◇理想のピッコロに出会うまでの話◇


先述のとおり、最初はジェネレーションしか見つからなかったのだが、やがてインターネットを始めてエルダリーのサイトでチーフテンを知り買ったのが2000年。
そして2001年にオーバートン(現ゴールディ)に惚れ、注文から2ヶ月待って無事に入手する。

その後2003年にサイトつながりでディクソンDX001Dを知り、指穴の押さえやすさとデザインが気に入ってハマる。「キーレス管楽器は難しいけど完全なストレート管で最高!」となる。
その後なぜか2chがきっかけで2008年にディクソンSVの存在を知り、良い意味で完全に狂う。

高速道路のガード下で姫神の「帰らぬ日々」をディクソンSVで吹いていて、原曲本来の低い音域で原曲のキーFmのままで吹きたくなる。
ローホイッスルも考えたが自分には難しすぎると思い、以前からやってみたかったモダンフルートに興味が行った。
だがいきなりモダンフルートを買ってしまって万一挫折したらお金が勿体無い(笑)ので、アンブシュアの基礎練習のためと割り切って、手始めにディクソンの一番安い総プラスチック製のアイリッシュフルートTB021を購入して、プライベート練習のみならず仕事中のサボ練でも毎日研究と練習を重ねる日々が続いた。

今度は音が出なくても焦らず冷静に「なぜ音が出ないのか。出てもカスれているのはなぜか」をよく考えるようになり、理想のアパチュアを作るためのアンブシュアを真面目に研究する毎日が始まる。
そしてアイリッシュフルートで割と音を出せるようになってアンブシュアの自信が付いてきて、今度こそモダンフルートを始めてみようと思い、Nuvo Student FluteYAMAHA YFL211S2GUO ToccoGUO New Voice Fluteなどの様々なモダンフルートを購入し続け、モダンフルートもだいぶ吹けるようになった。

そして、2018年の3月初頭辺りに、ふっと「正しい練習をし直せばピッコロのような小さい横笛もまた昔のように吹けるようになるのではないか」という欲が出てきて、「フルートに比べたらピッコロはアンブシュアがかなりシビアだけど、やってみよう!」と決意して、まずはピッコロのアンブシュアの基礎練習用にNuvo tootを購入。
音が出せるようになって調子に乗って一週間後にはディクソンピッコロファイフを購入。
吹く時に唇が力んでしまう癖が、22年経ってようやく抜けた。
1オクターブ目も2オクターブ目もだいぶ綺麗に鳴らせるようになってきた。
YPC62へのリベンジ心がメラメラと出てきて「どのモダンピッコロを買おうか」と迷っていた日々は浮き足立っており、地に足が着いていなかった。何かを忘れてるぞ自分。

・・・・・・思い出した!!

愛用してきたティンホイッスルのディクソンSVのような完全円筒形デザインのキーレスピッコロ!! それこそが正に私の望んでいたピッコロの理想像だったのだ。
モダンピッコロをやっていた時のデザインへの物足りなさは、それだったんだ。本当は円筒形・水道管シルエットのキーレスピッコロが欲しかったんだ。

でも当時はキーレスだと私には半音を出すことができなかったから楽なフルキーメカニズムのモダンピッコロにしたけど、長年ティンホイッスルで鍛えた半ずらしテクを生かせば、今ならキーレスでも12音階吹ける!
うおお!

イケル! イケルぜ! で、そーゆうちっちゃい横笛、世界中のどっかにないの? きっと私の好みに合うピッタリの運命の人(笛)が・・・

二週間ググりまくり、最後にはケルトの笛屋さんのhataoさんにも相談をしてみた(hataoさん本当にありがとうございました!! 大感謝です!!)。

あった。
水道管シルエットのちっちゃい横笛。YPC62を吹き始めてから24年間無意識に望んでいた横笛の理想の造形とデザインは、これだ!
(それがどのメーカーのピッコロなのかは後になって出てくるので、この時点では内緒にしておくことにする)
24年前から無意識に抱いていた願望にたった今気付いて目からウロコが落ち、感慨に浸っている。

結論を先に言ってしまえば、私が求めていた楽器は、アイリッシュピッコロだったのだ。
ただ、ここが重要なのだが、思い返してみれば、ティンホイッスルに出会えてからちょうど20年間吹いてきて、ティンホイッスルというアイリッシュ笛の繋がりでアイリッシュピッコロの存在を知ることができた。
だから、ティンホイッスルに出会えていなかったらアイリッシュピッコロを知ることは一生なかったかもしれない。
だから尚更ティンホイッスルの存在には感謝したい。それにティンホイッスルは楽器単体としても、昔と変わらず今でも大好きだからだ。

今だからやっとわかったことだが、どうやら私は、笛の構える向きや外見上のデザインや指穴の数という意味で、横笛、特にアイリッシュピッコロが最も理想の笛だということに気付いた。
モダンピッコロのYPC62を吹いていた時代は、アイリッシュピッコロほどには愛着が湧かなかったからだ。これも今だからわかったことだし当時はそんなことを知る由もなかった。アイリッシュピッコロの存在自体を知らなかったのだから知る由がないのも当たり前だw

モダンピッコロから始まりティンホイッスルを経て最終的にファイフやアイリッシュピッコロに出会い、「アイリッシュピッコロこそ自分が求めていた理想の楽器だ」という気持ちに落ち着いた感が、今とても強い。
これ以上好きになれる笛は今のところは見つかっていない。

