TAO/道 (作曲:南里 高世)
この曲は、ある修行僧のかたくなな意志を称えて作られた曲らしいです。見事に賞賛の気持ちが表現されています。すごいなぁこの表現力。
「人間はこんなに厳しい業を超えられるのだ。決して試練に負けてはならない」。そんな気持ちが伝わってくるようです。
人生というのは、昔からよく道に例えられますよね。他の人の曲でもそうですし、この曲もおそらく同じでしょう。
自然の過酷な条件下で生きる人間を応援しているようで、聴いているとなんだか励まされる曲です。
四季 - 愛しき子供達へ (作曲:宗次郎・南里 高世・坂本 昌之)
季節が運ぶ空気の流れを、強い感受性で受け止めている、そういう純粋な心を慈しむ曲なのではないかな、と。
朝礼での、強い子、よい子、元気な子、という校長先生の言葉が聞こえてくるようです。
子供は元気が一番ですね。
雲を友として (作曲:宗次郎・南里 高世・坂本 昌之)
実にのんびり、ゆったりとした気分になる曲です。草原に寝転がって、流れる雲をいつまでも眺めていたい気持ちになります。
そうしているうちに自分がすごく小さい存在だと気付いて、今まで悩んでたことが、ばからしくなる。気分を入れ替えてまた日常生活に戻ろうという気持ちになりますね。
雲はいつも形があるようで無い、無いようである。まぁ当たり前なんですけど不思議なものです。
それと同じで人生も常に変化し続ける。雲を友として生きるのは、人生そのものかもしれません。でも本当に人生にできるのは仙人しか居ないので、気分だけでも仙人で。
KOKORO/こころ (作曲:宗次郎・南里 高世・坂本 昌之)
心を洗うために厳粛な気持ちにさせてくれる場所といえば、日本だとお寺が身近でしょうか?
お寺の境内に入る時には、心を真っ白にして行こうと思います。この曲はそんな感じを受けます。
更に、なぜか除夜の鐘を思い浮かべるんですよ。
大晦日、心を洗いにおごそかに除夜の鐘をきく、そんな印象を受ける曲です。ゴーーーーーーン…。
精霊の森 (作曲:南里 高世)
出だしは、暗くて深い森の中というカンジです。人っ子一人居ない森の中、聞こえるのは木々のざわめきだけで、ちょっと怖く思う人も居るかも。
「自分が森のどこに居るのかさえ解らない。でもその森には精霊が居るときいた。それを信じて歩くのだ」というカンジです。
「今、声が聞こえたような気がした。あれは精霊の声なのか? とても優しい声だ。まるで、ここまで進んできた自分を歓迎してくれているような声だ」。そんな印象のする曲です。でも帰りは森に迷わないように気をつけて。
悲しみの果て (作曲:南里 高世)
言葉も出ないほどの悲しい出来事が続いて、ひたすら悲しみに暮れることってありませんか? 悲しみのあまりふらふらと歩いて、どこかの絶壁になんて行かないようにしてくださいね。海を見て心を落ち着かせるだけで帰るのならいいですけど。
誰でもそういう悲しい経験があるかもしれません。でもこの曲は、それだけじゃないんです。
「悲しみが心を満たしてしまったら、人はそれまで以上に優しくなれる。なぜならば、心の痛みを知ることができたから。同時に人の悲しみも理解できるようになったから」。こんなカンジでしょうか。
とても心温まる曲です。とにかく、眺めるための海はいいなぁ。