような仕事をしていたらしいです。

古代エジプトというと、まぁ大体5000年くらい昔ですが、仮にその当時が私の地球での最初の地上人生だとすると、今回の地上人生は何回目なのか考えてみました。
「日本編-死後世界地図」によればそれぞれの地上人生のスパンは大体400年くらいらしく、すると単純計算をするとして5000を400で割ると今回の地上人生は大体12〜13回目ってことになりますね。

ちなみにマイヤースの説を深読みすれば
「地球での再生回数は4〜5回で、あとは別の天体での再生にて魂の修行を続ける」
ということになると思うんです。

なのに地球だけでも12〜13回も再生してるなんて、私ってよっぽど魂の成長のペースが遅いというか、成長意欲があまりないノンビリ屋なのかな、と思ったりします。うん、ノンビリ屋なのは自覚がある(笑)

それかあるいは、本当に今回の地上人生が4〜5回目くらいで、再生のスパンが1000年くらいだったりする可能性も無きにしもあらず。うーん、ほんとのところはどうなんだろう?

最低でもあと一回、女性として地球に生まれてくることに決めているのですが、日本やアイルランドなどは霊界からの再生先の人気がとても高い(効率的に魂の修行ができる)らしく、日本やアイルランドに再生したがる霊はとっても多いらしいので、わたしゃ再生前の霊界で順番待ちになるのかな・・・


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