なのでおそらく、上記の経緯を経てアイリッシュピッコロに出会うことも全て巡り合わせであり運命だったのかもしれない。だとすれば、なんというドラマチックな回り道だったのだろうか。

自分で掴み取った幸福とはいえ、後ろにいる「見えない存在」からの強い強い働きかけがあったのは間違いないだろう。たとえ物質的な幸福であっても、それがきっかけで今後を生きる活力を得たのだから、ただただ感謝である。生きる活力が湧いてこなければ精神の修行など、できるわけがないからだ。
まず体ありき、そして活力ありきで、そこで初めて心の修行をがんばれるというものだろう。少なくとも私はそのタイプ。

ちょっと我ながら詭弁に聞こえるけどまーいいw

たぶん潜在意識レベルでは、もう一度ピッコロを吹けるようになりたい、という気持ちがあったのだと思う。YPC62事件があまりにもトラウマになっていて、もう一生ピッコロはおろかどんな横笛でさえも永遠に吹けないと思い込んでしまっていて、ピッコロやファイフへの憧れを心の奥底に封印していたのだろう。
でも今は安心のホイッスル保険があるから、しかもディクソンSVという最高にお気に入りの縦笛があるから、それを逃げ場にして心の支えにしながら安心してピッコロの練習をがんばれるのだ。

最高の縦笛は既に手に入れた。今度は最高の横笛を楽器本体だけでなく演奏技術も手に入れるぞ。

この自分に酔いまくりの笛吹き精神歴史、そのうちサイトにまとめたい。(まとめた)

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その後研究と練習をしまくった結果、現在でのピッコロやファイフの腕前は、低い音から順に、1オクターブ目は完全に一発で出せるようになり、2オクターブ目の真ん中のGの音までもほぼ一発で出せるようになり、そこから上の2オクターブ目のハイエンドのC♯までは80%くらいの確率で出せるようになっているほど上達してきている。音が全く1つも出なかった22年前に比べたら信じられないことだし、自分でもかなり驚いている。
今までは「みんなピッコロの音を出せてスゲー!」と思ってきたが、「わ・・・私もスゲー!」となっているところだ。

22年ぶりに吹きこなせるようになってきているし、少しずつ上達もし続けている。これは挫折した当時から失われた22年間を今になってどんどん取り戻しているわけである。
時折一時的に上達が止まることもあるが、今までスマホやPCや紙にメモしておいた自分なりのアンブシュアのノウハウのデータがしっかり残っているので、それを元に基礎練習さえ毎日やっていれば下手になることはありえないし、事実、最低限の基礎レベルの腕前は維持できている。それだけでも充分な安心感である。これは本当に天にも昇る気持ちだ。

「イニシャルD」の藤原拓海のセリフをパロって
この笛の吹き方・・・・・・わかったぜオヤジ!!


(心は6歳幼女/時々20歳女だからオヤジじゃないもーん)

一人ボケツッコミwww

 

楽器による心の傷は楽器で癒やすのが一番だし、ピッコロによる心の傷はピッコロで癒やすのが一番なのだ。
私はピッコロという昔の生き甲斐を、ほぼ完全に取り戻しつつある。これ以上の感激と幸せがあるだろうか。

今回得た大きな教訓。

練習よりも先に、まず「なぜ上手くできないのか」を研究して熟考して、ある程度の解決策を見出してから、その研究データに基づいた練習をしなければ決して上達はしないし、最悪の場合は22年前の私のように焦って力み返ってムキになって闇雲に息を吹き込み続けることにより下手になってしまって最終的には挫折しかねない。

練習よりも遥かに大事なのは、冷静になって「なぜ上手くできないのか」の研究と熟考と解決策の発見をする努力である。体よりも、とにかく頭を使いまくり知恵を絞りまくることが何よりも重要だ。
これは自分自身への厳しい戒めの言葉である。あの時の絶望など二度と味わいたくはないからだ。

同じく「イニシャルD」で、作戦を全く考えなかったことが原因でバトルに負けた岩城清次に向けてリーダーの須藤京一が言った言葉
いろは坂のサルじゃねぇんだから、ちったァ頭使えよ
が、まるで22年前の、全く頭を使っていなかった私自身に向けられた言葉のようにも思えた。というか自分で向けた。

今度こそ、どんなことがあってもピッコロを一生続けるぞ。
今まで心の奥底に封印して強引に忘れていたとはいえ、「世界一好きな楽器だ」ということを思い出したのだから。

「ピッコロを一生続けるぞ」というのはアピールでもなく宣言でもなく、「大好きだからどんな壁にぶち当たっても苦にならない」って意味。
要するに嬉しさいっぱいの表現なのさ。

心の奥底に封印していた22年間の想いが、今になってドーッと湧き出てきて感激が止まらず、仕事で疲れ果てていた心がどんどん癒やされ、生きる気力がムクムクと湧いてきている昨今だ。


はじめに

とっても長い紆余曲折の話

理想のピッコロに出会うまでの話(今見ているページ)

いろいろなミニ横笛についての考察

アンブシュアの試練の時

失われたアンブシュアを探して ――時は過ぎゆく――

アンブシュアの迷宮から、やっと脱出


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